BI砲時代の日本プロレスから、初期の新日本プロレスへ。
…ネタ切れっすか、Gスピリッツのスタッフ~ッ!(狩野英孝の声色で)
爆弾小僧 ダイナマイト・キッドを悼みつつ
1972年の旗揚げから1975年前後の新日本プロレスを語る「金曜夜8時」
…発売したばかりなので、内容関連はオミット方向って感じ。
あの、ジョニーパワーズのインタビューが掲載される事実に驚き。
好景気に沸いた1990年代の新日本プロレス。 ビッグ・サカが立派に“やっちゃるけん”だった黄金時代。
覚えているだろうか。 あの素晴らしい愛をもう一度…じゃなく、グレーテスト18クラブを。
「過去に猪木と闘った」というだけの括りで決められた(らしい)
それが1990年代のグレーテスト18クラブ。
我々の想像も付かない体で、タイトルが決まり
1991年3月21日の東京ドームで行なわれた長州VSタイガー・ジェット・シン。
あの試合が防衛戦だった事実は…リアルガチで忘却の彼方。
グレーテスト18クラブの発起人。 その中のひとりがジョニー・パワーズ。
“死神”とも言われ、当時珍しかった“世界ヘビー級ベルト”を保持していた男。
“世界”は、単なる飾りつけって説もあるんですがね。
海外マニアなプロレスファンに言わせると
パワーズのNWF戦の売りは、必ずと言っていいくらい
「ブルドック・ブラワーを血祭りに上げた」という決め文句。
そんな決め文句より“世界”の名が欲しかった初期の新日本プロレス。
NWAコンプレックス…っつーか、王道に対する敵愾心が生んだNWF。
2000年代になって妙な復活をしちゃ不味かった気がする。
なぁ、高山善廣。 (ベルトを巻いた当人に罪は無いけど)
グレーテスト18クラブの発起人・ジョニー・パワーズ。
彼は我々の知らない所で嫌われていた様子。
1990年代、某所で行なわれたパーティーで乾杯の音頭を取る事態に。
事情を知らなかったプロモーターに導かれ「乾杯」の声を響かせる。
誰も、それに応えなかった。 ルー・テーズも、ビル・ロビンソンも、あのニック・ボック・ウィンクルも。
リアルガチを超え過ぎた嫌われよう。 そんなジョニー・パワーズのインタビューが載った今回のGスピリッツ。
書いておいてアレだが…余計な示威行為はしてないよね? (誰に問いかけてるんだ?)
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