ニュースは踊る

ニュース、その他に関する個人的感想です。「正しいこと」、など書きません。私は名は「三太郎」。

昭和天皇とメレヨン島

2006-07-26 | Weblog

メレヨン島という島がある。トラック島の西、グアムの南、パラオの東、の孤島である。この島でおこったことはほとんどの日本人が知らない。小学館の昭和の歴史でも2ページしか叙述はない。

昭和19年4月。メレヨン島で、完全に補給を絶たれた日本上陸軍は、パラオで玉砕したいと申し出る。

が、船が皆無であり、認められなかった。以後1年、6500名余りが飢餓と戦うことになる。

この島でも「上官と兵の生還率」には大きな差があった。将校は7割が生還、兵は2割以下の生還率。といっても生還したのは1626名に過ぎない。

海軍司令官宮田嘉信大佐が書いた文章が残っている。昭和20年6月の文章である。

概略はこうである。

各隊とも食料状態、衛生状態が極めて悪い。一日平均20名近くが死ぬ。全部栄養失調からくる餓死である。

兵による備蓄食料の盗難が多い。これに対しては番兵が射殺をして防いでいる。私刑(リンチ)が極めておおい。日本軍人が日本軍人を絶食させたり、つるし首にしたり、絞め殺したりといったリンチが平然と行われている。憂うべき状態である。

最後の陸軍大臣、下村定はこの事態を「軍の規律がよく守られていた」と天皇に奏上した。

下村の回顧録によると、天皇は「ああ、よくやってくれた。私が深く喜んでいることを、早速旅団長に電報してもらいたい」と言った。

下村がどのように上奏したのか。天皇が餓死の事態を把握していたのか。それは分からない。

把握して言ったとすれば、天皇をかばう論理はたてられない。「ヤマザキ、天皇を撃て」という人間がでてもおかしくない事態だということになってしまう。まあ、彼は論外なほど過激すぎて全く共感はできないが。(昭和44年、天皇パチンコ玉事件)

一方、昭和20年の段階では把握していなかったと、天皇をかばう論理をたててしまうと、「大元帥」としての把握能力に問題が生じてくることになる。

僕は天皇は知らなかったと思う。しかし戦後になってある程度正確に天皇は事態を把握しただろう。とすれば、今回の日経メモは次のようにも読める。「私に靖国にまつられる資格はない。むろん東条や松岡にもない。」と。

それにしても日経社員の逮捕。犯罪は犯罪として、警察のやり口は露骨に過ぎる。犯罪だから「言論弾圧」とも日経は叫べない。もっとも天皇メモと日経社員の犯罪などなんの関係もないが。

メレヨン島では75パーセントの兵が餓死した。飢えた者同士のリンチによる死もあった。たった一つの小さな島で、5000人が「餓死」したのである。戦闘は全くない。米軍は島を素通りしている。これが「作戦ミス」などという軽い言葉で表現できることであろうか。「戦争指導責任者」の罪は、未来永劫にわたって消えはしない。

関係文章「追悼メレヨン海軍戦記」メレヨン海軍会1978年 

      「単独上奏の思出」 下村定  偕行 1966年3月号

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5 コメント

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こだわりますね。作戦ミス (日本人)
2006-07-26 21:53:33
猿でもわかるように、作戦ミスと表現しただけなのに。

虐殺と一緒にしないでね。虐殺は殺したい意思で殺す事です。

軍部の司令部は、多くの兵士を殺したいから、餓死させたわけではないし、特攻に送った訳ではありません。



わかりやすく例を示します。



作戦ミス・・日本軍の侵攻を中国軍が日本軍の侵攻を防止する為に、黄河の堤防を決壊させ、中国農民に水没3500、罹災民60万人、行方不明者12万人に 及んだ行為。

虐殺・・中国国民党宣伝部の顧問のティンパリー著の「戦争とは何か」で世界的に宣伝された、日本軍行ったとされる南京市民に対する殺戮行為。
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日本人へ (代理人)
2006-07-26 22:23:31
管理人はコメントしないそうなので、代わってコメントします。



一年間、補給もしないで、餓死をさせたら、虐殺以外のなにものでもありません。



しかも管理人のことを「さる」扱いしていますね。人として失礼だとは思いませんか?



君のような下劣な人間は、日本人を名乗らないでください。恥ずかしい。品格のなさ、が文章ににじみでています。



管理人さん、正確な知識をもてば、戦争のおろかさがわかる、というご意見に賛同いたします。
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Unknown (練馬のんべ)
2006-07-26 23:15:42
TB有り難うございます。私と意見は異なるようですが、そういう方のTBこそ逆に意義があるとも言えますので(スパムでなければ)大歓迎です。



お言葉を借ります。

>御用学者ではないフツーの学者、皇室ジャーナリスト、歴史作家などは

>「真贋については論争の余地はなし」としている。

私は、てっくさんを始めとしたみなさまの努力でメモ自体は徳川氏の言葉であることがほぼ確定した、と考えています。

失礼ながら言い方を真似れば(レッテル貼りはしたくありませんが)、「マスコミ御用達の文化人とやら」が(議論できないものだから)議論の余地なしと言っている、と思います。

なお、これはメモの真偽のみの話です。昭和天皇陛下の考えはメモと異なる、と決めつけるものではありません。
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体験者を知っています。 (さぬきの剣士)
2009-12-30 14:40:52
私は55歳になりますが、仕事柄の知人で88歳になるメレオン島の悲劇を体験された方から当時の話を聴くことができます。彼はメレオンの中でもラウル島という幅100m、長さ1000mの椰子の木が数十本だけの島に常駐させられた中隊の一員です。隊長は最後に多くの部下を亡くしたことを詫びてピストル自決したそうです。その島から島民の多く住んでいる島に命令によって一時上陸したことが無事生還できた誘引だそうです。文章で表現しにくい惨状も聴きました。たくさんの遺族の方は現地で亡くなった兵士のことを知っておきたいだろうと思います。戦争の事実を風化させないためにも。
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Unknown (チャオちゃん)
2010-03-02 14:34:56
 無責任な戦争をして、誰が指導者なのか誰が命令しているのかわからなくなってしまった。その中で苦しむのはいつも渦の中にいる人たちである。それは今も繰り返されている。労働者派遣法・・・・・
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