おはようございます。アーサナのレッスンが終わった後は気分すっきりです
先週は日本はお盆の時期でしたね。実家の母から、写メが送ってきました
そうそう、不思議なんですけど~、亡き父とはこちらでいつも会っているような気がしてます。『こっちにお父さんいっぱいおんさっよ。』と何度も母に言ってるので、母もこっちに来たいんじゃないでしょうか?(笑)
ところで、マイソールの人々もなんだか忙しい金土日のようでした。独立記念日、ラクシュミ神のお祭り、それからインドの恋愛事情(new & old)にも出てきましたが、お兄さんが妹をプロテクトする証を示すお祭りまで。
こちらの奥様は、ほぼ毎朝、玄関を清掃し水で流し清めた後、白い粉を使ってフリーハンドで幾何学模様のようなデザインを器用に描きます。(これまでのインド日記にも何度も登場しています)
そのランゴーリも、特別な日には更に気合が入っていて。通り掛かりの家が白い粉と赤い粉を使って描かれていたので写真撮らせてもらいました。
シャラの敷地内にあるプレプライマリースクールの地面のランゴーリも、なんだかともても楽しい雰囲気。
今住んでいる所の家主も伝統を大切にされていて、毎日マントラを唱えているようです。
こちらが、家のキッチンの隅にある、神様。お供え物は果物、お花など、どこも変わりませんね。
祭事の前日、ラダが、『特別なお祝いだから一緒にどう?食事もあるわよ。』と声を掛けてくれました。そして、『ちゃんと身を清めて来てね、汚れた服は駄目よ~。』と。それから、女性が生理中でも駄目らしいです。生理は不要なものを体内から出すデトックス機能でもありますからね。
約束の時間前に、身を清め、服を正し、下の階へお邪魔すると、ビジェイの妹さん夫妻がお見えになっていました。妹さんは、サンスクリット語の先生。ヨガについても、深く面白い話をされるので興味深く聞き耳を立てるのですが、自分の英語力や理解力が...ひっかかり聞き役に徹することばかりでした。それでも、スートラ授業の復習をしているみたいで楽しい時間でした。
インド人も日本人も、自然崇拝というかさまざまな自然に神様が宿ると人々は信じていますよね。八百万(やおよろず)の神というベースは同じ。
また、面白いなぁと思うのは、プルシャや輪廻転生【環 マンダラ】の話し。
現在、自分はたまたま今の自分(人間)の形を取って生きているけれど、それはそう表現されているだであって、体格、肌の色、話す言葉、職業、肩書き、国籍、見た目などは関係ない。
大切なのは、その内側。そこに存在する、自分のコアな部分【プルシャ】が生きていることを理解すること。だから人のbodyは死ぬことがあるが、魂は生き続けるのだと。
私たちは、人の外観を見るのではなく、その人の内側、今そこで取っている行動をみていなければいけない。
そして、たまたま現世が私の形をしているだけで、過去や来世は、人間ではないかもしれない。
そういう風に理解していくと、母が子に乳を与える姿を見て、人間の母親、犬の母親、牛の母親、全ての『母』の存在は等しく、偉大であることが分かるだろう、と。
こういう話を聞くと、根本的に、『人間+自然』という考えではなく、『人間は自然の一部』という考えが根付いているんだと改めて感じます。
だからこの国には何もかもが混在できるんですよね。
人間が一番、だと思っていては、道路を牛が車同様歩いてるなんて日常は、無いのでしょう、きっと。
また彼女は、こんなことも話してくれました。これはスートラの本にも出ていました。
例えば、人間の発明・研究・発見というのは、すばらしい。不便な生活を楽にしてくれる。でも、その扱い方や使い方を知らなければ、人は過ちを犯す。原子を核兵器に使うなど愚かで悲しい事を起こしてしまう。
だから、私たちは、まず、内側を磨かなければならない。
心を磨かなければ、エネルギーや知識の使い方を間違ってしまうんだよ、と。
軍事国で言われると不思議な気もするのですが、その思いも途中、方々に散乱し伝わらないのが格差カーストのインドという国なのでしょうか。
それにしても短い時間に色んな話をしてくれた、とても印象的な方でした。
そして、これは、お兄さんが妹へ『プロテクト』の意味で腕に着けてあげる飾りです。
私も近所のお店で気に入ったデザインの物を購入し、当日一人二役をかってでまして(笑)
着けてたんですけど、、、夕方シャワーを浴びて水にぬれたら、あれれ~ ビーズが取れちゃいました。
さてさて今朝からヨガシャラには、人が増えていまいした。
香港人男性、ギリシャ人女性、その旦那様。ギリシャ人の彼女は日本に8年ほど住んでいたそうで、早稲田大学で言語学を教えていたそう。面白い形で日本語が話せる環境がやってきました