多摩爺の「時のつれづれ(弥生の62)」
辛すぎて堪らない山林火災
若草山の野焼き(奈良)、秋吉台の山焼き(山口)、阿蘇の山焼き(熊本)などなど、
圧倒的な景観と季節の彩りを楽しませてくれる・・・ 列島各地の国立公園や国定公園内で、
毎年立春を過ぎたあたりから、多くの観光客が見守るなか、季節のバトンタッチの先陣を切って、
四季の国の風物詩でもある伝統行事の野焼きや山焼きが行われている。
おそらく今年も細心の注意を払って、山焼きや野焼きは・・・ 実施されたんだと思うが、
そんな風物詩の話題が憚られるような、山林火災という悲劇が、
列島の各地(岩手、長野、山梨、奈良、岡山、愛媛、宮崎)で間断なく発生し、
連日連夜、生中継される映像があまりにもショックで・・・ 言葉すら失ってしまった。
こんなこと言ったら不謹慎だとお叱りを頂戴するかもしれないが、
山が燃えるだけならまだしも・・・ 民家が燃えるのはホントに辛すぎて、
なんとかならないものかと思っている。
メディアの報道によれば、山林火災については基本的に自然発火はあり得ず、
放火でなければ、その大半は失火だと云われていて、
原因は、どこかのだれかにあるんだと思うが・・・ 軽率とも思える行動が残念で堪らない。
私が子どもだった昭和の30年代には・・・ 春先のこの時期になると、水を引く前の田んぼや、
畑の隅っこや畔などの野良で、枯れ草や家庭ゴミなどを焼くことは普通に見かけていたし、
国鉄のマンモス団地に住んでいたときには、団地内にゴミを焼却する設備があったぐらいだから、
振り返って思うに・・・ 火事に至らなかったのは、ウンが良かっただけなのかもしれない。
一方で故郷・山口の国定公園「秋吉台」で、2月後半から3月始めに行われる野焼きは、
冬場に伸びてしまった雑草を燃やすことによって、害虫を駆除するとともに新芽の発育を促し、
良質な牧草を育て、家畜の採草に資するなど・・・ いわゆる生活の知恵でもあった。
そんなことだから・・・ 奈良の若草山の野焼きや、地元の秋吉台の山焼きが報道されると、
「あっ、春が来たんだな。」と思ってたぐらいだから、
枯れ草やゴミの焼却を見ても「用心しないと危ないかな?」とは思うものの、その程度の感覚で、
「家が焼けるかも?」的な心配と緊張感は、恥ずかしながら持ち合わせていなかった。
とはいえ、これだけの災禍(山林火災)を踏まえて、なにかを学んだとすれば、それはなんであり、
なにかを規制なきゃならないことがあるとすれば、どこにどんな手を打てば良いのか、
もちろん消火に知恵を絞るのが最優先なんだが・・・ 今後のことを踏まえれば、
そこんとこを整理して、法整備が必要なら対策を取るべきなんだと思う。
メディアが云うように、山林火災の大半が失火であるということを突き詰めれば、
主たる要因は、慢心と不注意以外に考えられないし、
あの惨状を見る限り、とてもじゃないが個人が責任をとれる範疇でないことを、
メディアに出てくる専門家は、声を大にして訴えるべきではなかろうか?
さらに・・・ 国及び自治体に求めることがあるとすれば、
行政職のトップ(総理)が、強い言葉でメッセージを出すことであり、
国民の意識と行動に対して、良識的な判断を呼びかけることではなかろうか?
今月3日に、「国土乱れん時は、先ず鬼神(思想)乱る。」という表題で、
国土や社会が乱れる時には、まず鬼神(思想)に乱れが生じ、思想の混乱が人びとの生命を蝕み、
意識や思考を歪め、社会に混乱をもたらすという記事を書いている。
山林火災という事象だけを捉えると、論点が違うように思うかもしれないが、
人の心に内在している、本人だけにしか分からない・・・ 慢心や不注意もまた、
思考や意識の歪みに起因していると捉えても、強ち間違ってはないだろう。
思うに・・・ 「いままでは、なにも起こらなかった。」と、反射的に発する言葉のなかに、
経験を信じて、頼りにしてしまう慢心があり、そこから思考と意識の歪みが始まり、
認知機能の低下に黄色信号が点滅するのかも・・・ と、自戒を込めて思ったりしている。
今夏には早いもので、古希プラス1歳となる。
まだまだ老ける歳ではないし、老けてはいけないと思うものの、
慢心と不注意については・・・ 油断することなく、細心の注意を払うよう肝に命じたい。
それにつけても・・・ 辛くて堪んない山林火災だが、
唯一、朗報なのは、宮崎は今朝から、
愛媛と岡山には今日の午後から、雨が降るとの予報がでていることだろう。
一刻も早く鎮火し、避難されてる方々が自宅に戻れることを・・・ 願ってやまない。
山火事はアメリカのニュースを見ていた時は、まさに対岸の火事でしたが、日本でこんな事になるなんて驚いています。山焼きが風物詩になっている所は苦慮された事と思います。社会の学習で焼畑農業を習いましたが、今は行われていないそうですね。
一日も早い鎮火を祈るだけです。自分は家事で火事に気を付けなければと思っています。なおとも
故郷では、秋吉台の山焼きはニュースになっていて、まさに春の風物詩でした。
今年はやったみたいですが、来年からは反対する市民団体が、他所からやってくるかもしれないので心配しています。
民家から遠いのは幸いですが、今回の飛び火のことを思えば、ロサンゼルスや、大船渡、今治の事もありますから、
来年どうなるのかまで分かりませんが、地元の美祢市は、いまから頭を抱えていると思います。
「国土乱れん時は、先ず鬼神(思想)乱る。」
スゴーく響くことばですね
山火事原因が失火だとしたら、、
慢心確かに怖いです
山火事鎮火祈るばかりです、、
いつも有難う御座います(^.^)(-.-)(__)575
https://blog.goo.ne.jp/575
いろんなことがあると思いますが、気づきって大事な事だと思っていて、
他人がどうのこうのじゃなく、自らの行動はどうなのか、
セカンドライフに入った世代は、特に経験にとらわれ易く慢心に陥りやすいので、なにかにつけて戒めとせねばと思っています。