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焼津みなとまつり

2012-04-09 10:13:23 | 日記・エッセイ・コラム

昨日と一昨日は焼津港まつりの見学に行ってきた、 一昨日娘がここまで迎えに来てくれた、 そのまま焼津に直行し 祭り準備中のなか魚港を見学、 私は船が好きで 海も好きである、 つい先達て40日のクルーズに行ってきたばかりでした、 土曜日の加減か漁港は静かだ 普段でしたら 船から上げる鰹・鮪などの陸上げが見れたのだが残念、 今日はひっそりとしている、 船員さんでも居れば色々聞きたいこともあるが仕方がない、 大きな船が岸壁に着いている 人影が見えたので近寄って見ると これが魚専門の運搬船でした、 遠方で獲れた魚を集め日本まで運んでくるのだ、 この船は韓国人のオーナーで船員はインドネシア人でした、 下手な英語も通ぜず要領を得ません、 帰る事にしました。

Hotel に着き近所の飲み屋さんに夕食です、 生ビール一杯でいいご機嫌です 近回りの人で店は一杯、 値段が安く美味しいので評判がいいのでしょう、 特に魚類が品数が多く しかも新鮮です、 これなら人気がある訳です。

明けて日曜(8日) 愈々焼津みなとまつり本番です、 Hotel を早く出て港に向った 案の定駐車場の良い所は満車です、 娘はその辺は心得たもの 少し距離はありましたが そちらに移動 未だ空いているところへ駐車、 娘曰く多少の足の運動にはなるでしょう、 今日は天候に恵まれ絶好のお祭り日和です。

今日は娘のお奨めの八丁櫓乗船体験です、 この船を概略説明しましょう、 徳川家康が駿府城に居た頃 鰹の所望です、 焼津の漁師はなんとしてもこれを獲らないことにはいけません、 この時活躍したのがこの船です、 少し大型の船で櫓が片側4丁づつ これに漕ぎ手が二人付き 合計八丁の櫓で16人の漕ぎ手で 遠く小笠原まで漕ぎ出したのです。

この小さな木造船で よくあんな遠くまで来たものと感心させられました、 太平洋の荒海を物ともせず 海の男の真骨頂でしょう、 これは約500年前の話しで 焼津漁港の歴史も古いのです、 帰りには沢山の漁獲と疲れで帆を張り風に乗って帰ってきたのです。

この伝統を受け継いでいる方も もう相当のご年配です、 跡継ぎはどうなるのか 他人事ながら心配です、 あの重たい櫓を漕ぐのは そう易しいものではないでしょう、 若い人でもこれは重労働です、 かなりの特訓が必要ではないかと思われます。

私が気付いたことですが 櫓で漕ぐ舟に頑丈な舵がついていた事です、 櫓だけの場合は舵はいらない筈です、 これをつけた理由は 先程の帆走です 帆で風を受け走る時は舵が無ければ操船出来ません。

その外にも県の調査船の船内見学がありました、 これはこの近海の海洋水産物などの調査や学生の訓練などに使っているそうです、 静岡県の水産研究所がこの運用に当たっている、この他には水産高校の練習船を見学したかった、 これは大型ですから遠く世界を廻れます、 これで将来の船乗りを養成しているのです。

我々の日常生活とは掛け離れた船のことや それによって栄えている漁業関係の人と町など 少しではありますが理解出来ました、 ここは海の男の仕事場でした。


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