時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

美食家のつまみ食い

2020年06月13日 | 時のつれづれ・水無月

多摩爺の「時のつれづれ(水無月の8)」
美食家のつまみ食い

レギュラー番組を多く持ち、美食家が売りの有名芸人が・・・ つまみ食いで大炎上してしまった。
コロナ禍で、芸能界の話題が乏しかったワイドショーとスポーツ紙は、
降って湧いた、突っ込みどころ満載のゴシップネタに「待ってました。」と腕をまくり、
人の不幸は蜜の味とばかりに裏取りに走り、各社で口角泡を飛ばして進展予想に持論を展開している。

15歳も年下の清楚な美人を嫁にし、口が肥えた芸人として、
グルメ番組では引く手数多の地位を築き、誰もが羨むような、この世の春を謳歌していた芸人が、
身から出た錆とはいえ、誰一人庇うことができないまま、自粛の道を選ばざる得なくなってしまった。

かつては・・・ 「 芸のためなら女房も泣かす。それがどうした。文句があるか?」なんて
歌が喝采を浴び、毎年暮れに行われる音楽イベントで、大きな賞を取っていた時代もあったが、
ハラスメントとコンプライアンスが常識となったご時世ゆえに、
例え歌であろうと・・・ それは通用しない。

夫婦のことは、夫婦で決めればいいというコメンテーターがいた。
確かに夫婦のことは、夫婦で話し合って決めれば良い。
しかし、彼が関わった仕事には、レギュラー番組の他にCMもあり、
「迷惑かけた。」との一言で済ますことはできず、
企業価値や商品価値の下落に見合う賠償も免れないだろう。

今さらながらだが・・・ 芸人だろうと政治家だろうと、不倫スキャンダルといった類のゴシップは、
居酒屋談義のような、どうでも良い話よりもレベルが落ちる、とっても恥ずかしい話で、
便所の落書き程度の与太話(馬鹿げた話)と云っても・・・ 過言ではない。

しかも、六本木ヒルズの地下にある、障がいを持った方などに向けて設置された、
多目的トイレに女性を呼び出し、ことを済ませた後は、不倫の事実を隠蔽するため、
連絡に使ったLINEの履歴を消させたというから、
開いた口が塞がらず、便所つながりで言えば・・・ 落書きより劣っているかもしれない。

ちょっと可哀そうな気もするが・・・ これからの数日間は、
あることないことに、尾ひれと背びれがついて、いろんなことがボロボロでてくるんだろう。

ただ、厳しい意見が多いことは、百も承知であえて言うが・・・ 彼は犯罪を犯した訳ではない。
何か月か、何年か経って、彼がまたテレビで再スタートをすることがあったとしても、
それは使う側が、彼に対してなんらかの価値を認めたわけで、
外野がとやかく云うものであってはならない。

人間は、完璧じゃないので、時にしくじることもあると思えば・・・ ただ、それだけのことで、
反社会的勢力と付き合いがあった訳でもないので、
彼の実力が認められれば、復帰宣言は案外早いかもしれない。

芸人ということにフォーカスすれば、それぐらい面の皮が厚くないと、
ここまでのし上がってないだろう。

とは云うものの・・・ ただ一つ「当面の間、自粛する。」とした事務所の発表には、
いささか違和感を持っている。
古い人間で恐縮だが、自粛させるではなく・・・ 謹慎させるとしていたら、
この発表には、事務所の意思が強く反映されていて、突っ込みどころのないものだった。

先月だったが、若手グループに所属する人気芸能人が自粛期間中に飲み歩き、
非難を浴びた件についても、所属していた大手の芸能事務所は自粛という言葉を使っていた。
そもそも・・・ 自粛という言葉の意味は、自ら進んで態度を改めることだが、
謹慎という言葉になると、罰であったり、償うという意味を含んで、態度を改めることになってくる。

仮に本人が事務所に相談することなく、誰の力も借りず謝罪文を発表するなら、
謹慎ではなく、自粛という言葉を選択したかったことも、なんとなくだが・・・ 分からんでもない。

自粛という言葉を使った背景には、おそらく悔しさ半分、開き直り半分の心の葛藤があったのだろう。
なんとかならないだろうかと思う、微妙な
蟠(わだかま)りが、
自粛の言葉とともに行間から滲みでている。

残念だが、テレビ画面の向こうにいる、
反省を伝えなくちゃならない人たちへの本気度が伝わってこないのだ。
そう思えば、一人で考えて謝罪文を書くと、直近の出来事に倣って自粛になるのは必然だろう。

しかし、事務所を通して出す謝罪文なら、例えその文面に事務所名が表記されてなくても、
実態としてペナルティを課すことを意味した文書であり、
所属タレントを管理する、事務所の強い意思を出すためにも、
謹慎という言葉を使った方が、誠意が伝わると思うが・・・ どうだろう?

本来、こういったゴシップをネタにするのは好みではないが、
古い人間なんで言葉尻に引っかかってしまった。
言葉を軽く扱って、過ちをさらりとやり過ごそうとしたした対応が、無性に気になってしまった。

言葉尻を捉えたことに、差し障りがあるのでれば、他意がないことだけは申し上げておきたいが、
日本語は、選んだ言葉一つ、その使い方一つで、伝わるものに重みが加わってくる。
老婆心ながら、そこだけは言っておきたかったので、無礼があったとすれば・・・ ご容赦願いたい。

人は言葉と生きてゆく。
そんなCMを、たまに目にするが・・・ そのとおりだと思う。

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