時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

人事と選挙は違う。

2021年02月20日 | 時のつれづれ・如月 

多摩爺の「時のつれづれ(如月の11)」
人事と選挙は違う。

失言により失職せざる得なかった、
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長の後任が決定した。

個人的には谷垣さんがイチオシだったが、
まぁ、落ち着くところに、上手くソフトランディングしたと思う。
それにつけても、今回ほど人事の透明性を問う声が多く上がったことはなかった。

失言で失職せざる得なかった前任が、後任の人事に口出しすることはもっての外だが、
どんな人たちが、どんな基準で、どんな意見を交わし、
どういった妥協点を見出し・・・ だれを選んだのか?
それをオープンにしろというのは、
いかにも正論のように聞こえるが、そんなことができるわけがない。

選考にあたっては、基準に添っていたとしても、選考委員それぞれに思惑や、しがらみがあり、
候補者に挙げられる人は、選考委員の背景により・・・ 微妙にズレが生じてしまう。
それをオープンにしたら・・・ いったい、どうなるんだろうか?

納得できるような候補者が絞られれば良いが、
同レベルの候補者が複数名いれば、いったいどうなるだろうか?
選考で選ばれた人のみならず、選んだ人までもが、賞賛と批判に二分されてしまい

それぞれに同調圧力が働き、炎上することもあるだろうし、
悪乗りしたメディアが火に油を注ぎ
、延々と不毛の議論を繰り返すことにならないだろうか?

酔っぱらいの発言ではなく、差別に対して敏感になるべき立場の職位であり、
その後任について、開かれた場で議論してほしいという気持ちは分かる。

とは云うものの・・・ 開かれた場というものは、
第三者を入れて、議論の一言一句を皆が知らなきゃいけないものだろうか?
どうでも良い人じゃ拙いと思うが、
理想と建て前だけがどんどん大きくなって、聖人君子を求めていないだろうか?
メディアやネットに煽られて、騒ぎすぎてはいないだろうか?

もう半年も前のことになるが、日本学術会議の候補者選びのときもそうだった。
推薦された候補者が、絶対に必要だということを、
メディアや野党から連日のように、頭にすりこまれ、
組織の実態を見ることなく、やみくもに「けしからん。」とする批判に、多くの国民が同調していた。

しかし・・・ 広義の意味でも、軍事研究を行わない組織だと知り、
その結果が、昨今のワクチン開発(生物化学兵器対策)の遅れに、
大なり小なりの影響を与えていたと知ると、途端にその話題は雲散霧消してしまった。

もし、学術会議メンバーがオープンになった場で、政府の承認を得ることなく、
投票権を持つ委員だけの選挙で、選ばれる仕組みだったらどうなっていただろうか?
この国の科学技術は、偏った思想に支配されるとまでは云わないものの、
騒ぎ立ててる方々の背景を見ると、それに近い状態に陥ってしまう可能性は高いと云わざる得ない。

ハッキリ言うと、日本学術会議の会員候補は密室で選ばれている。
そして・・・ それを総理に、黙認しろと迫っている。
明らかに密室人事だが・・・ これについて、メディアや野党はなにも云わない。

なんでもかんでもオープンにすることを求めるなら・・・ 選挙をすればいい。
面白いのは、会社組織の人事はオープンではないが、
組合組織の人事は、選挙で選ばれた者が、それぞれの役職を任命する間接的な任命制度だ。

選挙と人事が、決定的に違うところは・・・ いったい、なんなんだ?
それは、妥協の産物であるか否かではなかろうか。

会長に次ぐ役職にある副会長と事務局長が、さまざまな方面にバランスを取った理事から数名選び、
人事会議を開いて、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長の後任は選ばれている。

選ばれた人が、気にいらないと言うのなら分かるが、
選ばれる手法が、気にいらないと言うのは、妥協を排除して混乱を作り出し、
東京2020そのものを阻止したい人たちの、屁理屈以外のなにものでもないと思うがどうだろう?

国民の声というものは、尊いものだと思う。
そんなことは分かっちゃいるが、直接参画することができず、一票を投じることができない、
組織の人事というものは、その組織の良識に、白紙委任していることであって、
その組織に、看過できない不正や、不誠実が行動がない限り、
騒ぐこと自体がナンセンスなんだと思う。

どうしても・・・ 徹底的な透明性を求めるなら「選挙をせよ!」と行動を起こすことしかないが、
それが無理なことを承知しているにも拘わらず、ただやみくもに文句だけを言い続け、
混乱することを、楽しんているようにしか見えてこない。

そもそも・・・ 選挙と人事は違うのだ。
選挙は、オープンというか、監視下のもとで行われるが、
人事は、特定のメンバーが集って密室(失礼、会議室だ。)で行われるものである。

いったい・・・ なにが間違っているというのだろうか?
そして結果は、大山鳴動して鼠一匹ではないか。

いかに寒い時季とは云え、メディアやネットによって巷にばら撒かれ、
無理を承知で追及する野党の国会質疑など、
混乱を意図とした、まやかしウイルスに、いとも簡単に罹患し、高熱にうなされ過ぎである。
もう少し、賢くならねばならないと思うが・・・ どうだろう?

コメント (2)    この記事についてブログを書く
« 海峡物語 門司港レトロ | トップ | 老後は計画経済 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Toshiが行く)
2021-02-20 12:50:07
まったく同感です。
他に言うことは一言もありません。
返信する
Unknown (多摩爺)
2021-02-20 13:23:31
Toshiが行くさま
コメントを頂戴しありがとうございました。

前任者の放言はアウトですが、後任人事についてこれほど騒ぐとは
この国って・・・ つくづく平和なんだと思います。
返信する

コメントを投稿

時のつれづれ・如月 」カテゴリの最新記事