ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

096. 運転練習は無料教習所で

2019-01-26 | エッセイ

日本にいる頃は私も車の運転をして、一人で町まで行ったりしていた。
しかし、ポルトガルに住んで、クルマを買ったときから、私はハンドルを握ったことがない。
なぜかというと、ポルトガルは日本と反対に、クルマは右側通行。
日本は左側通行だ。
ビトシでさえ、右側を走っていて、右折したとたん左車線に入ろうとして、ギョッとしたことがある
さすがにすぐに右側通行に慣れて、そんな失敗はその時一回だけのことだったが。

運転の上手なビトシでさえそんなことがあったのだから、いつもうっかりミスが多い私のこと、何が起こるか分からない。
突然、高速道路を逆走したりして…

それにポルトガルは坂道が多すぎる。
急な坂道の途中で信号で停まると、必ず後続車がぴたっと付けてくる。
「もうちょっと車間を空けてくれればいいのに…」と心配しても、相手は知らぬ顔で煙草をふかしている。
20年前は見かける車はどれもこれもボロボロ。
ポンコツ車ばかりが走っていた。
ところがこのごろは、ぴかぴかの新車、それも高級車のなんと多いこと。
ベンツ、BMW、アウディ、などはごろごろ。
ポルトガル政府は借金だらけで倒産寸前らしいが、国民は持ってる人は持ってるのだ。

そんな高級車が我が家のシトロエンの後ろにびたっとひっつく。
青信号に変わったとたん、サイドブレーキを引きながら坂道発進。
なにしろ急な坂道なので、一瞬ズリッと後ろに下がって、私はヒヤッとする。

そして横断歩道。
見通しのきかない角を右に曲がったとたん、横断歩道があり、人が渡っているのを発見して、急停車。
これもヒヤッとする。
「こ、怖い!」
ということで、私は20年間運転することなく、ぬくぬくと助手席に座り続けた。

ところがビトシもわたしもシニアと呼ばれる世代になって、周りから心配する声が聞こえてきた。
しょっちゅうクルマで遠出するので、途中で何が起こるか分からない。
その時に私が運転しないといけない事態になった時、どうするの~。

ということで、重い腰を上げて、運転の練習をすることになった。

さてどこで練習するか?
ぶっつけ本番で、路上を走るのは怖いし、と思いついたのが、30分ほど走った所にある広大な分譲地。
もうずいぶん前に開発された場所なのに、何年たっても一軒の家も建っていない。
でも舗装した道路には道路標識も完備して、完璧な練習場だ。
教官はビトシ、教習生はわたし。

足が届かない!
座席を一番前に出して、なんとか届いた。
ロウ、セコ、サード、トップ、
チェンジもさっぱり位置が分からない。
まずロウで発進、次にセコ、
ウィンウィンガタガタいいながらどうにか走り出した。
右側の駐車スペースに赤いクルマが停まっているところへきた。
中には男性がいて、その上にまたがるように女性が見えた。
男がギョッとしたように私達を見た。

「何してるんやろ?」

なんとかひと回りして、ウィンウィンガタガタと運転しながら、また赤い車の前を通り過ぎた。
中の二人はさっきと同じ姿勢。
二人とも若い。
「なにしてるんやろ~」
「あれ、ひょっとして~」
こんな真昼間に、まさか~

三周目にはもう赤いくるまはいなかった。

無料の教習所に数日間かよって、いよいよ坂道発進の練習をすることになった。
分譲地は以前は広大な牧場だったらしくて、ちょっと小高くなったところに、廃墟となった農家の建物がある。
そこへ行く道は小石のごろごろした地道。
でも、坂道発進の練習にうってつけの場所だ。
ちょっとした坂に過ぎないが、坂の途中で止まって坂道発進練習。
サイドブレーキを引いて、戻しながら発進。

我が家は、昔は風車が立っていた小高い丘の上に建つ団地。
だから家に帰るには、急な上り坂、また上り坂の連続。
ひとつの坂を上がると突き当たりの道を右折、するとすぐに横断歩道がある。
たまたま人が渡ってたりすると、急停車、そして坂道発進。
私にとって坂道発進はとても重要だ。

翌日も無料教習所に行って練習した。
廃墟の外れに数年前からなにか工場のような大きな建物ができた。
練習でその前を通るのだが、どうも工場ではなく、幼稚園らしい。
子供達の姿は見たことはないが、3時前になると、それまでほとんど通行する車はなかったのに、ロータリーを曲がって次々に車が入ってきた。
ドライバーは女性ばかり。
子供を迎えに来た母親たちだ。
そして3時過ぎると、こんどは反対方向に次々と帰って行く。
4時ごろには幼稚園の最終スクールバスが掃除の人たちを迎えに来て、送っていく。
ここは交通量のほとんどない、しかし一般道路なのだ。

幼稚園の駐車場は道路わきにあり、しかも白線が引いてあるので、車庫入れの練習にもってこい。
何度か練習しても、なかなかうまくいかない。

廃墟の坂道でも坂道発進を練習。
何度目かに突然ズリズリと奇妙な音が聞こえた。
右後ろのタイヤが少し空気がへっているようだ。
舗装した駐車スペースに移動して、スペアタイヤと取り替えることにした。
でも肝心のジャッキが見当たらない。
今までタイヤの交換などしたことがないので、ジャッキのことなど意識になかったのだ。
どうしよう…
ハッと気がついた。
近くにガソリンスタンドがある、そこで何とかなるかもしれない。

そこは昔からあるガソリンスタンドだが、今まで一度も給油したことがない。
車が2台、給油中で、老人が二人働いていた。
一人は給油中、ここはセルフではなく、店の人がやってくれる。
もう一人の老人はちょうどガレージから出てきたところだ。
ここは修理の設備がある、ラッキー!

その老人にタイヤがパンクしたからスペアタイヤと交換してほしいというと、ちょっと見ただけで、「交換しなくていい、ここに釘がささっている」と言う。
それを引き抜くと、2センチほどのネジ釘がでてきた。
坂道発進の砂利道で踏んだのだ。

ネジ釘を取り出した後、老人は15センチほどのT字型の道具でぐりぐりとタイヤに突っ込み、
それを引き抜いた穴にゴムを短くカットしたものを埋め込んだ。
そのあと空気を入れて、
「これでできた!」
「もうできたの?」
「シンシーン」

タイヤのパンク修理とは、ジャッキを使ってチューブを外して穴ふさぎをするものだとばかり思っていたのに。
こんなに簡単にできてしまうのか~。
知らない間に、タイヤは進化しているのだ。
修理代はたったの5ユーロ。
おかげで家まで帰れる。
「おじさん、ムイトオブリガーダ」

翌日また無料教習所に出かけた。
白い車が停まっていて、中には老人と高校生ほどの若者が乗っている。
私がひと回りしてくると、そのクルマは内側の道路をそろそろと走っていた。
どうやら彼らも運転練習をしているらしい。
先生はおじいさん、生徒は孫。
こんな無料教習所は個人の練習にはうってつけ。

ポルトガルの自動車学校は、日本の様な教習所はなく、すぐに一般道路に出て走る。
「教習中」の看板をクルマに付けて走るから、脇を走るクルマも気をつけながら追い越していく。

私も手書きの「教習中」の看板をクルマに貼り付けて、道路を走りたい~。
なにしろ普通の道路でもみんな90キロ、100キロを出して走っているから、看板なしで、60キロで走っていたら、次々と追い越していくクルマににらまれそうだ。

MUZ
2012/07/28

©2012,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい
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(この文は2012年8月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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