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多古 城あと整備日記

城あとの整備を通じて、面白い町づくりをする日記

goo blogサービス終了に伴い

2025-04-15 | 日記
goo blogサービスが終了するということで、慣れ親しんできたので、非常に残念です。

2025年11月18日をもって終了ということで、それまでに他のブログを探して、引っ越し作業をします。

ブログタイトルは、今までと同じにしたいと思います。

突然なので驚きです。無料だから仕方がないのかもしれません。  多古 城あと整備日記 

らーめんの山岡家 次なる期間限定

2025-04-11 | 日記
千葉県成田市のラーメン店、山岡家。 夜勤明けの朝に度々行きます。
<サービス券がついて、5枚で餃子、10枚でらーめんが食べられます>

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もやし味噌ラーメンに続く期間限定版。 特製カレーとんこつラーメンです。



ご飯をプラスすするのも良いですね。


カレーということで、糖尿治療中の私は?ちょっと不安に。
でも、でてきたものはかなり薄いカレーのスープでした。一口目が熱いので注意。キャベツが載っていますが、さらにキャベツのトッピングもよさそうな感じ。 あんがいあっさりした一品でした。ライスは半ライスです。

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今日は期間限定で、Gガツン系 特製もやし味噌ラーメンです。
もやしによる水分で、とてもヘルシーな感じです。




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久々にラーメンを食べました。
久々に期間限定で プレミアム 醤油とんこつラーメン がありましたので注文。

うーん、以前の醤油とんこつの方がうまかったような・・・。 それと糖尿治療中なので、これからは脂少なめにした方がよさそう、味も薄めの方が良いかも。

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ラーメンの食べ過ぎで糖尿病になりました。 というわけで、今朝はラーメンなし。


ライスと餃子、ノンアルコール スープはないですね、この店は。
まあでも、朝食前に薬を1錠のんで、ごはんで、お腹すっきりという感じです。ミニ丼もありましたね。卵かけ丼とか、次回に深めようと思います。

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新しい、期間限定もの、生姜醤油ラーメン
豪華ですよ。

これは部分部分で味が変化します。だからかき混ぜないで食べたい。(最後にはかき混ぜますがね)笑
最初はネギのあたり 食べました。うすーく甘いような味がしてうまいですね。

ネギのあたりから、次に他の部分のスープは、また違った味で楽しめる。生姜は長くすった形で、良く混ざる味ですが、それでいてすがすがしい。

麺は太麺。味は少し濃く感じたので割スープもらいました。味は、この店では初の味という感じでした。

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今日は久しぶりに朝ラーメン。0.5の替え玉も頼みました。

(ちょっと写真が大きいでしょうか?)笑
朝ラーメンは安くて、麺が細くて、食べやすい。海苔の上に梅肉がのっかってます。 今日は替え玉ありで丁度よかったです。(朝ラーメンは安いので、サービス券はありません)

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夜勤明けで腹減った。 しばらくぶりのつけ麺、醤油つけ麺にしました。 店内はまだまだエアコンがキンキンに効いています。 熱いラーメンには良い。


スタンダードなつけ麺だと思いますが、トッピングをいくつか頼むのも良いかもですね。 スープを少し薄めて食べました。 朝早くに食べられるので、昨日に続いて2連ちゃんです。

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今回は期間限定、旨辛とんこつらーめん(だと思ったが、うろ覚え)です。


そうですね、見た目は辛子で赤いですが、辛くありません。(携帯で撮ったので解像度良くありません)


麺が、この店では異色。外側がやや硬いかなと思いきや、そうでもない。
スープはしつっこくなくてスッキリです。(もう一回食べてみようか)
麺の硬さなど、そのままで良いと思います。

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今回は期間限定、和節とんこつ醤油の らーめんの方を食べました。
つけ麺もあるのですが、そちらは、麺を目で楽しむというのがありますね。

さて出てきました。


味は薄めにしてみましたが、これは正解だったような気がします。
麺は中太麺でやや固めでしょうかね。好みですが、普通で試したら、次はやわらかめにするのも良いでしょう。味はごく薄ーく甘みがあるような感じ・・・鰹節効果かな。

つけ麺の方は、少し中華スープっぽい感じがありましたが、ラーメンの方は少しとろりとした感じで。鰹節と醤油とんこつの味という事でしょう。 さらしときざみのネギが良いアクセント。 まあでもこの店はさっぱり系ではないですね。

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今日は期間限定、以前も食べましたね、「和節とんこつ醤油」ラーメンとつけ麺があります。今回はつけ麺にしました。



今回は麺 柔かめでお願いしました。 海苔の上に削り節が乗っかってます。 麺の色が少しそばのような感じなんです。自分的には好きですね。 案外盛りだくさんな感じで、色々楽しめる一品でした。 次はラーメンタイプ頼んでみようか。 (期間限定は千円前後なので、安い朝ラーメンと、交互かな)

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今日は、本当は朝ラーメン 食べるつもりでしたが、なぜか 期間限定 ホタテ塩とんこつラーメンになりました。(これはつけ麺もあります。しかし、再度復活? でなくて、ずっと継続で期間限定だったのかな?)


何だか海の中にいるような感じ
太麺だけど、つけ麺のより軽い感じ。 見た目よりあっさりしていました、塩だからかな?

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今日は昨日同様、朝ラーメン520円。そしてギョーザとコーラ、以上で1,020円です。
麺は柔らかめにしましたが、どうなんだろう、これは固めなのが良いのかな。


麺は細麺です

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期間限定もまだありますが、今日は、朝ラーメンと、半ライスと、ノンアルコールビール これで千円でした。


朝ラーメンは安くてうんまいです。(塩とんこつかな) 他のラーメンは太麺ですが、これだけは細麺。 これで千円なんてうれしい。 おこのみは、全部普通にしましたが、麺は柔らかめの方が良いかもです。 梅肉がのっているし、ご飯も甘くてうまいし。 夜勤明けに食べられるなんて、良いお店だ。 (ああ、また食べたいです)

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今回は期間限定で、つけ麺とラーメンタイプがある、とんこつホタテ塩つけ麺と、ホタテ塩ラーメンです。


こちらはつけ麺タイプ。ちょっとしょっぱかった、かなり薄めました。注文の時、味をうすくとすればよいかもしれない。麺はやわらかめで注文しました。 この店にしては、麺とスープがお互いに生かしあう感じで、他の麺と違った味でした。




こちらはラーメンタイプ。塩だから透明感があってきれいですね。こちらはつけ麺より少しまろやかな感じ、味の濃さはうすめでたのみましたが、ちょうどいいですね。つけ麺タイプより、ちょっとすがすがしい感じかな。

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今日の山岡家は、期間限定の「旨辛スタミナラーメン」です。

キムチや厚い豚バラ肉、小さな粒・ガーリックチップ(ニンニクを揚げたものだそうです、店員さんに聞きました)が載っています。

事前の宣伝文句では、かなり辛いという事でしたが、実際には地獄ラーメンのように唐辛子での辛さではなく、甘辛(旨辛)といっても良いかもしれません。 ですが、食べ始めたらじきに毛穴が開いて、体が温かくなり、額に汗が出てきました。(足まで温まればさらに健康に良いと思われるが下半身冷え性です)

今回、ギョーザも頼みましたが、ニンニクがふんだんに使用されているので、かえってライスをつけた方が良いかもしれません。

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久しぶりの山岡家、今回は期間限定 もつ味噌ラーメン です。

もつ入りということで期待しましたが、結果はイマイチ。 ここは、具と麺とスープが何だか分離している感じで、惜しいと思います。 次の期間限定に期待します。

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今日は醤油ネギラーメンです。
ベースは醤油ラーメンと同じですが、少しねばりけのあるネギ、油が絡まっている、が乗っています。
 
 
何の抵抗もなくスルスルと食べられます。食べているのを忘れるくらい。

味は醤油というより味噌に近いですね。麺は太麺で、それが独特の醤油ラーメンの味を飾っています。あっという間に食べ終わっていました。これが普通の醤油味だったら、ネギ塩ラーメンもかなわないかもしれません。
瓶コーラと合わせて980円。千円札でおつりがくるのはうれしいですね。

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今日は期間限定、プレミアム醤油とんこつラーメンです。
 
まずはノンアルコールビールで 乾杯


これが期間限定プレミアム醤油とんこつラーメンです。 いつもながら、(良い意味で)ちょっと惜しい、これだけの具材ならもうちょっと洗練されてもいいのに、と思います。(大衆的のちょっと上級)


ここは麺が太麺が定番ですが、この期間限定はめずらしく麺が中麺。・・・なんなんだろう、ここは味が濃すぎるのかな、もうちょっと薄い方が、具材が生きるように感じます。でも重宝なので、よく利用します。

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本日は醤油ラーメンです。 サプリメントの内脂サポートのおかげか、またラーメンが食べられるようになった。
 

写真が特大でしたか。 醤油といっても、志那そばや、中華ラーメンではなく、ちょっと味噌っぽいです。 太麺で、案外珍しい醤油ラーメンかもしれません。

スープが醤油ではなく、味噌っぽいでしょう。普通盛でノンアルコールビールと合わせて 1,040円です。きりよく1,000円にまけてほしい。(笑) あとコショーを使おうとしたら、中身がなく、補充を頼んだら店員さんがビンのまわりにコショーがこびりついていて、空だというのがわからなかった。 

だから日常でビンを外から点検してもわからないから、お客からコショーが空だと伝えた方が良い。

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今日も夜勤明け 塩ラーメンを注文。(ノンアルコールビールも)

どういうわけか、海苔で隠しています。スープが豚骨なのでしょうか?白くてほんわか、久しぶり うまかった。

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今日は夜勤明けの「ネギ塩らーめん」です。太麺なので、ボリューム感があります。

ネギしょうゆとどちらがうまいか? 今度ネギしょうゆを食べてみよう。

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今回も期間限定「鬼煮干しラーメン」
 

正直、煮干しは好きではないが、かなりとろとろしたスープ。イカのからすみみたい。
玉ねぎもたっぷりで、煮干しと合わせて、脳の働きが良くなりますだったらいいのに。 麺はこの店にしては珍しく細麺です。とろとろスープに少し酢を混ぜるとさっぱりして良かったです。

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今日は期間限定の、焦し醤油ラーメン、を注文してみました。(初めて食べます)
ここは、エアコンがキンキンと効いていて、早くラーメンを食べたくなる温度。 私なんかにはうれしいですね。

焦げているのは醤油らしいのですが、油揚げやネギも焦げている感じです。
味は・・・何と言ったらいいか、案外、まったりと奥深い味わいで、醤油より味噌に近い感じで独特。

初めて味わう味ですが、醤油のスープとはまた別物、クセになる感じでした。

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今日はつけ麺を頂きます。 辛味噌つけ麺です。


写真だと、スープがなんとまあ赤いこと。 それで量も多い。

スープも面も、どんぶりの大きさが同じですね。 (スープの方が大きく感じる)
麺の上には何も載っていませんが、その分、スープの中に入っています。

スープの辛さは、地獄ラーメン2丁目くらいかな。
私は割りスープでだいぶ薄めました。

まあここは、24時間営業で、そんなに高級感がある感じではなく、大衆寄りのいい意味での雑な感じがあります。
麺は太麺で、店内はエアコンがキンキンに効いているので、ラーメンを食べている人も、汗だくにはならずに済みますね。

野菜炒め 炒めセットを使って

2025-04-09 | 日記
初めての野菜炒めから、少し進歩しました。
今まで野菜単品を買っていましたが、袋にセットになったのがあって、それを使い切るのも便利でした。


野菜炒めセットの袋入り


これが、案外量が入っているので、野菜炒めと、野菜スープ(味噌汁)で半分ずつに使えます。



一人前だと、量を持てあますことなく食べられます。一袋100円前後でしょうか。高齢者となって、野菜中心に食べていれば、健康でいられます。

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初めての野菜炒め。

なんせ今までスープ類ばかり作っていたので、鍋類しか使っていませんでした。 今回はフライパンを探してみたら、もう朽ちかけたようなフライパンが出てきました。(笑)

それで、あり余りの野菜と、少量だけ買ったバラ肉を材料にして


それを炒めて、私的には少量のぽん酢と、記事によく書かれている「焼き肉のたれ」を使ってみました。(焼き肉のたれとは、気がつかなかった)さあ、召し上がれ

・・・もうちょっと水分を飛ばした感じになったら良いかな。
まあ野菜を炒めただけだし、別に他の人に販売するわけでなく、自分で食べるので問題はないですね。初めての野菜炒め、うまかったです。

へいきち ねぎ増し

2025-04-08 | 日記
記事更新中
千葉県 香取郡 多古町  志那そば へいきち
午後も営業しています。ありがたいです。

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ここは、あんまりバリエーションがない。そのため、今日はねぎ増しにしてみました。

他と比べれば、ネギ多いですね。

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しばらくぶりの志那そば へいきち。今日は新しいメニュー「れんこんそば」を試してみました。

まずこのお店は超無料→ 調味料がコショーのみ。


で、どこにれんこんがあるのかと思ったら、麺に練りこんであって、麺が黒いのです。歯ごたえがあって、腹持ちが良いです。
唯一の調味料コショーをかけると良いと思います。1,130円。今はこのくらいは仕方ないでしょうか。

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志那そばです。 写真より麺は細目です。さっぱりで、もたれない。(漢方入り)



漢方入り 志那そば 細麺で 懐かしいような それでいて新しい さっぱりですね。 餃子とかはありません。本当にシンプルな経営方針です。回転早い。

飯土井城 分城 (更新作業中)

2025-04-08 | 城郭
分城での検索、ありがとうございます。 飯土井城分城(わけじょう)は、千葉胤貞の居城で、その奥にある久保城は胤貞居館で、分城はその久保城の防衛拠点といわれています。


(2025年令和7年 gooブログ終了のため、他ブログで分城の記事を更新します。 再度、新しく来られる方にわかりやすいようにします)

(以下、更新予定、あるいは更新中)

*****(最近の動き)

2025 令和7年3月、堤防の桜並木に、分城の案内プレートを設置しました。


堤防の桜並木に、桜オーナーのプレートが設置されています。


今回、飯土井城分城の表示をして、案内板にもなるようにしてみました。

2025年 3月 14日
彼岸後に空堀に草が伸びるかと思い、見に行ってきました。まだだいじょうぶですね。5月に急激に伸びてくるのかな。そうしたら草刈りなり、除草剤散布をしたほうが良いかもしれません。


空堀:まだ草は生えてきません。


こちらは城と神社とお寺の解説を、木に巻いてサンプルで設置したものです。

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登城口の案内板(床屋さんと牛舎跡の間に 登城口があります)

2024年(令和6年)4月7日 標柱と鳥居の間に「説明板」が設置されました。JRバス東関東さんから、多古城郭保存活用会に5枚提供された中の1枚です。 作成は多古町教育委員会によるものです。

石段を上がって鳥居の横に設置されました。


説明板の文章は教育委員会によるものです。

千葉県多古町にある 飯土井城 分城(わけじょう:地元読み)は、太郎兵衛が子供の頃、このあたりで遊んでいたわけですが、なんか妙な地形だなー?と思っていました。自然の形でなくて人口的なものなのか?という疑問を感じていました。

城のことは地域の人も何も話題にしなかったので、つい最近まで城跡だということに気づかなかったくらいです。

こちらの分城の居城から北に900m、千葉胤貞公の居館(生活の拠点)である久保城があります。 胤貞公はその久保城から、こちらの分城に訪れたリ、他の千田の庄の拠点を巡回していたのではないかと推測します。



ときには寺山の妙見の祈願所や、別当坊にも立ち寄り、湖沼を眺めたり、ときには住職と話をしたのでは?と想像します。・・・この寺山は、城の最先端のくぼ地にあったわけで、戦いがあれば、そのど真ん中に巻き込まれる位置で、兵士がついているとはいえ、住職も気が気ではなかったのではないでしょうか?



・分城:千葉県香取郡多古町  
 道の駅多古あじさい館より 徒歩で 1.1km、車で 1.9km。 (飯土井城から日本寺までは 1km)

※(緊急発表)
今まで妙見神社のある周辺が「城跡」とされていましたが、今回新たに字馬場に「真の居城」の土地が発見されました。 これにより城郭はとても広いものとなりそうです。


妙見神社の北東の字馬場に、居城があったそうです。(町デジタルアーカイブより)

また現地に行くと、広い畑地帯があり、そこにヤダケなどの竹類が塚状に生息しています。 合戦用であったのかどうか、畑の中に不思議な光景で、近くに居城があったと見ることが出来ます。


1.5haの畑内に、竹類がこんもりと生えている。

江戸時代にこの城跡は馬場にされ、多古城主の松平氏が、乗馬に来ていたという。
今後は研究者による、城全体の解明に期待をしますが、地元でこれまでに作成をして来た案内表示も、修正が必要になるかと思います。

まあ、今後も妙見神社付近が分城の一部であることはかわりません。

(分城への行き方)


多古町は線路はないので、まずは 「道の駅たこ」 を目指して来て頂きたい。
自動車は、あじさい公園駐車場が、堤防沿いに3カ所ありますので、それを利用して下さい。
 
道の駅から栗山川の上流500mのところに「あじさいばし」があるので、この橋を渡って下さい。(自動車は通れません)

※(西谷からの畑道は道路の整備や、駐車場の整備がされていないのですが、すぐそばに見晴らしの丘公園が建設予定なので、駐車場や駐輪場が完成したら、そこを利用して下さい。 城跡や妙見神社に隣接しているので双方向的に散策が出来ます。1~2年後に完成予定)

川を渡って高田集落に向かっていくと、理容店と牛舎が目印となる神社入口から(案内板あり)参道を進み、右手の石段を上ると、妙見神社と 分城跡を示す白い標柱(町教育委員会が認めたもの)があります。 (左手の堀切・作馬道を通っても城址です)



(内容)
・飯土井城跡(分城跡)
千葉胤貞の居館は窪にあったと伝わっていますが、胤貞は防衛拠点として飯土井城と大嶋城を築いたと伝えられています。 境内を囲むように土塁と空堀が廻り、社殿裏の空堀を超えると物見台と思われる高い小丘があります。 

高田集落を真下に臨み、栗山川の流れ、多古の町並み、多古城跡、志摩城跡、さらに横芝光町の笹本城跡まで見渡せる台地の突端にあります。


分城 中城 久保城 並木城の位置関係と、それぞれの役割。

久保城は居館ということで、現代で言えば殿がお休みになる「県知事公舎」、そして飯土井城は日中の会議や執務を行う「県庁庁舎」で「県警本部」も備えていた、といったところでしょうか。

分城(ぶんじょう、わけじょう) 地元では ”わけじょう”と読んでいます。
わけじょうの意味は= 検索などで見ると、建物(お城)を建てるときに、別の仮住まいを作ったりしますが、それを分城と言っていたようで、こちらでは久保城を作る前に、前線基地の分城を作って、殿もたびたび通ってきていたのではないか。

あるいは久保城と分城を、行ったり来たりするので、分店、分城といった呼び方をしたのか。 だから分城に胤貞の留守を守る店長役はいたと思いますが、オーナー的な胤貞公は久保城から出勤してきたのだろうと、私は思っています。 (だから城主は不明という言い方もされるのではないだろうか)


・妙見神社
胤貞が守護神として勧請したものと言われています。

「社には「巨栄山徳成寺開基 飯土井城城主 千葉大隈守胤貞公 御徳院殿日叡大居士 建武三年(1336年)11月29日遷化」と記された位牌がある」 という記述がよくありまして、皆さん、この昭和初期の区長報告の文をネットにも載せられるのですが・・・(社の中なので、皆さん確認していないと思います)

位牌そのものは、老朽化のためその後どこかに収められたのか、あるいは処分がされたのか、現在は不明です。 ですのでアップするのなら「かつて位牌があったようである」ぐらいにして欲しいです。 (字が消えている板碑があるのですが、木自体は昭和の物で、「飯土井城城主・・・・」という記述も何も見えないので、位牌がありますとは言えない) まあ、作ったとすれば徳成寺が作ったものなのでしょう。

神社境内の石灯篭には、「文政」という元号が刻まれていて、5~6世代前の 先祖の名前が見られます。(今から200年くらい前の集落移転者たちが奉納して祝ったのでしょう)

神社は当初、守護神として別当坊にあったが、一度、「寺山」と「一の屋敷」との間に移転し(徳成寺移転のためか?)、そして集落移転により、さらに現在の神社の場所に移ったそうです。

文化~文政の頃に集落が、台地から水田の方に移転してきて、その時に、現在の妙見神社の位置に 建て替えたか、あるいは、村の旧家であった依知川氏の氏神であったのを譲り受けたのか、今は高田の産土神として管理されている。
に移ったそうです。



・寺山
寺山には真言宗のお寺があって千葉胤貞の祈願所であったが、千葉胤貞と住職は、日祐上人の教化を受け日蓮宗に改宗、寺も日祐に献じた。 また胤貞は、妙見神を勧請して、別当坊の徳成寺を開基した。 最初の住職が日祐と言われている。(徳成寺の記録では日祐が開基としている)


(地域での伝聞)
700年前、城があったと言われており、現在畑になっているところに 「一の屋敷」 「二の屋敷」 という呼び名があったと伝えられています。 現在の神社部分のみの単郭と思われがちですが、西谷の馬場に居城があったと町のデジタルアーカイブに記述されています。

「約一町五反歩ほどのところで、江戸時代に多古領主松平氏がそこを馬場としたともいわれている。南中字飯土井台一九五六と、同一九七四番地がその場所である。」

そして、今からおよそ200年前(文政のころ)に、台地にいた高田集落の 祖先が、下の湿地の岸辺であった現在の高田に移転した。つまり、並木城と異なり、分城にはふもとに城下町はなかったようである。

(鳥瞰図) 
余湖さんのHPより借用 http://mizuki.my.coocan.jp/yogokun/takomati.htm#bun

余湖さんのページへ


分城の説明は、
・余湖さんのHP
・多古城郭保存活用会のHP
・分城の御城印の説明書き(道の駅 多古あじさい館 で販売)
・多古町の歴史パンフレット(多古町ぶらり散歩)
・多古町歴史アーカイブ

にもにもありますので、参考にしてください。

なお、余湖さんのページに、分城についての地元の解釈と説明を、掲載していただいてます。 地元の言い伝えの部分もご覧ください。

(写真)
城址・神社入口   作馬道    神社石段1~2(空堀利用か)   社殿


教育委員会で設置した標柱(城址・神社)と 説明板。 石段の上、鳥居の左横に設置
 

物見台に通じる通路(台風後の重機作業でできた)と、 神社脇の物見台・神社の屋根より高い


空堀と 土塁。 台風により倒木あり(神社は集落管理で伐採したが、城郭は管理者不明で、費用が出なかった)


畑側に出ると、電波塔が見える。 その手前の土地に、一の屋敷・二の屋敷といわれた土地があり、古代の人間も住んでいたもよう。 その住居を囲むかのような、大きな畝状の地形もみられる。

     

神社の石燈籠に「文政」と刻まれている


社はもともとは別当坊の徳成寺に祈祷所があったようですが、(徳成寺の移転にともなってか)その後、寺山と一の屋敷の間に、一度移動したと言われています。(お寺は火事により芝地区に移転したという説と、周辺に家が少なくなって芝に移転したという説があります)
 
その後、高田集落が下に形成されると、城の砦部分の現在地に神社が再移転して設置されたといわれている。

ともかく、城の位置などについては、今後、歴史家の方に解明してもらいたいと思います。

神社から、昔は湖沼・湿地であった栗山川流域を望む(多古城や、志摩城が望める)


お城の時代には、物見台や切岸から、このようなエリアを見て、船戦(いくさ)の監視をしていたのでしょうか? そのころは、もっと印旛沼のようだったのでしょうか。当時の様子をドローンで見てみたいものです。


追加) 並木城との対比
並木城は、物流・貿易的なことがあって、当時から城下に集落を構えていたようです。 だが、分城では、城下町はなかったようです。 久保城にも近く、防衛拠点なので人の出入りは出来るだけ避けたのか。

分城付近の湖沼であった部分は、水田の土を掘ると、黒っぽい「けと」(葦などの植物の分解されたものが堆積した土)がずっと下まで続いていて、かなり水深の深い地帯でなかったかと思われます。 だから船だと、竿が効かなかったかもしれません。(推測ですが)


水田のパイプライン工事で、田を掘ったところ。 青黒い土がずっと下まで続いている。

一方、船戸があった並木城の方は、土を掘ると30cmくらいは茶色の土で、その下は黒い色の土が30cmくらい続き、そして、その下はまた茶色の土に戻る、サンドイッチ形式です。

だから、並木の方が水深が浅かったのではないかと推測します。 そのため、借当川から水運で荷物を運ぶのに適していたのではないでしょうか?(川にも近いし) 城の初期に城下町も作ったのも、貨物の搬入・加工・搬出の面もあるでしょうが、地盤がしっかりしていたとか、そんな関係もあったのではないかと想像します。

道の駅あじさい館の記述では、5,000年前このへんは海で、その後、土が隆起して湖沼・湿原となったそうです。 その歴史が土に現れ、現在にも影響が見られます。