時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

感染対策と政治決断の狭間で

2021年04月24日 | 時のつれづれ・卯月 

多摩爺の「時のつれづれ(卯月の21)」
感染対策と政治決断の狭間で(三度目の緊急事態宣言)

新型コロナウイルスの変異種が大都市圏を中心に蔓延し、
まん延防止等重点措置では歯止めが効かないこともあって、
東京都、大阪府、京都府、兵庫県の4都府県に、明日(25日)から緊急事態宣言が発令され、
飲食店での酒類の提供自粛や、大規模店舗では生活に直結した物を除いて、
営業の自粛が求められることになった。

昨春から三度目となる緊急事態宣言、メディアや巷では遅すぎると言った声が大半だが、
はたしてそうなのだろうか?
二度目の緊急事態宣言や、感染地域をピンポイントに絞ったまん延防止等重点措置をみれば、
得体の知れぬウイルスに、ビビりまくった最初の緊急事態宣言とは、明らかに違うことが見えてくる。

最初の緊急事態宣言で学んだ、極めて真面目な大半の国民は、
注意喚起されている対策を守って外出や飲食を楽しみ、
学ぶことができない不真面目な一部の国民は、
注意喚起などに見向きもせず、外出や飲食に呆けている。

早い話が・・・ 宣言が早かろうが、遅かろうが結果は同じで、
私のようにビビってる一部の国民を除いて、
ほとんどの国民は、為政者の声に耳を傾けることなく、自らの意思で行動をしている。

よって、政治決断が遅いと言った多くの声は、誰か(為政者)をスケープゴートに祀り上げないと、
イライラ感の持って行き場がないだけであって、
多くの国民が自縄自縛に陥っていると思うがどうだろう?

メディアにマイクを向けられると、知ったげに政策を批判しながら、
路上や公園で飲酒し、大声で騒ぎ、お上に行動を制限されることを批判しながらも、
自らの行動は「どうぞ、制限してください。」と言ってるようなもんだから、
こういった展開は・・・ さもありなんではなかろうか?

蔓延の引き金を引いた多くが、社会人経験が乏しい若者だったり、
ストレスが溜まることに責任転嫁し、周囲を顧みない現役世代だということに注目すると、
緊急事態宣言によって投入される財政出動は、結果的には巡り巡って、
自分たちの世代が増やした税として、負担せねばならないことを自覚しているのか、
心配にすらなってくる。

年寄りが負担するであろう税は、約2~30年だが、
騒ぎまくった若者たちは、ゆうに半世紀を超えるのではなかろうか?
その間によほどの経済成長か、デジタル化などによる大きな変革がない限り、
そのツケは極めて大きい。

そして・・・ 今回三度目となった緊急事態宣言で、
特に気になって仕方ない、異常と思われることにも触れておきたい。
それは、毎日のようにメディアに露出している医療関係者の昨今の発言にある。
三密回避や、マスク、うがい、手洗いなどの感染対策や、ワクチン情報などについて、
能弁に説明することはありがたく、感謝せねばならないのだが、
もはやその声は、誰の耳にも響かなくなっている。

すると、彼ら(医療関係者)は、異口同音に為政者からの強いメッセージと、
思い切った決断と行動を求め、
挙句の果てに、酒類など提供する飲食店等に対して時短や休業を要請し、
補償をしろと言いだす始末である。

百歩譲って、感染源となる可能性が高い飲食店に時短や休業を要請するのは広義で捉えて多としても、
「補償しろ。」は・・・ 明らかに専門分野から逸脱した越権行為であり、
政治への責任転嫁であり、自己防衛でしかない。

元市長や、元知事が、様々な場面で突っ込みを入れる場面をよく見かけるが、
彼らは視聴者の疑問の代弁者であるものの、感染対策へ私見を述べることはなく、
政策について、自らの経験と知見からコメントをしているだけである。

だが、メディアへの露出が多い医療関係の先生がたの大半は、
コメントの多くが政策への私見に終始している。

あなた方は、いつから政治コメンテーターになったのか・・・  改めて、それを問いたい。
有事ともいえるこの事態に、医療関係者であり、感染症の専門家という立場の方々が、
政治の素人であるにも拘わらず、政策に注文を付けると、だれもそれに反論することはできない。

それで・・・ 良いんだろうか?
いまのままでは、政治の素人の声が世論を形成し、
膨大な借金(財政出動)を作ってしまうかもしれない。

命と借金と、どちらが大事かと問われれば・・・ その解は、間違いなく命だが、
その判断は、医療関係者がすべきではないし、
ましてやワイドショーのMCや、コメンテーターがすべきでもない。
それこそが為政者の仕事であり・・・ 責任である。

この国の法律では、ロックダウンといった強権発動をすることはできない。
そこんとこを知った上で、無責任なワイドショーのMCや、コメンテーターたちは、
緊急事態宣言のような、私権制限に近い対策を取ると、
権力の乱用だとか、民主主義の危機だとか叫び大騒ぎを始める。
いったい何が云いたいのか、どうすればいいのか・・・ 支離滅裂である。

だれも言わないが・・・ 大事なことが忘れ去られている。
緊急事態宣言の発令には、左派系の野党だって批判はするが、反対はしてないのだ。

むしろ、もっと早くやれと言ってたぐらいで、ぐだぐたと、しょうもない質疑を繰り返しやってたが、
この国の政治家(国会議員)の、ほぼ100%が緊急事態宣言を支持しているということを、
だれも言わないのは、いったいなぜなんだろう・・・ ?

感染対策では、積極的な呼びかけをしないものの、
緊急事態宣言という、大胆な政治決断には反対することもできないので、
驚くことにワンチームになっている。

もし、野党の政権だったらどうだったのだろう?
もう少し多くの協力金が出ていた可能性はあるものの、もっと早くに経済は止められていただろうし、
取り返しがつかないほどの倒産や解雇、さらには多くの自殺者が出ていたかもしれない。

別に、政府の肩を持ちたいわけじゃないが、
こういった状況を、メディアや文化人気取りのコメンテーターは、
どう捉え、どう伝えようとしているのだろうか?
批判することは否定しないが、そこんとこをハッキリさせてから、もの申せと言わせてもらいたい。

私目線で恐縮だが、ここ最近、医療関係者が喋るネタ、説明するネタの全てが新鮮味を欠いており、
「その話・・・ 昨日も聞いたよね。」になっていて、
困ったもんだと思うが、心に響かず、脳みそにインプットされないのだ。

三密回避、不湿布マスク、手洗い、うがい、換気、マスク会食、黙職、アクリル板、変異株、
エクモ、ワクチンに加え、スーパーコンピューターによる飛沫のシミュレーションや、
感染者数予測、ベッドの使用状況、実効再生産数など、
もう耳にタコができるぐらい、聞き飽きたことしか彼らの口からはでてこない。

そのうえで、最も大事な有事における医療体制や、
医師会の幹部が総動員して行うといったバックアップ体制については、
挙って口をつぐみ、明快な解を示すことはなく、医療体制が崩壊すると、論点をすり替えている。
献身的に頑張ってくれている医療従事者には、大変申し訳ないと思うが、
これはズルいんじゃなかろうか?

「餅は餅屋」という諺がある。
素人であろうと有権者であり、1票を持っているんだから、
政治に口出しするなというつもりはないが、
自らの専門分野で・・・ 最善を尽くし、自らが属する組織形態に問題があるのなら、
声を挙げることを、躊躇すべきではないと思うが・・・ どうだろうか?

週末の金曜日、為政者は次々と会見を行い、今回は短期集中の総力戦で挑むと宣言した。
感染対策は、基本的に受け身(守り)だが、
政治決断(緊急事態宣言)は、他国のロックダウンほどの強さはないものの・・・ 攻めである。

一方で、なにかにつけて・・・ そこまでして、オリンピックをしたいのかという声がある。
こういった声があっても当然だと思うし、反論するつもりもないが、
だったら・・・ オリンピックを止めたら、緊急事態宣言は必要ないのだろうか?

そのような声がでてくることも、分からんでもないが、
コロナ禍がいっこうに治まらない、イライラ感から滲み出てくる、当てこすりにしか見えてこない。
大変申し訳ないが、八つ当たりするような発言は、とっても恥ずかしいし、慎むべきだろう。

都知事は、戦時下の灯火管制のように、
20時を過ぎたら町中のネオンサインや、街灯を消すとまで言い切った。
舐めた行動を取り続けた、一握りのバカ者たちの行動とはいえ、よほど腹に据えかねたのだろう、
為政者たちを本気で怒らせてしまった。

そこまでやるかと思いもするが、そこには失敗が許されない決意と絶対に負けられない戦いがあり、
いまは、有事なんだと捉える心と判断力を持っているならば、
つまらぬ批判や評論に同調し、ネットで茶化すようなコメントを垂れ流す行為が私には理解できない。

私権を制限することが、けっして賢い政策だとは思わない。
とはいえ、悠長な議論する時間もないし、国民が選んだ政治家の殆んどが「已む無し。」なんだから、
賢いとか、賢くないというより、これしかない状況なんだと理解するしかない。

今年もまた・・・ 感染対策と、政治決断(緊急事態宣言)の狭間で、悶々とする日が続く、
ステイホームのゴールデンウィークになってしまった。

なにがどうであろうと、お上から云われたから、気に掛けるといった、甘い考えは捨てることだろう。
自分の身は・・・ 自分で考え、自分で守るとともに、
子供や家族のみならず、お年寄りへの心遣いを忘れない人間でありたい。

誰かが何かを言うまで、方向を示すまで、情報を待つことに、
すっかり慣れてしまった指示待ち族には、いささか辛いかもしれないが、
コロナ禍に喘ぐいま、そこんとこの行動変容が強く求められているのではなかろうか?


参考までに、これまで二度発令された緊急事態宣言の時、
どんなブログを綴っていたのか、リンクを貼ってみた・・・ 読んでいただけたら幸甚である。

2021年 1月 7日 「大事ことが狂い始めている。(二度目の緊急事態宣言)」

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大事なことが狂い始めている。 - 時のつれづれ(北多摩の爺さん)

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2020年 4月 7日 「伝家の宝刀を抜いた。(緊急事態宣言)」

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伝家の宝刀を抜いた。 - 時のつれづれ(北多摩の爺さん)

多摩爺の「時のつれづれ(その32)」伝家の宝刀を抜いた。(緊急事態宣言)朝日新聞のホームページによれば・・・昨日(4月6日)までに国内で発生...

伝家の宝刀を抜いた。 - 時のつれづれ(北多摩の爺さん)

 

 


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2 コメント

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Unknown (masashiclub)
2021-04-24 11:48:57
無駄な灯りの消灯は2011年の東日本大震災後もでしたね。考えようによっては節電にもなって良いのでは⁉️
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Unknown (多摩爺)
2021-04-24 12:01:08
masashiclubさん
コメントを頂戴しありがとうございました。
防犯対策としては疑問が残りますが、
肌感覚というか、視覚で感じる危機感としてはインパクトありかなと思います。
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