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国際法における広島・長崎への原爆投下の違法性と下田事件裁判(前編)

2016-09-22 09:39:01 | 国際法・国際政治・平...

国際法における広島・長崎への原爆投下の違法性と下田事件裁判 (前編)

                                                                            牛島 万

はじめに

わが国最初で唯一の原爆訴訟とされる下田事件裁判は、下田隆一を筆頭に被爆者5名の原告が、日本国政府を被告として1955年4月、東京地方裁判所に提訴した。8年の歳月をかけて1963年、東京地裁は、原告の米国に対する損害賠償請求権は、日本国が講和条約で損害賠償請求権を放棄したため、原告の米国政府に対する損害賠償請求権は存在せず、また日本国政府にも補償責任はないとした(裁判長 古関敏正裁判官)。原告側は上訴することを断念したが、この判決が一定の評価を受けている理由は、法解釈の過程で、米国による広島・長崎への原爆投下が国際法に違反していることを認めたことであろう。つまり、国内の地方裁判所の判決とはいえ、国際法における原爆投下の違法性という、外国の国家実行の不法行為を認めた世界ではじめての、そして未だ唯一の事例という意味でそれは画期的な裁判であったといえよう。しかし、当該裁判は国際法上の事例として概して高い評価を受けており、従来、学説及び判例ともにこれに関心が集まっている一方、原告等が求める損害賠償請求権は見事まで完全に否決されたのであり、この点において、本裁判の意義が歪められてきた観がある。そこで、本稿では、原告側の弁護団の一人であった松井康弘弁護士の論説および下田事件判決の裁判記録にもとづいて、1963年の原爆訴訟(下田事件裁判)を中心に検討する[1]

 

1. 原告等の訴え

(1) 請求の原因

最初に原爆投下による一般市民に与えた多大な損害の生々しい現状について伝えることから始まっている。「昭和20年8月6日午前8時15分頃、アメリカ合衆国陸軍航空隊テイベッツ大佐の操縦する爆撃機B29は、米国大統領H・S・トルーマンの命令により、広島市上空においてウラン爆弾と呼ばれる爆弾を投下した。ウラン爆弾は空中でさく(、、)裂し、一条の強烈な閃光とともに激しい爆風が起こり、広島市内の建物は音をたてて倒壊し、市内は塵埃に包まれ暗黒となり、いたるところ猛火に包まれた。爆心地を中心とする半径約4キロメートル以内にいた人間は、みごもれる婦人も、乳房をふくむ嬰児も全く区別なく、一瞬にして殺害された。それ以外の地域でも爆発の特殊加害力によって、身体にむごたらしい傷害をうけ、或いは傷痕はなくても放射線を浴びて原爆症に罹り、その結果死んでゆく者が十数年後の今日でもなおあとを絶たない」。

松井弁護士は論説で次のように書いている。「昭和20年8月6日に広島市に、9日には長崎市に投下された原爆は、中空でさく裂し、一瞬にして全市は地獄と化した。あらゆるものが溶け、焼け、燃え、人は消え、かろうじてようやく命を留めたものも、皮膚をボロ衣のごとくにして、妻を夫を子を求めて業火のなかをさまよい歩き、そして死んでいった。周辺の都市や農村から累累の屍体を整理するためにはせ参じた多くの青年男女が、二次放射能にやられてバタバタとたおれていった」。

 広島市に引き続き、今度は長崎市に原爆は投下された。広島への原爆投下からわずか3日後のことであった。「広島市に対する爆撃後、3日を経た同月9日午前11時2分頃、同じく米国陸軍航空隊スウェーニー少佐の操縦する爆撃機B29は、長崎市上空においてプルトニウム爆弾と呼ばれる爆弾を投下した。プルトニウム爆弾は空中でさく(、、)裂し、直径約70メートルの火球を生じ、次の瞬間火球は急速に拡大して地上をたたきつけ、地上の一切の物質を放射性の物質に変えながら白煙となった。これによって長崎市においても、広島市におけると同様な破壊と、平和的人民に対する残酷きわまりない殺傷が発生した」。

 ちなみにこれが原爆とわかったのは少しあとになってからであった。おおよその予測はついていたのかもしれない。あるいは後述のトルーマンの声明のなかでそれが原爆であることが明かされたのは最初の原爆投下から16時間後のことであった(トルーマンの声明については後述する)。

「広島市に投下されたウラン爆弾及び長崎市に投下されたプルトニウム爆弾は、当時世界の人類にその存在も名称も知られていなかったが、後に原子爆弾と呼ばれて、全世界の人々を恐怖の淵に落とし陥れた。この原子爆弾は、ウラニウム原子、プルトニウム原子の原子核分裂によって生じるエネルギー及びその連鎖反応によって生じたエネルギーを光、熱、放射線、爆圧等として放出させ、その量及び質の点で人類の想像を絶した破壊力を有するのみならず、直接の破壊を受けないものに対しても熱輻射線によって火災を発生させ、閃光火傷(火焰火傷とは異る)をもたらすものである。それは爆心地を中心に半径約4キロメートルにわたって必然的に無差別殺傷の結果をもたらし、爆風により建物を破壊し、更に放射線による原爆症を発生させて逐次死に到らしめる作用を有する」。

「広島市及び長崎市における原子爆弾による災害のうち、当時の死傷者は、別紙第1表のとおりである(本稿註を参照)[2]。しかしながら、原子爆弾投下後の惨状は、よく数字の尽すところではない。人は垂れた皮膚を襤褸として屍の間を彷徨、号泣し、焦熱地獄の形容を超越して人類史上における従来の想像を脱した惨鼻(酸鼻)な様相を呈したのであった。このように、原子爆弾の加害影響力は、旧来の高性能爆弾に比べて著しく大きく、しかも不必要な苦痛を与えることも甚だしく、その上その投下が無差別爆弾となる必至であって、極めて残虐な害敵手段である」。

 

(2) 国際法による評価

原告側は、原爆投下が「当時の実定国際法(条約及び慣習法)に反する違法な戦闘行為」であるとする。その証拠として、人道法の側面から訴える。①セント・ペテルスブルグ宣言(1868年12月11日)によると、「戦争における唯一の正当な目的は敵の兵力を弱めることであり、その目的を達するためにはなるべく数多くの人を戦闘の外に置き、そして戦闘外に置かれた人の苦痛を無益に増大したり落命を必然とする兵器の使用はこの目的を超えるものであって、このような兵器の使用は人道に反するものとして、締盟国相互が戦争をする場合には、軍隊または艦隊をして400グラム以下で爆発性の、又は燃焼性の物をもって充てた発射物の使用の自由を放棄することを約している」。

次に、ハーグ陸戦条規第22条において、毒ガス、不必要な苦痛を与える兵器、投射物をあげ、26条において、砲撃の際は事前通知予告を必要とし、27条において攻撃の目標は軍事目標に限りとした。空戦規則第22条の非戦闘員への爆撃禁止、24条の爆撃の目標は軍事目標にかぎり適法とされ(1項、2項)文民たる住民に対して無差別の爆撃になる場合には空爆を回避しなければならない(第3項)とする。これは第2回ハーグ平和会議で採択された特殊弾丸(通称ダムダム弾)の使用禁止宣言(1907年)、ジュネーブで採択された毒ガス等の禁止に関する議定書(1925年)の解釈から類推適用させ、同様の結論が導かれるとした。つまり、原爆が新兵器であることから、原爆に特定した条文はなくても、当時の実定国際法として原子爆弾についても適用、準用しなければならない。「当時日本国は原子爆弾を有しないことはもちろんであり、その敗戦が必至であることは一般にみるところであって、それはもはや時期の問題とされていた。従って、原子爆弾の投下は日本国の戦力破砕の目的に出たものではなくて、日本の官民の闘争心を喪失させるための威嚇手段であって、米国の防衛手段に出たものでもなければ、また報復の目的に出たものでもない。このことは、当時ジェイムズ・フランク教授を委員長とする7人の科学者から成る原子力の社会的政治的意義に関する委員会が、陸軍長官に対し日本に対する原子爆弾投下に反対する勧告を行ったことからも明らかである。それとともに原子爆弾の研究及び製造計画に関与した64名の科学者からも、同委員会の報告と同趣旨の請願書が大統領宛に提出されたが、これらの報告及び請願は無視され、原子爆弾は無警告で広島市及び長崎市に投下されたのである」。

被告である日本政府は実定国際法が存在しないので原告の訴えは当たらないとしている政府に対して次のように述べている。「日本国政府は昭和20年8月10日スイス政府を通じて米国政府に対し、別紙第3表(本稿では以下の注で引用する)の抗議文を提出している。被告の現在の見解は交戦国という立場をはなれて客観的にみた結果であるというが、それでは当時の日本国政府は正当な国際法の解釈をしなかったことになるのであろうか。原告等は、むしろ短時間のうちに国際法の真髄を捉えて世紀に残る大抗議をしたことを、日本国民として名誉にさえ考えているのである[3]。また、被告は戦争においては敵国を屈伏させるまでは、限定された明示の禁止手段以外ならば、いかなる手段でも用いることができるという見解のようであるが、それは死の商人ならぬ死の政治家の言であって、きわめて遺憾である」。

 

(3) 国内法による評価

 原爆投下行為が国際法に違反することは同時に国内法にも違反する。従って、違法性を阻却されず、国内法上の不法行為を構成する。この場合、不法行為の責任は米国及び原爆投下を命じた当時の米国大統領トルーマンであるが、不法行為の場合は不法行為地であり、それが2国にまたがる場合は発生地の法律が準拠法となる。従って、準拠法は日本法となり、国家が不法行為の責任を負うことになる。

 

(4) 損害賠償の請求

国際法違反の行為については、被害を受けた国家も個人も国際法上の権利主体として、国際法上損害賠償請求権を有する。対日平和条約条約第19条(a)において、「日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在していたためにとられた行動から生じた連合国及びその国民すべての請求権を放棄」するという規定から、日本国民の米国に対する権利の存在を前提にしている。「被告は、原告等の主張する損害賠償請求権は観念的なものであって、実現手段をもたないものであるから権利ではないと主張する。もし被告の考え方が認められるならば、戦時国際法は全面的に否定されることになるのであって、どれほど使用を禁止されている兵器を用いても、勝てば違法の追及を免れ、国際法を守っていても、敗れれば相手国の違法を追及できないということになり、従って勝つためには使用を禁止された兵器も使用せざるをえないということを肯定する理論となる。自ら行使の手段を有しない権利は権利ではないという被告の理論は、独断以外の何ものでもない」。

 「原告等の権利は日本国によって行使されるのであって、民主国家は国民のためにあるのだから、自国の政府がこれを行使することができれば、それで十分であろう。自国の政府が国民のために働かないことを前提にして、国際法上の権利を考えなければならないとするのは、あまりにも情けない理論だといわなければならない」。

 

(5) 請求権の放棄による被告の責任

被告が、米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を米国との平和条約に基づいて、損害賠償請求権を放棄したことは違法である。損害を被った原告等に、国家賠償法第1条の規定により、賠償の責任を日本国政府は負わなければならない。「講和条約の締結に当たっては、原子爆弾の投下による損害賠償請求権は高く評価されたと考えられ、従ってこの権利は日本国の米国に対する損害賠償の一部に充てらえたものと解すべきである。日本国はこの権利を放棄することによって、平和条約の他の面で利するところがあったに相違ない。たとえ、明白な表現による外交交渉がなされなかったとしても、米国の良心、世界人類の良心は必然的にこれを平和条約の差引計算に組み入れたであろうし、それ故にこそ被告は故意にこの請求権を放棄したのである。従って被告は、原告等の米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を放棄することによって、原告等の私有財産を一方的に公共のために用いたものというべきであって、日本国憲法第29条第3項の規定に従い、原告等に対して正当な補償をする義務を負うものである」。私有財産の保障は人権にも関わる問題である。原告等の損害賠償請求権を無償で放棄したにもかかわらず、その補償が講じられなければ、不法行為が構成される。

 

2. 被告(国)の答弁

(1) 原子爆弾の投下とその効果及び国際法による評価

 次に被告(国)の答弁にうつろう。まず国が提示した被害者数は極度に少ないことがわかる。広島市における死者は78,150人、傷者は51,408人。長崎市は死者23,753人、傷者は41,847人であった。次に国際法上による評価であるが、「原子力分裂によるエネルギーを利用する害敵手段である原子兵器は、第二次世界大戦の後半に発明されたもので、それが広島市と長崎市に対して使用されるまでは、世界人類によってまだ一般に知られていなかった。従って、当時原子兵器による害敵手段を禁止し、又は許容することを明言した条約はなく、またこの新兵器についての国際慣習法は全くなかったから、原子兵器に関する実定国際法は存在しなかったというべきであり、実定国際法違反という問題は起こりえない」。原告等の挙げるハーグ陸戦条規等の条約は原子爆弾を対象とするものではない。また「空戦法規案及び集団殺害の防止及び処罰に関する条約」は原子爆弾投下当時、存在していなかった。

 「従って、原子爆弾投下が国際法に違反するか否かの問題は戦時国際法の法理に照らして決定さるべきものである。由来戦争は国際法の見地からみれば、国家がその敵国を降すため、すなわち敵国をして自己の意思の前に屈服させ、自国の提案する条件を容れて和を乞う決意をさせるため、必要と認められるあらゆる手段を行使することを認められた状態である。この手段として第1に考えられることは、敵国の兵力の撃破であるけれども、敵国の戦闘継続の源泉である経済力を破壊することも、また敵国国民の間に敗北主義を醸成することも、また敵国の屈服を早めるために効果があり、必要な手段が行使される。国際法上交戦国は中世以来、時代に即した国際慣習および条約によって一定の制約をうけつつも、戦争という特殊目的達成のため、害敵手段選択の自由を原則として認められてきた」。つまり、戦時国際法の規定のなかに軍事効果の合法性が認められていた。

 「広島市及び長崎市に対して投下された原子爆弾は、破壊力においてまことに巨大であって、その被害のはなはだしかったことはまさに有史以来のものであり、そのため非戦闘員たる日本国民に多数死傷の結果を生じたことは、誠に痛恨事とする次第である。しかしながら、広島市及び長崎市に原子爆弾の投下された直接の契機として、日本国はそれ以上の抵抗をやめ、ポツダム宣言を受諾することになり、かくして連合国の意図する日本の無条件降伏の目的が達成され、第二次世界大戦は終結をみるに至ったのである。このように原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生ずる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をも[た]らした[4]。かような事情を客観的にみれば、広島、長崎両市に対する原子爆弾の投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結論を下し難い」。

 日本国政府が昭和20年8月10日に出した原爆投下を違法とする抗議文の内容とここで述べている見解の食い違いについては、「当時交戦国として新型爆弾の使用が国際法の原則及び人道の根本原則に反するものであることを主張したのであって、交戦国という立場をはなれて客観的にみるならば、必ずしもそう断定することはできない」とのべ、原告等の主張に反論した。

 

(2) 国内法による評価

原爆投下行為は国内法による対象とはならない。それは、当該行為が国家間戦争の解決の手段で、違法とされる行為については講和条約により当事国間で合意解決されるべきである。従って、「当事国がこれについて国内法により直接相手国民に対して損害賠償の責に任ずるものではない」。また米国内法において、トルーマンが原爆を使用した理由に、軍事的効果と政治的効果がある限り、その政治権力の行使については、裁判所はその審査を拒否する。加えて、国家免責の法理が存在している。さらには、米国国際私法により日本法の不法行為が適用されることはない。「国家は外国法の適用が自国の利益に反するときは、その適用を拒むのが原則である」。

 

(3) 被害者の損害賠償請求権

米国に対して、国際法上の損害賠償を請求しうるのは日本国であって私人ではない。個人が国際法上の主体になりうる例外としては、条約その他の国際法にその趣旨の規定がある場合、及び個人に国際司法裁判所(ICJ)に対する出訴権が認められた場合に限られる。従って、これが認められていない以上、「原告等に国際法上の権利として損害賠償請求権の発生するいわれはない」し、「法律以前の状況である」。

かりに原告等に損害賠償請求権が生ずるとして、その請求権とは、国際法上のものであり、私人である個人が交渉することはできない。だからといって、「国が被害者個人に代わって行うのではなく、被害者の属する国自体が自らの立場でするものであって、その結果として賠償をえても、これを被害者に分配するかどうか、またその分配額はいくらにするか等は、その国が独自に決定するのである」と答弁した。「古来敗戦国より戦勝国に対して、戦勝国の国際法違反の行為から生じた損害について賠償を要求し、またそれが実現されたことは歴史上例がない。戦勝国といえでも講和条約によって敗戦国から一定金額ないし一定役務の賠償をうけるほか、その余の請求は一切行わないことが、古くからの国際慣例となっている。従って仮に原告等の主張する請求権があったとしても、講和条約とともに当然消滅すべき運命にあったものといわなくてはならない」と述べた。

 

(4) 対日平和条約による請求権の放棄

国側は対日平和条約第19条(a)の規定により、国民個人の米国及びトルーマンに対する損害賠償請求権を放棄したことにはならない、と反論する。国が放棄したのは国際法上の国家の権利であり、外国との合意により放棄したので、国民個人にかりに請求権があるにせよ、ここと同じものではない。従って、国民自身の請求権の侵害にはあたらない。

 

(5) 請求権の放棄による被告の責任

「被告は国家賠償法による損害賠償責任を負う義務はない。もともと原告等の請求権は権利たるに値せず、敗戦国の側から講和に際して当然放棄されるべき宿命にあったから対日平和条約の締結は何ら権利の侵害とはならない。のみならず、平和条約の内容が国内法体系からみてそぐわないものがあるとしても、条約そのものを違法とすることはできない。敗戦国にとって講和条約が憲法上の禁止条項に抵触し、又は憲法上適法な手続きがとりえないため、条約を締結することができないとすれば、講和を行うことができなくなり、その結果戦争の遂行能力あるかぎり最後まで戦わなければならなくなる。従って、講和条約については、たとえ違憲の疑があるとしても、革命の場合と同様、一つの既成事実として裁判所その他の国家機関はこれを認めなければならないとされ、あるいは国家非常の観念から、戦時にあっては条約締結権は憲法に拘束されないとされ、あるいはまた国際法優位論を適用して講和条約が憲法上の諸権力に対して一つの優先力をもつものとされてきた。対日平和条約に際しても、敗戦国日本の立場は、これに異るところはない。対日平和条約は、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏をした日本国がその独立を回復するために、『強制されて欲した』国際的合意であるから、その内容において日本国憲法の保障する国民の権利に消長をきたす条項が規定されているものとしても、これを目して違法なものと断ずることはできない」。

 かりに原告等に請求権があり、それが対日平和条約第19条(a)の規定により放棄されたとしても、憲法29条の規定により即、損害賠償請求権が生ずるものではない。換言すれば、「憲法が直ちに具体的な損害賠償請求権を与えるものではない」。

 そのうえで被告(国)は次のように続ける。「今次の戦争において、世界人類の経験しなかった原子爆弾のさく裂のもとにおかれた人達に対して、被告は深甚の同情を惜しむものではないが、これらの人達に対する慰籍の途は、他の一般戦争被害者に対するそれらとの均衡や、国家の財政状況等を勘案して、決定しなければならない。かような措置を立法上、財政上講ずるべきか否かは、法律問題ではなく政治問題である」。

 「国家が外交的保護権を行使して、相手国より賠償金をえた場合でも同様であって、それを被害者に分配するかどうか、また分配するとしてもその方法如何については、国家が独自に決定してよいのである。それは国内政治の問題、又は立法の問題とはなり得ても、被害者が当然に賠償請求権を取得するものではない。従って、立法上かかる措置のとられていない現在においては、被告は原告等に対し補償又は賠償をする義務はないし、またそれを講じていないからといって、これを直ちに民法上の不法行為とすることはできない」のである。

 

3. 東京地裁の判決

 (1) 原子爆弾の投下の被害現状および原子爆弾の特質

では、これに対してどのように判事されたのか、さらにその判決内容を分析しよう。

原子爆弾の特徴について、爆風によるもの、熱線によるもの、初期核放射線と残留核放射能によるものに分けて説明した。最後の点についてもう少し詳細をみると、「原子爆弾の爆発後1分以内に放射される放射線は、中性子、ガンマ線、アルファ粒子及びベータ粒子より成り、初期核放射線と呼ばれる。そのうちガンマ線と中性子とは長距離の飛程を有し、これが人体に当るとその細胞を破壊し又は損傷を加え、放射線障害を生ぜしめて原子病(原爆病)を発生させる。原子病は人間の全身を衰弱させ、数時間後ないし数週間後に人を死亡させる病気であって、幸にして生命をとりとめてその回復には長期間を必要とする。その他放射線の照射によって、白血病、白内障、子供の発育不良等を生じさせ、その他身体の諸器官に種々の有害な影響力を与え、遺伝的にも悪影響を生じさせる」。

 「次に爆発してから1分以後に、主として爆発の残片から放射される放射線は、残留核放射線と呼ばれるが、これらの残片は微粒となって大気中に広く拡がり、水滴に附着して放射性の雨を降らせ、或いはいわゆる死の灰となって地上に舞いおりる。この放射線の人体に及ぼす効果は、ほぼ初期核放射線と同様である」。

 以上から、「破壊力、殺傷力において、従来の兵器よりはるかに大きいだけでなく、人体に種々の苦痛ないし悪影響をもたらす点において、原子爆弾は従来のあらゆる兵器と異なる特質を有するものであり、まさに残虐な兵器であるといわなければならない」[5]

 

(2) 国際法による評価

原子爆弾を特定化して国際法上許される兵器であるかを定めた国際法はない。しかしながら、本件は原子爆弾が違法であるかどうかではなく、原子爆弾の投下行為が国際法に違反しているかどうかを考察すれば足る。

そこで、次に原子爆弾の投下行為の合法/違法について、実定国際法上どうであるのかについて考える。

 そこで裁判で取り上げる国際法は以下のとおりである。

 1)セント・ペテルスブルグ宣言(1868)…400グラム以下のさく裂弾及び焼夷弾の禁止

 2)第1次ハーグ平和会議において成立した陸戦の法規及び慣例に関する条約、ならびにその付属書である陸戦の法規慣例に関する規則(いわゆる陸戦条規)。さく裂性の弾丸に関する宣言(ダムダム弾禁止宣言)。空中の気球から投下される投射物に関する宣言(空爆発禁止宣言)。窒息性又は有害性のガスを撒布する投射物に関する宣言(毒ガス禁止宣言)。以上、1899年制定。

 3)第二次ハーグ平和会議で成立した陸戦の法規及び慣例に関する条約(1907)。

 4)潜水艦及び毒ガスに関する5国条約(1922)

 5)空戦に関する規則案(空戦法規案)1923年

 6)窒息性、毒性又はその他のガス及び細菌学的戦争方法を戦争に使用することを禁止する議定書(毒ガス等の禁止に関する議定書)。

 

以上の諸戦争法規により、新兵器である原子爆弾の投下について、直接の法規制は存在しないが、国際法の規定が存在しないことは即それが合法であることを意味しない。「そこにいう禁止とは、直接禁止する旨の明文のある場合だけを指すものではなく、既存の国際法規(慣習国際法と条約)の解釈及び類推適用からして、当然禁止されているとみられる場合を含むと考えられる」と解釈する。学説も同様である。

 しかし、戦時国際法(武力紛争法)の規定には軍事的効果に対する重視が挙げられている。「新兵器の発明及びその使用については常に各方面から多くの反対があったにもかかわらず、間もなく、進歩した兵器の一つとされ、その使用を禁ずることは全く無意味となり、文明の進歩とともにむしろ有効な害敵手段とされるに至っているのが歴史上の示すところであって、原子爆弾もまたこの例にもれない、と論ずる者がある。過去において新兵器の出現に際し、さまざまな利害関係から反対が唱えられたにもかかわらず、あるいは国際法が未発達の状態にあったがために、あるいは敵国人や異教徒に対して敵がい心が強かったために、あるいは一般兵器の進歩が漸進的であったがために、その後文明の進歩と科学技術の発達によって適法とされに至った事例のあることは、まさに否定することができない。しかし、常にそうであったとはいえないことは、前記のダムダム弾、毒ガスの使用を禁止する条約の存在を想起すれば明らかである。従って、単に新兵器であるというだけで適法なものとすることはできず、やはり実定国際法上の検討にさらされる必要のあることは当然である」とした。

 次に、原子爆弾の投下行為における「空襲」に関する法規によって判定する。空襲については条約が成立していないので、慣習法によって一般に認められている陸軍の砲撃についてみると、その時に防守都市と無防守都市の区別がなされる。そして前者には無差別爆撃が許されるが、後者においては戦闘員及び軍事施設(軍事目標)のみに攻撃が認められ、それ以外にはそれは認められない。また、この原則はハーグ陸戦規則第25条「防守サレサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス」で規定している。また、1907年「戦時海軍力をもってする砲撃に関する条約」1条では、「防守セラレサル港、都市、村落、住宅又は建物ハ、海軍力ヲ以テ之ヲ砲撃スルコトヲ得ス。(以下略)」と規定し、同第2条では、「右禁止中ニハ、軍事上ノ工作物、陸海軍建設物、兵器又ハ軍用ノ用ニ供セラルヘキ工場及設備並内ニ在ル軍艦ヲ包含セサルモノトス。(以下略)」と規定されている。

 空戦に関しては、1922年の「空戦に関する規則案」第24条1項で、「空中爆撃は、軍事的目標、すなわち、その破壊又は毀損が明らかに軍事的利益を交戦者に与えるように目標に対して行われたかぎり、適法とする」。同条3項で「陸上部隊の作戦の直近地域でない都市、町村、住宅または建物の攻撃は禁止する」。軍事的目標である軍隊、軍事工作物、軍事建築物等が、「文民たる住民に対して無差別の攻撃を行うのでなければ爆撃することができない位置にある場合には、航空機は爆撃を控えなければなければならない」。22条でさらに非戦闘員に対する爆撃を禁止している。

 ところで、空戦規則案は条約として発効していないので実定法ではないが、国際法学者の間では評価を受けていること、また同法規の趣旨は軍隊の行動の規範にしている国もあり、基本的な規定は慣習法化されている。従って、そこに規定されている無防守都市に対する無差別爆撃の禁止、軍事目標の原則は、陸戦海戦における原則に共通している点から慣習国際法であると考えられる。また地上都市に対する爆撃は、陸戦に関する法規が類推適用しうる。

それでは、防守都市と無防守都市の区別は何か。ここでも、先と同じく、戦時国際法の2つの理念、つまり軍事的効果による戦争の合法性と、人道主義が対立しているなか、そのバランスをとろうとしている。防守都市とは「地上兵力による占領の企図に対し抵抗しつつある都市をいうのであって、単に防衛施設や軍隊が存在しても戦場から遠く離れ、敵の占領の危険が迫っていない都市は、これを無差別に砲撃しなければならない軍事的必要はない」から、防守都市とはいえない。しかし、この場合でも軍事目標に対する砲爆撃は許される。他方、「敵の企図に対して対抗する都市に対しては軍事目標と非軍事目標とを区別する攻撃では、軍事上の効果が少く、所期の目的を達することができないから、軍事上の必要上無差別砲撃が認められるのである」。(下線部は筆者)これは、空襲に関する国際法上の原則であり、学説も同様である。

「もちろん、軍事目標を爆撃するに際して、それに伴って非軍事目標が破壊されたり、非戦闘員が殺傷されることは当然予想されうることであり、それが軍事目標に対する爆撃に伴うやむをえない結果である場合は、違法ではない」。(下線部は筆者)

そのうえで、広島市及び長崎市への原爆投下について言及する。「広島、長崎に投下された小規模のものであっても、従来のTNT爆弾20,000トンに相当するエネルギーを放出する。このような破壊力をもつ原子爆弾が一度爆発すれば、軍事目標と非軍事目標との区別はおろか、中程度の規模の都市の一つが全滅するとほぼ同様の結果になることは明らかである。従って防守都市に対してはともかく、無防守都市に対する原子爆弾の投下行為は、盲目爆撃と同視すべきものであって、当時の国際法に違反する戦闘行為であるといわなければならない」。

では、広島、長崎は防守都市か無防守都市のいずれであったか。まず広島市及び長崎市が占領の企図に対して抵抗していた都市ではない。両市とも軍事施設は皆無ではないが、「敵の占領の危険が迫っていない都市」であるので、防守都市ではなかった。加えて、両市には軍隊や軍事施設等の軍事目標があったにせよ、広島市には33万人、長崎市には27万の市民である非戦闘員が居住していた。従って、「原子爆弾による爆撃が仮に軍事目標のみをその攻撃の目的にしていたとしても、原子爆弾の巨大な破壊力から盲目爆撃と同様な結果を生ずるものである以上、広島、長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は、無防守都市に対する無差別爆撃として、(原爆投下の)当時の国際法からみて、違法な戦闘行為であると解するのが相当である」。

これに対して、当時の戦争は総力戦であったので、戦闘員と非戦闘員の区別、防守都市と無防守都市の区別が困難であること、軍事目標主義が貫かれなかったことを根拠にする反対論がある。しかし、軍事目標の範囲が拡大していくことはあっても、軍事目標か否かの区別がつかないことはありえない。「例えば、学校、教会、寺院、民家は、いかに総力戦の下でも、軍事目標とはいえないであろう」。総戦力とは、「戦争の勝敗が単に軍隊や兵器だけによって決るのではなくて、交戦国におけるその他の要因、すなわちエネルギー源、原料、工業生産力、食糧、貿易等の主として経済的な要因や、人口、労働力等の人的要因が戦争方法と戦力を大きく規制する事実を指摘する趣旨であって、(中略)実際にそのような事態が生じた例もない」。「個々の軍事目標を確認して攻撃することが不可能であったため、軍事目標の集中している地域全体に爆撃が行われた」が、これはその軍事的利益又はその必要性により、かつ、非軍事目標の破壊の影響が少ないので、合法視する余地がないとはいえない。しかし、この点について学説の立場は、軍事的利益、効果が大きければ、非人道的な結果が必ずしも国際法上禁止されるとは限らないのである。「広島市、長崎市がこのような軍事目標の集中している地域といえないことは明らかである」。

加えて、慣習法化されている人道法の立場からいえば、原爆投下は、「戦争に際して不要な苦痛を与えるもの非人道的なものは、害敵手段として禁止される、という国際法上の原則にも違反する」ものである。「戦争に関する国際法は、人道的感情によってのみ成立しているのでなく、軍事的必要性有効性と人道的感情との双方を基礎とし、その二つの要素の調和の上に成立しているからである」(下線部は筆者)。

この法的根拠として1868年のセント・ペテルスブルグ宣言で提唱された重量400グラム以下の爆発性の投射物、燃焼物又は発火性の物質を充塡した投射物の使用を禁止したことを挙げる。「このような投射物は小さいため、将兵一人の殺傷程度の力しかないが、それならば普通の銃弾でこと足りるのであって、これ以上に何の利益もないのに非人道的な物を敢て使用する必要はなく、その反面、非人道的な結果が大きくても、軍事的効果が著しければ、それは必ずしも国際法上禁止されるものとはならない」(下線部は筆者)。

そのうえで、原子爆弾に対する直接の規制はないが、これを毒、毒ガス、細菌等と同一視できるかという点である。ここで判決は、セント・ペテルスブルグ宣言の「既ニ戦闘外ニ置カレタル人ノ苦痛ヲ無益ニ増大シ又ハソノ落命ヲ必然的ニスル兵器ノ使用ハコノ目的ノ範囲ヲ超ユルコトヲ惟ヒ、此ノ如キ兵器ノ使用ハ此の如クシテ人道ニ反スルコトヲ惟ヒ…」、およびハーグ陸戦規則第23条「不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器、投射物又ハ其ノ他ノ物質ヲ使用スルコト」からみて、毒、毒ガス、細菌以外でも同等あるいはそれ以上に原子爆弾が必要な苦痛を与えることは明らかであり、国際法上その使用が禁止されていると考えられると判じる。事実、「多数の市民の生命が失われ、生き残った者でも、放射線の影響により18年後の現在においてすら、生命をおびやかされている者のあることは、まことに悲しむべき現実である」。

 

 (『「戦争と平和」を知るための平和論序説 ―平成27年度京都外国語大学 国際言語平和研究所・教育メソッド・教育コンテンツ研究「世界の平和教育の実態と本学における教育メソッド研究」成果報告書』、2016年3月、より一部掲載)



[1]  多くの判例研究が出されているが、さしあたり、岩本誠吾「原爆投下の違法性」(小寺彰・森川幸一・西村 弓編『別冊Jusrist 国際法判例百選(第2版)』No.204 有斐閣)、232-233頁. 判決原文は、松井康浩「原爆投下は国際法に違反する」(『自由と正義』vol.15, no.2 日本弁護士連合会、1964年2月)、21-42頁.

[2]   広島市の場合、人口413,889人のうち、死者260,000人、行方不明6,738人、重傷51,012人、軽傷105,543人、つまり死傷者総計は423, 293人。長崎市の場合、人口280,542人のうち、死者73,884人、傷者76,796人、死傷者総計は423,293人。あとで述べる国の数値と大幅に異なる。

[3]  日本政府は次のような抗議文を送っている。

  

                       米国の新型爆弾による攻撃に対する抗議文

    本月6日米国航空機は広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅せしめたり

   広島市は何ら特殊の軍事的防衛乃至施設を施し居らざる普通の一地方都市にして同市全体として一つの軍事目標たるの性質を有するものに非ず、本件爆撃に関する声明において米国大統領「トルーマン」はわれらは船渠(せんきょ)工場および交通施設を破壊すべしと言ひをるも、本件爆弾は落下傘を付して投下せられ空中において炸裂し極めて広き範囲に破壊的効力を及ぼすものなるを以ってこれによる攻撃の効果を右の如き特定目標に限定することは物理的に全然不可能なこと明瞭にして右の如き本件爆弾の性能については米国側においてもすでに承知しをるところなり、また実際の被害状況に徴するも被害地域は広範囲にわたり右地域内にあるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女老幼を問わず、すべて爆風および幅射熱により無差別に殺傷せられその被害範囲の一般的にして、かつ甚大なるのみならず、個々の傷害状況より見るも未だ見ざる惨憺なるものと言ふべきなり

   聊々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約付属書、陸戦の法規慣例に関する規則第22条、及び第23条(ホ)号に明定せらるるところなり、米国政府は今次世界の戦乱勃発以来再三にわたり毒ガス乃至その他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の輿論により不法とせられをれりとし、相手国側において、まづこれを使用せざる限り、これを使用することなかるべき旨声明したるが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来かゝる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり

米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民衆などを倒壊または焼失せしめたり、而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり

帝国政府はここに自からの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かゝる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す

(出典:『朝日新聞』昭和20年8月11日)http://nvc.webcrow.jp/WA13.HTM(2016年3月16日アクセス)

[4]  下線部は米国史観の受け売りともとれる。柴田はこれを日米の「共犯関係」ととらえる。柴田優呼『ヒロシマ・ナガサキ―被爆神話を解体する:隠蔽されていた日米共犯関係の原点』作品社、2015年、9頁.

[5]  原子爆弾の影響力とは逆に生産コストが低いという事実がある。廣瀬和子「核兵器の使用規制―原爆判決からICJの勧告的意見までの言説分析を通してみられる現代国際法の整合性」(村瀬信也・真山全 編『武力紛争の国際法』東信堂、2004年)、456頁.