時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

心一つに、真剣勝負の三週間

2020年12月24日 | 時のつれづれ・師走 

多摩爺の「時のつれづれ(師走の9)」
心一つに、真剣勝負の三週間

SNSの普及と拡大は、情報の取得と共有が格段にスピードアップされたものの、
一方で、見えないところから容易に攻撃できたり、
誤った方向への同調圧力を形成することにも繋がっている。

また、SNSの世界で声を発するだけなら、
100人の人がいれば、100通りの考え方があるものの、
人間という生物は、他人の声なのに、どうしても◯かⅩに区分しようとしてしまい、
批判派と賞賛派に分かれて・・・ 勝ち負けや好き嫌いなど、優劣を決めようとしてしまう。
昨今、話題となった飲食店への攻撃や、女性レスラーが不幸にも亡くなったことは、
その最たる事例だろう。

思いだしてほしい・・・ 10年前の2011年のことを、東日本大震災が起こった時のことを、
スマートフォンが、猛烈な勢いで普及し始めてはいたが、
SNSの普及は・・・ いまほどではなかった。

2011年当時、この国は・・・ メディアを通して一つに纏まっていた。
毎日のようにテレビで放映される、SMAPの「世界でひとつの花」を口ずさみ、
ともに励まし絆を確認していた。

1日に何度も放映される、ACジャパンのCM「こだまでしょうか」を見て、
自分自身の存在価値を再確認していた。

当時は、メディアを中心にワンチームになっていたのに、コロナ禍のいま、それが感じられない。
メディアと野党は、ワンチームになることを求めないばかりか、
呼びかけることも、問いかけることもなく、
対策が後手に回ってしまった政府と、行政の事務や、手続きの拙さを批判するとともに、
これでもかと云うぐらいに責め続け、それが、最も正しいことのように同調圧力を募っている。

気持ちは分かる。
気持ちは分かるが、コロナ禍は・・・ 戦火をともなわない有事である。
有事となれば、必然的にワンチームにならなければ、その戦いを勝ち抜くことはできない。

このような状態に陥った時、政府と国民を繋ぐ使命があり、絶大な訴求力を持っているメディアは、
どういった存在であり、どういった対応を求められるのだろうか?

もちろん、かつての大本営の復活を求めているわけではない。
とはいえ、100人が発する100通りの意見を◯かⅩに集約して、
どちらに付くかなんて、分断があって良いとは思えないし、
一方的的に、どちらが正しいなんていう・・・ 同調圧力があってもならない。

メディアには、客観的な視点を持って、政治を監視する使命はあっても、
政治の批判を繰り返すことが・・・ 仕事ではないはずだ。
何度も何度も同様のコメントを投稿して、申し訳ないと思うが、私はそれに尽きると思っている。

大陸の著名な作家は「水に落ちた犬は打て」という諺(ことわざ)を後世に残した。
お隣の半島では、これに習って「川に落ちた犬は(棒で)叩け」とも云われているらしい。
他国の諺などを揶揄するつもりはないが、
昨今の我が国では、為政者が大人数の宴会に出席したことについて、
当事者が詫びを入れているにも拘わらず、1週間経っても、2週間経っても袋叩きを繰り返している。

確かに不真面目であり、不適切な行為だと思うし、政を行う者として批判を受けるのは当然だと思う。
とはいえ、いつまでも執念深く叩くばかりでは・・・ 大陸や半島の発想となんら変わらない。
この国のメディアや野党は、いつから大陸や半島の諺や言い伝えを、見習うようになったのだろうか?

リーダーから強いメッセージがないとの批判が・・・ 大半を占めている。
確かにそうかもしれないが、リーダーや担当大臣が声を発すると、
即座に重箱の隅をつつき、揚げ足を取って批判するのが、この国のメディアである。

リーダーの声が・・・ ないのではない。
なにを発しても、それがあたかもつまらない政策であるかのように批判を展開し、
説得力がない、次の言葉が遅いなどと、さらに追い打ちをかけているのが、この国のメディアである。

また、リーダーに対して、仕事をしろといった声も大きい。
気持ちは分かるが、私から言わせれば・・・ こうなる。
「若者たちよ、呑兵衛や呑み助たちよ、少しは人の声に、耳を傾けたらどうだ!」と、
逆に問いかけたい。


まさか、まさか・・・ コロナ禍の政策を政局にして人心を惑わせ、
政権交代を企んでいるのだとしたら、
それは完全に、国賊といっても過言ではないが、
メディアの報道姿勢が一貫しているだけに、
本気で二度目の政権交代を後押ししているようにも見えてくる。

それで喜ぶのは・・・ 大陸や半島だけだということを、肝に銘じておくことだろう。

もはや週末には、首都圏(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)へ緊急事態宣言がでるかもしれない。
つい10日前までは、GoToを標的にしていた医療業界の幹部たちは、
毎日のようにメディアに登場するようになり、言葉にこそ出さないものの、暗にそれを求めている。

おそらく、政府も来週当たりから、緊急事態宣言を出すか否かについて、
専門家の意見を参考に、逡巡しているのではなかろうか?

もし、緊急事態を宣言するなら、12月28日から1月11日は、タイミング的には申し分ないが、
首都圏で行われる予定のスポーツ(箱根駅伝、天皇杯サッカー、高校サッカーなど)は、
全て中止にせざる得ないだろう。


無観客が公表されてる、紅白歌合戦だって企画変更を求められるかもしれないし、

新春恒例のお笑い番組だって、どうなるか分からない。

いま、新型コロナウイルスに対して、
都民の思いは、感染の回避という一点だけは、一つになっているが、

残念なことに・・・ 心が一つになっていない。

まさに、同床異夢(どうしょういむ)である。

どうしたら異榻同夢(いとうどうむ)、異体同心(いたいどうしん)になれるのだろうか?

気が付かなきゃならないのは、曖昧を是とし、いい加減であることを多としてきた国民性が災いして、
そのころ合い(さじ加減)に迷いが生じ、判断がつかなくなっていることだろう。

いま求められてるのは、与野党がつまらぬ意地を張ることなく、協力を惜しまず、知恵を出し合って、
政府、行政、医療が一丸となり、メディアが国民に呼びかける・・・ ワンチームの再構築である。

政治家が誰と酒を飲もうと、桜を見る会がどうであろうと、学術会議がどうなろうと、
そんなものは人の命と比べたら、どちらが重いか分かるだろう、後回ししてもなんら問題なく、
1年以内に確実に行われる総選挙で・・・ 決着をつければ良いと思っている。
くだらないとまでは言わないが、その程度のことを国会で議論し、
時間を無駄するのは愚の骨頂ではなかろうか?


東京都医師会のトップは、勝負の三週間を皮肉って、真剣勝負の三週間(ステイホーム)を求めた。
厭味は好まないが・・・ 全く持って異論はない。
けっして、難しいことを求められているわけじゃない。
改めて、心を一つにしなければと誓う。

追伸
併せて、特措法の改正など短期的な視点も大事だが、中長期的な視点では、今夏に記したことがあるが
この国の統治機構などに関する、仕組みのあり方(道州制やベーシックインカム)についても、
そろそろ議論を始めて・・・ 良いんじゃないかと思っている。

ボツになってしまった大阪都構想が、まさに道州制(目に見える形の地方分権)の一歩だった。
残念ながら、大阪市は情を優先して変化を求めず、将来のことより、目先をことを選択してしまった。
コロナ禍に学べば、この国の統治機構は、いったいどうあるべきなんだろうか?
そろそろ国を挙げて、議論すべきタイミングに来ていると思う。


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