こんばんは、のぞむです。
ひさしぶりにカリンさんから書き込みがありますね。いろいろ大変そうですが、お元気そうでなによりです。
ところで、聖書って聞いた時、世間一般的にはどんなイメージでしょうか?
愛の書? 道徳? それとも奇跡がたくさん出てくる神話的なイメージでしょうか?
あるいは、すでに神さまを信じ、聖書に親しんでおられる方はどんなイメージを持っているでしょうか?
カリンさんの記事を見ていてもそう思うのですが、私は聖書ってとても論理的なイメージがあります。
日曜日には使徒信条の「聖霊によりて宿り、処女マリアより生まれ」というところから「二性一人格」について学びました。
この部分なんかは本当に論理的だなぁと感じます。
二性一人格とは、イエス様が完全に「神」であり、完全に「人」であるということです。
それは、私たち「人間」の罪を贖うためには「人間」である必要があった。
しかし、罪を犯してはならなかったから「人間」ではいけなかった(「人間」は罪を犯すものであるため)。「神」でなければならなかった……。
だから、完全に「神」であり、完全に「人」でなければならなかった、と。
私はこの部分を読むとき、聖書とは闇雲な奇跡を描いた滅茶苦茶な神話ではなく、極めて論理的な書物だなぁ、と思います。奇跡は確かに記録されているのですが、ただ奇跡があるのではなく、そこには計画性と言いますか、明確な意味があるんだなぁ、と感じるのです。
全知全能の神さまのご計画の一端にふれることができる、メッセージを受け取り、すべてではないにしても、神さまの御心を知ることができる。そんな聖書が手元にあるなんて、スゴイことだと思いませんか?
ということで、みなさん、毎日、聖書読みましょう(ディボーションしましょう)ね!!
そして、日曜日に一週間養われたみことばの分かち合いをしましょう!
PS:M牧師、U副牧師、I伝道師、カリン宣教師、もし神学的な解釈とか、メッセージの受け取り方が違ってたら、容赦なく訂正してください。よろしくお願いします!
ひさしぶりにカリンさんから書き込みがありますね。いろいろ大変そうですが、お元気そうでなによりです。
ところで、聖書って聞いた時、世間一般的にはどんなイメージでしょうか?
愛の書? 道徳? それとも奇跡がたくさん出てくる神話的なイメージでしょうか?
あるいは、すでに神さまを信じ、聖書に親しんでおられる方はどんなイメージを持っているでしょうか?
カリンさんの記事を見ていてもそう思うのですが、私は聖書ってとても論理的なイメージがあります。
日曜日には使徒信条の「聖霊によりて宿り、処女マリアより生まれ」というところから「二性一人格」について学びました。
この部分なんかは本当に論理的だなぁと感じます。
二性一人格とは、イエス様が完全に「神」であり、完全に「人」であるということです。
それは、私たち「人間」の罪を贖うためには「人間」である必要があった。
しかし、罪を犯してはならなかったから「人間」ではいけなかった(「人間」は罪を犯すものであるため)。「神」でなければならなかった……。
だから、完全に「神」であり、完全に「人」でなければならなかった、と。
私はこの部分を読むとき、聖書とは闇雲な奇跡を描いた滅茶苦茶な神話ではなく、極めて論理的な書物だなぁ、と思います。奇跡は確かに記録されているのですが、ただ奇跡があるのではなく、そこには計画性と言いますか、明確な意味があるんだなぁ、と感じるのです。
全知全能の神さまのご計画の一端にふれることができる、メッセージを受け取り、すべてではないにしても、神さまの御心を知ることができる。そんな聖書が手元にあるなんて、スゴイことだと思いませんか?
ということで、みなさん、毎日、聖書読みましょう(ディボーションしましょう)ね!!
そして、日曜日に一週間養われたみことばの分かち合いをしましょう!
PS:M牧師、U副牧師、I伝道師、カリン宣教師、もし神学的な解釈とか、メッセージの受け取り方が違ってたら、容赦なく訂正してください。よろしくお願いします!