RC JAPAN GROUP 河童ぼん音楽スタジオ

2004年にフィリピンで再婚
その後日本に帰って子育に翻弄する
男としての最後の生きざまを綴る。

13年を振り返って NO3

2018-03-17 18:28:13 | 日記

さてさて 愛ちゃんが生まれてから 忙しかったですね!

まず 生まれて 病院から 出たすぐ 10日ほどは実家で過ごしましたが その後は自宅です

フィリピンは 子どもは家族で育てます 家族が多くて 皆が寄って集って 育てるよい面が

有るのですが 日本では 各家族” 両親で育てますが 主に母親が育てますね ですが 

我が家の奥さんは やはり フィリピン的考えが 先行します 

私が 仕事で疲れて帰ろうが 腰が痛くて寝てようが 関係なしに 主婦の仕事も 子育ても

平気で振って来ます 実はこの時に 子どもは2人は無理と 悟りました 愛ちゃんの

生まれた時点で 私は48歳でしたが もし 2人目を 3年間ほど経って 作ったら 51歳

この 条件が続くとすれば 私の体が 持ち堪えない” もし フィリピンで暮らすなら もう

2人でも 生んで欲しい所ですが 日本では 無理かな” これが 最終的な 答えでした!

残念です” 本当にね” 

さて 愚痴はこれ位で おしまいですが 愛ちゃんは 首が据わると すぐに 

チャイルドシートに 乗せて 訓練です 愛ちゃんを連れて フィリピンに里帰りをするならば

乗り物に 強くなくては 帰れません! まず 空港まで バスで90分 飛行機で4時間

マニラから レンタカーで400km 8時間と これに 耐えれなければ 里帰りは出来ません

その為の 訓練ですが 予定では 8月に生まれて 12月には里帰り 計画 少し無謀です

が ママちゃんの 帰りたい気持ちも考えての事です

首が据わったのが 3ヶ月目でしたから 短い期間での 訓練で この長距離に耐える 

為に 毎日 8時間以上を 車で過ごします お昼ごはんも おしめの替えも 全て車で

寝る以外は ほとんど車中でした! でも 夏冬は これの方が 光熱費が少なくて 

家計は助かりますが。。。

これが 首が据わった頃です! 愛ちゃん 今は 顔が小さいのですが 生まれた頃は

よく見ると でっかいですね”””

 

 

これに ぶら下げて バス、飛行機、レンタカーを 乗り継いで フィリピンの実家まで

連れて行きましたが 当時 台風の後で 道が寸断されて マニラから実家までが 約

10時間も掛かりました!でも 愛ちゃん ママちゃんに抱かれて すやすやと眠り

無事に実家まで到着でした

また 12月は荷物が多くて 大変でした 日本は冬 フィリピンは夏ですから

着ていた服が 嵩張ります。。。 これ依頼 夏に帰国する事に成りました でないと

おみあげを 持って替えれません” 最近荷物も 超過料金を高額とられますので!