3月11日(金)
【晴れ のち 雪】
☆劇団 三ヵ年計画「海底から故郷は見えたか」仕込み/一迫ふれあいホール
・10:00 会場入り
↓
仕込み(写真左)
↓
お昼ご飯休憩
↓
仕込み続き(写真中)
↓
お茶休憩
↓
・14:46 地震発生
↓
会場待機(写真右)
↓
・19:00 退館
↓ 3台で移動
ホテル(チェックインのみ)
↓ のぶさんの車に4人乗り込み、1台で移動。
のぶさん宅(夜ご飯をご馳走に)
↓ 4人で徒歩移動
ホテル戻り
↓ 各自の部屋に解散
・24:00 就寝
後から知ったことだけれど、
まさに私達がいた所が震源地で、
関東地方も大変なことになっていたなんて。。。
停電し、間もなく水も出なくなり、
恐らくガスも・・・。
そんな状態で携帯も使い物にならず、
情報が全く入って来ないという状態ではあったのだけれど、
夕方、17時位の時点では、
とにかく揺れが落ち着いたら仕込みの仕上げをして、
公演を行うつもりでいた。
処が、役所の方がいらっしゃって、
中止の方向で考えて欲しいとおっしゃって行かれたことで、
現状の大変さを何となく認識した次第。
主催・のぶさんと、
舞台監督・Kっちん、
音響・Y口くん、
照明・Hもさん、
そして私の5人は、
ただ待機し続け、
遅くても19時までには入るとおっしゃっていた、
連絡が取れない劇団員さんを待って、
やはりいらっしゃれなかったことを見届けて、
19時過ぎに会館を出た。
ホテルにチェックインしてから、
のぶさんのご自宅で夕飯をご馳走に。
石油ストーブで焼いて下さったお餅が、
凄く美味しかった。
そして、スタッフ4人で歩いてホテルに戻り、
それぞれの部屋に別れ、
コートを脱いだ位で、
服は着たままベッドに潜り込んだ。
3月12日(土)
【晴れ】
・9:00 会場入り
↓
バラシ(片付け)
↓
休憩
↓
・12:30 バラシ終了
↓
休憩
↓
・13:30 解散
↓ それぞれ帰路へ
・16:00過ぎ 自宅到着
↓
部屋の片付け
↓
夜ご飯
↓
・19:00 布団に潜り込む
余震は、ずっと続いていたけれど、
4時過ぎ頃に結構大きな揺れがあったりして、
普段は全く気付かず寝ている私も、
流石に揺れる度に目が覚めていた。
9時半にロビー集合としていたのだけれど、
7時過ぎ頃に起きてロビーに出てみると、
朝食を用意して下さっていたので戴いた。
牛乳で炊いたのだろうか、
お粥と、たくあんが美味しかった。
9時半に集合して、
10時に会館に行こうとしていたのだけれど、
結局みんな起き出して来て朝食を食べたので、
取り敢えず行ってみるかと、
8時半頃にはホテルを出た。
途中、ガソリンスタンドに1km位の行列が出来ていて、
片側一車線だったので巻き込まれたけれど、
Kっちんが田んぼ道に入ったので、私も後に続いた。
そして、9時には会館に着き、
更に後ろを走っていらしたらしい、のぶさんも間もなく到着。
会館も間もなく開けて下さった。
とにかく暗いので、
光源を確保する為に、
開けられる扉は全て開け、
バラシを開始した。
12時半頃には終了し、
13時半には解散となった。
ガソリンが不安だったけれど、
家に帰る位までは大丈夫だろうという感じだった。
途中、きっとガソリンスタンドに並んでいるのだろうという列に並んでみたのだけれど、
本当に進まず、30分くらい並んで車3台分位しか進まなかったので諦めた。
開いているらしいコンビニにも寄ってみたけれど、
買いたかった水などは既に売り切れていて、
結局、何も買わずに出て来たりした。
道中、信号がついていない等はあったけれど、
それほど大きな問題はなく、
割とスムーズに家まで帰って来られた。
私の部屋は、元々ずっと片付けなくちゃと思っていた位に足の踏み場もなかったから、
敢えて大変なことになっているという感じではなく、
いよいよ片付けなくちゃというだけだった。
片付け始めたのだけれど、
間もなく暗くなって来たので、
片付けは中断し、
やっぱりガソリンを入れておきたいと思ったのと、
ラジオを聴きたかったので乾電池をと思い出掛けた。
だけど何処も真っ暗で、
無駄にガソリンを使ってしまっただけの結果になった。
家は、水が出るから、まだ良かったと思う。
母が卓上のガスコンロで簡単に夕食を作ってくれたので、
食べて、歯を磨いて顔を洗ったら、
やれることがなくなったのでベッドに入った。
3月13日(日)
【晴れ】
明るくなると共に目は覚めていたのだけれど、
何となく無気力でベッドから出られずウダウダしていた。
9時過ぎて、いよいよ起きなくちゃなぁー、なんて思っていた時、
ふと、いつも使っているラジカセの方の乾電池を確認したら、
・・・入ってた!
単一が8本!!
その乾電池で、いつも使っているラジカセは電源が入らなかったのだけれど、
そのラジカセが故障して修理中に取り敢えず買った予備のラジカセが電源が入り聴くことが出来た。
こんな時は、最新機器よりも、
よりアナログに近いものに助けられる。
部屋の片付けも気になりながら・・・、
自宅が大丈夫な上に水も出る為、
あまり事の重大さを認識していないように感じる母が、
何度もガスコンロをつけようとするので、
「ガスは使えないから。
水が出るだけでも有り難いよ。」と言うのだけれど、
あまり効果を感じられないので、
母にこそラジオを聴かせたいと思い、
居間にラジオを置き、
私も聴いていたかったので、ラジオを聴きながら、
買い漁った桑田さん特集の雑誌を読んでいた。
お昼に焼きうどん等を作ってくれた母だったけれど、
ラジオから流れて来る情報で事の重大さを認識してくれたのか、
ペットボトルに水を汲んでおく等し始めた。
私は、相変わらず居間に居座り、
しかしラジオを聴きながらだと、
桑田さんのインタビュー記事を集中して読めないことに気づき、
スケジュール帳を整理したり、
ずっと放ったらかしにしちゃってた、
衣類の綻びを繕ったりして過ごした。
ラジオからの情報で、
仙台駅付近の市内中心部では、
ガソリンスタンドやスーパーが営業を開始したと聴いたけれど、
きっと大混雑しているだろうと思い、
今日は動かないことを決めた。
地震が起こる前に偶然にも満タンにしていたという弟は、
水も出ないらしい親友の所と、
最近家を出て一人暮らしを始めたばかりの妹の所の様子を見に出掛けた。
私は、確実に給油が出来るというまで、
ガソリンを無駄に使う訳にはいかない状態だ。
色々心配な方はいるけれど、
携帯も、ずっと圏外で使い物にならず、
ただ、昨日、車で走行中に満タンに充電出来ていたことと、
大阪に行く時に買ったソーラーパワーの充電器が役に立っていて、
不幸中の幸いで天気は良い為、
日中にソーラーパワーを溜めておけるので、
充電だけはしておける状態。
圏外から脱し次第、
無事を発信しようと思っている。
夕飯を食べた後、
「水の出が悪くなって来た・・・!」と、
慌てて色々な入れ物に水を汲み置きし始めた母を横目に、
日が暮れてしまった以上、
起きているには、
何かしら使わなくてはイケなくて勿体ないので、
ベッドに入ってしまおうと思い、
コップ一杯の水で歯を磨き、
ベッドに入ってラジオを聴いていた。
24時近くまでは記憶があるのだけれど、
いつの間にか寝ていたのだろう、
乾電池も勿体ないから、
ラジオも消して寝ようと思っていたのに、
付けっ放しにしてしまい、
夜通し特別番組をやってくれていることに感動しながら、
今、何時位なのだろう、
・・・と思って目を開けたら、
朝が来たら直ぐ分かるようにブラインドを開けっ放しにしていた窓から、
明かりが・・・?
何の明かりだろう?
もぅ、日の出??
実際、そう思えるようなオレンジ色の明かりだった。
しかし、日差しの暖かさは感じられず外を覗くと・・・、
街灯が付いてる!
慌てて部屋の電気を付けてみたら、付いた!!
枕元で充電切れしてた携帯(ソーラーパワーは微力だった?f^_^;)を充電器に挿すと、
圏外からも脱していて、
溜まっていたメールが、たくさん届いた。
皆様、ご心配をお掛けしてしまい申し訳ございません!
そして、ありがとうございます!!
こんな時間なので、
夜が明けてから返信させて頂こうと思っています。
取り敢えず、無事です。
◆散文「渇いた涙の理由」
いつ頃からか
人前で泣かなくなった
でも それは
強くなった証ではないと思う
期待しなくなったり
諦めていたり
悔しさを忘れていたり
そんな
空しい理由だと思う
【晴れ のち 雪】
☆劇団 三ヵ年計画「海底から故郷は見えたか」仕込み/一迫ふれあいホール
・10:00 会場入り
↓
仕込み(写真左)
↓
お昼ご飯休憩
↓
仕込み続き(写真中)
↓
お茶休憩
↓
・14:46 地震発生
↓
会場待機(写真右)
↓
・19:00 退館
↓ 3台で移動
ホテル(チェックインのみ)
↓ のぶさんの車に4人乗り込み、1台で移動。
のぶさん宅(夜ご飯をご馳走に)
↓ 4人で徒歩移動
ホテル戻り
↓ 各自の部屋に解散
・24:00 就寝
後から知ったことだけれど、
まさに私達がいた所が震源地で、
関東地方も大変なことになっていたなんて。。。
停電し、間もなく水も出なくなり、
恐らくガスも・・・。
そんな状態で携帯も使い物にならず、
情報が全く入って来ないという状態ではあったのだけれど、
夕方、17時位の時点では、
とにかく揺れが落ち着いたら仕込みの仕上げをして、
公演を行うつもりでいた。
処が、役所の方がいらっしゃって、
中止の方向で考えて欲しいとおっしゃって行かれたことで、
現状の大変さを何となく認識した次第。
主催・のぶさんと、
舞台監督・Kっちん、
音響・Y口くん、
照明・Hもさん、
そして私の5人は、
ただ待機し続け、
遅くても19時までには入るとおっしゃっていた、
連絡が取れない劇団員さんを待って、
やはりいらっしゃれなかったことを見届けて、
19時過ぎに会館を出た。
ホテルにチェックインしてから、
のぶさんのご自宅で夕飯をご馳走に。
石油ストーブで焼いて下さったお餅が、
凄く美味しかった。
そして、スタッフ4人で歩いてホテルに戻り、
それぞれの部屋に別れ、
コートを脱いだ位で、
服は着たままベッドに潜り込んだ。
3月12日(土)
【晴れ】
・9:00 会場入り
↓
バラシ(片付け)
↓
休憩
↓
・12:30 バラシ終了
↓
休憩
↓
・13:30 解散
↓ それぞれ帰路へ
・16:00過ぎ 自宅到着
↓
部屋の片付け
↓
夜ご飯
↓
・19:00 布団に潜り込む
余震は、ずっと続いていたけれど、
4時過ぎ頃に結構大きな揺れがあったりして、
普段は全く気付かず寝ている私も、
流石に揺れる度に目が覚めていた。
9時半にロビー集合としていたのだけれど、
7時過ぎ頃に起きてロビーに出てみると、
朝食を用意して下さっていたので戴いた。
牛乳で炊いたのだろうか、
お粥と、たくあんが美味しかった。
9時半に集合して、
10時に会館に行こうとしていたのだけれど、
結局みんな起き出して来て朝食を食べたので、
取り敢えず行ってみるかと、
8時半頃にはホテルを出た。
途中、ガソリンスタンドに1km位の行列が出来ていて、
片側一車線だったので巻き込まれたけれど、
Kっちんが田んぼ道に入ったので、私も後に続いた。
そして、9時には会館に着き、
更に後ろを走っていらしたらしい、のぶさんも間もなく到着。
会館も間もなく開けて下さった。
とにかく暗いので、
光源を確保する為に、
開けられる扉は全て開け、
バラシを開始した。
12時半頃には終了し、
13時半には解散となった。
ガソリンが不安だったけれど、
家に帰る位までは大丈夫だろうという感じだった。
途中、きっとガソリンスタンドに並んでいるのだろうという列に並んでみたのだけれど、
本当に進まず、30分くらい並んで車3台分位しか進まなかったので諦めた。
開いているらしいコンビニにも寄ってみたけれど、
買いたかった水などは既に売り切れていて、
結局、何も買わずに出て来たりした。
道中、信号がついていない等はあったけれど、
それほど大きな問題はなく、
割とスムーズに家まで帰って来られた。
私の部屋は、元々ずっと片付けなくちゃと思っていた位に足の踏み場もなかったから、
敢えて大変なことになっているという感じではなく、
いよいよ片付けなくちゃというだけだった。
片付け始めたのだけれど、
間もなく暗くなって来たので、
片付けは中断し、
やっぱりガソリンを入れておきたいと思ったのと、
ラジオを聴きたかったので乾電池をと思い出掛けた。
だけど何処も真っ暗で、
無駄にガソリンを使ってしまっただけの結果になった。
家は、水が出るから、まだ良かったと思う。
母が卓上のガスコンロで簡単に夕食を作ってくれたので、
食べて、歯を磨いて顔を洗ったら、
やれることがなくなったのでベッドに入った。
3月13日(日)
【晴れ】
明るくなると共に目は覚めていたのだけれど、
何となく無気力でベッドから出られずウダウダしていた。
9時過ぎて、いよいよ起きなくちゃなぁー、なんて思っていた時、
ふと、いつも使っているラジカセの方の乾電池を確認したら、
・・・入ってた!
単一が8本!!
その乾電池で、いつも使っているラジカセは電源が入らなかったのだけれど、
そのラジカセが故障して修理中に取り敢えず買った予備のラジカセが電源が入り聴くことが出来た。
こんな時は、最新機器よりも、
よりアナログに近いものに助けられる。
部屋の片付けも気になりながら・・・、
自宅が大丈夫な上に水も出る為、
あまり事の重大さを認識していないように感じる母が、
何度もガスコンロをつけようとするので、
「ガスは使えないから。
水が出るだけでも有り難いよ。」と言うのだけれど、
あまり効果を感じられないので、
母にこそラジオを聴かせたいと思い、
居間にラジオを置き、
私も聴いていたかったので、ラジオを聴きながら、
買い漁った桑田さん特集の雑誌を読んでいた。
お昼に焼きうどん等を作ってくれた母だったけれど、
ラジオから流れて来る情報で事の重大さを認識してくれたのか、
ペットボトルに水を汲んでおく等し始めた。
私は、相変わらず居間に居座り、
しかしラジオを聴きながらだと、
桑田さんのインタビュー記事を集中して読めないことに気づき、
スケジュール帳を整理したり、
ずっと放ったらかしにしちゃってた、
衣類の綻びを繕ったりして過ごした。
ラジオからの情報で、
仙台駅付近の市内中心部では、
ガソリンスタンドやスーパーが営業を開始したと聴いたけれど、
きっと大混雑しているだろうと思い、
今日は動かないことを決めた。
地震が起こる前に偶然にも満タンにしていたという弟は、
水も出ないらしい親友の所と、
最近家を出て一人暮らしを始めたばかりの妹の所の様子を見に出掛けた。
私は、確実に給油が出来るというまで、
ガソリンを無駄に使う訳にはいかない状態だ。
色々心配な方はいるけれど、
携帯も、ずっと圏外で使い物にならず、
ただ、昨日、車で走行中に満タンに充電出来ていたことと、
大阪に行く時に買ったソーラーパワーの充電器が役に立っていて、
不幸中の幸いで天気は良い為、
日中にソーラーパワーを溜めておけるので、
充電だけはしておける状態。
圏外から脱し次第、
無事を発信しようと思っている。
夕飯を食べた後、
「水の出が悪くなって来た・・・!」と、
慌てて色々な入れ物に水を汲み置きし始めた母を横目に、
日が暮れてしまった以上、
起きているには、
何かしら使わなくてはイケなくて勿体ないので、
ベッドに入ってしまおうと思い、
コップ一杯の水で歯を磨き、
ベッドに入ってラジオを聴いていた。
24時近くまでは記憶があるのだけれど、
いつの間にか寝ていたのだろう、
乾電池も勿体ないから、
ラジオも消して寝ようと思っていたのに、
付けっ放しにしてしまい、
夜通し特別番組をやってくれていることに感動しながら、
今、何時位なのだろう、
・・・と思って目を開けたら、
朝が来たら直ぐ分かるようにブラインドを開けっ放しにしていた窓から、
明かりが・・・?
何の明かりだろう?
もぅ、日の出??
実際、そう思えるようなオレンジ色の明かりだった。
しかし、日差しの暖かさは感じられず外を覗くと・・・、
街灯が付いてる!
慌てて部屋の電気を付けてみたら、付いた!!
枕元で充電切れしてた携帯(ソーラーパワーは微力だった?f^_^;)を充電器に挿すと、
圏外からも脱していて、
溜まっていたメールが、たくさん届いた。
皆様、ご心配をお掛けしてしまい申し訳ございません!
そして、ありがとうございます!!
こんな時間なので、
夜が明けてから返信させて頂こうと思っています。
取り敢えず、無事です。
◆散文「渇いた涙の理由」
いつ頃からか
人前で泣かなくなった
でも それは
強くなった証ではないと思う
期待しなくなったり
諦めていたり
悔しさを忘れていたり
そんな
空しい理由だと思う