多古 城あと整備日記

多古城 今昔

千葉県多古町の多古城です。
ここは城郭の前に、古墳時代があり、発掘調査もされています。 また、軽便鉄道の線路跡も垣間見られるので、今回はそれについても触れました。

多古城は城跡である一方で、その大半が住宅団地の用地になって、城跡はだいぶ損壊したようです。 大きな空堀があるのですが、一時はごみ捨て場のようになっていたと言われています。

今日訪れたところ、その空堀も、今では草刈りがされて、きれいになっていました。


ちょうど草刈りがされたばかり。


かなり大きな堀です。 (推測ですが、江戸時代近くになれば、それまでの山城を統合した形になって、より大きな力の象徴だったのかもしれません)


上の写真に写っていた解説板の中の図です。 エル字型、クランクになっていた堀が記されています。 図の左側が、現在は多古台団地になっている。


この道路は城跡の境界であったのでしょう。

近くには、城跡の他に、古墳跡、住宅団地、警察署、こども園、小学校、JRバス関東、スーパーカスミ、郵便局跡、駅跡、陣屋跡、役場などの官公庁街があります。 昔からそういう建物が集まっていたようです。

電波塔が、ちょうど城跡の位置であったようです。 その城跡の写真手前は低くなっています。(あるいは削られた?)


最新の住宅団地、モデルルームもあります。


小学校の体育館です。


JR営業所わきから城跡を臨む。


近くの大宮神社は、高さは城跡と同等かと思いますが、一般大衆の住まいとは別格の領域となっていたのでしょうか?城の祈願所だったのでしょうか?

城は、出城があったようですが、切り通しとなってしまい、分断されてしまいました。 公共事業が必要であったのか、あるいは幕府として出城を分断させて、勢力を少し落とさせたのか? わかりません。


古墳発掘の後。


なぜかNAA成田空港が、土地の所有者になっている。 展望公園でも作るつもりか? (一説によると、成田空港新滑走路建設に伴う代替地という話があります)


城の国道寄り、竹林に、城の構造が色々残っているようです。 (今度、探索してみたいと思います)


住宅団地内に良い公園がいくつも出来ていて、そこから眺めると、昔の水運、線路跡、現在の国道、空には空港関連の飛行機が見て取れます。

軽便鉄道の線路跡
軽便鉄道の新線路は、JRバス路線であるが、旧線路はほぼ同様ではあるが、それよりは曲がりくねっていた部分があります。 染井交差点から見ると、旧街道の一里塚わきを通り、また国道を斜めによこぎり、セブンイレブン裏の田んぼに入り①、円を描くようにして②~③、また国道わきから田んぼ部分を走って広沼へ④ 向かった。・・・



国道から斜めに入る細い道があり、ちょうど軽便鉄道のサイズである。


そしてその線路跡は、田んぼの中をカーブして、また戻ってくる形だったと思われます。


そして田んぼから抜けて、次へ


道路を横断して、国道のわきのやはり狭い道を、旧線路は広沼へ向かい、切通し付近を走り、多古駅に向かったと思われます。

その後の新線路では、高低差も少なく、直線的な線路になり、現在ではJRバス道路、国道296号となりました。

一部区間でいいので、多古城からミニSLに乗れて、城跡公園資料館から、それを眺められる。 飛行機も見られる・・・だったら良いのになあ。

軽便鉄道跡:染井駅跡から多古駅跡まで、以前読んだ記事からの推測です。(旧線路跡です) 最近の記事とは多少異なるようですが、現場の状況からすると、私はこの方が自然に感じます。参考までに

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