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Carry me back to Old Virginny

1974~1975年にわたるアメリカ・バージニア州R-MWCへの留学記(手紙)です。

Roanokeでの日々

1975-05-17 | 全米旅行(Roanoke)

お元気ですか?
Mrs.Klous家(Mr.Klous家と書くべきなんでしょうか)で、例のごとくの優雅かつ退屈な生活を送っています。

朝は9:00~10:00にのこのこ起きだして、車でレストランへ行き、ブランチをいただきます。私はたいていソーセージとスクランブルエッグなんだけど、Mrs.Klousはいつも大皿に盛ったhomeny gritsを食べるので、それが美味しそうだったから、この2,3日はそれをオーダーしたら、ウェイトレスには変な顔をされ、Mr.Klousは苦い顔をして、Mrs.Klousが私に変なことを教え込んだ、と言うので(Mr.KlousがMrs.Klousのすることにイチイチけちをつけるのには慣れているけど)、辞めて、またソーセージと卵に戻りました。
どうやらhominy gritsの大皿盛りはMrs.Klousが特別注文するシロモノで、メニューにはないようです。gritsは普通小さい小皿に盛られて、一般の朝食のおかずとしてちょっと食べるものであり、それだけをたくさん食べるのは異常らしい。でも、とても美味しいのよ。ずっと前に初めて食べた時は、ご飯を挽きつぶしたようなもので味もなく、妙な気がしましたが。要するにトウモロコシを挽きつぶしたもので、舌が焼けるほど熱いのにバターをたくさん溶かして、フーフー言いながら食べるのです。アメリカの南部特有のものですが、チコタンも食べたことありますか?

ここ2,3日はR-M sickで沈滞気味でしたが、やっと立ち直りました。でも今でも時々、R-Mの食事の鐘の音や、R-Mの校歌のセレナーデを歌う声が聞こえるような気がしたりします。

ちょっとばかし思い出を書けば、最後につくづくアメリカと日本の経済力の差を思い知らされたのは、たくさんの学生が去った後、空の部屋をのぞいてみると、なんと真新しいローソクや花瓶や大きな毛布やぬいぐるみやらが平気で捨ててあるの。中にはメイドのためのお土産の意味もあるのでしょうが、くず箱の中にまだ使える新しいものが無造作に捨ててあるのにはshock。中には、ちょっとガラスにひびが入っただけのまだ使える電気時計が捨ててありました。これはJenniferが失敬して家に持って帰りました。本当にアメリカ娘は物の価値を知らないの。なんとなk、ここにいると、私があわれな貧乏娘みたいな気がしてきます。アメリカではインフレの危機感なんて、実生活においては皆無に近いみたいです。

おとといはJohnがこちらに来て、夕食を一緒にとりました。食後夜中まで五目並べをして遊んだの。他愛ないでしょ。彼は碁盤を持っているのだけど、お互いに囲碁など知らないから、私が五目並べを教えてあげたら、気に入ってしまって、それ以来毎日のように弟を相手にして練習したのだそうで、今では私よりずっと強いのです。

昨夜からMrs.KlousはR-Mの卒業生のreunionとかで集会があるので、Lynchburgへ泊りに出かけました(例のごとく、Mr.Klousはreunionなんかクソクラエ!みたいにけなしています)。それで、私とMr.Klousとで夜はFiji Islandと言うポリネシア料理店へ出かけました。香港や台湾からきているウェイターやウェイトレスが働いているとても大きい中華料理屋で、私は香港から来ているという可愛いウェイトレスとおしゃべりしました。東洋人と言うだけでとても親近感を感じます。

今日はJohnとLexingtonのW & L Universityへドライブするつもりでいたのですが、あいにくの雨なのでやめて、夜外食に行くだけにしました。正直にいってformalなレストランと「そのへんの」messy placeとどっちがいいか?と聞かれたので、もちろんmessy place!と答えたので、この辺で一番messyな所へ連れて行ってくれるそうです。

ところで、Mr.KlousとMrs.Klousの中は前と相変わらず冷たい感じで、お互いにけなしあっている感じ。本当におかしな夫婦です。昨日だったか、私とMrs.Klousとでdowntownの野菜市場へ行って(何を買うかと思えば、La Princes(猫)のための「パセリ」onlyなのでした)、そこの主人と息子に紹介されたのですが(どんな場合でもMrs.Klousは私がR-Mに入って日本語も教えてて・・・etc.とべちゃくちゃしゃべるのです。その間私はニコニコしながら立っていなくちゃならないのです)、そこの御主人は私に勉強のことや、彼も昔日本に行ったことがある等々としゃべってきたの。そのご主人を手伝っている17,8歳の息子はとってもハンサムで、私はむしろそっちとしゃべりたかったのだけど。

それはともかく、今日Mrs.KlousがMr.Klousの前で、そのご主人がいつもはとっても無口なのに、わたしにはよくしゃべったと話したら、Mr.Klousは、もうこっちがヒヤリとするような皮肉っぽい調子で、"Louise, there is such a thing in this world...as LISTENING!"と言い、お前がしゃべってばかりいて相手にしゃべらせる機会を与えないから、誰でも無口になるのだ、と言いました。これだけの皮肉を言われても、Mrs.Klousのほうは一向にへっちゃらなのには驚きます。しばらく黙られた後にまた例のごとくしゃべり始めるのですから・・・。私がMr.Klousだったら、Mrs.Klousのsnobbismにはやはり我慢できず、皮肉どころか怒鳴りつけるだろうし、私がMrs.KlousだったらMr.Klousの皮肉や無作法さには我慢ならないだろうし・・・まぁ私はいつも聞こえないふりをして黙っていますが、2人ともお互いによく我慢できるなぁ~と感心してしまいます。やはり、どんな夫婦にも良い点はあるものですね。この夫婦の場合は「我慢強さ」がそれです。

それでは、またね。Love


さらばLynchburg

1975-05-13 | RMWCの日々

今は早、Mrs.Klous家にいます。

11日は、7時近くにDr.Anthonyが寮まで来てくださり、事実上私は寮を出ました。
Lynnの荷造りを手伝っていたのですが、突然Dr.Anthonyがみえたので、Lynnと寮のhouse motherのMrs.GeeとreceptionistのMaybelとにお別れを告げて、5,6個あるトランクを車に詰め込んで、Dr.Anthony家へ。

【寮のreceptionistのMaybel】

私がAunt Sallie家に一泊すると言うと、それなら夕食にAunt Sallieも呼ぼうと言うことになり、電話で呼び出しました。
Aunt Sallieはこの木曜日に日本へ発つので、自分のことで夢中でしゃべりまくるので、私としては、Dr.AnthonyやMrs.Anthonyとゆっくりお別れしたり、R-Mのことをしゃべりたかったのに、Aunt Sallieは少々うるさい存在でした。

お食事をしておしゃべりしているうちに9時になったので、私は荷物はみんなDr.Anthony家に残して、Aunt Sallie家へ移動。

夜は、もうこれがLynchburgでの最後の夜だなぁと思ってとても悲しくなりました。いくらこれから2か月の全米旅行があっても、Lynchburg以外のアメリカはあまり興味がわきません。
他の土地では、私は単なる旅行者にすぎないし、友達もいるわけではないし、やはり根を下ろさないと、その土地の本当の味はわかりませんものね。

翌日(12日)は、朝Hisamiが来ました。L.C.は土曜日がgraduationだったので、Hisamiは友人の家に泊まっているのですが、この日は私とHisamiとで旅行のプランをいよいよ(遅ればせながら)たてるつもりでいたの。2人でR-Mの図書館(まだ今週いっぱい開いているの)に行き、地図や時刻表をにらめっこして一日中相談しました。

途中お昼を食べにAunt Sallie家へも帰りました。4時に図書館が閉まってからは、Casner Loungeへ行き、相談して、5時半頃までにはすっかりプランが整いました。
次の便で細かいプランをお送りします。2人になって心強いので、ありとあらゆるところを回るつもり。Hisamiは私より英語力があるし、旅行の経験では私の方が上なので、お互いに助け合えそうです。Hisamiは同い年かと思って、ずいぶんしっかりしているなぁと思っていたら、25歳なんですって。少しは大人だから、頼れそうです。

プランが終わって、Aunt Sallie家へ帰り、そこでMrs.Klousを待ちました。
この時が事実上R-Mを出た最後です。

Mrs.Klousは6時半頃やってきたので、Aunt Sallieともお別れして、Mrs.KlousとDr.Anthony家へ荷物をとりに行きました。そういえば、和服と帯はMrs.Anthonyに差し上げました。とても喜んでくださいました。

【Dr.Anthony夫妻とDelly】
 クリックで拡大

外でお別れして、Mrs.Klousの車が動き出したら、涙が出てきました。
もう大学は見えなかったけど、せっかく最後の感傷に浸っているのに、Mrs.Klousが例の調子でひっきりなしにしゃべりまくるのには閉口しました。車でLynchburgの町を出て、一時間ほどしてRoanokeに着きました。

Mr.Klousはまだ帰っていらっしゃらなかったので、Mrs.Klousと私とで夕食をいただき、12時過ぎまでおしゃべりしました。

今日(13日)は、朝またクリスマスの時のようにレストランへ3人で行って、Branchをいただき、近くのshopping centerを見て回って、帰ってきたところ。

そうそう、Aunt Sallieの養女の方の住所(調布市)は:
   
(個人情報につき割愛)

Aunt Sallieは日本に着いたら、すぐ西宮にいらっしゃるそうです。
連絡先は:
 Sallie Carroll
 Seiwa Joshi Daigaku
 Nishinomiya, Okadayama です。

それでは、またね。Love


卒業式・すべての終わり

1975-05-11 | RMWCの日々

フーーーーやっと今日までたどり着いたわね。

今日はいよいよlast dayです。
朝Jenを見送ってから、今度は私のトランク詰め。がらーんとした部屋で、いそいそと働きまわりました。

卒業式は11時からありました。私とAnnemarieは式の前にキャンパスの裏のArt galleryの丘まで登って、キャンパスの写真を撮りました。思えば、初めてここへ来た時、Annemarie(デンマークからの留学生)とLouise(ノルウェーからの留学生)と3人でこの丘に登ったことがあり、2人ともそれ以来ここへ来たのは初めてだったの。2人でそのことを話しながら、思い出にふけりました。ちょうど近くの教会から鐘の音が響いてきて、ますます哀しくなりました。

【キャンパス全景(Artギャラリーの丘よりの眺め】
 

それから2人で急いで講堂へ行ったの。本当はDell(野外劇場)で野外の式があるはずだったのに、昨日の雨のため、いい天気にもかかわらずground conditionが良くないので講堂になったのです。がっかり。

【卒業式を前に寮の中で】
左からStephanie、右はCrisとDonna
  

講堂は大入り満員でした。やっと階段に腰をおろして、私は式の様子をテープにとりました。スピーチの後、4年生が一人一人壇上の登ってDr.Quillianから証書をもらい、握手をするの。割と簡単な式でした。終わってから、みんなガヤガヤ外でおしゃべりをして、賑やかでした。

【式を終えて】
左からDonna with her dad, Tisha Shelden, Donna Latimor,
        
American PoetryのクラスメートとMiss Raynal

今は午後2時。すべて終わって、4年生も一人一人去っていきます。Annemarieももうすぐ来るまでWashingtonにいくそうです。私はがらんとした部屋でこれを書いているの。これがすんだら、残りの荷造りをして、外で写真を撮ってまわります。夕食にDr.Anthonyが招いてくださいましたので、それまでヒマなのよ。

あわただしさと虚しさでいっぱいです。すべて終わったんだな~と言う感じ。
本当にもう1年いたいなーと思います。まあ、惜しまれているうちに去るのが花なのでしょうけど。

Jenが言っていたけど、Dean Hudsonが私のことをほめちぎっていたんだって。今までここに来た日本人のうちで、私が一番all-roundな学生だって!少しは誇らしく思ってくださいね。

【Dean Hudson】

それでは、この辺でペンを置いて荷造りにかかります。またね。Bye

★  ★  ★  ★  ★

『第2便』
前の手紙の続きになります。今は4:30。もうすっかりキャンパス内も空になってきました。私もすっかり荷造りを終え、Dr.Anthonyから連絡があるのを待っているのみです。
今晩はDr.Anthonyのおうちで夕食をいただいてから、Aunt Sallieの家へ行き、一泊します。というのは、月曜日にHisamiと旅行の最後の相談をしますので。
Mrs.Klousは月曜の6時頃迎えに来てくださるの。もう今はただただ虚しいだけ。
津田よりもR-Mのほうがよほど思い出の地です。

Donnaもお昼過ぎに発ってしまいました。私は見送りし損ねちゃった。
2時半頃AnnemarieがWahingtonに、友人の車に便乗して発つと言うので、荷物運びを手伝ってあげました。2人でキャンパス内を歩きながら、最初に来たころもこうして2人で飛び跳ね歩いたけど、ホントにあっという間ね、と話しあいました。
Annemarieとは、本当に最初にここに来た時から友達で、一緒に色々やったので、名残惜しいなーと思いました。最初の頃は私も英語が全然わからず、どこへ行くにしても彼女のひっついて歩いて、オドオドしていたことを思い出すと、おかしいです。

Annemarieの乗った車がキャンパスを去るのを、塀によじ登って手を振って見送りました。

隣のStephanieもやがてお別れに来ました。
Stephanieにはお金の数え方から、Shoppingの仕方まで、すっかりお世話になったし、1年間毛布も借りっぱなしだったの。彼女は私の顔を見るなり泣き出しちゃったので、私も泣いてしまいました。Texasにいったら、彼女の家にTelしようと思っています。

【Good-bye,Stephanie】

それから私はDr.Raynalに借りていたアメリカ詩の本を返しがてら、お別れに行きました。
本と一緒に例のチコタンが送ってくれた鈴付きのこけしを差し上げたの。そうしたら、Miss.Raynalは私に本をまた渡して、お土産に持って帰りなさい、と言ってくれました(10ドル近くする分厚い本なのよ!)。本当に良い教授です。抱き合って、お別れしたの。とても感動的でした。

私はもう空っぽの部屋にも帰る気がせず、キャンパス内をうろついて、写真を撮ったりして歩き回りました。

【がらんとしたキャンパス・寮】
Main Hall lobby, Main Hallの廊下、Kids' place,

     


もうHallには私とLynnとAmyとChrisだけしか残っていず、30人近いhall matesたちは去ってしまいました。Lynnときたら、まだほとんどpackingしていなくて、今必死でやっているの。それにしても、空っぽの寮に居残っているのはいたたまれない感じ。早くDr.Anthonyのおくちに行きたいです。

 【キャンパス内】左からMacon Bookshop, chapel, East Dorm, West&Wright Dorm
           

 


Daisy chain

1975-05-10 | RMWCの日々

お昼頃Jenのdaddyがいらっしゃいました。2時から4年生のためのDaisy Chainがあるからです。
Sophomoresが白い服を着て、デイジーの花でできた鎖をもって行進し、Seniorsに挙げる儀式です。R-M traditionsの一つなのです。2年生のJenも白いドレスを着て出ました。4年生のparentsでキャンパス内は華やかです。

それが終わった途端に雷が鳴り出し、シャワーになりました。みんなMain Hallに駆けこんだの。

    クリックで拡大

そのあとガーデンパーティーがあったのだけど、私とJenとJenのお父さんとは雨の中を山に行きました。帰ってきてからJenの荷物を車に詰め込んでから、Randee'sへ夕食をとりにいったの。そのあとまた夜遅くまでかかって、すべて詰め込みました。(Jenは5月11日の朝早く車で大学を引き上げました)


初めての乗馬・Page家訪問

1975-05-09 | RMWCの日々

一日中荷造り。もう他の学生(4年生を除いて)はほとんど引き揚げてしまいました。私も遅ればせながら、段ボール箱に色々詰めてEmily(日本語クラスの教え子の一人)に頼んでPost Officeに車で運んでもらったの。送ったものを並べておきますが、まず5/5に本の包み2つ送りました。9日には本の包み3つ、洋服の段ボール3つ、新聞やマガジンなど印刷物の包み2つ、それとシェラフザックに詰めた洋服一つ、です。無事に着くといいけど…・

そのあと、EmilyがR-M Stable(馬小屋)を見に行かないかと言うので、Boonsboroに行く途中にあるstableまでドライブ。Emilyは6年間horseback ridingをやっていて、馬に夢中な女の子です。
馬は2頭だけ残っていて、馬の世話係りの男の子が2人いました。
Emilyは馬に綱をつけてひっぱり出し、私に乗ってごらんと言うの。(ものすごく大きい馬なので)梯子を持ってきて、裸馬に乗りました。すごく不安定。タテガミにしがみついて、不格好でした(笑)。
Emilyが綱をにぎってfieldの半周ほど歩きました。すごく高くて怖かったけど、初めての経験でした。Virginiaは乗馬がとてもポピュラーな娯楽の一つなのです。そういえば、Mrs.Klousも大学時代は乗馬クラブだったそうですよ。

夜はPage家に招かれていたので、寮に帰ってシャワーを浴び、夕方Page家に行きました。
Sheilaのご両親です。Mr.& Mrs.Pageと、Sheilaの弟のCavinとの4人で、Seafoodレストランに行って食事をしました。 Cavinはこの6月に中学卒業です。私は会うごとに高校3年と間違えちゃうほど大きいのですが、素直でとてもいい子です。

Page家の人たちはとってもいい人たちで、私たちはよく気が合うの。ずっと話していたい感じでした。向こうも私を気に入ってくれているらしく、Roanokeまで送って行ってもいいと言ってくれました。そのあと一度家に帰ってから、Lynchburgの町はずれに住んでいる彼らの娘さん(Sheilaのお姉さん)の家にドライブしました。彼女は結婚していて8歳になるGayleと4歳くらいの男の子がいます。ご主人は留守でしたが、ご主人の弟さんが来ていました。Gayleは私が気に入っちゃって、遊びたがって大変なの。チェッカーをしたり、折り紙をしたりしました。なんでも学校でKiss遊びがはやっていて、彼女はボーイフレンドに追いかけられてKissをされちゃったんですって。可愛いわね。

それから皆でイリノイのSheilaに電話しました。私も少ししゃべったの。
Sheilaは日本系の会社Omuronに努めているの。でも私がシカゴに来たら、休みを取って案内する、と言ってくれました。

名残惜しかったけど、10:30頃そこを出て大学に帰りました。みんなとってもいい人たちばかりです。