ニュースは踊る

ニュース、その他に関する個人的感想です。「正しいこと」、など書きません。私は名は「三太郎」。

「共産党宣言」を読んでみた。

2006-08-18 | Weblog

僕は人文系の大学に通っていて、プロレタリア文学なんぞも扱っていたので、マルキシズムについて「考えなくてはいけない」ような環境で育った。もっとも僕の頃は、もう大学は遊園地化していたから、みんなが考えていたわけではない。でもまあ僕は、文学の側から考えた。

だからマルクスの原書にあたるなんて真似はしてないし、日本語訳だって読んではいなかった。宮本さんの「敗北の文学」とか小林秀雄の「様々なる意匠」とかをよんで、「蟹工船」なんぞを青っぽく論じていた。広松渉さんとか、吉本隆明さんなんぞも読んだが、どうもよく分からなかった。不勉強だから丸山さんは読まなかった。

そしたらソ連がなくなって、もう今更マルキシズムでもないという社会になって、その上大学は修了してしまったから、結局マルクスの本なんてまともに読むことなく生きていた。

で、この間昔の本を整理したら、「共産党宣言」がでてきた。これはとても「厚さが薄い」ので、流石に一回は読んだことあったが、すっかり内容は忘れていた。

で、さっと読んでみた。むろん正確に読もうとはしていない。不謹慎だが流し読みである。

ヨーロッパを共産主義という妖怪がうろついている。という感じの出だしである。

この部分は「文学的」で好きだった。

社会の歴史は階級闘争の歴史である。

日本にはもう歴然とした「階級」はなくなってしまった。だから日本一国を考えた場合は、この定義にあまり意味はない。けれど世界を考えた時は貧困階級と富裕階級が存在する。

テロの温床が貧困であることは誰でも知っている。そして貧困国家の大部分はそこから抜け出せない。そういう「しくみ」があるのだ。中国、インド、ブラジルなど今先進国のマネーが流入している物的および人的資源がある国は別として、その他のほとんどの国は貧困からは抜け出せない。そういうようになっている。

とすると、まだこの定義は「活きて」いるということになる。テロが悪であることは間違いない。が、階級闘争の一面をもっていることも事実である。

つまり貧困を解決または改善しない限り、テロという階級闘争はいつまでも続くということになる。まあ、誰でも分かっていることで、書くべきものでもないが、久々に「社会の歴史は階級闘争」という言葉をみて、そんなことを想った。

日本共産党の最近の活動はよく知らない。ただ「日本」というレベルで活動しているかぎり、支持者はもう増えないだろう。日本社会の格差だけでなく、世界の格差を改善し、そのことによるテロの防止に邁進すると言えば、少しは人をひきつける政党になれるかもしれない。「ちゃんとやっています」とお叱りを受けそうだが、結構ニュースは見ている僕の耳に入ってこないのだから、やってるならもっとうまく伝達しないといけないだろう。と、ここで日本共産党のHPを見てみた。いろいろとつっこみを入れたい言葉が並んでいた。国連主義でテロを追いつめる、とか書いてある。「追いつめ」たらもっと事態はひどくなる。国連主義は残念ながら世界の貧困に対しては非力すぎる。

それでも日本共産党には「抵抗勢力」として頑張ってもらわないと困る。社民にも民主にもがんばってもらわないと困る。小泉的翼賛政治はもうこりごりである。安倍翼賛政治の嫌な予感もすることだし。あ、加藤紘一も頑張れだな。

ソビエトの壮大な実験は失敗したが、ソ連の存在は西側の福祉政策を強く刺激していた。冷戦はまた「どちらが福祉を向上し、より平等で豊かな社会を実現できるかの競争」でもあった。ソ連が崩壊して、西側に福祉向上への努力をする必要がなくなった。そしてむきだしの競争社会の中で豊かであるはずの我々の多くは疲れ果てている。

そこそこ豊かで、ほどよく平等で、心が荒廃するほど忙しくはない社会(世界)が僕はよい。マルクスもそう思ってこの本を書いたのだと僕は思っている。

社会主義はそれを実現できなかったが、資本主義も実現できなかった。共生社会という概念もまたあやふやである。

思えば資本主義も社会主義も「経済的豊かさ」を第一の目標とした点では全く同じものであった。時代背景がそれを要請したとはいえ、そこに「何か」間違いがあったのだ。

社会主義の実験は失敗したが、資本主義も世界全体でみれば格差と貧困とテロを生み出してしまったわけで、決して「勝利」などしていない。

「何か」が欠けていたのだろう。

いまのところ資本主義に対抗できる概念は「共生社会」しかないが、まだそれは「空想」「理想」の段階である。

共生社会が「空想から現実的政策へ」となる日はいつのことだろうか?

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2 コメント

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どうも誤解されているようですが (kaetzchen)
2006-08-19 14:24:36
ソ連における高度な福祉政策が始まったのは革命中からです。当時,男手が足りなくなり,インテリが反革命側に多くいたこともあって,革命後のソ連には知識分子も少なく,孤児と寡婦が異常に多いという社会的状況があったのです。そうなれば,大学授業料を初めとする学校授業料の免除,寡婦を保母として雇い孤児を保育園や幼稚園で育てるという政策へ傾くのは当然のなりゆきだった訳です。



社会主義社会においては個人への税金という概念がありません。あくまで贅沢品の値段をつり上げて,そこから直接消費税という形で税金を取っていたのです。そうなれば,ソ連の真似をして高度福祉社会へ走った北欧諸国が高額な直接消費税を課すようになったのもある意味当然でしょう。但し,北欧諸国は社会民主主義政策を取っているため,国民の4割ほどが公務員で占められており,高額な直接消費税に耐えられる経済構造になっている訳です。これが公務員を減らすばかりの某国でやろうものなら,貧民が増え『共産党宣言』のような社会が再現されることは目に見えているかと思います。



# ちなみに私は理科系でしたけど "Manifest" を最初に読んだのは英語が高校時代でドイツ語の原書は大学に入ってすぐの頃でした。ロシア語で読んだのは結構後になってからですけど……。

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日本には既に貧困階級と富裕階級が存在する (kaetzchen)
2006-08-19 18:03:34
という事実は前提として押えておかなければなりません。前者は「負け組」であり,後者は「勝ち組」です。言葉は換えてありますが,実情は「無産階級」と「有産階級」,「貧困階級」と「富裕階級」と置き換えて間違いありません。そして,コイズミ改悪によって,相互の階級間の中間がなくなってしまい,かつ貧困層から富裕層へはい上がることがほぼ不可能となってしまったという事実があります。



私はかつて中流の上に属し,中学の途中までは恵まれた環境で育ちました。大学(6年制)もそれまでのがり勉環境のおつりで入れたようなもので,大学の学費も何とか支払えました。しかし,博士課程へ上がるに当たって,親の仕送りが期待できない,つまり中流の下になったことが分かり,国家上級をすべり止めにして,大学院(研究所)の奨学生を受け,何とか学費だけは免除して貰えたという経験を持っています。失敗したら今ごろはどこかの法人に天下りでもしておいしい思いをしていたかも知れませんが。



ところが,今は努力だけでははい上がれない時代になってしまいました。高校や大学の同級生に聞くと,子供の学費が重くのしかかる……と。そして,出世コースから外れた連中も,今は大学が多すぎて,子供の尻を叩いても努力をしないから十年後に倒産してるような大学へ行かせるだけカネの無駄だと……。



今の子供たちや若者が極端に右傾化している原因は,どうせ努力しても無駄だ,努力の面白さがわからない,という「やる気のなさ」にあるのではないかなと思うのです。当然「やる気のなさ」は極端な2つの階級へ分かれてしまったためだと結論づけても良いでしょう。



もし,興味があれば,金子勝『月光仮面の経済学』(朝日文庫, 2004)ないし,永山則夫『無知の涙』(河出文庫,1990)を探されて読まれてみると良いかと思います。

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