時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

虫の目、鳥の目、魚の目

2024年02月28日 | 時のつれづれ・如月 

多摩爺の「時のつれづれ(如月の43)」
虫の目、鳥の目、魚の目

この国は民主主義の国であり、共産主義や覇権主義の国ではないので。
法律に触れない限り・・・ なにを喋っても「言論の自由」が認められており、
御用の筋から「ちょっと来て。」なんて、お呼びがかかることはまずもってあり得ない。

ただ一つ・・・ 難儀なことがあるとすれば、
共産主義や覇権主義の国家では1か0の絶対主義だから、異論があっても公に発すると封殺されるが、
民主主義の国家では51対49といった、際どい採決でも決まってしまう多数決主義だから、
少数意見を尊重するとはいえ・・・ 残念ながら、尊重されることは、まずもってあり得ない。

政策を捉える視点が違うだけで、異論や反論を封じることがあってはダメだと思うが、
一方で視点が違う案件は、どこまで行っても平行線を辿り、けっして交わらないことから、
民主主義では多数決に解を求めているが・・・ そこに異論や反論を持つ方々は、
一度決まったことであっても、認めることはなく、事ある毎に堂々めぐりを繰り返している。

所謂・・・ 憲法によって定められた「言論の自由」を錦の御旗に掲げて、
政府がどのような政策を提案しても、どのような答弁や説明をしても、
なんでも反対という立ち位置に陣取り、
弁の立つ抵抗勢力として、メディアを巧みに使って世論に訴え続けているのである。

では、その視点の違いとは・・・ いったい、どんなものがあるのだろうか?
自分の考えと違う方々の声を、否定するつもりはさらさらないものの、
最近、ちょっとだけ気になった案件があったので・・・ 個人的な思いを記してみたい。

それは今年の元日に、大地震に襲われてしまった石川県で、
来年度の予算案に「大阪・関西万博を見据えた国際文化交流の推進」のための経費として、
1,000万円が計上されたことが報じられると・・・ 即座にネット反応し、ざわつき始めた。

その声の多くは「災害に役立てて欲しいとして寄付したのに、無駄になってしまった。」とか、
「いまは全ての資源を、被災者支援と復興に注ぎ込むべきだ。」との声に集約され、
「県民の怒り爆発」といったワードが、トレンド入りしたのである。

ここで気をつけねばならないことは、ネットの声は往々にして、
事の本質はさておいて・・・ 感情(声の大きさ)に引きずれらることであるので、
まずは虫の目、鳥の目、魚の目で捉えると良いのではなかろうか?

様々な角度から複眼的に見つつ、喫緊の課題に集中する・・・ 虫の目で見るとどうなのか?
高いところから俯瞰的に全体を見てバランスを調整する・・・ 鳥の目で見るとどうなのか?
時の流れに惑わされず、先を読み次への着手を怠らない・・・ 魚の目で見るとどうなのか?

もちろん、裏金や不正な蓄財に関与してないことが大前提ではあるが、
為政者ならば・・・ 先に述べた三つの目で、常日頃から政治活動をしているはずであり、
なにもかも、全てが完璧とは思わないものの、
まずは性善説で、情報を見極めることが肝要ではなかろうか?

ネットをざわつかせたコメントは、虫の目で捉えた感情的なコメントが多かったように思うが、
知事の発言によると、関係する政党とのことについては、余分なコメントだと思うものの、
1,000万円の予算案については、鳥の目と魚の目で捉えており・・・ 当然と言えば当然だが、
予算額の多寡に関係なく、このようなタイミング(非常事態)であっても、
そういった案件を見落とさなかったことは、きっと良いスタッフに恵まれているんだと思った。

虫の目、鳥の目、魚の目の関連性について、分かり易い事例を挙げるとすれば、
もう20年以上も前のことになるが・・・ 小泉元総理が、所信表明演説で引用した、
長岡藩士の小林虎三郎が、藩士に向けて説いたとされる、
「米百俵」の精神に関する故事が分かり易いと思う。

戊辰戦争によって荒廃した長岡藩(新潟)の窮状を察して、他藩より寄贈された米百俵について、
分配を求める藩士が多く居たなか・・・ 小林虎三郎が説いた内容は、
「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。
 食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ。」との教育第一主義だった。

小林虎三郎は、米百俵の売却益を元手に、学校の開校に必要な書籍や、器具などを購入し、
開校にあたっては、藩士の子弟のみならず、
農民や町民の子供たちにも、学問の門戸を開いたとの故事である。

これこそが、為政者が持たねばならない視点であって、
虫の目(即断即決力)、鳥の目(バランス感覚)、魚の目(先見力)の関連性を操り、
如何に企画し、如何に執行し、如何なる結果を残すか、
いままさに、それがこの国の為政者に問われていると思うが・・・ 如何なものだろうか?

この国には「言論の自由」があり、
法律に触れてなければ、どこでなにを言っても、お咎めのない国ではあるが、
為政者がなにか物申すと、反射的に反応して、異論や反論の声を挙げる方々が多いのも現実である。

それもまた「言論の自由」であって、民主主義の宿命だと理解はしているものの、
虫の目、鳥の目、魚の目で見てみたら、いったいなにが見えてくるのか、
要らぬお世話ではあるが・・・ きっと新しい発見があるのではなかろうか?

異論や反論をネットに上げて、物申すのは自由だし、けっして否定するものではないが、
老婆心ながら、こういった視点があることを、知っておいても損はないだろう。

なお、本件はあくまでも個人的な思いであって、
コメントを頂戴しても、議論するつもりはないので、ご理解を願えればありがたい。


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