時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

映像が浮かんでくる追悼演説

2022年10月26日 | 時のつれづれ・神無月

多摩爺の「時のつれづれ(神無月の34)」
映像が浮かんでくる追悼演説

昨日(25日)の衆議院本会議で行われた、野田元総理から安倍元総理へ向けての追悼演説は、
密談などの秘話などが織り込まれ、目の前に映像が浮かんでくるような臨場感に溢れ、
先の国葬で追悼の辞を読んだ、菅元総理の弔辞に勝るとも劣らない、
心の琴線に触れる・・・ 名演説だったと思う。

それにつけても・・・ NHKにも都合があるのは分らんでもないが、 
なぜ、テレビでライブ中継されなかったのだろうか?

民放に至っては、野田元総理の追悼演説は、
政治と宗教に関する答弁に窮して、昨日大臣を辞した議員への追及をよりも、扱いが下なんだから、
政治は休むことなく、日々前に向けて動いていることは理解しているものの、
凶弾に倒れた元総理に向けて、国会で行われる追悼演説って、その程度のレベルなんだろうか。

年金暮らしで、時間を持て余している暇な老人は、
テレビ中継に期待していただけに・・・ 残念で堪らなかった。

下記に、ネットでひろった、野田元総理の追悼演説(全文)を記させてもらうが、
随所に琴線に響く一節があったので・・・ 二つだけ記しておきたい。

一つ目は・・・ 「長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、
歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。」という一節であり、

二つ目は・・・ 「国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、
あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、
言葉の限りを尽くして問い続けたい・・・ 問い続けなければならないのです。」という一節だった。

言わずもがになるが・・・ 安倍元総理が残した実績には、光の部分もあれば、影の部分もあった。
その光と影について、野田元総理は、あれはあれ、これはこれといった捉え方ではなく、
歴史の法廷に立ち続ける運命(さだめ)があると説いたことに、
野田元総理の、思慮深い人間性が滲み出ていた。

ひと言で言うなら・・・ 天下国家の政を司る為政者は、その任期が長い短いに関係なく、
常に歴史の法廷に立つ責務を負い、都度都度その判断を仰ぐ覚悟を持って、
その職に就かねばならないということではなかろうか?

また、「この場に集う同僚議員たちとともに」との言葉を使って、
全ての国会議員に向けて、その覚悟を持って政にあたれと、
訴えているようにも捉えることができ、
行間に秘められた、文字に起こされてない言葉があったと思う。

YouTubeに映像があったので、後から演説を聴いたんだが、
一節、一節に映像が浮かび上がってくるような、魂の演説だったと感銘を受けた。

残念ながらライブ中継がなかったことから、今後大きく取り上げられることはないだろうが、
心に残る名演説だったことは、記憶にとどめておかねばならない。

野田元総理は・・・ 1年と数ヶ月、総理の椅子に座られていたものの、
民主党政権時の、負の部分を引き継いだ、敗戦処理の役目を担われたとのイメージが強かったが、
昨日の追悼演説で、そのイメージが一変したことだけは、
強調して、記しておかねばならないだろう。

それにつけても・・・ 国葬への出席を、嫌みなパフォーマンスで拒否した野党の議員たちは、
野田元総理の追悼演説を、いったいどのような思いで聴いていたのだろうか?
彼らにとっては、もはやどうでも良いことなのかもしれないが、
そこんとこを取材し、報道したメディがなかったことが・・・ 残念で堪らない。


立憲民主党・最高顧問 野田佳彦元総理の追悼演説(全文)

本院議員、安倍晋三 元内閣総理大臣は、去る7月8日、
参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。

搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、
あなたは不帰の客となられました。
享年67歳、あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事、次の世代へと伝えたかった想い、
そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずであった穏やかな日々、
すべては、一瞬にして奪われました。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。
人々の暮らしや命がかかっています。
マイクを握り、日本の未来について前を向いて訴えている時に、
後ろから襲われた無念さは、いかばかりであったか、
改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。
しかしながら、私は前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

我が国の憲政史には、101代、64名の内閣総理大臣が名を連ねます。
先人たちが味わってきた、重圧と孤独を我が身に体したことのある一人として、
あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい。

そうした一念のもとに、ここに皆様のご賛同を得て、
議員一同を代表し・・・ 謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん、あなたは昭和29年9月、
後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の二男として、東京都に生まれました。
父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。
「幼い頃から身近に政治がある。」という環境の下、
公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、
外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。

そして、父・晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、
見事に初陣を飾られました・・・ 38歳の青年政治家の誕生であります。

私も同期当選です。
初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、
ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。
そこには、フラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。

私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。
その後のあなたが政治家としての階段を、
またたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

内閣官房副長官として、北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、
自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、
あなたは平成18年9月・・・ 第90代の内閣総理大臣に就任されました。

戦後生まれで初・・・ 齢(よわい)52、最年少でした。
大きな期待を受けて船出した、第一次安倍政権でしたが、
翌年9月、あなたは激務が続く中で持病を悪化させ、一年あまりで退陣を余儀なくされました。

順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。
「もう二度と、政治的に立ち上がれないのではないか。」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。
しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。

最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、
思いを寄せる雨天の友たちや、地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、
反省点を日々ノートに書きとめ・・・ 捲土重来を期します。

挫折から学ぶ力とどん底から這い上がっていく執念で、
あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、
たとえ失敗しても、何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、
その言葉を自ら実践してみせました。
ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。

あなたは「諦めない。失敗を恐れない。」ということを説得力もって語れる政治家でした。
若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。
その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

5年の雌伏を経て平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、
当時内閣総理大臣の職にあった私と、以降国会で対峙することとなります。
最も鮮烈な印象を残すのは・・・ 平成24年11月14日の党首討論でした。

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。
あなたの少し驚いたような表情・・・ その後の丁々発止
それら一瞬一瞬を、決して忘れることができません。

それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるものすべてを賭けた、
火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん、あなたは、いつの時も手強い論敵でした。
いや、私にとっては・・・ 仇のような政敵でした。
攻守を代えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、
本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。
張り詰めた緊張感、激しくぶつかり合う言葉と言葉、それは一対一の「果たし合い」の場でした。

激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。
残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん、あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、
国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。
それは忘れもしない、平成24年12月26日のことです。

解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居であなたの親任式に前総理として立ち会いました。
同じ党内での引継であれば、談笑が絶えないであろう控室は、
勝者と敗者の二人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。

その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。
あなたは私のすぐ隣に歩み寄り「お疲れ様でした。」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ。あのねじれ国会でよく頑張り抜きましたね。
 自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ。」
温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私を、
ひたすらに慰め・・・ 励まそうとしてくれるのです。

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。
残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。

でも、今なら分かる気がします。
安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを、
第一次政権の終わりに、失意の中であなたは入院先の慶応病院から傷ついた心と体に、
まさに鞭打って・・・ 福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。

わずか一年で辞任を余儀なくされたことは、
誇り高い政治家にとって、耐え難い屈辱であったはずです。
あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、
思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、
どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん、
あなたには、謝らなければならないことがあります。
それは、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ。」
私はあろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、
聴衆の前で・・・ そんな言葉を口走ってしまいました。

他人の身体的な特徴や、病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。
語るも恥ずかしい・・・ 大失言です。
謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。
いま改めて、天上のあなたに・・・ 深く、深くお詫びを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8ヶ月あまり、
内閣総理大臣の職責を果たし続けました。
あなたの仕事がどれだけの激務であったか・・・ 私には、よく分かります。

分刻みのスケジュール、海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積、
その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。
容赦ない批判の言葉の刃を投げつけられます。
在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。

第一次政権から数え、通算在職日数3,188日
延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1,187回
最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、
日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すべきは、
あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と、親密な関係を取り結んだことです。

理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。
かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、
ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

あなたに日米同盟こそ、日本外交の基軸であるという確信がなければ、
こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。

ただ、それだけではなかった。
あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん、あなたが後任の内閣総理大臣となってから、
一度だけ、総理公邸の一室で、密かにお会いしたことがありましたね。
平成29年1月20日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、
あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり語らいました。
お互いの立場は大きく異なりましたが、
腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、
立法府の総意を作るべきだ。」という点で・・・ 意見が一致したのです。

国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、
国会で各党が関与した形で協議を進める。
それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、
合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む、
冷静沈着なリアリストとして・・・ 柔軟な一面を併せ持っておられました。

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、
天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。
立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見出せるのではないか。
以来、私はそうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎萼堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を、
五・一五事件の凶弾で喪いました。
失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。
「人生の本舞台は常に将来に向けて在り。」

安倍さん。 あなたの政治人生の本舞台は、
まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。
再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、
火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。
耐え難き寂莫(せきばく)の念だけが、胸を締め付けます。
この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。

どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、
あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙(くうげき)となってとどまり続けています。

その上で、申し上げたい。
長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、
歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

安倍晋三とはいったい・・・ 何者であったのか。
あなたがこの国に遺したものは何だったのか。
そうした「問い」だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。
その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを問い続けたい。
国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、
あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、
言葉の限りを尽くして問い続けたい・・・ 問い続けなければならないのです。

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。
暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。
あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは言論の力を頼りに、
不完全かもしれない民主主義を、少しでもよりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。

最後に、議員各位に訴えます。
政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。

暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。
民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。
真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、
民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。

こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ、
私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である・・・  私はそう信じます。
この国のために重圧と孤独を長く背負い、
人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三元内閣総理大臣

闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、
私の追悼の言葉に代えさせていただきます。
安倍さん・・・ どうか安らかにお眠りください。

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8 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2022-10-26 05:40:28
良い演説でしたね。

お陰様で野田佳彦元総理のことも見直せました。

ありがとうございました。
Unknown (多摩爺)
2022-10-26 06:22:48
水仙さん、おはようございます。

仰るとおり、素晴らしい演説でした。
政党のイメージはさておき、野田さんのイメージが一変した方は多かったと思います。
ありがとうございます (kazsp)
2022-10-26 11:29:02
普段TVを見ない上に中継もなかったとのことでは
私には目にする機会がなかったと思われる全文文字起こし感謝です。
野田さんは民主党というバイアスで否定されることもある方ですが
とても真摯なお気持ちが伝わりますね。
おはようございます。 (アリス)
2022-10-26 11:54:57
今日の投稿は非常に素晴らしい内容で感激です。
野田さんは実に人間味は触れる方ですね。
それを綺麗な文章で纏め上げた投稿も素晴らしいです。
ちょっと気分が良くなった朝です。
どうも有難うございました。
Unknown (多摩爺)
2022-10-26 12:01:58
kazspさん、こんにちは

お役に立ててなによりです。
今朝のワイドショーで、けっこう詳しく取り上げていたので、安堵した次第です。
Unknown (多摩爺)
2022-10-26 12:07:37
アリスさん、こんにちは

野田さんは、まだまだひな壇のお飾りになるような為政者ではないと思いました。
拙い文章で恥ずかしいのですが、時事放談ならぬ、爺放談で、ボケ防止に努めようと思っています。
Unknown (力丸ママ)
2022-10-26 21:47:17
心がこもった追悼演説でした。
国葬の時の菅元首相も涙が出ました。
Unknown (多摩爺)
2022-10-27 06:26:33
力丸ママさん、おはようございます。

素晴らしい演説でしたが、
その後、同党の代表代行がヒステリックな質問をしていたようで・・・ テレビで見てガッカリでした。
野党の優先順位と、国民の優先順位は違うってことを認識して欲しいと思いました。

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