秀子通信

山歩きが好きなお婆の
気まぐれ日記

山野草は蕾を抱いて芽をだすんだね

2022-04-14 17:53:58 | Weblog


シラネアオイ
5日に芽を枯れ葉の下に覗かせているのを確認した。14日にはこんなに咲いている。根元には次々と頭をもたげてきている全部で30本は咲くだろう。
サンカヨウの花も蕾をコートで包むように抱いて伸びる姿はユーモラスでもあった。その姿を見たのは徳本峠への最後の九十九折を登っている時だった。もう一度あの姿を見たい。写真に残したい。

我が家の猫のシロは17歳

2022-03-31 06:03:29 | Weblog

毎日、炭の炬燵番をしてくれている。炭と云っても豆炭でも、堅炭でもない、ボヤズミなので一酸化炭素の中毒にはならない。家自体が隙間だらけでもあるが。17歳になる。人間の歳に換算したら何歳だろうか?私は後期高齢者2年目に入った。シロの衰えを日々見ていると、自分の姿を見ている様で愛おしくなる。シロ、お互い頑張ろうな!!と。写真が縦になっていたが直せないまま。

メジロ

2021-02-13 20:10:30 | Weblog
こんなに身近に、こんなに可愛い存在が居たなんて、この年になるまで知らなかった。バードコールと遇わなかったら、知らずに一生を終えてしまっただろう。
初めてメジロを見た時はウグイスだと思った。エナガもバードコールをキュルキュル鳴らしていたら、賑やかな一団が私の顔を覗きこむように近寄ってきたのだ。特徴を忘れない内にと野鳥図鑑で調べたら、
メジロとエナガだと知る事ができた。そして今の所メジロのつがいの幾組かがエサ台に来るし、キュルキュルと優しく時には強くならせばどこからともなくやってくる。孫が「おばあちゃん、メジロを飼っているみたいだね」と云うくらいよく来てくれる。餌は今のところ柿の熟した物。



嬉しい事、悲しい事。

2021-02-11 00:41:28 | Weblog
嬉しい事。
 昨日から(2月9日)、メジロがえさ台につがいでやってくる。剪定した樫の枝を片付けていると、今日は頻繁にやってきた。バードコールを鳴らしながら近づくと逃げない。仲間がいると思うのかもしれない。鳴らしていると何処からともなくやってくる。1月の半ば頃は集団で来て、たまに遭った。バードコールに反応してくれて、うれしくて、あれから小鳥の鳴き声に敏感になっている。
悲しい事。
 今日は孫の3歳の誕生日。お祝いに赤飯をふかした。ところが砂糖と塩を間違えて使ってしまったのだ。

天気も心も穏やかな一日でした。

2021-01-16 11:04:18 | Weblog
 昨日、15日は風もなく暖かで、穏やかな日和でした。
朝9時頃から手袋もしないでサルナシの剪定をした。去年は主軸から出ている枝を全て根本から切ってしまった。そうすると花芽が出ない事が判ったので、今年は10本に1本位残して、残したものは2芽位の位置で切って見た。果たしてどうなるか?花が咲いてくれるか?期待したい。
 ノウセンカズラもイカ、タコを逆さにした様な様に伸びた枝をみんな切り落した。昨年は蕾のまま大方v落ちてしまって、パラン、パランと咲いただけで寂しかった。極端な長雨と極端な日照りのせいだったのか、それとも虫?だったのか確認s内でしまった。今年は綺麗に咲いてくれることを願って剪定を済ませた。
 歩きも50分程歩いた。暖かいと体を動きが楽なので、、他やるべきことが出来て気分も爽快。 

「旧植民地文化財返還へ」と云う記事に心惹かれた。

2021-01-11 10:16:38 | Weblog
本日の日刊紙の1面の「歴史的不正義」向き合うオランダ 旧植民地文化財返還へという見出しに心惹かれた。オランダの人権活動家や博物館の専門家でつくる諮問委員会が去年10月に、旧植民地の住民の同意のない文化財の持ち去りは「歴史的不正義」であり無条件で原産国に返還すべきだ、とする勧告書を発表したと云うもの。とても勉強になるいい記事だった。スクラップしておこう。

相変わらず山歩きは大好きです。(無謀だった徳本峠越え)

2019-08-20 14:56:26 | Weblog
4月は伊那の戸倉山、5月は筑北の岩殿山、6月徳本峠越え、7月地元のてっぺん、美しヶ原タデ河原から百曲がりコース、と歩いた。
 
 徳本峠越えは無謀だったと思っている。ネットで読んだ前年の「徳本峠越え記念山行」の行程表を基準にして日帰りできると思い込んでしまった事。
 私の山行目的は景色を空気を味わいながら、花を見つけながらゆっくり歩く事。だから島々を6時少し前に歩き始めて、イワナ留小屋に12時着、峠の小屋着は夕方6時過ぎていた。100人からの人が追い抜いて行ったから、道が分からなくなるとは思わなかったが途中道が分からなくなり2時間程ロスをした。日の長い時期で良かったが携帯の電波も届かなく心細くなった。犬の鳴き声がしていたので、小屋が近いか、人が居ると思って大声を出したが返事もなく遭難したかと思った。戻るしかないと思って下り始めたら道が分かり登り始めたが最後のつづら折りのようなくねくねは本当にきつかった。ようやくたどり着いた時はみんな夕食は過ぎてくつろいでいるところだった。若い登山者から電話を借りて家に無事であることを伝え、200人からの人が通過していった事、体調を崩す人も出た事などお聞きし、予約してなかったから、素泊まりをお願いした。記帳で住所を確認した小屋主から小屋開きには私の家の近所の人がいつも手伝いに来てくれている。など知った名前をお聞きしたらほっとして「助かった」事を実感した。暖かい言葉をかけて頂き大正時代に建てたものだという手前の棟に泊まらせていただき、暖かい布団に寝かせて頂いて良く眠れました。
次の日は朝6時半に写真の愛知県のグループが「私達と一緒に下りましょう」と仲間に入れてくれました。途中雪渓を渡るところも2から3カ所あり、助けて頂きながら下りました。愛知県の皆さん有難うございました。
小屋主に「犬の鳴き声を聞いたが」とたずねるとそれは犬ではなく猿が良く鳴きまねをするそうだ。小屋主の云うにはこの時期、島々谷の猿群団と明神谷の猿群団がけんかをするそうだ。強いのは明神谷の猿群団で、人にも慣れていて、近寄ってきても決して「きゃー」なんて声は出してはならない。低い男声で叱れト言う事でした。観察していると面白い。と云っていました。上高地の🚎ターミナルに着いたのは12時10分前。買い物する時間もなく、12時発のバスにどうにか間に合い 旧安曇村役場で軽トラに乗り換えせせらぎの湯で筋肉の疲れを癒し日常に戻った。どういうわけか筋肉痛は起きなかった。

村議選、疲れました。

2018-03-27 07:11:07 | Weblog
ご無沙汰してしまったので書こうと思ってページは開きましたが、未だその元気が出てきません。フェイスブックを見てください。

「世界を屈服させる国でなく、世界が感服する国であれ」との見出しで

2017-10-20 22:26:01 | Weblog
「戦争の大問題」という本を書かれた公益財団法人日本中国友好協会会長の丹羽宇一郎さんが、しんぶん赤旗で、その本の内容、訴えたかった事を「戦争に近づかない」ためにと題して語られたものが載っていた。視点が広がる想いで読んだ。要旨を抜粋転載しておく。
「相手をバカにし、敵意を持てば、相手も同じ感情を持つ。人は自分の鏡。いくら相手をバカにしても、それで自分が立派になることはない。一時的に溜飲は下がっても、自分自身の尊厳も下げる。お互いに共通する事だけでなく、違いを認め受け入れることが基本。敵意や戦意をあおるのは平和友好を説くよりもずっと簡単。国民の感情的な支持は得やすい。外国と対立すると国民は強硬論を好む。慎重論は弱腰とされ、政府の政策が強硬になるとメデヤも自由を失い、強硬論以外は排除されていく。戦前のメデヤがまさにそうで、今また同じ過ちを繰り返そうとしている。
 戦争を知らない時代に生まれたものが第一にできる事は戦争の真実を知る事。極限状況に置かれた人の集団は、たやすく鬼畜になる。これが戦争の真実。「安全保障とは防衛力」だと信じている日本人は多い。国会議員でも安全保障の議論になると、中国や北朝鮮からの攻撃をどう防ぐ、どう反撃するかばかり話す人が居る。敵を作らないことが目的の安全保障に対して、敵がいないことことには成り立たないのが、防衛計画。
 日本が目指すべきは世界中から尊敬される国。尊敬される国とは世界を屈服させる国ではなく、世界が感服し、手本となる国。平和的手段で問題を解決する。日本が目指すべきは「敗者の歴史」を冷静に検証する国。相手にいかに非があっても、武力でただす方法は避けなければいけない。戦争による解決は選んではならない。選挙で当選する事だけを目的にせず、自分たちの主張を明確にする。民主主義は民が主人で党が主人ではない。自らの党の為に主張を変えた人は国民に説明すべき。」私は主張が明確な候補者に投票するつもり。

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鉢盛山きつかったです。

2017-08-08 12:04:32 | Weblog
 8月6日鉢盛山へ登山。朝日村役場へ前もって入山申し込みし、当日、鍵専用のポストから自分宛用の封筒を受け取り、林道のゲートを開けて入るのだが、午前6時、未だ9個の鍵が残っていたし、登り口駐車場には2台先着があった。何故そんなに人気があるのか思ったら300名山に入っているらしい。先着車は川崎、柏ナンバーだった。
 がけ崩れの復旧で何年か入山禁止になっていたが、前の登山道より一尾根位手前になった感じと受け止めた。歩き始めたのは7時。最初から結構きつい階段に怖気づいてしまいそう。同行者の2人はベテランで超鍛えられている人達で冷静だ。旧道は林の中をもっとゆるやかに、「木曽チドリ」や「ギンリョウソウ」などの花々を見ながら登れた感があったが、片手にストック、片手は笹につかまって、よいっしょと体を引き上げる。そんな私らを出迎えてくれたのは虚無僧というキノコによく似た見事なキノコたち。そんな登りを波田からの合流点の尾根まで約2時間、苦しかった。先着車の人たちにはそれぞれ苦しい登りの途中に、下山していったし、尾根道で花の鑑賞中に伊那市からの3人組は私たちを抜いていった。目的の花達に逢えた事は最高の喜びだった。頂上まではいかずに11時頃昼食を取り下山することにした。愛知からの5人組は、坂の途中で、カップラーメンの食事中。それも貴重な花達を下敷きにして。貴重な花達であることを伝え少し雑談をして別れる。最年長者は私と同じ年だった。まもなく伊那の3人組が下山して行き、愛知の5人組もへたばっていた年長者を助けながら下山してきた。あれ以上は登らなかったのではないだろうか。駐車場でまた逢えた。下山に膝が全然痛くならなかった事はうれしかったが不思議だ。12時半頃には役場着。買い物して自宅着1時だった。写真をパソコンで確認し、波田のせせらぎ温泉に入りに行く。ツアー登山の観光バス2台、2グループで満員だった。せせらぎの湯は、ツアーのコースに入っているらしい。

鉢盛山の小一葉ラン