ニュースは踊る

ニュース、その他に関する個人的感想です。「正しいこと」、など書きません。私は名は「三太郎」。

福岡のいじめ自殺について

2006-10-17 | Weblog

いじめ自殺異論」という題名で文章を載せていたのだが、いささか非情すぎる内容であった。コメントもなにもないのを良いことに削除した。

僕には教員の友人がいる。連絡は随分とっていない。大学出て教員になって、大学時代愚痴の一つもいわなかった男が徐々に愚痴っぽくなり、精神的に衰退していくのをみるのが辛かった。それで連絡も途絶えがちになった。

精神的衰退と書いたが、その友人の場合、具体的には言葉からデリカシーがなくなっていった。彼から聞いた教育現場の実態は悲惨であった。生徒の問題より、むしろ利己的な保護者のあり様、教員間の人間関係、無能な上司。そういったものに彼は悩んでいた。デリカシーなど存在できないような「現場」の空気は僕にも分かった。

今度の福岡の中学生の自殺を聞いた時、僕は今責任を追及されている教員は病気だと感じた。もちろん本人にその自覚はなかったろうし、日常生活はごく普通に送ってはいただろう。だが精神の深いところが病んでいるのだ。

学年主任をしていたと言う。無能な管理職の目には、彼は「生徒になめられない立派な教員」として映っていたのかもしれない。

校長は何をしていたのだろう。何故彼を主任にしたのだろう。そして両親は子供とどうコミュニケーションをとっていたのだろう。

断片的で「整理された」情報しかないので、わからない。だたこの教員に責任の全てを押し付けて、ことが済んだようにしてはいけない。

マスコミは残酷に彼をいたぶるだろう。それは正義のためであって、「いじめ」ではないと言うのだろう。しかしそのような態度では、いつまでたっても事件の本質に迫ることはできないと僕は考えている。

学校は社会の縮図である。学校がゆがんでいるなら、それは社会全体が歪んでいるからだ。小泉総理が残した負の遺産を浄化するにはまだまだ時間がかかりそうである。

ブログ投票を。