ニュースは踊る

ニュース、その他に関する個人的感想です。「正しいこと」、など書きません。私は名は「三太郎」。

朝鮮戦争 谷垣総理を望む

2006-07-28 | Weblog

僕は高校生になっても「朝鮮戦争」というのは「北朝鮮と韓国の戦争」だと思っていた。

実質上は「ソ連の支援を受けた中国+北朝鮮」と「アメリカ+韓国+その他の国」の戦争だと知ったのは、高校を出て随分たった頃であった。

ネット辞書を引用する。

ソウルの支配者が二転三転する激しい戦闘の結果、韓国軍は約20万人、米軍は約14万人、国連軍全体では36万人が死傷した。一方、米国の推定では、北朝鮮軍が約52万人、中国義勇軍は約90万人が死傷したとされており、毛沢東国家主席の二人の息子も戦死した。一般市民の犠牲者は100万人とも200万人とも言われ、一説には全体で400万人の犠牲者が出たとされる。

米軍が14万も死傷し、中国軍は90万も死傷したと推定されている。むろん朝鮮の犠牲者のほうが多い。しかし実質上「米中戦争」と呼んだほうがよさそうである。

日本はこの戦争の「おかげ?」で、特需が生じ、経済復興に弾みがつくことになる。

話かわって。

安倍次期総理は、北朝鮮と一戦も覚悟みたいなことを言っているが、本気なのだろうか。ポーズなのだろうか。当然ポーズだろう。

軍事専門家という人間たちがどこまで専門家かは分からないが、安倍らの発言を「幼稚園児のたわごと」と斬って捨てた人もいる。

当然である。純軍事的に言ってありえない、らしい。

①今のミサイル防衛力ではミサイルはおとせない。長距離スカッドは迎撃できない。防衛網が整っても、大量発射されたら、どうしようもない。

②ゲリラの上陸を完全に阻止することはできない。原発をいくら守っても、主要都市で彼らが少しでも行動できれば、大量破壊、殺人はいくらでもできる。水源、電気、ガス、水道、交通。ちょっとした雨や雪でも止まってしまう。ゲリラが数名でも行動できればたやすくパニックは起こせる。

まあ、この二つだけでも安倍ら「なんか勇ましいことを言ってる政治家」の発言が非現実的であることは分かる。僕にも分かる。普通の頭で考えれば誰でも分かる。

自衛隊の元幹部、軍事アナリスト、米軍関係者、もれくる発言のほぼすべてが以上の二点に触れ、あるいはもっと専門的な問題にふれ、安倍らの発言を「話にもならない」と斬り捨てている。軍事専門家はリアルにものを見ている。

もっとも日本人に数千、数万の死者を出すつもりならできる、という人もいる。

「いわゆる軍事専門家」はほとんど「こちらにも多大な犠牲がでてもいいならできるが、あまりに非現実的、戦闘行動などありえない。外交しかない。」と口をそろえている。

つまり「外交的解決しかない」のである。北朝鮮だけではない。中国とも韓国とも外交で共存するよりはない。北朝鮮は貧しいのだ。貧困にあえいでいるのだ。日本が戦争をおこした理由もそれである。「世界の富の格差」が問題なのである。北朝鮮を助けながら改革解放をうながす。北朝鮮人を救う。金一族、軍高官、その他報復を受けそうな人間、は中国に亡命させる。「亡命などするわけない」って?できないことをするのが政治家の役割である。普通のことなら官僚で十分にできる。

また彼らの残虐行為や偽札、麻薬などの犯罪行為はこれを問わない。結果として軍備拡張も抑える。僕の考えることなどこの程度だ。いくらでもつっこむ点はあるだろう。が、方向性としては正しいと思っている。

指がちょっと切れても人間は強い痛みを感じる。だから僕は戦争を愚行として否定する。別に憲法がどうとかではない。憲法がどうとか、も大切だが、もっと根源的に「痛み」の感覚が僕に戦争を否定しろという。こっちに数万の犠牲がでなくても、向こうにでるなら、否定する。向こうだって痛いだろうからである。それが子供並みだと言う人は包丁で指を切ってみたらいい。もの凄く痛い。

西郷隆盛はすぐに死を口にする若者をいつもいさめてこう言った。「簡単に腹など切るな。切れば痛いぞ。」と。

自衛隊と関係の深い新聞「朝雲」でさえ、テロは戦争では根絶できないとコラムで書いている。コラムの論調をやや単純化すると「やらないほうがいいよ。こっちも沢山死ぬよ。痛いよ。覚悟はあるの?」と問いかけている。政治家の発言とは違って、リアルである。

ぐだぐだ書いたが結論は安倍らにも分かっているのである。外交しかないのだ。あとは「いかにうまく外交を行うか」だけである。たぶん、分かっていると思う。自信はないが。変な「しがらみ」とか小泉法皇とかの存在もあるだろうしな。もっとも小泉の今後の動きは予想もできない。すっぱり引退してくれればよいのだが。

安倍が次期総理だとして外相は誰であろうか?本当は総理は谷垣が良い。この理由も極めて単純である。どうみても彼の方が信用できるし、バランス感覚がよい。政策はよくまだ調べていない。直感である。お公家さんとか揶揄されるが、「中庸の徳」を最も感じる。消費税10パーセント。嫌だけれども現実的ではある。

安倍らの非現実性に負けないぐらい非現実的な夢想であるが、民主、共産、社民、谷垣支持派が組んで、谷垣を総理にできないものであろうか。やはり夢想であろうな。政治基盤もなく総理になったところで何もできない。真夏の夜の夢である。

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小泉総理  せめて最後に人間の証明をせよ

2006-07-27 | Weblog

次のような事件があった。

秋田市役所駐車場で24日、練炭を燃やした乗用車の中で男性が死亡していたことが25日、分かった。秋田中央署は自殺とみて調べているが、男性から相談を受けていた市民団体「秋田生活と健康を守る会」(同市)によると、男性は生活保護の申請を却下され、友人に「おれが犠牲になって福祉を良くしたい」と話していた。 同会によると、死亡したのは市内の無職男性(37)。睡眠障害で仕事をしておらず、5月と6月の計2回、市に生活保護を申請したが、市側は就業可能として却下していた。23日夜、男性は友人に「死にたい」「おれが犠牲になって福祉を良くしたい」などと話し、友人は思いとどまるよう説得していた

僕はこれを「痛ましい事件」と感じる。しかりもし仮に「小泉総理の価値意識の影響を無批判に受けた若者」がいたとする。彼は競争に負けた弱い者はこうなるのだ、と納得するに違いない。小泉の影響を少なく受けた者であっても、「痛ましい」という感情を持てるかは疑問である。むろん小泉を反面教師にして、このような社会を変えなくてはいけないと考える若者も多いだろうが。

またこんな記事がある。

小泉純一郎首相は27日夕、首相官邸で記者団から、自民党総裁選への出馬を正式表明した谷垣禎一財務相が首相の靖国神社参拝が日中関係、日韓関係を悪化させているという認識を示したことについて、「中国が反対、嫌がることはやめた方がいいということと、この(憲法第19条が保障する)思想及び良心の自由をどうとらえるか、戦没者に対して敬意と感謝を表明するのはいいのか悪いのか、という問題にも波及してくると思う」と述べ、靖国問題で中国に同調する勢力を批判した。

一国の総理が「中国を憎め」と言っているようなものである。つまり扇動である。しかも彼は米国への配慮でそれを言っているに過ぎない。少なくともそうクールに考える国民は少なくはない。また為政者の「心の自由」が無制限に許されるわけもないこと、「戦没者」と「戦争指導責任者」の区別を全くしていないこと。にも意図的に気づいていないふりをしている。

小泉が子供だましの論法を取り続けるかぎり、辞めたあと、さらに日本の心は荒廃するだろう。小泉の大罪である。

大量破壊兵器はイラクにあったのか。耐震偽装問題は新自由主義政策の結果ではないのか。自殺者の増加が、彼の新自由主義政策の結果であることは歴史が既に証明している。

安倍は小泉の負の遺産を多く引き受けることになる。安倍は「再チャレンジ」を第一の政策目標にあげている。小泉政策で負け組とされてしまった者の再チャレンジという意味である。安倍自身が負の遺産を強く意識していることの表れであろう。

自殺した男性のように「再チャレンジしたくてもできない人間」。老人。病人。はどうすればよいのか。

繰り返すが小泉と竹中が推進した新自由主義政策が、必然的に経済格差を生み、自殺者を増やし、治安を不安定にさせ、人間の関係を殺伐としたものに変えてしまうことは歴史が証明している。

偶然ではなく必然である。イギリスでも韓国でもそうなった。ブレアは負の遺産を抱えて苦闘している。

小泉は内政干渉をする中国人を憎めという。僕は絶対に憎まない。

小泉は国民同士靖国を巡って争え、憎み合えという。僕は憎みあわない。

イラク戦争支持や治安の悪化、経済格差により多くの人間が既に死んだ。人の心が荒んだ。凶悪な事件が多発している。理不尽な死が多くの人の命を奪った。地方は疲弊し、あるいは財政破綻をし、そこに災害が追打ちをかけている。犯罪者=悪は、死刑にしてしまえ、という意見が安易にとびかっている。

小泉は辞める前に、せめて最後に死者たちに何かを言うべきではないか。イラク戦争の巻き添えになって死んだ市民に何かいうべきではないか。アメリカが維持しようとする「極端な貧困と格差を生む世界構造」について、何かいうことはないのか。

彼がそんなことをするわけがない。ならばなんでもよい。彼にできる「人間の証明」をしてほしい。それがせめてもの償いである。

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乃木大将の本当の不幸

2006-07-27 | Weblog

乃木大将と言えば無能な作戦で兵を多く殺した将軍の「元祖」のように言われる。

実際、日露戦争における第一回旅順攻撃では5000人を殺し、15000人の死傷者を出している。

見かねた児玉大将が大山巖の許可のもと、乃木の指揮権を「一時拝借」し、巨砲による要塞攻撃によって旅順を陥落させた。という話はあまりにも有名である。

乃木が最初にとった作戦は、小さな口径の砲による攻撃のあと、肉弾、白兵突撃をするというものであった。小さな砲ではロシア要塞は被害を受けないから、結局、兵はおもうままに殺された。

実際にこの作戦をとったのは参謀たちである。小説風に言えば児玉は彼らにこう叫んだことになっている。「無知無能な作戦によって陛下の赤子をいらずらに殺してきたのは貴様たちではないか」と。あくまで小説であるが、小説上の児玉が存在したなら、東条たちにも同じことを叫んだであろう。史実は調べていない。しかし、このセリフに僕は高いリアリティを感じる。あくまで僕の主観であるが。

能力にあまる仕事をさせられ、無能な参謀をつけられた乃木は不幸な人間だとも言える。しかし乃木の本当の不幸は、この白兵突撃という伝統が受け継がれてしまったことにあるのではないか。日露戦争に形式上「勝った」ことが、白兵突撃という不幸な伝統を生んだ。また乃木とは関係ないが、日本海海戦の勝利が「大艦巨砲主義」といわれる不幸な伝統を生んだ。形式上とはいえ勝ったことが慢心、驕慢、自己批判なき精神を生んだ。

中国兵は銃剣を振りかざして突撃すれば逃げた。という証言がある。未熟な中国兵という子供相手なら白兵突撃は通用した。

が、米軍相手には通用するはずもなかった。ガナルカナルでの白兵突撃では十字砲火をあびて、日本兵は虐殺される。戦力を小出しにするという愚行も演じた。

虐殺したのは誰か。米軍か。乃木か。伝統か。士官教育か。当時の作戦指導者か。

勝利の幻想に酔い、日露戦争時の作戦で勝てると思った「当時の作戦指導者の硬直した頭脳が兵をいたずらに虐殺した」。私が言い出したことではないが、私はこの意見に賛同している。

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サイパン陥落と戦陣訓  平成天皇とバンザイクリフ

2006-07-26 | Weblog

戦陣訓の為に、多くの犠牲者が出た。だけでも良いのだが、ことはそう単純ではない。

「戦陣釧」といえば「生きて虜囚の辱めを受けず」だけがクローズアップされる。

しかしもともとの目的は多少違っていた。戦陣訓は日中戦争における軍記の退廃現象、とくに日本兵による掠奪、放火、強姦、殺人などの多発を戒めるために作られたものであった。いかに日本兵による掠奪、放火、強姦、殺人が多かったを示している。

軍人勅諭もそうである。西南戦争の時、多くの薩摩人が明治帝を見限って西郷に従った。その教訓から軍人勅諭で「軍隊は天皇のもの」であることが強調された。法というのはそういうものである。「ない」から法律という強制が必要になる。自然な形で愛国心を国民が持っている国に「愛国心をもて」などという法律はいらない。もっていない者が多いから強制するのである。

虜囚になった場合、日本に帰っても無期懲役などの刑になった。(ノモンハン事件の捕虜に下った判決を調べてほしい。)虜囚になればアメリカ軍に殺される(と思っていた)し、たとえ日本に帰っても重罪が待っている。そういう状況に日本人は置かれていた。もっとも各地の戦闘では捕虜になった者もいた。「捕虜の心得など教えられていないから」、殺されると思って日本軍の情報を随分話した者も多かった。そのことで日本兵の死者がさらに増えた。

サイパンは「絶対国防圏」であった。が、昭和19年6月24日、大本営(東条ら)は放棄を決定する。この決定は南雲中将ら在サイパンの高官しか知らなかった。南雲らは非戦闘員に何の指示もせずに自決する。兵には虜囚になるな(死ねと同じ)と指示した。南雲らの自決が「無責任な自決」といわれるゆえんである。

結果がバンザイクリフにみられる非戦闘員のまきぞえ、という事態となった。日本軍による島民虐殺事件も発生した。

日本軍の死者はサイパンでは4万1千人。非戦闘員の死者は8千から1万。何故非戦闘員だけでも助けられなかったのか。何故このように自国民を大量に殺してしまうのか。日本軍と戦争指導者の「本質的欠陥によるもの」「戦争指導者の根源的な無責任のため」である。が、それを書くと長くなる。また別に書こうと思う。

今上(平成)天皇は去年の5月にバンザイクリフを慰霊した。サイパンは観光でもっている。日本の経済圏にある。日本人の反感を買う行為はできない。しかし複雑な思いの島民もいたようである。一部で反対運動があった。が、平成天皇のバンザイクリフへのこだわりは、昭和天皇の遺志を継いだものであることは間違いない。サイパンの教訓は現代日本に今まさに必要とされている。

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昭和天皇とメレヨン島

2006-07-26 | Weblog

メレヨン島という島がある。トラック島の西、グアムの南、パラオの東、の孤島である。この島でおこったことはほとんどの日本人が知らない。小学館の昭和の歴史でも2ページしか叙述はない。

昭和19年4月。メレヨン島で、完全に補給を絶たれた日本上陸軍は、パラオで玉砕したいと申し出る。

が、船が皆無であり、認められなかった。以後1年、6500名余りが飢餓と戦うことになる。

この島でも「上官と兵の生還率」には大きな差があった。将校は7割が生還、兵は2割以下の生還率。といっても生還したのは1626名に過ぎない。

海軍司令官宮田嘉信大佐が書いた文章が残っている。昭和20年6月の文章である。

概略はこうである。

各隊とも食料状態、衛生状態が極めて悪い。一日平均20名近くが死ぬ。全部栄養失調からくる餓死である。

兵による備蓄食料の盗難が多い。これに対しては番兵が射殺をして防いでいる。私刑(リンチ)が極めておおい。日本軍人が日本軍人を絶食させたり、つるし首にしたり、絞め殺したりといったリンチが平然と行われている。憂うべき状態である。

最後の陸軍大臣、下村定はこの事態を「軍の規律がよく守られていた」と天皇に奏上した。

下村の回顧録によると、天皇は「ああ、よくやってくれた。私が深く喜んでいることを、早速旅団長に電報してもらいたい」と言った。

下村がどのように上奏したのか。天皇が餓死の事態を把握していたのか。それは分からない。

把握して言ったとすれば、天皇をかばう論理はたてられない。「ヤマザキ、天皇を撃て」という人間がでてもおかしくない事態だということになってしまう。まあ、彼は論外なほど過激すぎて全く共感はできないが。(昭和44年、天皇パチンコ玉事件)

一方、昭和20年の段階では把握していなかったと、天皇をかばう論理をたててしまうと、「大元帥」としての把握能力に問題が生じてくることになる。

僕は天皇は知らなかったと思う。しかし戦後になってある程度正確に天皇は事態を把握しただろう。とすれば、今回の日経メモは次のようにも読める。「私に靖国にまつられる資格はない。むろん東条や松岡にもない。」と。

それにしても日経社員の逮捕。犯罪は犯罪として、警察のやり口は露骨に過ぎる。犯罪だから「言論弾圧」とも日経は叫べない。もっとも天皇メモと日経社員の犯罪などなんの関係もないが。

メレヨン島では75パーセントの兵が餓死した。飢えた者同士のリンチによる死もあった。たった一つの小さな島で、5000人が「餓死」したのである。戦闘は全くない。米軍は島を素通りしている。これが「作戦ミス」などという軽い言葉で表現できることであろうか。「戦争指導責任者」の罪は、未来永劫にわたって消えはしない。

関係文章「追悼メレヨン海軍戦記」メレヨン海軍会1978年 

      「単独上奏の思出」 下村定  偕行 1966年3月号

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訂正 あの戦争で何人が死んだか

2006-07-26 | Weblog

私が日本政府の見解としたものは「各国政府の1960年代の見解」であった。以上訂正する。

以下は「各国の政府見解、1964年」である。

日本の軍人軍属の犠牲者が230万人で、民間人を合わせると310万人である。

中国の死者数。抗日戦争での軍人は380万人。民間人は1800万人。合計2180万人である。

フィリピン合計死者111万人。インドシナ200万人。インドネシア100万人。

アジア全体3000万人。である。

中国の2180万人という数字を、どう受け止めるべきか。ブログを読む人が判断すればいいと思う。繰り返すが日本政府の公式見解である。(この部分は間違いである。各国の政府見解)

田中角栄が周恩来との間に「日中共同宣言」を結んだ。1972年のことである。

角さんは、「ご迷惑をかけた」と言った。「迷惑」は中国語では「醤油でも借りた時に使うような軽い言葉」であった。

中国側が一斉に反発した。あの温厚な周恩来さえ怒った。

1000万人から2000万の死者に「ごめーんね」と言ったようなものだったからである。

その夜、外相大平は真剣に頭をかかえた。角栄は酔って、「どうにかなる。お前ら大学出はいざという時に弱い。」と言った。

結局「迷惑」の日本での意味を中国側が納得した。

同じ漢字を使う国家であることが災いした例である。

中国の政治家はそれほど知らない。でも周恩来は偉かった。当時彼はガンであった。そして文革、4人組と戦っていた。周恩来の偉さについてはいつか書こうと思う。

アジア全体の死者が2000万から3000万、そのうち中国で1000万もしくは2000万。これを現代の日本人がどう受け止めるべきか。僕には僕の考えがあるが、人に強制はしない。

ちなみに今回のイスラエル、ヒズボラ抗争の死者は400人である。400人の死とてあまりにも重い。2180万という数字はどうにも想像を絶している。

2180万はやや古い中国政府の資料に基づいている。これを「捏造」としても1000万をくだることはないというのが東京新聞などの調査で分かっている。2005年。

数については各自が自分で調べればよい。人が捏造と考えようが考えまいが、僕にとって2000万も1000万も「想像を絶する数字」であることには変わりない。僕自身は「中国の発表を信じない根拠もない」ので数について訂正の必要はないと考えている。

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レイテに沈んだ大東亜共栄圏  

2006-07-25 | Weblog

「角川文庫で読む戦後50年」シリーズ第5巻の題名である。NHK取材班編。このシリーズは極めて良質な資料が多く、読みがいがある。

フィリピンの歴史家のこんな言葉が載っている。

「あの戦争は西洋の植民地帝国とアジアの植民地帝国の戦いでした。われわれは不幸にも、この戦争に巻き込まれ、飢え死にし、討伐の犠牲となり、国土を踏みにじられたのです。二頭の巨象が戦い、地面の蟻が踏み潰されるようなものでした」

至言である。

中嶋氏というレイテの数少ない生き残りの方がこう言っている。戦後20回以上、戦友の遺骨収集のため、レイテに渡った人の証言である。

「当時は、大東亜共栄圏建設のための戦争だといわれ、我々もそう信じていましたした。しかし、今になって考えてみると、あんなん無駄なことでした。向こうにも損害を与えて、こっちもあんだけの損害を受けて、いいことは何もなかった。いちばん損したのはフィリピン人です

人間の気持ちだけは武力では支配できんと思います。それを日本の軍部はもっと早う、中国大陸での戦いで気づかなかったのか。アメリカのような物質の豊かな国でも、やっぱり住民の反感を買ったベトナムで負けた。ソ連も同じようなことをアフガニスタンで経験していますしね。

レイテ島でももし仮に住民が協力していてくれたら、最終的にはアメリカに負けたとしても、食料は手に入れられたでしょう。アメリカ軍も住民もみんなが敵やったから、山の中に入って、人目につかんように生きるしか仕方なかった。飢餓に苦しみながら、さすらうしかなかった。レイテは世界最悪の戦場でした。日本軍は住民を敵に回して壊滅したんです。

僕などが加える言葉はなにも、ない。

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戦没者の6割は餓死

2006-07-25 | Weblog

藤原彰さんという学者さんがいる。一橋大学名誉教授である。「餓死した英霊たち」という本を出している。

紹介してもきっと自己批判の出来ない人からは「捏造者」扱いされるのだろう。でも小学館の「昭和の歴史」の5巻も担当している。

「捏造者」かどうかは、ブログを読む人が判断すればいい。もちろん僕は捏造者と思っていない。ちゃんと自分の判断を批判検証しながら書いているからである。自己批判ができる捏造者なんてのは、あまりいない。

この本の138ページから引用。

日本政府の公式発表は疑わしいが、まあ一応公式の軍人軍属の戦没者は230万人。

そのうちこの藤原氏が「研究」して「推定」(ほら、ちゃんと推定といっている。自分の判断に対する批判精神がある。)

推定した餓死と栄養失調等による病死の数は140万人前後。

戦闘で死亡した軍人軍属は推定90万前後ということになる。

6割は餓死病死なのである。僕はずっとこれが「作戦ミス」などという軽い言葉で片付けられるか。と書いてきた。東条たちの愚かさによって「虐殺された」というべきであろう。もう本当にひどい。調べるのがいやになるほど悲惨である。ちなみに東条たちと書いたのは小磯内閣、鈴木内閣での作戦もあるから。あと東条と一緒に愚かな作戦指導を推進した者の名を知っているから。ちなみに鈴木貫太郎が虐殺者だとは思わない。

僕の言うことを否定するのは「心の自由」なんだろうが、お願いだから、ガナルカナル、インパール、ニューギニア、ウェーク、サイパン、フィリピン(レイテ)、等での餓死者に対して誰が責任を負うべきなのか、考えてほしい。

本当はアジア人が最大の被害者だが、あえて今はそれに触れていない。触れたら、餓死者はこんな数ではすまない。我慢して日本人軍人、および軍属の数だけ問題にしている。

僕は全然争うつもりはない。事実だから。生き残りの兵隊の証言も沢山ある。大量の餓死者について書いている学者は藤原氏だけではない。というよりほぼ全員の学者が書いている。事実だからである。実体験談を語れる人は、少なくはなったが今でも生きておられる。

でも「どうしても否定したい」人がいるようである。短いコメントなんかじゃなく、ちゃんとした文章を書いてトラックバックで送ってくださいませ。「餓死者への責任」ですよ。挑発なんてめんどくさいことしていないので、送ってくれなくても全然かまいませんが。繰り返しますが挑発じゃない。否定したい人の気持ちも全然わからないわけじゃない。いろいろあるんでしょう事情は。あと、僕も「コメントにはコメントしない」方なんで、ご了承を。

 

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大東亜共栄圏とイラク戦争

2006-07-24 | Weblog

日本の兵隊さんは、最初「これはアジアを欧米から解放する正義の戦争だ」と教えられた。欧米の帝国主義政策は事実だから、兵隊さんはそれを信じた。頑張った。

でも戦争をやっているうちに占領(解放?)したアジア人がどんどん日本軍に反感をもつようになって、ついにはゲリラになって抵抗を始めた。

すると必然的にゲリラを殺さなくてはいけなくなった。ゲリラの「協力者」も殺さないと自分たちの身が危なくなくなった。協力者が誰かわからないから、疑わしい人間はどんどん殺した。

とにかく殺しまくった。でも殺している途中で「おれたちは何をやっているんだ?」と思うようになった。その時は思わない人間も、戦後になって「何をやっていたんだ?」と思うようになった。

アジア人が反感をもったのは「占領下における軍政の信じられないような拙劣さと残酷さ」のためであるが、ここでは詳しく書かない。ものすごくひどい、ってことだけ予告しておきます。今度書きます。

アメリカの兵隊さんも「フセイン独裁からイラク人を解放する正義の戦争」だと教えられた。でも今、「おれたちは何をやってるんだ?」と思うようになり、正確には思う人間が出始め、ついに尉官クラスの人間まで「イラク戦争は憲法違反」として軍役を拒否した。彼はいま裁判にかけられている。

こういう知識(たとえば占領下の軍政のことなど)は学校では教えない。歴史の授業は近代史を教えない。授業時間がないから、明治ぐらいまでいくと急に早くなって、戦争のとこはかなりテキトーになって、占領政策ぐらいまでで終わる。そこまでいかない場合も多い。

じゃあ、どこで戦争を教えるかというと「国語」である。「戦争教材」は必ず採用することになっている。それはそれでよいことだが、どうしても知識が不正確になる。戦争教材はほぼ小説だから、感情に訴えるだけで、知識がつきにくい。「命は大切だ」「戦争は悲惨だ」ぐらいの感想で終わってしまう。

僕自身、学校では戦争の具体的な知識は少しも教わらなかった。全部自分で本を読んで学んだ。

林信吾さんという人が「戦争に強くなる本」という本を出している。中身は「戦争の正確な知識に強くなる」ための本の紹介である。

こんな一節がある。

きちんとした知識を仕込みさえすれば、戦争とは勝たねばならぬものではなく、やってはならぬものだということが理解できるはずである。

知識が積み重なるにつれて、「戦争は最悪の外交手段であり、おこさないようにするのが政治家の役割」だということがわかってくる。

ただ、いくら知識があってもそうならない人もいる。東京裁判を否定しよう、とかいう「ある意図」をもって知識を集めるからである。

やっきになって否定しなくても東京裁判が不当であることは間違いない。そのことと、戦争指導者の責任は全く別のことである。

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特攻隊6900余を虐殺した人

2006-07-23 | Weblog

月光の夏、という「特攻隊の生き残り」を描いた映画がある。これはなかなか深みと哀しみのあるよい映画だった。

高校生の頃、初めて知覧に行ったとき、僕は涙はしなかった。誰がこんな馬鹿な作戦を立てたのだろうと考えた。

調べた。直接の立案者は海軍の大西瀧次郎中将だと分かった。あ、「日本の一番長い日」に出てきたと思った。

彼自身、最初は「特攻作戦は統率の外道」と言っていた。「ここまでやったのだからもう戦争をやめようと全軍を納得させる」「アメリカと有利な講和に持ち込もう」という「ねらい」があったらしい。

でも最後はもうおかしくなってしまって、「日本人男子の半数、2000万を特攻にだせば勝てる」とか言うようになる。これが「日本の一番長い日」でのセリフである。やはりただの「虐殺者」である。

むろん、彼一人でできる作戦ではないから、かかわったものは多くいた。彼らも超A級(戦争指導に重大な責任があったという意味)であり、真の大量虐殺者である。

形式上は志願制となっていたが、実質は違った。むろん志願した者もいる。ただ志願しないといけない雰囲気があったから、真の志願者の数は分からない。

それから天皇の裁可も受けなかった。流石に天皇に責任を負わせることはできないと考えたのだろう。形式上は「志願して自分の判断でつっこんだ」ことになっていた。だから戦後、作戦指導の責任もうやむやになった。特攻兵らが自発的にやったこと、と形式上されたからである。

もっとも流石に大西中将は自決した。

宇垣纏中将は「最後はオレが行く」と言っていた。彼は玉音放送を聴いてから、特攻を行う。米軍には特攻せず、島に落下して自決した。「黄金仮面」の異名をもつ冷徹な人物だったらしい。志願した若い者を何人か引き連れており、「志願しても止めて一人で死ぬべきだった」と批判された。

が、将官級で特攻したのは宇垣と有馬少将しかいない。お国のために死ねと命じた佐官や将官という軍事エリート官僚たち。むろん自分は死ぬつもりはなかった。一部の官僚を除いては。

作戦指導にかかわったものの多くは戦後も生きた。

特攻は当初こそ米軍のパニックをさそった。が新信管が発明されてから、米艦艇に特攻できる確率は極端に下がった。7000名のうち、5.6パーセントが戦果をあげただけだった。大型空母や戦艦といった主力艦艇は沈めていない。

東条以外にもこの手の「大量虐殺者」は多くいるということである。

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天皇メモは現代の「聖断」である。

2006-07-23 | Weblog

「聖断」か。でも良かったが、たまには「断定口調」にしてみようと考えた。

太平洋戦争、日中戦争が「聖断」で終わったことは誰でも知っている。立憲君主制のもとでは「聖断」は「原則はずれ」、の行為である。まあ事実としてはちょこちょこ「聖断」は行われていたから、特に終戦の「聖断」だけが異常だったわけではない。

「聖断」を仕組んだのは鈴木貫太郎の側近と重臣、および内大臣木戸幸一だと言われている。貫太郎さんだっていきなり天皇のとこ行って「どっちにしますか」なんて聞くわけないから、裏折衝があったのは誰でもわかる。

本土決戦主義者の暴走を止めるには憲法違反だろうがなんだろうが、「聖断」しかなかった。向こうに原則なんてないのだから、終戦工作をしている側ももう原則なんて言ってる場合じゃなかった、のだろう。

今の日本もそうである。小泉に原則なんてない。あるのは非論理と幼稚な信念と伝統の破壊への情熱だけである。「イラクに大量兵器がある」なんて「大嘘」も今では誰も追及できない。選挙制度に欠陥があるのだろう。前回の選挙だって民主党の得票率はそこそこだったが、議員数では小泉の完勝。で、今の自民は勝ち馬に乗る人ばかりなので、「民主独裁」という奇妙なものが成立してしまっている。

小泉内閣とその一派の「暴走」「衆愚をとりこんでの独裁」を止めるにはもう「聖断」しかない。と考えた勢力がいたとしても不思議ではない。「衆愚」というのは小泉にのっかて「先制攻撃」とか叫んでいる人、現代の尊皇攘夷主義者。何故か攘夷は中国、朝鮮だけに向けてるけどね。あと必要以上に力を入れて「自分こそは国を憂えている」と言ってる「知識はあるが自分は見えない人」。

「聖断」をしくんだのは今度は総理ではなく、財界、宮内庁、いわゆる抵抗勢力の一部、自民党良識派などがその勢力の候補として考えられる。

とくに財界にとっては、これ以上、中国、韓国との関係を悪化させることは、経済面からの国益を考えた時、耐え切れぬ事態だと言ってよい。

先帝の声を聞くの憲法違反である。しかしこれが「ソフトな聖断」であるなら、それは是非に及ばぬ事態なのかも知れない。つまり法治国家の原則を破り続ける指導者が暴走した場合、それを防げるのは天皇の権威だけであり、たとえ憲法違反だとしても、それは国を守るために許される行為なのかも知れない。

右翼さんにも左翼さんにも「受け」が悪そうな意見である。賛同者がいないことは分かって書いている。

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司馬文学の悲哀

2006-07-23 | Weblog

つらつらとブログを見ていたら「司馬文学に洗脳されていたが、小林よしのり、を読んで洗脳から解き放たれた」とかいう人が何人かいて、びっくりした。

左翼から右翼へというのはよくある話で、西部邁さんなんか自分でそう言っている。しかし司馬さんから小林よしのり、ってのは凄い話だ。高尚な娯楽作品から下劣な娯楽作品へ、というのはどういう流れなんだろう?

小林よしのり、このブログで批判したことがある。ちょっとめくってパラパラ見ただけである。無知と偏見と差別用語のオンパレードに目がくらくらした。特に無知がひどかった。僕が見たとこだけで何箇所あったかわからないほどだ。

がんばって読んだ人もいるようで、林真吾さんなんかは「戦争に強くなる本」の中で、律儀にも間違いを指摘し、その間違いが何故起こったか、ネタ本は何か、まで書いている。

本当にこの人偉いと思う。最後までちゃんと読んだことが、である。「読んでもいないのに批判するな」という声に律儀に応じたのだろう。僕は真面目な人間ではないから、見ただけだ。見ただけでも小学校低学年および幼稚園児向き不良図書、だと分かった。ちゃんと読んでもいないのに批判するな、か。ちゃんと読めるような本じゃない。それは拷問である。

林さんの「我慢」に敬意を表して、氏の結びの言葉を載せておく。

きちんとした知識を仕込みさえすれば、戦争とは勝たねばならぬものではなく、やってはならぬものだということが理解できるはずである。

しごく当然なお言葉である。

司馬文学。本人が言ってもいないのに勝手に「司馬史観」というものが形成され、岩波ブックレットなんかで「たたかれて」いた。

司馬文学は優れた「伝記文学」で、多くの伝記がそうであるように粉飾はいくらでもある。史実ではない。たとえば「燃えよ剣」では斎藤一と斎藤諾斉を混同しているが、そんなこと指摘してなんになろう。最初から娯楽作品なのである。小林よしのり、も娯楽作品として書いているならいいが、本人は「マジ」らしい。

司馬文学は一部のトンデモ左翼さんからずっと攻撃されていた。「娯楽」とか「諧謔」がわからない「マジ」な人たちから勝手に攻撃されていた。

司馬文学は氏が体験した戦争における「指導者たちのどうしようもない愚かさ」への反動であり、氏の行程は「美しい日本人」をさがす旅でもあった。当然フィクションである。その根底には「哀しみ」がある。

司馬文学に勝手に洗脳されて、今度は小林よしのりに勝手に洗脳されている人がいるらしい。泉下の司馬さんに僕は涙をおくりたい。

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天皇メモ、真贋をめぐって御用学者大活躍

2006-07-23 | Weblog

御用学者という存在がいる。たとえば「いわゆる右系」の御用学者は、はじめから「いわゆる右系」の人が喜ぶような結論を想定し、それにあわせる形で、資料などを組み合わせていく。そうすると南京虐殺もなくなってしまうし、東条は天皇を救った英雄になる。

御用学者に言わせるとフツーの学者は全部マルクス史観の影響を受けた、亡国の左翼学者ということになる。まして僕なんぞの小者はそういう左翼学者と戦後民主主義教育と偏向左翼教師に「洗脳」された「無知な反日左翼分子」ということになる。僕の批判精神などには目も向けてもらえない。

僕自身は小泉左翼説に納得がいっているので、反小泉(別に人間としての小泉が嫌いではない。政策面で反小泉)の僕は「歴史伝統主義者の右翼」かな、ぐらいに思っている。もっとも「右翼と左翼なんて単純な区別はもうない」が僕の本当の意見であるが。

今回の天皇メモについても、御用学者は大活躍している。まあ、全面否定はできないようで、「疑問がある」という形で玉虫色の資料としたいようだ。ごくろうさん、というところ。

御用学者ではないフツーの学者、皇室ジャーナリスト、歴史作家などは「真贋については論争の余地はなし」としている。

本日の日経でも東大の教授と半藤一利氏が「実物をみながら」、「真贋については問題なし。本物である。内容の信憑性も極めて高い。」と言っている。その他、フツーの皇室関係の研究家も皇室ジャーナリストも真贋については問題なし、としている。

でも、、ま、御用学者と一部の人たちは最後まで「玉虫色作戦」「陰謀説作戦」でがんばるのだろう。フツーの人の声など届くはずもない。そういうのを「狂信者」という。

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欽ちゃん球団存続と被害者になることの必要性

2006-07-22 | Weblog

欽ちゃん球団には興味はない。が今度の萩本氏の行動はなかなか興味深いものであった。「いかに被害者になることが大切か」を具体的な行動で見せてくれたからである。

萩本欽一氏はコント55号で世に出た。まだ20歳代であった。一世を風靡した。しかし徐々に飽きられた。彼らのコントは「SM コント」とも言われた。欽ちゃんが坂上二郎を舞台の上で「いじめぬく」。しかもほとんどアドリブであった。

人気低迷時、萩本氏はラジオ番組などを続けていた。売れっ子ではなくなった。しかし「欽どん」というラジオ番組から人気が再燃した。今度はお茶の間キャラになり、心温かい「奥様向けの欽ちゃん」になっていた。カツマタや柳葉敏郎などを育てた。高視聴率をとり続けた。しかし、欽どこ、もやがて飽きられてゆく。それでも、欽ちゃんは「大将」と呼ばれ、お笑い界の大御所になった。

欽ちゃんは芸能マスコミや大衆の移り気な気分や残酷さを低迷時に味わったろう。欽どこ、では「わらべ」という清純派3人娘うちの一人がスキャンダルを起こした。欽ちゃんは彼女をすぐに切り捨てた。欽ちゃんを責めているのではない。そうしなければTV界が魔女狩りを始めただろう。

山本は30過ぎた成人である。彼が犯罪者なのかもまだ確定はしていない。山本の行為は、欽ちゃん球団の存続などともともと関係ない問題であった。しかしTVと大衆の魔女狩りは気まぐれである。欽ちゃんは球団存続のため「被害者になる」ことを選択したのだろう。「絵になる被害者になる」。そうすれば魔女狩りはできなくなる。

欽ちゃんを揶揄する気持ちは全くない。TVの残酷さを知り尽くしている男の精一杯の行動であったのだろう。

絵になる被害者になれば助かる。しかしいったん「悪」の刻印をおされたら、最後の最後までたたかれる。そこに容赦は全くない。

イラクで拉致された高遠さんの家族らは欽ちゃんと違い、TVの残酷さも大衆の残酷さも知らなかった。被害者なのに被害者になれなかった。小泉政治の敵とされた。結果徹底的にたたかれた。

小泉政治の酷薄さが日本人をますます残酷にしている。悪か善か、敵か味方か、勝ち組か負け組か。単純な二分法によって物事が片付けられていく。

今回の欽ちゃんの行動は非常に正しかった。いち早く「絵になる被害者」になれたからである。繰り返すが欽ちゃんに対する批判など微塵もない。小泉流が日本社会から寛容さを奪い、殺伐とした人間の関係を作ってしまった。ということ。つまりいつもの小泉批判である。

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小泉左翼説の謎

2006-07-22 | Weblog

小泉さんは左翼、っていうのは僕が言い出したことでもなんでもなく、総合雑誌などではよく言われている。ちなみに「謎」というは文飾でなんの意味もない。

左翼って何?ってのは「人によってバラバラ」である。でも「小泉左翼説」の場合、基準は

①伝統を軽視する姿勢

②急進的な改革への志向。改革、進歩=善とする価値観

なんだろう。僕なんぞは「左翼」なんてのは「右翼がきらいで、右翼からも嫌われている人」ぐらいの意味しかないように思うが、まあ、ごちゃごちゃ学説みたいなことを並べて「小泉左翼説」を唱えている人もいる。

昨日小泉さんは天皇メモを「天皇は天皇、私は私。誰が靖国に行こうがいくまいが心の自由」と斬ってすてた。

ああ、なるほど左翼だ、となんとなく納得した。「伝統や長幼の序への軽視」がはなはだしい。「尊皇攘夷」の気持ちなどほとんど持たない僕でさえ、「昭和天皇に対して失礼だな」と思った。

むろん論理的には総理が先帝の言葉に耳をかす必要はない。今上帝の言葉にだって耳をかす必要はない。でもものには「言い方」があるだろうに。

民主党の渡辺恒三氏が「おもいあがるな、失礼だ」と怒ったそうだ。無論憲法解釈としては小泉が正しいわけで、渡辺氏のいうことは「論理的には」間違いである。総理が先帝の意思に動かされてよいはずはない。

しかし、渡辺氏の半分ぐらいの年齢の僕でさえ「失礼なやつだな」と思ったのだから、渡辺氏の年齢の人間にとっては彼の「品格のなさ」は耐え切れないものであったろう。まことに傲岸不遜、失礼な人間だ。「民意を得た神」にでもなったつもりであろうか。

社会保障とかバンバン切り捨てている小泉が左翼というのはおかしいと思っていたが、「伝統や歴史の著しい軽視」という点では左翼そのものである。

ちなみに僕は右翼さんから見ればどうしようもない反日左翼なんだろう。そんな他人の評価は僕にとってはどうでもいいけどさ。でもそんな僕からみても小泉は左翼なんだから、極左だな。

ちなみに小泉左翼説の急先鋒は例の西部邁氏だが、手元に今彼の文章がない。なんか色々いっていた。左翼小泉の親玉は世界最大最強の左翼国家アメリカだ、とか言っていた。日曜にでも調べてみよう。

谷垣さんは靖国に行かないらしい。負けるだろうけど、頑張れ谷垣。泉下で先帝も応援しておられる。冗談抜きで。

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