時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

日日平安(にちにちへいあん)

2021年01月01日 | 時のつれづれ・睦月 

多摩爺の「時のつれづれ(睦月の6)」
日日平安(にちにちへいあん)

なんだかんだあって、大変だったが・・・ 今日から2021年が始まった。
思い起こせば、ことの発端は、昨冬(1月の下旬)からだった。

大陸からやって来た厄介者(新型コロナウイルス)は、いまだに居座り続けて狼藉三昧だから、
「この野郎!」なんて思うものの、肉眼じゃ見えないし、
どこに居るんだか分からないんだから始末が悪い。

そんなことももあって、初夏を迎えようとしていたころ、
女房の体調がおかしくなってしまった。(おそらくコロナうつ)
いきなり、暗いトンネルに迷い込んでしまったまま・・・ 早や9か月が経っている。
地震、雷、火事、親父だった、かつての上から目線は、すっかり影を潜めてしまい、
いまや・・・ 炊事、洗濯、家事、親父の修行に汗だくの日々が続いている。

無理がたたったんだと思う。
義父母ともに入院していた3月中旬、さまざまな手続きのために帰省せねばならず、
細心の注意を払って用事を済ませて戻ってくると、一息入れることもないまま
夜遅くまで、家族を含め、関西や九州に住む甥や姪たちのために、お手製のマスクを作り始めた。

さらには、息子の職場で発熱した人が出て、息子が家庭内隔離されることになり、
上の孫を預かることになった。
大変だったのは、寝相の悪い孫が布団から飛び出すたびに、眠ることがままならず、
風邪をひかせまいと、布団をかけてやっていたことかもしれない。

1週間後、息子の職場の人の発熱が何でもなかったと分かると、息子の隔離も終わり、孫も無事に帰宅
女房の体に異変が生じたのは・・・ その日の夜からだった。

心療内科で診察を受け、薬をもらっているので、日常生活に大きな支障がでているわけではないが、
あれほど大好きだった「サスペンスドラマ」や、「大河ドラマ」が怖くて見れないんだから、
やはり気にかかる。

両腿の外側に痛みや痺れがあるらしく、眠れなくなったばかりか、便秘がひどくなったと嘆いている。
愚痴を聞いてやるのは、もちろん私の役目だと理解してるが、
ネガティブな発言が続くと、こちらも辛くなってくる。

40数年もの間、家庭を守り、私を支えてくれた女房に、私が応えられる時間は長くは残っていない。
私が亡くなるまで、どんなに頑張っても、彼女が尽くしてくれた時間の半分にも満たないんだから、
出来る限りのことをして、応えてやらねばならない。
たかが、家事見習い程度で・・・ ぐずぐず言ってる暇などないのだ。

唐突だが・・・ 私の好みのタイプの女優さんは、深津絵里さんである。
彼女のくりくりっとした目と、化粧の上からうっすら見える雀斑(そばかす)が良い。
さらに・・・ 私の好きな顔だちは、今どき流行の小顔じゃなく、
牧瀬里穂さんのような、若干角ばって入るものの、シャープなフェースラインが良い。

そう、角ばった顔だちで、目がくりくりして、雀斑がチャームポイント・・・ それが、女房である。
深津絵里さんや、牧瀬里穂さんとは、かなり違うが・・・ 女房は、私の好みの全てが揃っている。

既に還暦を過ぎた婆さんだが、いま彼女の傍で、愚痴の聞き役になり、同苦できるのは私しかいない。
とはいえ、分かっちゃいるが、不安との戦いが長くなると、
疲れは日に日に蓄積し、重く圧し掛かってくる。

そんな時・・・ 週一ペースで来てくれる、無邪気で恐れを知らない孫たちが、
癒しとなり、カンフル剤となり、潤滑油となってネジを巻き直すことに、気づかせてくれる


1日と定められた24時間は、だれにも平等だが、
その時間をどう過ごすかは・・・ 人によって違ってくる。

自分本位の時間じゃなく、女房が持ってる時計の針に呼吸を合わせ、
ゆっくり歩み始めた、9か月という期間が、
「これって、まんざらじゃないよね。」と教えてくれるから、
人生、なにが面白いかなんて・・・ 経験してみないと分からない。

ワクチン接種が始まれば、女房の体調不良が和らぐんじゃないかと、大きな期待を寄せている。
椿の季節に、欧米で始まったワクチンの接種
この国で始まるのは・・・ 桜の季節か、それとも紫陽花の季節になるのだろうか?

昨年は不義理をしてしまった親の顔も、今年は見たいと思ってるし、
夏までには・・・ なんとしてでも、帰省したいと思っている。

日本中がオリンピックで盛り上がり・・・ 大歓声に包まれるであろう盛夏の頃
日本選手の大活躍に拍手し、笑顔の表彰式に喝采を送りたいが、
皺くちゃの顔で再会を待つ、親の笑顔の方が、
いまの私にとっては、なによりの金メダルになるのだろう。

新型コロナウイルスに感染するか否か、それはだれにとっても衝撃的なことではあるものの、
これを善悪の基準として捉えると、途端に空気が重くなり、社会生活までもが息苦しくなってくる。
想定していたこととはいえ、長丁場になることを、いまさらながら覚悟せねばならないのだろう。

正月早々から、ネガティブなことを書き綴ってしまったが、私自身の半生で忘れ得ぬ出来事だし、
乗り越えられる程度の、ちょっとした試練だと思っているので、
文字に起こし、文章に記すほどに、心が病んでるわけではなく、心配していただくには至らない。

それにつけても止まることを知らない、新型コロナウイルスの感染拡大が、どうしても気にかかる。
頓(とみ)に侘しく、残念極まりないのは、
偏った視点でワンチーム構築の邪魔をし続けるメディアの貧困と、
高い教育は受けているはずなのに、教養を身に付けることを怠り、
他人(ひと)の言葉に、心が共鳴しなくなった若者たち、
さらには、自分だけはと思い込んでる、勘違いの権化のような大人たちが巷に溢れていることだろう。

誰かに頼りたい気持ち、誰かに示してほしい道筋を、政治に求めることは必然ではあるが、
民主主義国家では、政治は変えられるんだから、
なにがあっても、味噌糞一緒にスケープゴートに祀り上げ、批判を繰り返しても虚しさしか残らない。

私だって・・・ いまの政治に対して、不満がないわけではない。
しかし、非常事態ともいえる、いまこのタイミングで、
責任転嫁を声高に求める、同調圧力に与したくないし、掛け声ばかりの野次馬にもなりたくない。

大晦日、都内の新規感染者はついて1,000名を超えて、1,337名になってしまった。
緊急事態宣言を出せという声が、これから大きくなってくるだろう。
気持ちは分かるが、緊急事態宣言を出しても、要請ベースだから・・・ 状況はたいして変わらない。

春先の緊急事態宣言を受けて、休まなかったパチンコ屋に
列を作った者が大勢いたことを思い起こせば、
居酒屋は休業しないし、飲みに行く者たちの規制は困難と云わざる得ない。

法律を改正して、補償と罰則をセットにすれば良いじゃないかという声が圧倒的だが、
私権を強制し、従わなければ罰則を与えるといったことを、
短時間で議論し、多数決で決めていいものだろうか?

ことが民主国家で商売を営む者への私権の制限であり、
できることなら多数決ではなく、満場一致で決めてほしいと願うが、
補償の中身、罰則の中身に、踏み込めば踏み込むほどに、
根拠の透明性と民主主義の壁が立ちはだかり、満場一致で決まるとは思えない。

じゃぁ、どうすればいいのか・・・ けっして望むべき方向ではないが、
行政によるパトロールなど、武器を持たない自警団に頼らざるえないのかもしれない。
(知恵がなくて申し訳ない。)

国民やメディアは、いったいいつまで政治の責任にして、自ら律することを求めないのだろうか?
無責任な若者や、自覚のない大人たちが、大勢いることで、
今後は診療を待たずに命を落とす患者が増えてくるだろう。
残念だと思うが・・・ 為政者は、その覚悟を国民に訴える方が、
緊急事態宣言を出すよりも、ハートに刺さり、効果があると思うがどうだろうか?

正月早々から、乱暴なことや、好き勝手なことを言って・・・ 申し訳ないと思う。
とはいえ・・・ 捻くれ者の誹りを受けることを、あえて承知で言うなら、
生まれてくるときも一人なら、あの世に逝くときも一人だから、
他人(ひと)の声に左右されるような、風見鶏であったり、
金魚の糞じゃ面白くないから、あえて問いたい。

いまの世の中は、情報と正しく向き合うことができるか否かで、視点と思考が大きく変わってくる。
そのことを肝に銘じ・・・ 全集中で情報を選択し、
悔いが残らないような判断を下し、行動することが求められている。

2021年元旦
あなたは、今年もまた「指示待ち族」のまま過ごすのか?
いま、この国には・・・ それが問われている。

正直なところ、大晦日に発表された、東京都の新規感染者数1,337名には、
度肝を抜かれてしまった。

こんなご時世だからと言っちゃなんだが、新年を迎えたのに今年の抱負さえ思い浮かばない。
あえていうなら・・・ 年賀状に記した「日日平安(にちにちへいあん)」
一日一日を大事に、心穏やかに過ごしたい。

「若い時の苦労は買ってでもせよ。」なんて諺もあるが、
心と体は元気だけど、若くないし・・・ そればっかりは勘弁してもらいたい。


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