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民族主義は悪い?

2012-11-25 00:56:31 | スペイン・ラテンアメリカ論講義録

民族主義は悪い?

昨日24日17時59分、私はある用件で茅ヶ崎にいたが、そのとき本屋で立ち読みをしていたとき、一度だけ下から大きくつきあげるような地震(千葉北西部震源、東京M4)が起こった。この件についてとくに述べるつもりはない。むしろそのあと、私は駅前の市民センターの中にいたが、設置されている夕方6時台のテレビニュースで話されていた話題が気になって立ち止り、拝聴することにした。何チャンネルの何というニュース番組が知らないが、無論そんなこと調べればわかる話だが、とりあえずどうでもいい。

ちょうどカタルーニャの独立問題について、コメンテーターがしゃべっていた。その人物が何者なのか、それもどうでもいい。私が今一番気になっている問題の一つだったので、どんなことしゃべるのか、私は2、3分立ち止まって彼の見解に耳を傾けた。話は途中から聞いたので最初から聞いていたわけではなかったが、一つだけ気になったことがあった。それは民族主義はよくないというような内容を発言していたことであった。彼は具体的には話さなかったが、ナチズムやシオニズムなどをイメージしてのことか、バルセロナの民族主義を危険視していた。

もしそれを平然と語っていたとすれば、それは見当違いも甚だであるといわなければならない。もし百歩譲って、彼の主張を弁護するならば、もう少し言葉を選んで発言してほしかった。つまり、民族主義が悪いのではなく、民族主義が暴力性を発揮することには反対だと言わなければならなかったのではないか。カタルーニャの独立運動や民族主義には「暴力性」は見られない。ここで述べる暴力性とは自民族中心主義の究極な形態や特徴である。要するに自己のための他者に対する暴力的排斥である。抹殺である。カタルーニャの場合はそうではない。民族自決権の精神は法が保障しているものである。だからといって独立が法的に、あるいは政治的に必ずしも認められるわけではないが、そのあたりじっくりまとめて、改めて論じることにしたいと考えている。

                                          (2012.11.25脱稿)

 


スペイン論のまとめ

2012-03-30 17:51:31 | スペイン・ラテンアメリカ論講義録

スペイン論のまとめ

 

(東海大学「スペイン語文化と社会(スペイン)」筆者講義ノートから)

 スペインはヨーロッパの最西端にあるイベリア半島に位置し、同じ半島内には隣にポルトガルが存在する。スペインの首都はマドリードで、半島の中央部のメセタ(高原)にある。スペイン第2の都市はフランスとの国境、つまりピレネー山脈に近い、地中海に面する大都市、バルセロナである。この都市を含むこの地域ではいわゆる「スペイン語」とは異なる地元の言語、つまりカタルーニャ語が話されている。ちなみに、本学で開講されている「スペイン語」とは実質的にはスペイン全土で通用するが、同言語はスペイン憲法が定める複数ある公用語のひとつであって、唯一のものではない。「スペイン語」は別称カスティーリャ語といわれるが、もともとスペイン中央部から発生した地方語である。現在スペインの公用語として憲法が認めているのは全部で4言語である。

 1939年のスペイン内戦終結後、勝利者であった右派のリーダー、フランコが独裁体制を樹立し40年間この体制が継続したが、彼の死をもって、つまり1975年以降、スペインの民主化がスタートした。1978年憲法(現憲法)では、民主主義の理念が掲げられ、その一例として先に述べたように、公用語使用の多様化が謳われている。

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 かつて歴代の知識人たちは「スペインの再生」について議論してきた。外交官であったS・マダリアーガは次のように述べる。

 「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えたあとで走り出す。スペイン人は走ってしまったあとで考える」。

 おそらく彼を含め知識人はスペインの理想と現実とのギャップに苦悩していたのかもしれない。しかし、スペインは独特の文化、とりわけ芸術文化をもっている(1)。それが可能なのは、やはりスペイン人が概して理性よりも感性に秀でているといわれている所以かもしれない。かの有名な文豪セルバンテスが著した『ドン・キホーテ』のなかでも理性と感性(感情)の対比がひとつの物語の重要な柱になっている。主人公のドン・キホーテは風車小屋を巨人だと見立てるまさに狂人めいた人物して扱われる一方、従者のサンチョ・パンサは「旦那、あれは風車小屋ですよ」と冷静に対応する。まさに後者に代表されるように、理性こそ、国や個人の着実な発展には不可欠な要素であろうし、それが科学技術の発展にも結びつくのではある。その点ではマダリアーガも述べるように、スペインという国はその逆の性格をもっている国なのかもしれない。主人公にみられる半ば狂人めいた「精神性」こそ、スペインの独自性の形成にかかわる重要な真髄であったのかもしれない。なぜなら、芸術性とは、決して理性だけで表現できるものではなく、優れた感性との関わりのなかから生み出されたものだからだ。そしてそれを生む土壌がスペインでは存在したということか。たとえば、スペイン人芸術家S・ダリは果たして「狂人」なのか、それとも偉大な芸術家なのか、を考えてみよう。理性という尺度からみれば半ば「狂人」扱いされることがあっても、逆にその高い感性や芸術性がゆえに偉大な芸術家として評価されることはあるのだ。

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 スペインは1986年にEUに加盟して以来、従来の、ヨーロッパのなかの半周辺的な農業国、観光国から脱却し、民主化と経済の自由化による国家発展を築いてきた。具体的には、多くの外国からの直接投資の影響、民営化、欧米型の競争の原理と成果主義導入によって、経済構造の脱本的改革を推進してきたのである。これによってGDPは世界第10位まで上昇してきている。また政治の民主化も推進され、社会労働党(PSOE)と国民党(PP)の二大政党の政権交代が続き、現在は前者が与党である。ちなみに現首相はサパテロである。前政権アスナール首相の2004年3月、スペインはテロリストによる列車爆破事件に遭遇し、以来、スペインはそれまで以上にテロ対策に力を注いでいる。従来、バスクの独立志望のテロリスト集団ETA(バスク祖国と自由)による反政府攻撃で政府は苦戦していたが、当初、列車爆破事件の犯人は同集団の一味であると名指しにしたことで、かえって当時の政府が批判されるという一場面もあった。またテロリストではないが、その予備軍として懸念される麻薬マフィアや青少年のギャング化など、社会不安を助長する問題が存在している。

 これまでの民主化の過程で、中央政府は地方政府の自治を認めてきているが、中央集権化から地方分権化に向かうことは権力分散という点で民主化の一端を飾るものではあるが、反面、これに関するマイナス的な問題が起きる可能性もあって、(2)今後の「自治」容認には検討の余地が十分に残っている。

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 はたしてスペインの民主化の現状はどうか。たとえ民主化のスタートを切ったとしても、それが長期的に安定したものでないと、結局、民主主義は「根づかず」、真の民主主義国家とはなりえない。さらにその民主主義の中身、つまり質を追究しようとしたときに、意外にも「表面的な」民主化か否かがわかるものである。民主主義の逆の意味の言葉として独裁制や独裁主義があるが、独裁制とは特定の少数の人物による支配を根底に置いている。フランコ亡き現代スペインにおいて、かりにその民主主義の質に問題があるとすれば、その体制は総じて政治学の用語を用いれば権威主義といわなければならない。そして現に反民主主義的な「伝統」は一部に存続しており、それが経済構造や人間関係(ビジネス関係)を規定し続けているのである(3)。

【指導のポイント】

 (1)「スペインは独特の文化、とりわけ芸術文化をもっている(1)」とあるが、「バルセロナと芸術」、「アンダルシアとフラメンコの魅力」、「イスラムの文化遺産」というテーマに関して、アーティストあるいは作品、建造物等を紹介しつつ、その魅力とそれが生まれた文化的背景について理解させる。

(2)「中央集権化から地方分権化に向かうことは権力分散という点で民主化の一端を飾るものではあるが、反面、これに関するマイナス的な問題が起きる可能性もあって、(2)」とあるが、「地方分権化とテロリズム」というテーマで、地方分権化のマイナス面について持論を展開できるようにさせる。

(3)「現に反民主主義的な「伝統」は一部に存続しており、それが経済構造や人間関係(ビジネス関係)を規定しているのである(3)。」とあるが、その「伝統」とは具体的に何か。またこの「伝統」のマイナス面(あるいはプラス面もあれば)について、拙稿(『現代スペイン読本』2008)を参照しつつ、理解を深めさせる。


参考文献

牛島万「スペインとラテンアメリカ」(『現代スペイン読本』川成・坂東編、丸善、2008年に所収)

                                                                      【2009年2月16日脱稿】