昔から教員試験にはコネが必要というのは一般社会常識だと思っていた。結果的には教師になるのは教師の子供、という一種の世襲状態である。しかも、お父さんがどこぞの校長だったという話である。
教頭や校長になるには管理職試験というものをうける必要があり、その受験には校長の推薦が必要となれば気に入られなければ何も始まらない。そういう状況ではどうなるかは明白。
デキの悪いのが教員になって、できの悪いかわいい教員が管理職に昇進していくわけである。
こういうニュースの取り上げ方であるが、だれもがそんなものあるに決まっている、と思っている話題でありながら、新聞の取り上げ方は、こんな不正があったと驚きの報道から始まって、その不正は一人ではなくもっと沢山の不正が発覚となる。その後、その不正は一部ではなくほとんどの上層部が関わっていて、しかも過去にさかのぼってそういう不正が行われていた、ことが判明と発表する。そして、最後は、政治家の関与にまで発展する。
新聞にとっては、こういう小出しの発表は免罪符みたいなもののように思えて仕方ない。新聞記者がそのような不正の存在を知らない訳が無い。本気でやるなら、日本全国同じ問題があるわけだから、徹底的にやっても良いはずだが、大分で槍玉に上がっただけで、そのうち尻すぼみに報道が縮小していく。
世襲化が最も進んでいるのは政治の世界だろうか。見直すべきところが多すぎる。
教頭や校長になるには管理職試験というものをうける必要があり、その受験には校長の推薦が必要となれば気に入られなければ何も始まらない。そういう状況ではどうなるかは明白。
デキの悪いのが教員になって、できの悪いかわいい教員が管理職に昇進していくわけである。
こういうニュースの取り上げ方であるが、だれもがそんなものあるに決まっている、と思っている話題でありながら、新聞の取り上げ方は、こんな不正があったと驚きの報道から始まって、その不正は一人ではなくもっと沢山の不正が発覚となる。その後、その不正は一部ではなくほとんどの上層部が関わっていて、しかも過去にさかのぼってそういう不正が行われていた、ことが判明と発表する。そして、最後は、政治家の関与にまで発展する。
新聞にとっては、こういう小出しの発表は免罪符みたいなもののように思えて仕方ない。新聞記者がそのような不正の存在を知らない訳が無い。本気でやるなら、日本全国同じ問題があるわけだから、徹底的にやっても良いはずだが、大分で槍玉に上がっただけで、そのうち尻すぼみに報道が縮小していく。
世襲化が最も進んでいるのは政治の世界だろうか。見直すべきところが多すぎる。