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山本作兵衛+コレクションコラボ展

2017-05-08 00:28:20 | アート・文化

田川市美術館

 

先日の休みに近所にある田川市美術館へ行った。

そのとき開催されていた企画展、

山本作兵衛+コレクションコラボ展 博多人形と絵画で見る炭坑のくらし”を観た。

 

 

山本作兵衛氏といえば、飯塚市出身の元炭鉱夫。

子どもの頃から筑豊各地を点々としながら炭鉱の仕事に従事し、

晩年を田川市で過ごし、「子孫に炭坑の生活を記録して残したい」との思いから、

詳細な説明文付きで、独特のタッチで描かれた無数の炭坑画を残した。

 

作兵衛氏の没後、彼の遺した1,000点以上にも及ぶ炭坑画は、

炭鉱従事者の仕事や、その家族らの生活などを鮮明に記録した貴重な資料として、

県指定の有形民俗文化財となり、地元での炭鉱学習などで活用されていた。

自分も小学生の頃、かつて石炭産業で栄えた筑豊のことを学び、

その際に、この山本作兵衛氏の絵画も見た覚えがある。

そんな作兵衛氏の遺した炭坑画が、数年前ユネスコで高く評価され、

国内初となる世界の記憶(記憶遺産)として登録された。

 

この絵のキャラが・・・

 

決してプロの画家でもなく、有名な画家に師事して絵を習っていたわけでもない。

なので人物の絵はどれも似たような表情だし、デッサンもところどころズレている。

だけど、なぜだか作兵衛氏の炭坑画には見入ってしまう魅力がある。

皆いきいきとしていて生命力にあふれているのだ。

貧しくて荒んだ炭鉱従事者たちの生活。

命を落とす危険と常に背中合わせの過酷な仕事。

それでも、色鮮やかに描かれた、

当時の人々のつつましい生活や、ささやかな娯楽の光景に引き込まれてしまう。

 

子どもたちの遊びから登校風景、女性たちの井戸端会議など、

暮らしを描いた、ほほえましい絵もあるが、

炭坑での作業を描いたものは、どれも当時の過酷さが伝わってくる。

なかには落盤事故やガス爆発、労働者間でのリンチ事件,米騒動など、

生々しくて息を飲むような絵もあり、見ていて飽きることがない。

それは自分が作兵衛氏と同じく、かつて炭都と呼ばれたこの地出身というのもあるかもしれない。

地元の産業史を知るうえで、作兵衛氏の炭坑画は避けて通ることはないからだ。

 

今回、田川市美術館へ観に行った展覧会は、

そんな作兵衛氏のイラスト(複製品含む)とともに、

そのイラスト中のキャラクターを、福岡の伝統工芸である博多人形の人形師たちが

忠実に立体化した数点の博多人形とともに展示されるという面白い企画展だった。

“絵から抜け出した炭坑(ヤマ)の人々”。

チラシやポスターには、そんな謳い文句もついていた。

 

展示数は少なかった。

それぞれ15点ずつであり、合計30点という小規模な展示内容。

うち人形1点は、田川市役所のロビーで展示とか。

この展覧会の会期中くらい、借りられなかったのかよと。

まあ、展示作品が少ないとはいえ、入場料もそれなり(300円!)だったし、

なによりも、博多人形のクォリティの高さに驚いた。

 

博多人形でこうなっちゃう!

 

どれもこれもそのまんま、あの絵から飛び出して立体化されている!

あの遠近法が取られてなく、立体感の感じられない作兵衛氏の絵から、

こうもリアリティあふれる、いきいきとした人形が作れるなんて!

しかも、作兵衛氏の絵の雰囲気は損なわれることなく忠実に再現されており、

その動きや表情も、まさに絵から飛び出したと言っても過剰表現ではない。

仕事道具や生活雑貨、周りの小物なども忠実に再現。

博多人形の人形師さんたち、すごいな!

 

作兵衛氏のオリジナルの絵が飾られ、

その絵の下や正面に、それをもとに作られた博多人形が展示されている。

なので、二次元の絵画と三次元の人形とを、じっくり比べながら鑑賞できる。

人形の一部は独立したショーケースで展示されており、

360°全方向から観ることができるようになっていた。

 

博多人形、じっくりと観たのは初めて。

これまでなんとなく、見かけることはあったが、

こうやって並んでいるのは初めて見た。

その造形美や精巧な作りは、現代のリアルフィギュアに通ずるものがある。

これが粘土で素焼きで作られていて、

ひとつひとつ人形師の手によって着色されているのだから凄い。

衣服の柄や無精ひげのみならず、刺青まで忠実に描かれていて思わず唸る。

 

小物も精巧に作られていた。

 

展覧会には、作兵衛氏の絵や博多人形以外にも、

炭鉱に関する絵画や版画なども展示されていた。

地元のボタ山※1や、かつてあった炭住※2での生活風景を画いた作品など、

田川市美術館が所蔵する、炭鉱に関連する作品だ。

“コレクションコラボ展”というのは、それを意味するようだ。

小規模だったけれど、見応えがあって良かった。

 

山本作兵衛氏の炭坑記録画、個人蔵の作品以外はほとんど複製品の展示となっていた。

 

自分含め、客は10人にも満たないくらいだった。

だが、観る人は皆、じっくりゆっくりと鑑賞していた。

自分より後から入館してきた、男女の年配3人組。

そのなかの80前後と思しきジイさんが、いちいちうるさいうるさい。

絵や人形を観ながら、ひとつひとつ大声で説明していく。

このジイさん自体、かなり耳が遠いのだろう、

とても美術館とは思えぬトーンで、一緒に来ていた女性2人に説明する。

絵の中の作兵衛氏の説明文読みゃ解んよ!と反論したくなるけれど、

おそらくこのジイさんも、かつて炭鉱に従事していたか、

そこで暮らした記憶のある方なのかもしれない。

興奮交じりで説明していたのだが、同伴していた女性2人はまったく聞いていないようだった・・・。

 

いちばん凄かったのがこの作品。

さすがに密度が高すぎて、オリジナルよりキャラが減っていたが・・・。

 

帰宅して、前に購入していた山本作兵衛氏の画集を見ようと思い、

確かここいらにしまったはず・・・そう思って探せど見つからず・・・。

部屋のあちこち探してみたのだが見当たらない・・・。

二冊も持ってたんだけど・・・その二冊ともが見当たらない。

あれ・・・どこにしまったんだ?

この記事書くための資料としても、見つけたかったのだが、とうとう見つけられず。

どっかに大事にしまい込んで、逆に見つけられなくなっているパターンだ。

 

※“たんこう”の漢字表記を、統一せずに“炭鉱”と“炭坑”とで意図して使い分けております。

 

※1 ボタ山

石炭などの採掘の際に発生する捨石が積み上げられ築かれた人工の山。

自分が子どもの頃は、まだあちこちに大小のボタ山が見られた。

現在はほとんどが整地されて、公営団地や住宅地、工場などになっている。

飯塚市に残る、並んだ大きな三つのボタ山は、“筑豊三富士”と呼ばれ、同市のシンボルとなっている。

なお、“ボタ”とは九州での捨石の呼び方で、九州以外では“ズリ山”と称することが多いよう。

炭鉱労働者が九州からよそへと散らばったため、今では“ボタ山”という呼称も全国区になっている。

 

※2 炭住(たんじゅう)

“炭鉱住宅”の略称。

炭鉱労働者が居住する簡素な家が軒を連ねて密集した住宅地。

当然ながら風呂や便所は各家庭にはなく共同、時代の古いものは台所も共同だった。

炭鉱が盛んだった頃は人で溢れて賑やかで、炭住付近に学校や郵便局も作られ、

娯楽の芝居小屋や映画館なども建てられた。

長崎の軍艦島にも高密度の炭住が在った。

田川市にも数年前まで炭住が保全されて残っていたものの、

その老朽化や保全費の問題,定住者居住地の確保,美観・防犯的な問題などから、

数年前にとうとう全て取り壊されてしまった。

 



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