★・千姫人形・・ 《百人一首のお遊びに興じる?》
~~途中から廊下右側に沿って、八畳ほどの広さの部屋が並び、長局で
あったことが伺える。 そして最後に行き着くのが化粧櫓・・
各部屋の床は板張り仕様に対し、 化粧櫓は畳敷き・・
千姫人形がかるたをしている姿が・・。~
《傍らに煙草盆?可愛い三毛猫もゐて・・》
★・化粧櫓・・
~~化粧櫓の階上には、奥の窓辺に6畳、その手前に18畳、一番手前に3畳分の
床の間のある15畳の室が・・ 天井は杉の柾(まさ)張り、壁面は
黒い木枠に紙が張られて、技巧をこらす。
★桃山時代の居館様式の当時を、しのばせてくれる建物として、
今に伝える、その存在価値は大きい・・。~
《将軍家より10万石の持参金の賜物といわれる》
★・いくつもの櫓を長い廊下で結び、西の丸だけで重要文化財が14棟も・・
~~元来、戦に備えるために作られた、巨大な砦である姫路城は、優雅な外観とは
裏腹に内部は荒々しい造りなれど、この化粧櫓だけは、
千姫の身支度部屋で、あったため、
美しい装飾と居住性をもった、造りとなっている・・。~
★・パネル・・
千姫は、徳川秀忠と江の長女で、豊臣秀頼に嫁いだ女性である。
彼女は「 ... 1603年、7歳のときに秀頼と結婚して大坂城に入るも、
11年後に「大坂の陣」が起きて祖父・徳川家康と、
父・秀忠によって、大坂城は攻め落とされた等々・・と記。~
~~★彡・【戦国の
動乱の世を 生き抜きし
悲運な千姫 魂やすらかか】~
~~千姫に思いを馳せて佇む・・ 享年70歳とう30代にて寡婦なるも
長寿なりしは、取り巻きに守られ、今様の、ストレスも比較的ない
暮しがあったと想像する・・。~
★・、千姫の信仰・・
★・化粧櫓から信仰の山を望む・・
~~天満天神を信仰し、姫路へ来てからは、西方の丘男山にこれを祀り、
毎朝、西の丸の長局の廊下から、参拝したという・・。~
★・百間廊下から望む天守閣・・
、
★・羽子板・・
~~永き歳月を、大切に大切にと、保存をよくぞ・・!
★・見学終えて外から見た化粧櫓・・
★・お城の見学ルートの最後の方にあり、歩き疲れた観光客は素通りして
そのまま出口へ向かうようで、 比較的人が少なくゆっくりと見学できました・・。~
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