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おやじの独り言

ニュースな出来事、身近な出来事、季節の移ろい・・などなど。要するになんでもあり

人権週間

2008年07月28日 22時18分25秒 | 社会
アメリカ民主党大統領候補のオバマ氏がベルリンで、宗教間に壁は要らない、それらを今こそ壊す時だ、と東西冷戦の象徴だったベルリンの壁崩壊になぞらえた名(?)演説のニュース映像を見た。この言葉は、西側同盟国の間に壁は要らないこと、人種や少数民族、先住民族や移民間での壁も要らない、と言ったあとのものである。人権問題にもつながる人種問題にも言及している。

日本でもつい先日アイヌ民族を先住民族と認めて、政府が総合的な施策を講ずることを求める国会決議が採択されたばかりである。先住民族の権利に関する国連宣言を最大限尊重するならば、言語を含む固有の文化を守る権利から土地や鉱物資源いたる様々な権利を尊重することが求められる。土地など返還できない権利に関しては賠償の対象ともなる。

日本の教育ではアイヌは先住民と教わったが、土地を奪われただけでなく、その文化や言語が否定され、有形・無形の差別を受けてきたという歴史に触れる機会はほとんどない。今回の国会決議は法的拘束力を持たない単なる意見表明でしかないので、このような先住民族としての権利回復の具体的手続きが進むのかどうかを含めて、この先どうなるかは不透明である。

オバマ氏の演説にもあるように、先住民族問題を含めた人権に関わる問題は世界中のいたるところで見られる。その解決に向けた積極的な取り組みを進めている国もある。しかし、それを解決するためには多くの困難な課題があるということも事実である。日本ではやっと問題があることを認めた段階だある。先住民族の権利という問題を真剣に考えることで、その先にある人権という大きな問題の解決の糸口も見えるような気がする。そのためにも、自分自身、しっかりとこの問題を見つめていきたい。

東京スカイツリー

2008年07月17日 00時09分17秒 | 社会
いよいよ着工だそうである。完成予想図を見ると、ロウソクのような形にも見えるし、例の北京のメインスタジアムのタワー版のようにも見える。完成すれば一度は登ってみたいと思うだろう、ということで東京の一見さんの集客だけでも結構元はとれそうである。東武鉄道が建築主ということで場所は墨田区である。場所的には新名所が欲しかっただろうから大歓迎というところだろう。

しかし、この場所だが、いわゆる江東デルタ地帯と呼ばれる軟弱地盤地帯である。もう少し東の荒川よりだと固い地盤(とは言っても洪積層と呼ばれる普通の建築物の支持地盤とされる地層)まで50m近く掘らないと到達しない、旧利根川や荒川の川筋にあたるのだが、この東京スカイツリーの建設地点あたりは埋没海食台になっていて若干支持地盤は浅くなる。それでも20m以上の軟弱層が堆積しているところである。

600mを超えるタワーなのでそれほど問題ではないかも知れない(中途半端な高層ビルは地震の揺れと共振して危険だが、はるかにデカイとかえって安全)が、基礎工事分は当然建設費がお高くなっているはずである。

完成は2012年ということで、その時点で現在の東京電波等はお役ご免となるハズである。今東京タワーにやってくる観光客が(多分)途絶えたあと人の寄りつかないゴーストタワーと化すのだろうか。

一斉休漁日

2008年07月16日 23時22分07秒 | 社会
燃料費の高騰で悲鳴。なんとかしてくれ、との意志表示だろうが、どうすればよいのだろう。

HISは海外旅行運賃に航空機運賃に課されるヒューエル・サーチャージと称する割り増し金を含めた価格表示という宣伝をしている。このヒューエル・サーチャージが馬鹿にならない。ヨーロッパ往復11万円という広告があっても、限りなく小さな文字で6万円という文字が見える。

漁業者への救済策だが、税金投入で燃料代補助という選択枝になるのだろうか。のんびり総理は、大変ですね、今月末までに対策をまとめるように指示しています、と相変わらずのんきである。

航空運賃と同じように、魚代に燃料高騰分を割り増しする、なんてのはどうだろうか。税金投入も結局は国民負担に変わりはない。

医師不足

2008年07月15日 23時14分14秒 | 社会
地方や救急医療の現場での医師不足が話題になることが多い。それぞれに尤もらしい理由がついている。

随分昔も医師不足が話題になることはあってが、それは僻地医療であって、ちょうど自分が大学受験の頃がそういう時代だったと思う。医師を増やすための国立の医科大学の新設があったりしたし、栃木にある自治医科大学もそういう趣旨だったと思う。

そして、今現在の医師不足である。

単なる推論でしかないので大きな声では言いたくないが、ここでも医師という職業の世襲制が影響しているのではないかという気がしてならない。

そもそも一昔前に比べて医師の絶対数が減っているわけもなく、都会の開業医は過当競争なみに存在しているはずである。ところが過当競争で廃業に追い込まれる訳でもなく何とかやっていけているのだろう。そういう過保護なところに問題があるのではないだろうか。

都会で過剰供給だと地方に流れるような、適度な市場メカニズムが働くようにすればよいだけではないかという気がするのだが。そして、そういう変化を拒んでいるのが、今の医師の世襲制ではないかということである。

ガソリン価格高騰

2008年07月12日 09時02分35秒 | 社会
20数年前のアメリカにいたときに1ガロンが1ドル数十セントだったと記憶している。その頃の日本のガソリン代と比べて1リットルの値段と同じくらいだと感じていた。ガロンとリットルの単位の違いを考えると日本のガソリン代は3倍以上していた計算である。

そのアメリカでも今やガソリン代が1ガロン当り3ドルを超えているようであるので、当時から比べると3倍近いガソリン価格の高騰である。それに比べると日本の値上げは高々1.5倍程度とすれば、かわいいものか。

それでも、温暖化ガス排出削減のために車の利用は控えましょう、というどんなキャンペーンよりも、ガソリン代を劇的に上げることが効果的であることは、アメリカでも日本でも実証されているようである。アメリカに比べて日本の国民の経済的な耐力が弱っているのであろうか。

それにしてもであるが、ガソリン代の高騰とそれに合わせた諸物価高騰の影響で生活が大変なのは当然だが、本気で今の温暖化ガス排出量の削減を実現しようと思ったら、今以上に車の利用を控える必要があるはずである。ニュースの論調は、車の減った高速道路を映し出して大変な状況を演出しているが、そういう側面からはもっと減らないといけない。

エネルギーと食糧は国家の安全保障に関わる問題である、というのが先日の養老氏が池田氏との共著の中で述べられていたことの一つ。温暖化問題が100年先の地球の心配をするものであるとしたら、石油資源が枯渇するのはそれよりもっと近い将来の話である。今はあと何年で石油の枯渇という議論には不確かさが多いが、あと四半世紀も過ぎれば、その時期は確実に将来の問題ではなく今現在の問題になるはずである。今のような政治体制・経済の仕組みが続いている限り、石油の奪い合いは価格の高騰だけでは収まらない、大変な課題になっているに違いない。

今やるべきことは、石油を燃やして発生する温暖化ガスをどうやって減らすか(日本の論調は科学技術で温暖化ガス削減をさらに進める、みたいになってしまっていて、本気で減らそうという意気込みも仕組みも感じられない)ではなくて、脱化石燃料によるエネルギー源の確保を先行させることだと思う。

日本はエコ技術で世界に先行している、では世界の中で日本の存在感を維持するには限界がある。国を挙げて脱石油社会を実現するほうが今後の日本にとっては価値があるはずであるが、産業界の目先の利益の確保の要求に応えるのに精一杯なのが今の日本の状況である。しかも、それすら実現は怪しい。

今はまだ高くてガソリンに手が出ないことを嘆いているわけであるが、買うべきガソリン自体がどににも無いという状況だってありえない現実ではない。

ゴミ袋有料化

2008年07月06日 11時01分29秒 | 社会
那須塩原市が今年度中にごみ収集の袋を指定して有料化するという案内があった。先日徳山に帰省した際に、周南市でも近いうちに有料化になるそうだった。どちらも一袋が50円くらいになるハズである。

それでいくらの収益になるのかわからないが、目的はゴミ処理費の負担軽減ということだろう。我が家の例では、週2回、月8回のゴミ出しで1回あたり1.5袋としても高々12枚、負担は一月600円程度である。ごみ減量しようというインセンティブには程遠い。

結果としてどうなるか、であるが、有料ごみ袋を買うのが面倒であったり、嫌だと思う世帯によるゴミの不法投棄がそこらじゅうに溢れることになる。不法投棄監視のためのカメラ設置だとか、不法投棄のゴミ処理のための費用が、べらぼうになって、ゴミ減量化で期待した費用減になるどころか、ゴミ処理に関わるコストがどんどん上がることになる。そして、モラルの低下と町中ゴミだらけの環境悪化である。

いまさら、尾瀬のくそ爺やくそ婆の例を出すまでも無く、日本人にモラルを期待するのは無理。

昔のように、スーパーの袋でゴミを収集するスタイルが一番現実的である。

指定ゴミ袋にして誰が喜ぶのかは明らかで、ゴミ袋メーカーである。極限までコスト減を要求されてリサイクルが進んでいるスーパー袋を作らされることに比べれば、笑いがとまらないだろう。その濡れ手に泡の儲けの行き先は、メーカーで働く労働者でないことだけは明らかだろう。

いよいよ洞爺湖サミットであるが、例の環境破壊の象徴のホテルでの開催が、環境やエコの言葉に群がって利益をむさぼる集団の象徴のように見えて仕方がない。

諫早湾の干拓事業

2008年06月29日 21時45分49秒 | 社会
また佐賀地裁の判決である。干拓事業で失われた自然の大きさと、それによる漁業への影響、目的とした農地としての利用も進まないし、災害防止の効果も疑問と、これだけ並べれば無駄な公共事業の横綱ともいえる。おおよそそういう方向だとしても、個々の主張が全く正しい訳ではない。随分前に工事差し止めを命じたの佐賀地裁判決が福岡高裁で取り消す決定を下した時に意見をすでに書いている。その中でさらに別のところに書いたものを引用しているので、以下にはそれを転載する。2004年3月29日に書いたもの。会社の同僚が出てくるが、当然、前の会社の同僚となる。

有明海の諫早湾での干拓事業、東京湾の三番瀬、名古屋の藤前干潟など、わが国に残された自然海岸の保全に関わる公共事業への反発は大きい。これまでのような自然を一方的に破壊して、産業社会優先で取り組んできた埋立事業には問題が多かったことは事実だろう。ただ、ここで注意すべきは、何のための自然保全かだと思う。目的が自然保全そのものの場合もあるだろうが、例えば、守るべきものは東京湾の水質改善の取り組みと市民のレジャー空間の確保の場合もあるだろう。そのことを十分に理解・勘案した上で、開発できるところ、保全すべきところを考えるべきだと思う。

三番瀬にしても、諫早湾の干拓事業にしても、多分に環境保全のシンボルとして取り上げられているという印象が強い。例えば、東京湾の浄化を考えると、東京湾全体からするとほんのわずかの面積でしかない三番瀬の役割は小さすぎると言わざるを得ない。根本的な改善は東京湾に流入する環境負荷物質を低減することが最も優先する課題だろう。例えば、各家庭から排出される環境負荷量を2割削減することで、合流式下水道を分流式に完全に改善していくことなどで、三番瀬が環境改善に寄与できることに比べると、莫大な効果が期待できる。環境保全運動の象徴としての意義も否定するものではないが、すべての開発が悪となるような煽動的な雰囲気には違和感を否定できない。

本題の諫早湾の干拓事業だが、その鮮烈なギロチン映像と、ムツゴロウの死に代表されるような干潟生物の死などによって、諫早湾の開発事業そのものが無駄な公共事業の代表格として取り上げられるようになって久しい。その後、有明海の海苔養殖での色落ち問題が発生して、その原因として槍玉にあがったのが、この諫早湾の干拓事業である。

この原因調査のための専門家を集めた委員会が設けられ、原因究明が進められていることは知っていたが、その結果については正直あまり関心を持って見つめてこなかった。一つには、環境保護グループの感情的な”公共事業は悪”の図式になじめない点が、この問題に対する関心を失わせる原因であった。

最近会社の同僚から、東北大学名誉教授である江刺洋司氏の著書「有明海はなぜ荒廃したのか―諌早干拓かノリ養殖か」を紹介されて読む機会があった。昨年の11月に藤原書店から発行されているが、本書の主題は「瀕死の有明海の真因は諫早干拓ではなく、ノリ漁業の薬剤処理だった」ということである。詳しくは、同書を読んでいただきたいが、あまりに感情的な先入観から事業を否定するやり方に対する一つの警告として読んでいただきたい。

繰り返すが、わたしは、まず開発ありきの姿勢は反省すべきだと考えている。開発により失ってはいけないものを明確にすべきであり、保全と開発の両方を満たす解決策を探るべきだと考えている。今のわれわれの技術ですべてが解決できるとは思っていないが、そのような対話・議論の中で、われわれ技術屋が取り組むべき課題が見えてくるし、われわれはそれに取り組むべき義務もあると考えている。

天意は必ずしも、今の自然のあるがままを保全することを求めてはいない・・と強く信じている。

ラーメン屋

2008年03月21日 22時38分09秒 | 社会
会社の近くのコンビニの店員はほとんどが東洋系の外人で、日本語を喋るけれどたどたどしい。日本人は稀、と以前書いた。夜中に行くと、日本人のおじさんとおばさんだった。

今日ラーメン屋に行ったが、ここも中国だろうか、外人さんばっかりだった。コンビニもそうだけれど、かならずでかい名札をつけているのでわかる(最も日本語が変なのでもわかるが)。こういうお店は学生のバイトと相場は決まっていそうなきもするが、昨今の事情はどこも同じということか。

バイトをしなけりゃいけないのは海外からの留学生。日本人で大学に進学できるのは裕福な家庭ということだろうか。

今日はコートも要らない暖かい日だった。風が強くて電車が止まった、というようなところもあったようだが、自分が移動する範囲は穏やかな春。桜のつぼみが膨らんでいる。

タクシー会社

2008年03月15日 21時09分03秒 | 社会
自由に参入できる規制緩和でいろんなタイプの会社が参入しているようである。酷いのはリース会社タイプ。実態はタクシー会社が社員をやとって自社のタクシーを走らせているのだが、この車を個人事業主にリースする。車をリースする側はきちんと利益がでるようなリース料を設定して、営業収入との差額が個人事業主の収入となる仕組みである。個人事業主の収入は少ないので、タクシー代と一緒に徴収した消費税はタクシー会社の懐に入るというおまけまで付く。

よくこんなあくどい仕組みを考えると思うが、自分がさえ儲かればよい、というような不純な動機だろうがなんだろうが、儲かればよいというスタイルが容認されている社会である。

格差の問題

2007年10月11日 22時20分29秒 | 社会
この問題には何回か触れていて、自分なりに考えている問題点を書いてきた。

格差の無い社会は現実的ではないが、今の格差社会のもう一つの問題点(いつの時代も同じかもしれないが)に格差の成り立ちにあると思っている。

一言で言えば、格差の源が貧乏人(中流意識をもった人を含めた)からの搾取にあるから。端的な例が、貧乏人が金を借りるときの金利の高さ。借金が払えなくなる人の分を含めて、やすくなったとはいえ、依然として高金利で金を借りるしかない。そうして得た利益は格差社会での富裕層への低利の融資資金となって、回りまわってそれがヘッジファンドに流れる。その結果は、富が富を生む仕組みである。今の富裕層の富は、富裕層間の厳しい競争で勝ち得るものではない。

だから、一部では景気回復の局面にあると言われても、多くの人が景気回復の実感が無いとなる。

今の格差社会では社会のすべての階層でそういうことが実感できないのは当たり前で、そういう社会は基本的には危うい状態にあると思う。そうないなら何らかの対策を講ずるが政治の役割だと思うが、今の政治の世界は、彼等自身が搾取する側の既得権者になっていて、そういう社会のすみずみまで見ようとしない。

気象用語でいえば大気が恐ろしく不安定な時代である。大気の下の方がおとなしくて安定していれば、天気は穏やかだけれども、それぞれが団結して主張を始めると強い上昇気流を生んで天気は荒れる。

アメリカで一時あれほどの勢いのあったウォルマートがいま瀕死状態に陥っている。エブリデイロープライスがローコストの従業員に支えられる構図だったのだが、その低賃金の従業員にそっぽを向かれて、顧客サービスが立ち行かなくなった状態にあるようだ。ひずみはそういう形で具体的な形となっていく。

日本では、製造業を支えている派遣労働者などの権利を保障するための労働組合加入を勧めているというニュースが流れている。立場的に不安定で意見を言えなかった人達が、きちんと正当な権利を主張できるようになってくると、これまでの回復傾向を支えた安い労働力の確保が難しくなって、その結果これらの優良とされる企業も非常に不安定な状態になる陥ると思う。