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Carry me back to Old Virginny

1974~1975年にわたるアメリカ・バージニア州R-MWCへの留学記(手紙)です。

Roanokeの日々(2)・Delawareへ

1975-05-24 | 全米旅行(Roanoke)

お元気ですか?
毎日が変化の連続で、2,3日手紙を書かないと、報告が山のようにたまってしまいますt。

今は、はやDelawareのJenniferの家です。今は夜11時。TVを観終わって、ベッドの中でデザートのケーキを食べながら、これを書いています。

Delawareには昨日着きました。それでは、数日前のRoanokeでの生活から書きます(まだ覚えていれば)

この前はどこまで書いたか忘れちゃったけど、Delawareに発つ2日ほど前、Mrs.Klousに声をテープに吹き込んでください、と頼んだら、彼女はカセットテープなどは見たこともなかったらしく、夢中になってしまいました。しゃべる内容を考案するからしばらく待ってくれと言うの。2日ほど彼女はどこへゆくにもペンとペーパーを持って一生懸命考えていましたが、ようやく私の帰る前日の朝になって、昨夜はよく眠って朝もコーヒーを飲んで、喉が快調だから、と言うので、いよいよ本番。レポートに4,5枚の原稿を吹き込んでくれました。S先生へとおじちゃんたちに宛てたもので、結果はいずれお分かりいただけると思いますが、最初に吹き込んだのを再録したら、自分の声が思っていたのと違うとかで、声の調子をやたら変えたり、台所に水を飲みに飛んで行ったり・・・再録すること3回で、やっと収まったの。フランス語の文句が飛び出たりして、とても彼女のcharacterを現しているようなので、お楽しみに!

そこまでは良かったのだけど、彼女はなにしろその機械が気に入っちゃって、一晩それで遊びたいから貸してくれ、というのよ。長いことかかって、やっと操作方法を教えてから彼女に渡して、私は部屋に帰って荷造りをしていたら、なにやら奇声やらピアノの音やら歌声やらが響いてくるの。
その日の夜遅く、彼女が自分の吹き込んだ歌(歌?と呼べるものなら・・・)を聴いてもよい、と得々とテープを差し出すので、興味しんしん。テープが回転しだしてから、私はレコーダーが壊れてんのでは?と心配になりました。消さずにとってありますから、いずれお耳に入るとは思いますが、ちょっとばかり気味が悪いわよ。なんでも、R-M時代、歌のコーラスでよく歌った得意の歌だそうですが…・

それはともかく、その日の夜はすべてMrs.Klousの企みで、私はJohnとJohnの友人の5人とでRoanoke Country Clubに食事に行きました。Country Clubなど、それこそ中年の娯楽施設で、私たちには興味がないのに、彼女には全然わからないのです。ナントカクラブとか、お金持ちの集まりそうな所なら、Mrs.Klousには天国なのです。もっともお金はすべて彼女が払うのですから、こちらが文句をいう筋合いはないわね。Johnの友人とは、例のFather Rutherfoordの息子のBillと、彼のガールフレンドのAnn、それにTom Rutherfoordの息子のWalton(彼のガールフレンドも来るはずだったのですが、来れなかったの)です。AnnはHollins Collegeを今年卒業して、この秋からはUVAの大学院に行くのですって。とっても感じの良い女の子です。WaltonはUVAを去年卒業したダークヘアのハンサムな男の子。BillはWaltonとは従兄弟にあたるわけで、前にも書いたけど、複雑な過去があるのですが、今はHollins Collegeのspecial studentだったのが、この秋からまた別の大学に転校するそうです。3人ともJohnとは親しい中なの。私とは初対面。

BillとWaltonは、父親が正反対の性格と言う通り、本当に対照的な男の子です。Billはものすごく背が高くて、Waltonに負けないくらいハンサムなのですが、すごく大人っぽくて、無口なの。将来はartistになるそうですが、とても落ち着いている感じ。それに比べて、Waltonはいかにも実業家として大成しそうな、口のうまい社交家です。Mr.&Mrs.Klousの家にみんなで集まって食事の前のシャンペンをポーチでいただいたのですが、みんな堅くなってるのか、黙りがちの中で、WaltonだけがなんとかMrs.Klousのひっきりなしのおしゃべりにうまく調子を合わせていました。やっと彼女から解放されて、5人でJohnの車に乗ってC.C.に出かけたら、みんなとたんにおしゃべりをし出しましたが。
C.C.でも、我々は田舎者のごとくウロウロしてしまいましたが、Waltonだけは世慣れた感じで我々をリードしてくれました。

ディナーはまあまあでした。皆とっても面白い人たちで、笑ってばかりいました。食後は皆でC.C.の中をちょっと見て回り、またJohnの小さな車に押し込められて(私は優遇されてフロントシートだったので悠々でしたが)帰ってきました。Mrs.Klous家に近いWaltonを家で下して別れ、残る4人でJohnの家に行き、そこでしばらくレコードを聴いたりしておしゃべりをしました。

Billと言う人は、とても無口でしゃべりにくいけれど、礼儀正しくてWaltonのように下品なことを行ったりしないので、JohnもどちらかというとBillの方が気に入っているようでした。AnnはJohnがBillに紹介したそうで、2人ともとてもうまくいっていて、ゆくゆくは結婚するかもしれないそうです。

遅くなったのでBillとAnnが帰ってから、私たちはまた例のごとく五目並べなどをしたり、おしゃべりしたりして過ごしました。Johnの弟のFieldもガールフレンドのSusanを連れてきて二階でガンガンレコードをならしているけど、Mr.&Mrs.Spicerは平気でのんびり下でTVを観ていて、子どもたちの生活には一切干渉もせず、典型的なアメリカ家庭だなーと思いました。夜中になって、Mrs.Klous家に戻りました。


さて、次の日は、terrible morning。朝4時に起きて(といっても寝たのが2時頃だったので、2時間しか寝なかった)、身支度して、5時頃家を出て、Grayhound bus stationへ。Mr.&Mrs.Klousが2人そろってわざわざ見送ってくださいました。Roanoke駅はとても新しくてきれいでした。そこで、5:35発のバスに乗って、初めて一人でのバス旅行。Mrs.Klousは最後までおしゃべりをやめませんでしたが。バスの窓からお二人が立って私に手を振っているのを眺めながら、まだ暗い道路をバスは走りだしました。いよいよVirginiaを去るのだなーと思うと、とても眠ってしまう気になれず、外を見ていると、おもしろいように素早く夜が明けてきました。Blue Ridgeの山脈の上に太陽が顔を出し、素晴らしい風景でした。
バスは丘の続く農場を快適に走るし、牧場では馬、牛、羊がのんびり朝日を浴びながら草を食んでいるし、最後にVirginiaの最も美しい光景を目にすることができました。

バスはLexingtonとCharlottesvilleにストップして、12時近くにやっとWashingtonに到着。バスの窓から懐かしいWashington MonumentやLincoln Memorial、Capitolなどの風景が見えました。Washingtonの白っぽい街は、いつどこから見ても、一種独特の威厳があって、観るとドキドキします。
ところが、バス停はそうした美しい街を通り過ぎたはずれにあり、とっても汚い所にあるの。バスの乗り換えで2時間近くWashingtonにいなければならないので、この駅の汚さは、前から聞いてはいたものの、ガッカリしました。東京駅の雑踏のようなもので、座る椅子もなく、私はまずショルダーバッグを抱えて小汚い駅のレストランに行き、ホットドッグとコーラを飲みながら休憩しました。そこもあまり居心地良くないので、荷物を抱えてまた待合室に戻り、さっぱりわけがわからないので、Information Centerに電話してWilmingtonに行くバスは何番から出るのか?を確かめてから、売店の隣に突っ立って待つこと1時間。変な黒人の男の子が話しかけてきましたが、英語は一切わからないふりをして、ウンともスンとも答えなかったら、やがて諦めて行ってしまいました。もう少しで1時半になる頃、また突然誰か話しかけてきて、あれ?と思ったら、日本人の男の子でした。さっきから私の前をうろつく汚らしいジーンズ姿で、大きなリュックをしょっている貧相な男の子で、お互いに日本人か?中国人か?はたまたKoreanか?と考えていたのですが、やはり日本人で、とつぜん「日本の方ですか?」と日本語で言われて、はいというべきか、Yesというべきか、一瞬迷いました。こういう所で日本語はなかなか出てこないのです。

彼はなんでも1か月前にCaliforniaについて、カナダ周りで昨日NYに着き、今日はWashingtonからVAのNorforkへ下り、次にMexicoに下るそうです。それは、アメリカ大陸はまるで見ないんじゃないの、と言ってやりました。でもこれからVAにいくなんて、羨ましい限りです。素晴らしい所だ、とうんと宣伝しちゃいました。
それにしても、日本人の男の子に会ったのは、こちらに来て初めてです。その人も言っていましたが、女の子の留学生はたくさん会ったが、男には会わないとのことでした。男の子なら1人旅しても安全だからいいですね、と言ったら、最近は男の方が危ないんじゃないですか?と言うので、わけを聞いたら、ホモが増えているからですって。その人も、Califで一度狙われたそうです!

バスが来たので、別れて私は乗り込みました。そのあと、Washingtonを出てから、MarylandのBoltimore経由でDelawareへ、と順調に行くはずだったのですが、Marylandというのがまた長ーーーーい州で、なかなかWilmingtonに着かないの。私は時計を持っていなかったので、周りの人にいちいち聞くのですが、予定の時間を過ぎても一向にWilmingtonの名前が出てきません。ひょっとしてバスを間違えたのではと2,3回運転手にこれはWilmingtonに行くのか?と聞くので、運転手には仕方ないな~という顔をされました。こっちとしては、まだちゃんとMarylandにいるのか、それともDelawareにはいったのか、あるいは通り過ぎてPensylvaniaに来ちゃったのではないか、と不安でいっぱいでした。

どうやら一時間遅れでWilmingtonに着きました。Jenniferとお父さんが迎えに来てくれていました。最後の不安をのぞけば、バス旅行も案外快適でしたし、景色はいいし、楽しめそうです。
もちろん、すごく疲れたけど、これは朝早かったのと、1人旅で緊張したせいでしょう。今後はHisamiと一緒かだら、2か月の旅行も安心です。


Roanokeでの出来事(Father Rutherfoordとの出会い・Klous夫人とのおしゃべり)

1975-05-19 | 全米旅行(Roanoke)

お元気ですか?私は例のごとくピンピンしています。

Roanokeはこのところうっとおしい雨天続きで、肌寒い日々が続いています。今は午前2時。ベッドの中でこれを書いています。
今までMrs.Klousとしゃべっていて、やっと解放されてシャワーを浴び、部屋に引きこもった次第です。どうせ朝は10時まで寝ていられるから夜更かしはへっちゃらです。

近況報告をしますと、おとといはJohnと外食する約束をしてあったのですが、ちょうどその夜Roanokeのdowntownにある大きな銀行の除幕式とやらがあって、Mr.&Mrs.Klousは招かれていたの。Mrs.Klousは私とJohnも来ないかとおっちゃったのですが、なんでもRoanoke中の大富豪が集まるような大パーティだし、私もJohnも全然知らないいわゆる中年パーティだし、お兄ちゃんならいざ知らず、我々は銀行なんか興味ないので、なんとかお断りして、抜け出しました。
それは6時からで、Johnは6:30に私を迎えに来る予定だったので、Mr.&Mrs.Klousは私に鍵を渡して先に出発されたの。鍵を私に来た時のMrs.Klousのコスチュ~ムをお見せしたかったわよ。こっちが赤くなってしまうほどのシロモノでした。白いレースのパンタロ~ンに上半身は白いレースのブラだけ。それに白いレースの軽い上着を羽織っているだけなの。指には週末以外は銀行に預けているというキンキラキンのダイヤの指輪(Mrs.Klousがそういうのだから本物でしょう)・・・wildとはこのことですね。そうしておっしゃるには、"Kumi, you'd better put the clothe on by this time." 私は決して裸でいたわけではなく、ちゃんとジーンズの上下を身につけてJohnを待っていたの。私たちはいわゆるmessy placeに行く予定だったのですから。もっともMrs.Klousからみれば、こんなのは洋服のうちには入らないのでしょう。

Johnが来てから、2人でMrs.Klousのお気に入りのネコLa Princes(「ラ・プランセース」と発音します)を少しいじめてから(本当にかわいくない猫!)、夕食にはまだ早いので近くの映画館へ行き、Mel Brooksの"Young Frankenstein"を観ました。これはずいぶん前からアメリカでベストヒットのコメディーですが、日本でももうとっくに封切りされているのではない?例のMary Shelleyの"Frankenstein"がオリジナルで、すべてパロディーなの(そういえば、私はそのフランケンシュタインがShelleyの奥さんによって書かれたということは、イギリス文学の時間Shelleyの伝記をやるまで知りませんでした)。もう本当におかしくて、涙が出るほど笑い転げました。プロデューサーのMel Brooksを今日TVで見ましたが、彼自身奇妙な人物なの。よくもこんなおかしな映画を作れたものだと思います。

映画の後、ゴーゴー喫茶みたいな所へ行って、ハンバーガーを食べました。Mrs.Klousが知ったら、卒倒しちゃうかな?

今日(日曜日)はJohnがいつも行く、小さな町のEpiscopal churchへ連れて行ってくれました。前のチコタンの質問にお答えすれば、Johnはdivinity schoolに行きますが、まだministerになる決心はついていないのですって。これから3年間でゆっくり考えるのだって。かなりのんびりしているわね。
Episcopal churchはプロテスタントとカトリックの中間的sectで、形式はカトリックととても似ています。いわゆるsermonはないの。より形式的でラテン語からの直訳のミサ形式です。Johnの教会はとても小さくて、全員でも15~20人くらいしかいつもいないのです。だじゃら会衆がみんな知り合いで、とっても親しみ深く、私は自由に祭壇の上や裏側まで案内され、会衆一人一人に紹介されて、とても暖かく迎えられました。こんな小さな教会にはるばる日本から来てくれた、と(別にこのために日本から来たわけじゃないのだけど・・・)おばあさんは感激して、私の手を握り締めたまま。
私たちがついた時まだ続いていた日曜学校(といっても4,5人の子供only)の生徒の一人の小さな(8,9歳くらい)男の子は、私にとても興味をもって、"What does Japan look like?"なんて聞いてきたり、ミサの前に子どもたちが帰される時、つかつかと私の前にやってきて、"Kumi, nice meeting you."と大人っぽくいって手を差し出したので、握手をして別れました。とっても礼儀正しくて可愛いの。

Johnはfatherのアシスタントとしてミサを行うので、私はイギリスから来たという女性の隣に座っていろいろ教えてもらいました。彼女はJohnの友達で、とても明るくて面白い方なの。フランス人の男性と結婚しているのですって。子どもが3人いて、みんな日曜学校に来ていました。

Johnが私をここへ連れてきた理由は、彼が無限に尊敬しているFather Rutherfoordに私を会わせたかったからだそうで、私たちはミサの後、Father Rutherfoordのおうちへ行ったの。
この方は本当に大した人物です。彼の名前はWilliam(Bill)といって、Tomというお兄さんと二人兄弟なのですが、Tomの方はRoanokeのMrs.Klous家の近所に住んでいるそうです。
Johnに言わせれば、2人は正反対の正確なのですって。Mr.&Mrs.KlousはTomの方とは知り合いだそうで、昨日のBank partyでも会ったというように、Tom Rutherfordのほうは証券会社で一財産儲けて、すごい大富豪なのですって。とっても商売上手なのだそうです。
それに比べて、Bill Rutherfoordは、いくらでも成功する機会がありながら、世俗的な事業にはいっさい携わらなかったそうです。彼はart schoolを卒業し、プロのpainterなの。NYで絵の修業を積みながら、苦しい生活をして、どうやらプロの画家になり、名が売れてきたところで45歳の時に一転してministerになる決意を固め、divinity schoolに通い、牧師さんになったという方です。一風変わっているでしょう?
おうちに行くと、本当にプロだけあってすばらしい油絵で部屋という部屋が埋まっていました。

その家というのが、Fincastleという小さな小さな田舎町にあります。見渡す限り一面の牧場地で、そこにつくまで1時間ほどのドライブを楽しみました。アパラチア山脈に沿って、うねうねした牧場と緑の牧草地、大きな農場、サイロ、大きな牛や馬がのんびり草を食んでいて、すばらしい土地です。Wakefieldを思い出しました。特に春の農場風景は圧巻ですね。

家は18世紀からのもので、大きな煉瓦造りで、丘の頂上に建っていました。FatherとMrs.Rutherfoordと私とJohnとで、昼食をいただきながらいろいろおしゃべりしたの。

Fatherはまだ牧師になる前、戦争直後に日本に行ったことがあるそうです。その頃はもうプロの画家として売れだしていたそうです。その頃の彼は、世の中にはキリスト教以外はないと思っていたそうですが、ある時京都の山寺(高山寺か神護寺ではないかと思うのですが)に登った時、そこの尼さんがあまりに柔和で落ち着いていて、精神的な雰囲気をもっているのをご覧になって、こんな素晴らしい人がキリストの異端者であるわけがない、と思って不思議に思ったそうです。日本の風景のスケッチ画もたくさん描いたのを見せてもらいましたが、本当に日本的水彩画のタッチで、細か~く描かれていました。

Mrs.Rutherfoordは小柄で活発で、丸いメガネをしょっちゅう押し上げている可愛い奥さんで、昼食中にこの前のケンタッキーダービーの話(私もTVで見ました。Foolish Pleasureが勝ちました。でもその次の大きなダービーでは敗れたそうです)を持ち出したり、現代小説の話になると、この前『時計仕掛けのオレンジ』を読んだけど全然理解できない!とかわめかれたりしていました。でも、Mrs.Rutherfoordはとてもインテリな面も持っていて、本はとてもたくさん読んでおられるみたいでした。

お二人の子供は娘と息子がいて、娘は結婚して子どももいるそうですが、息子の方はお父さんの血をひいてCalif.のアートスクールに通ったのですが、そこで女の子と駆け落ちして学校からrun away(Mrs.Rutherfoordの言葉)したあと、(この後はJohnから聞いたの)その女の子と上手くゆかずに、正式に結婚したあと離婚してしまい、Virginiaに一人で戻ってきて、大学卒業のための単位を埋めるため、今はW & Lに通っているそうです。
私は会えなかったのですが、彼の部屋を見せてもらったら、お父さんに負けないような(modernですが)art workがたくさんありました。

【現在(2011年)のWill Rutherfoordの記事を見つけました】
http://thecluh.com/bill-rutherfoord-revelationary-artist/
http://www.williamhrutherfoord.com/images1.html
http://www.williamhrutherfoord.com/press.html

4時頃までおしゃべりしてから、Johnとまたfarm landをドライブして、Roanokeにもどってきて、次にJohnの家に再び行きました。

Mrs.Spicerは例のごとく日本に夢中なのですが、今は何をしているかというと、大きな庭の半分をすっかり日本庭園に仕立てているの。1年がかりだそうですが、まだ半分しか済んでいないのだけど、彼女とMr.Spicerだけでやっているのだから驚きでしょう?
いろんな本をみて研究したそうですが、オリジナルは京都竜安寺の石庭だそうです。
20袋くらいにいっぱいの白い砂石もそろえてあるし、灯篭や小さな竹やぶやモミジや松の木も植えてあるし、小さな川を掘ってあるの。川には小さな島も作ってあるし、石の橋もかけてあります。川底には黒石を敷くつもりなのだそうですが、この辺では手に入らないというので、なんとその辺の石を黒く塗っているの!
私たちが着いたときは、その黒塗り作業の最中で、手を真っ黒にして飛んで出てきました。本当に子供みたいに純真な方で、私が本当の日本庭園に見える、と褒めたら有頂天になって喜んでいました。

私がアメリカ横断旅行をするといったら、私もぜひ一緒に行きたい、切符はどうしたら手に入るのか、などと本当について来かねない意気込みで、Mr.SpicerとJohnをてこずらせていましたが、ついにダメと悟ると、私にここを観たらいい、あそこを観たらいい、と教えてくれたり、大きなtravel book(かなり古いの)をくださいました。

7時頃Johnに送ってもらって帰って来たのですが、Johnは夜は会合があるので、「いったんMrs.Klous家に足を踏み入れたが最後夜中までMrs.Klousにつかまって帰れなくなる」おそれがあるもので、玄関の外で別れました。
私はかえって感謝しました。というのは、玄関に向かう段々を降りようと足を踏み出すと、なにやら白いものが地面にあるの。何かと思って身をかがめてみると、白い大きなナプキンで、表に"Kumi and John, please step on these papers to get to the front door."と書いてあるの。見ると、20段くらいある石畳に延々と白いナプキンが1枚ずつ敷かれていて、玄関のドアまで続いているではありませんか!
要するに、外は雨上がりで道が濡れているので、Mrs.Klousは我々が濡れた靴で家に入って彼女の愛するlong-haired white ragsを汚すのを恐れたための対策なのでした。
あまりのバカバカしさにカッカしながらも、1段ずつ注意深く白いナプキンを踏みながら集めて、玄関にたどり着き、”彼女の愛するlong-haired white rags"に敬意を表して、靴を脱いで家の中に入りました。

このlong-haired white ragsはMr.Klousの最もイミきらうものですが、Mrs.Klousは玄関ホールとそれに台所一面に敷き詰めているのです!汚れるのが嫌なら、そんな所に敷かなければいいじゃありませんか、と思うのですが。

台所というのが、また名ばかりのシロモノで、今もいったように床は白い敷物で歩くと雲の上のような感じがし、置いてある可愛い椅子は、また汚れると困るので買った時のままにビニールで覆ってあり、料理台の上も黒いラッカーが塗られてあるのでコップなどを置くと剥げちゃうとかで、食器を置く場所はそのうちのほんの一角に紙が敷かれている部分だけに許されています。
実際Mrs.Klousは、台所が汚れるのを嫌うあまり、台所では料理をしないのです!
立派なオーブンがあるのですが、それは本来の機能を発揮せず、ビスケットやパン粉を入れる戸棚替わりに使われています。なるほど、ドアを開くと中に灯りがついて中がよく見え、便利だそうです。
それから、アメリカの家庭には必ず付いているdish washerもなばかりで、食器戸棚なのです。Mrs.Klousは念入りに流しで食器を洗われ、ナプキンで拭いてからdish washerに食器を入れ、heatだけ時々オンにして乾かしたり、食器を温めたりするのに使うだけです。
料理はどこでするかと言うと、地下室だそうです。こんなおかしもくもバカバカしい話があるでしょうか。

書いてみると、本当にウソのようですが、すべて事実で、私も今では呆れるよりも可笑しくて可笑しくて・・・すっかり慣れてしまいましたけれど。

ところで、そのMrs.Klousは、私が帰ってくるとさっそく捕まえて、私を客用dining roomへ連れて行きました。何かと思っていると、戸棚からナプキンと銀のナイフ・フォークを出してきて私の前に置き、European table mannerの実演をしようというの。
これは、今朝私が出掛ける前に、ちょっとアメリカマナーとヨーロッパ式マナーの違いなどをしゃべったため、Mrs.Klousはそのことで頭がいっぱいになっちゃって、イギリス紳士と結婚したという彼女の友達に一日中電話をかけて聞いたそうです。その友達と私の言ったのとがちょっと食い違ったため、もう一度確かめるのだとかで、私に実演してみてくれ、というの。私は高2の時のtable mannerで習っただけだし、それ以来本式のマナーなどしたこともないから、あまり覚えていないのだけど、覚えている限りをしてみると、フォークを置く時どっちの面が上になるべきか?とか、食べている時フォークとナイフを持った手がテーブルに触れても良いのかいけないのか?etc.の細かいことで私と意見が食い違ったので、Mrs.Klousはその友人に再び私の目の前で電話して、くどくど聞くの。私にはその友人がイライラしている様子が手に取るように分かりました。
そうした議論をすること1時間。もうどうでもいいじゃないの、と思うのですが、Mrs.Klousは延々と電話でしゃべっているし、私はその間、空のテーブルマットとフォークとナイフを前にdining tableに座らされ、本物のステーキかチキンでもあったら喜んで実演するんだけど・・・と思いつつ(事実、お腹がペコペコでしたので)、辛抱強く待っていました。

そのあと、Mrs.Klousとマナーについておしゃべりをさせられたの。
Mrs.Klousは私がヨーロッパ式の正式マナーを知っているのなら、R-Mの学食でも、他の学生がいかにcasualなアメリカンマナーで食べようと、ヨーロッパ式を固守すべきだ、なんていうのよ。私は皆の中で1人気取ってはいられないし、ヨーロッパ式のコチコチマナーよりアメリカ式のinformalの方が好きだ、と断然反撃したのですが、Mrs.Klousには通じるすべもありませんでした。

Mrs.KlousにはTPOという概念が皆無で、我々はロングドレスを着ていても、ジーンズをはいていても、マナーは一つしかない、とおっしゃるの。私は、正式のディナーでロングドレスを着ている時と、ジーンズで野原でキャンプしている時とでは、自然とマナーも変わってくる、と行ったのですが、Mrs.Klousにしてみれば、ジーンズで岩山に登る時ですら、toe-and-heel, toe-and-heelといったエレガントな歩き方をしなければならないようでした。
私はtoe-and-heelで奈落に落ちるよりは岩にかじりついて頂上に着くほうがよっぽどいいわ。

とにかく、議論が続くこと2時間ほどで、9時過ぎになってMrs.Klousはお料理にかかり、(この頃までにはMrs.Klousがイライラして台所を右往左往しに来るのですが、Mrs.Klousはまるで気がつかないの)、10時過ぎにやっと夕食になりました。

その時(私たちはTVのあるliving roomでdinner trayでTVを見ながら食事します)、TVでとても面白いnews storyをやっていました。Mrs.Klousのおしゃべりにさえぎられながらもつかんだ話では、Koreaのあるお坊さんが自分は第二のキリストだといって、独自の教えを説教してまわっているそうです。今やKoreaはもちろん、アメリカでも猛然と信者の数を増やしているそうです。MoonとかMooneとかいうような名前の田中角栄に似た赤ら顔のオジサンですが。
前にもそんな話を聞いたことがあるような気がするけど、おじちゃんたちは御存じですか?
彼は大変な勢いを持っていて、今に自分の言葉は全部実現するし、この手で世界を支配するのだ、と熱心に演説していました。3年に一度彼が祝福するという日には、何億ものwedding couplesが祝福を受けに集まるそうで、その機を逃したcoupleは3年間待つそうです。ニクソン大統領とも親しかったとか。アメリカでは特にカリフォルニアでバークレー大学などを中心に信者が増え、NYでも団体が組織されているそうです。

この前Johnがdinnerに来た時もしゃべったのですが、今はアメリカ中(世界中かな)の教会でも世の中があまりにメカニカルになり、secularになりすぎたのを憂いて、信仰を復活させる強い動きが出てきたそうです。アメリカでは皆洗礼を受けるけれど、特に若い人たちには宗教心はもはやないに等しく、18世紀のAge of Enlightenment(理性尊重時代)の繰り返しだと言われています。まさに歴史は繰り返す、で、きっと今にGreat Awakeningのような感情的信仰復活が現れるだろう、と言われていますが、このKorean ministerもその兆候の一つなのでしょうね。Johnに言わせれば、secularになりきったこの世の中で、何かsuper naturalなものを信じる心が再び現れるべきなのだそうです。精神的な物をもっと尊重すべきだということかな?でも、たとえばこうしたKorean Ministerなどが出てきて、奇跡をおこなうとか言われても、私としてはとても信じられません。今のこの世でキリストみたいな人物が現れても、人々はそう容易には信じないだろうし、反対に熱狂的信者(Koreanの信者の楊ん)が出ても、気違いとしか思えないし・・・
少なくとも、Mr.&Mrs.Klousのような方たちは、そうした世の中の危機ですらまったく感じていないのに違いないのです。

そうした話から、食後Mr.Klousが書斎に引き揚げてから、私とMrs.Klousとで、今までしゃべったのですが、私は日本ではもうすでにそうした危機感から自然に戻ろうといった動きが出始めていると言ったの。おじちゃんが自然食を採り始めていると言ったのだけど、Mrs.Klousには肉のない食事など考えられないようです。
庭に野菜を栽培する話で、アメリカでもそろそろブームだそうですが、横浜の家でパパがキュウリやトウモロコシなどを作っていると話したら面白がっていました。今や家の中で野菜くらい作るのは対策の一つだと言ったら、Mrs.Klousは手を叩いて、"I am, too, planning to grow in the garden・・・"と言いだすので、何かと思ったら「フレンチメロン」だって!!なんでも、フランスにいた時あまり美味なので、トランクいっぱいにメロンの種を詰めて持ち帰ったそうであります。ね?Mrs.Klousにはworld food crisisなんてまるでわかっていないのです!

私もその方は諦めて、とにかく今大切なのは、機械に頼らず自分の手で何でもすることで、生活ももっとsimple livingにすべきなのだ、としゃべったら、Mrs.Klousは自分の手で土をいじくるなどと言うことはもってのほかだ、と言うのよ。
少し話がそれて、私がインドではいまだに右手だけを使って食事を食べる風習があると(そうでしょう?)言うと、びっくりしちゃって「なんと野蛮な、汚い!」と言うの。フォークもナイフも使わないなんて、かわいそうだと言うのよ。彼女はどんな食事も指をじかに使うことはとんでもない、と考えているの。意地悪く、じゃぁハンバーガーやホットドッグはどうですか?と(彼女がハンバーガーなる大衆食品を食べたことがあるかも疑問ですが)尋ねてみたら、キャーーー!ハンバーガーやホットドッグもナイフとフォークで食べるのですって!もう、笑い転げてしまいました。それでは本当の味はわからないのでは?と聞いたら、ナイフとフォークを使ってこそ、gracious tasteはわかるのだそうであります。
ハンバーガースタンドでMrs.Klousがウェイターにナイフとフォークを持って来い、と頼んでいる姿が目に浮かばない?

さらに話は続きますが、R-Mの思い出話になって、シーツなどはメイドが取り換えるのか?と聞くので、メイドはpublic placeの掃除のみで、一人一人の部屋の掃除やシーツ換えなどはモチロン(と強調)自分たちでするのだ、と言ったら、驚いちゃって、彼女の頃はみんなメイドがしたそうで、毎朝のベッドメイキングでさえ(!)チップを余計に出すとメイドがしてくれたのですって。さすが、南部州の女子大じゃない?

私は皮肉っぽく、でも私は自分の部屋を他人にかき回されるより、自分で片付けたほうが好きだから、却って良いと言ってやりました。今の世の中では、何でも自分の力でするのが必要じゃありませんか?と言うと、突然、イヤダイヤダと言いだして、そんなsimple lifeなら、今のままの方がいい!なんでもメイドにやらすほうがいい!とわめきだされたので、もはやこれまで、と諦めました。

私がいかに辛抱強くMrs.Klousのお話し相手をしているか、お分かりいただけたでしょうか?
こうして手紙では面白可笑しく描きますが、やはりMr. & Mrs.Klousは私には無限大に親切で寛大なので、もちろん感謝していますし、失礼のないようにふるまっていますから、ご安心ください。手紙はいわば、鬱憤晴らしです。

【Klous家のポーチにて】 (クリックで拡大)
   

そういえば、この週末は2日連続でTVでS.マックィーンの"The Great Escape"をやっています。もう4度目ですが、英語で聞くのでとても面白く見ています。

それでは、長々しい手紙(全11ページ!)もこの辺で終わりにしましょう。またね。Love 


Roanokeでの日々

1975-05-17 | 全米旅行(Roanoke)

お元気ですか?
Mrs.Klous家(Mr.Klous家と書くべきなんでしょうか)で、例のごとくの優雅かつ退屈な生活を送っています。

朝は9:00~10:00にのこのこ起きだして、車でレストランへ行き、ブランチをいただきます。私はたいていソーセージとスクランブルエッグなんだけど、Mrs.Klousはいつも大皿に盛ったhomeny gritsを食べるので、それが美味しそうだったから、この2,3日はそれをオーダーしたら、ウェイトレスには変な顔をされ、Mr.Klousは苦い顔をして、Mrs.Klousが私に変なことを教え込んだ、と言うので(Mr.KlousがMrs.Klousのすることにイチイチけちをつけるのには慣れているけど)、辞めて、またソーセージと卵に戻りました。
どうやらhominy gritsの大皿盛りはMrs.Klousが特別注文するシロモノで、メニューにはないようです。gritsは普通小さい小皿に盛られて、一般の朝食のおかずとしてちょっと食べるものであり、それだけをたくさん食べるのは異常らしい。でも、とても美味しいのよ。ずっと前に初めて食べた時は、ご飯を挽きつぶしたようなもので味もなく、妙な気がしましたが。要するにトウモロコシを挽きつぶしたもので、舌が焼けるほど熱いのにバターをたくさん溶かして、フーフー言いながら食べるのです。アメリカの南部特有のものですが、チコタンも食べたことありますか?

ここ2,3日はR-M sickで沈滞気味でしたが、やっと立ち直りました。でも今でも時々、R-Mの食事の鐘の音や、R-Mの校歌のセレナーデを歌う声が聞こえるような気がしたりします。

ちょっとばかし思い出を書けば、最後につくづくアメリカと日本の経済力の差を思い知らされたのは、たくさんの学生が去った後、空の部屋をのぞいてみると、なんと真新しいローソクや花瓶や大きな毛布やぬいぐるみやらが平気で捨ててあるの。中にはメイドのためのお土産の意味もあるのでしょうが、くず箱の中にまだ使える新しいものが無造作に捨ててあるのにはshock。中には、ちょっとガラスにひびが入っただけのまだ使える電気時計が捨ててありました。これはJenniferが失敬して家に持って帰りました。本当にアメリカ娘は物の価値を知らないの。なんとなk、ここにいると、私があわれな貧乏娘みたいな気がしてきます。アメリカではインフレの危機感なんて、実生活においては皆無に近いみたいです。

おとといはJohnがこちらに来て、夕食を一緒にとりました。食後夜中まで五目並べをして遊んだの。他愛ないでしょ。彼は碁盤を持っているのだけど、お互いに囲碁など知らないから、私が五目並べを教えてあげたら、気に入ってしまって、それ以来毎日のように弟を相手にして練習したのだそうで、今では私よりずっと強いのです。

昨夜からMrs.KlousはR-Mの卒業生のreunionとかで集会があるので、Lynchburgへ泊りに出かけました(例のごとく、Mr.Klousはreunionなんかクソクラエ!みたいにけなしています)。それで、私とMr.Klousとで夜はFiji Islandと言うポリネシア料理店へ出かけました。香港や台湾からきているウェイターやウェイトレスが働いているとても大きい中華料理屋で、私は香港から来ているという可愛いウェイトレスとおしゃべりしました。東洋人と言うだけでとても親近感を感じます。

今日はJohnとLexingtonのW & L Universityへドライブするつもりでいたのですが、あいにくの雨なのでやめて、夜外食に行くだけにしました。正直にいってformalなレストランと「そのへんの」messy placeとどっちがいいか?と聞かれたので、もちろんmessy place!と答えたので、この辺で一番messyな所へ連れて行ってくれるそうです。

ところで、Mr.KlousとMrs.Klousの中は前と相変わらず冷たい感じで、お互いにけなしあっている感じ。本当におかしな夫婦です。昨日だったか、私とMrs.Klousとでdowntownの野菜市場へ行って(何を買うかと思えば、La Princes(猫)のための「パセリ」onlyなのでした)、そこの主人と息子に紹介されたのですが(どんな場合でもMrs.Klousは私がR-Mに入って日本語も教えてて・・・etc.とべちゃくちゃしゃべるのです。その間私はニコニコしながら立っていなくちゃならないのです)、そこの御主人は私に勉強のことや、彼も昔日本に行ったことがある等々としゃべってきたの。そのご主人を手伝っている17,8歳の息子はとってもハンサムで、私はむしろそっちとしゃべりたかったのだけど。

それはともかく、今日Mrs.KlousがMr.Klousの前で、そのご主人がいつもはとっても無口なのに、わたしにはよくしゃべったと話したら、Mr.Klousは、もうこっちがヒヤリとするような皮肉っぽい調子で、"Louise, there is such a thing in this world...as LISTENING!"と言い、お前がしゃべってばかりいて相手にしゃべらせる機会を与えないから、誰でも無口になるのだ、と言いました。これだけの皮肉を言われても、Mrs.Klousのほうは一向にへっちゃらなのには驚きます。しばらく黙られた後にまた例のごとくしゃべり始めるのですから・・・。私がMr.Klousだったら、Mrs.Klousのsnobbismにはやはり我慢できず、皮肉どころか怒鳴りつけるだろうし、私がMrs.KlousだったらMr.Klousの皮肉や無作法さには我慢ならないだろうし・・・まぁ私はいつも聞こえないふりをして黙っていますが、2人ともお互いによく我慢できるなぁ~と感心してしまいます。やはり、どんな夫婦にも良い点はあるものですね。この夫婦の場合は「我慢強さ」がそれです。

それでは、またね。Love