時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

ビギナーズラック

2020年12月28日 | 時のつれづれ・師走 

多摩爺の「時のつれづれ(師走の11)」
ビギナーズラック

日曜日の昼下がり、なにもすることがないとき、暇つぶしでよく見てるのが「スーパー競馬」である。
上京した時からずっと見てるので・・・ かつて、競馬の神様と云われた、
故・大川慶次郎さんの顔も、声も、解説も・・・ 不思議なぐらいよく覚えている。

都心に住んでた当時、天皇賞やダービー、
さらには有馬記念やジャパンカップなどのビックレースがあると、
後楽園のウインズ(場外馬券場)まで、数千円を握りしめて自転車を飛ばし、
夢を託していたことが何度かあった。

そのなかでも、忘れられない思い出になっているのは・・・ 記憶が確かなら、
今年と同じ、12月27日に中山競馬場で行われた、
昭和62年(1987)のグランプリ・有馬記念だった。

翌日の月曜日が年末最後の出勤で、昼休みに新橋のウインズまで当たり馬券を換金に行ったので、
日付の記憶は・・・ おそらく間違ってはないと思う。

この年は・・・ 自分でもびっくりするぐらいというか、恐ろしいぐらいに当たりまくっていた。
基本的にはG1レースしか買わなかったが、
この年最初に勝った馬券は、4月に行われた皐月賞だった。

土曜出勤のお昼休み、職場の先輩が前売りの馬券を買いに行くというのでついて行き、
私の誕生日(8月3日)に因み、枠連の3-8を買ったら大当たり、
1,000円の馬券が50,500円になった。

当時は、いまのように馬連や馬単、ワイド、さらには3連複や3連単などの馬券は売ってなく、
単勝と複勝に、枠連の3種類しか馬券はなかったが、
多くの投資家(勝負師)たちは、ウインズの周辺で人だかりを作っている、
予想屋さんたちの名調子に足を止め、聞き耳を立てながら、枠連に勝負をかけて一攫千金を狙ってた。

4月29日の天皇賞も的中させると、次は競走馬が一生に一度しか挑戦できない、
競馬の最高峰の日本ダービー
この時はちょっと迷ったが、皐月賞に味を占め、お誕生日馬券の3-8と、なんの根拠もなかったが、
日付に(5月31日)因んで、1-3、1-5、3-5を加えて4点買ったら、
1-3が大当たりとなり6,280円、
この時は500円ずつの勝負だったが31,400円になった。

クラシックレース三冠最後の菊花賞では、
皐月賞とダービーでお世話になった4頭を買うことに決めていた。
皐月賞1着のサクラスターオーと、ダービー2着のサニースワローが同じ5枠で、
ダービー1着のメリーナイスが8枠で、皐月賞2着のゴールドシチーが1枠だったから、
1-5、1-8、5-8、5-5の4点勝負、
既に儲けさせてもらってたので思い切って1,000ずつ勝負したら、
皐月賞の1着2着がそのまま来て1,740円の大当たり、
4,000円の馬券が17,400円になった。

この年は、馬券でクラシック三冠制覇を達成したうえに、
春秋の天皇賞も取っていたので・・・ 信じられないというか、恐ろしいほどツキまくっていた。
ていうか・・・ ◯◯テイオーとか、◯◯エンペラーなんて馬が出てるんだから、
天皇賞で、それを外して買う勇気がなかっただけであって・・・ 多分に運も味方していた。

その勢いで迎えたのが、暮れのグランプリ・有馬記念だった。
私の勝負は、もちろん菊花賞で勝負した4頭だったが、
サニースワローとゴールドシチーは出走してなかったので、
3枠サクラスターオーと7枠メリーナイスの3-7に期待し、3,000円を1点で勝負しようと、
枠順が発表されると、すぐに決めていた。

12月27日、朝めしを食ってると、女房が「有馬買うんでしょ。」というので、
「お昼前に行ってくる。」と返すと、「私も買う。」というから、スポーツ新聞を見せてやった。

女房が検討していたのは、約5分ぐらいだったと思う。
なにを見て検討していたのか、その時はそこんとこを聞かなかったので、理由は分からなかったが、
突然「1-1と4-4を200円ずつ」と言って、財布から400円を出して来た。

そして、3時30分ごろ、ファンファーレが鳴りゲートが開くと
私の目に、いきなり飛び込んできたのは、ダービー馬のメリーナイスの落馬シーン
「あちゃぁぁ・・・ 」てなことになると、
今度は第4コーナーで二冠馬のサクラスターオーが故障して競争中止
枠連だから、同枠にもう1頭いるんだが・・・ もはや、なにがなんだか分からなくなっていた。

競馬は、秋の天皇賞を2着したレジェンドテイオーが軽快に逃げて、
第4コーナーを回り最後の直線に入っていた。

逃げるレジェンドテイオーに襲い掛かってきたのは・・・ なんとなんと、女房が買ってる1枠の2頭
思わず「え゛ぇぇ・・・ 」と、私が声を挙げたら、
今度は内と外から4枠2頭が強烈な差し脚で追い込んできた。
今度は「あ゛ぁぁ・・・ 」と、女房がの絶叫する。

外から凄い脚で伸びてきた4枠の「メジロデュレン」が1着になったのは確認できだが、
2着は1枠の「ハシケンエルド」か、
それとも最内から猛然と差してきた4枠の「ユーワジェームス」か、
「ユーワジェームス」のゼッケンと帽子の色が確認し辛かったので、
外れたと思ってた女房は、がっくりきてたが、
長い写真判定の末、掲示板に表示されたのは・・・ なんと、4枠の「ユーワジェームス」だった。

この結果、馬券は枠連4-4となり、16,300円の万馬券
女房は、持ってた100円玉4枚の馬券が、32,600円になったんだから、
もう、飛び上がらんばかりの大興奮で・・・ 二日遅れのクリスマスプレゼントになった。

ここで初めて「なんで、1-1と4-4だったの?」
と聞いたら、
1-1は、もうじきお正月だから、縁起を担いで決めたといい、
4-4は、馬の名前の頭一文字が「ユメ(夢)」だったから、というではないか。

確かに、1着になった4枠7番の「メジロデュレン」の「メ」と、
2着に入った4枠8番「ユーワジェームス」の「ユ」を、
出走馬が縦書きで、右並びになってる、スポーツ新聞の出馬表を見てみると、
4枠に入った2頭の頭一文字を、左から横に読めば「ユメ(夢)」になっていた。

「そうか、その手があったか?」と、感心する私の横で、してやったりの女房はドヤ顔
初めて買った馬券が万馬券だから、ビギナーズラックとはいえ・・・ いやはや、お見事である。

翌日、換金して家に戻ると、女房は30,000円だけ取って、
2,600円は手数料ということで私にくれた。
あと10,000円くれとねだったが・・・ 「当てたのは私だから」とピシャリ
例え夫婦であろうと、勝負の世界には厳しいものがある。

馬券が当たりに当たりまくった、昭和62年から約15年(50歳の手前まで)ぐらいは、
競馬にのめり込むというほどではなかったものの、競馬というか馬券の買い方を真面目に勉強し、
さまざまな攻略本などを読んだりして、論理的に馬券を予想したものの、勝つことは稀で負けっ放し
あの年のツキまくりは、いったいなんだったのだろうか?

いまじゃ・・・ ダービーだろうと、天皇賞だろうと、有馬記念だろうと、
ウインズに出かけることはなくなったのに、
テレビ中継だけは、毎週見てるんだから・・・ 本当に懲りない男である。

女房いわく・・・ 昭和29年生まれは、「午年(うまどし)」生まれだから、
「競馬好きは、死ぬまで治らない。」らしい。

気を使って、遠まわしに言ってくれたんだと察するが、
「バカは、死ななきゃ治らない。」と同レベルだということぐらいは、私にも分かる。
嫌味じゃなさそうだから、気にしないけど、核心をついてるだけに返す言葉がみつからない。

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2 コメント

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初めて知りました。 (yamaguti2520)
2020-12-29 21:18:11
馬券は、買いませんが馬は好きです。走っている時の一生懸命さが好きです。あと目ですね!澄み切ったあの目がとてもすきですね~
今年も、あと少しですね。色々教えていただいてありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
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ありがとうございました。 (多摩爺)
2020-12-30 05:31:28
yamaguti2520さん
丁寧なご挨拶をいただき恐縮です。
大変な一年でしたが、お互いに健康には十分配意して、新しい年を迎えましょう。
来年もよろしくお願いします。
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