平らな深み、緩やかな時間

271.ウィトゲンシュタインー永井均①、飯沼知寿子展、平塚市美術館

はじめにお知らせです。

 

東京・西八王子の「ギャラリーいちょうの木」で、11月27日(日)まで『飯沼知寿子展 断片集』という展覧会が開催されています。

https://ichonokigallery.com/chizuiinuma-221119-27/

「断片集」というタイトルは、これまでにさまざまな展覧会で発表してきた作品を一堂にまとめて展示したことに由来しているのでしょう。作家のコメントの一部をお読みください。

 

今回は、これまでグループ展に出品して個展には登場してこなかった作品を集めました。それぞれのグループ展はテーマがあったり、場所に特色があったり、そういったものに反応して作られています。それらに新作を加えてギャラリーの空間を構成したいと思います。

(上記リンクのギャラリー・ホームページより)

 

「ギャラリーいちょうの木」には繋がった3つのスペースがあるのですが、すべて飯沼さんの展示で使われていて、広い空間で充実した作品群を見ることができます。これまでに展示した作品がほとんどということですが、いろいろな会場でいろいろな機会に展示されてきたので、多くの方にとってはじめて見る作品がほとんどでしょう。それに、この数年の飯沼さんの足取りを俯瞰できるという意味でも、貴重な機会です。

飯沼さんの作品については、これまでも書く機会がありました。直近のものは次のリンクからお読みいただけます。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/44d277e0975c1543d6c712e4ef808a40

旧作中心ということで、ここで改めて感想を書き直すということはしませんが、今回の展示は先ほども書いたように飯沼さんの作品の足取り、変化を見ることができるというところが特徴となりますので、その点について書き足しておきましょう。

文字の筆致のドローイングを重ねた画面の下に、一点透視の遠近図法などの線や形を潜ませるという飯沼さんの絵の構造は一貫していますが、例えばドローイングの重ね方や潜ませた図形の表れ方など、今回の展示を見ると微妙に変化しています。それが飯沼さんの試行錯誤の痕跡であり、作品成熟の証であるのだろうと思います。

そしてこのように、時間の経過とともに飯沼さんの作品が変化してきたことを見ると、彼女の視点がどこにあって、何を試行錯誤してきたのかがわかるような気がします。このことについては、後でもう一度考えるようにしましょう。

また、画廊の中央には家族の図の父親に透視図の焦点を合わせた小品が並べられています。飯沼さんの作品制作の重要な動機が読み取れる展示になっているのです。ギャラリー・ホームページの、先ほど私が引用しなかった彼女のコメントの前半部分と合わせてご覧いただくと、よく理解できます。本当は全文を引用したかったのですが、それはまずいかな、と遠慮しました。彼女にとって重要な文章だと思いつつ、あえて書き写しませんでしたので、ぜひ、直接ホームページを開いていただき、彼女のコメントの全文をお読みください。飯沼さんが一貫して何に取り組んできたのか、そのことがよくわかります。

そして、お時間があるなら、画廊に出かけて、ぜひ実物の作品を見てください。

 

それから、もう一つの展示です。平塚市美術館の展示になります。

https://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/index.html

『市制90周年記念展 わたしたちの絵 時代の自画像』という展覧会が、やはり11月27日(日)まで開催されていますが、その中にこのblogでも取り上げたことのある五島三子男さんの作品が展示されています。

https://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/page14_00295.html

五島さんの作品について、私が書いた文章ですが、例えば次のリンクから読んでみてください。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/81c9edc23cf1201d5a2530658fd2b5b3

展覧会全体を眺めると、「時代の自画像」というテーマがあるので、メッセージ色の強い作品や、時代の中での自分の立ち位置を明確に打ち出そうとする作品が多いように見受けられました。それらと比較すると五島さんの作品は、現代美術の文脈をしっかりと把握しつつ、自然と自己との関わりをとてもピュアに表現していて、五島さんの展示空間がとりわけ静かな感じがしました。

例えて言えば、人工物の中に自然界のものがひっそりと、しかし存在感をもって置かれているような、そんな感じがしました。なぜ五島さんの作品が、他の方の作品と別様に見えたのでしょうか?それは作家が見ている世界そのものの違いのように、私には思えました。これはどういうことでしょうか?

 

この私の疑問は、ただの好みの問題だと言えばそれまでですが、もう少し掘り下げて考えてみましょう。

実は『市制90周年記念展 わたしたちの絵 時代の自画像』という展示とともに、平塚市美術館では次の展示も同時に見ることができました。

『現代日本画 コレクションのあゆみ』

https://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/20162006_00021.html

「現代日本画」というタイトルですから「日本画」が展示されていたのですが、巨大な木版画の版木のような岡村桂三郎さんの作品から、日本画のパロディかポップアートのような福田美蘭さんの作品まで、「日本画」という分類の複雑さ、困難さを感じました。素材として墨や岩絵具を使っていれば「日本画」だというわけではないでしょう。実際にこの展示室を見ると、確かに「日本画」的なものを各作家が意識しているであろうことが読み取れますが、しかし、それがどうにもすっきりと腑に落ちません。私は「日本画」という分類がどのような意味を持っているのか、ということにそれほどの関心はないのですが、巨視的な観点からすれば、古来からの日本の絵画表現が現代の私たちにどのように影響し、私たちはそれをどのように受け止めなければならないのか、ということについて、いずれは考えてみなくてはならないでしょう。

今の私の浅はかな頭で考える限りでは、「日本画」としてイメージされるものは明治時代より前の日本の絵画的な表現のことを指しているように思います。絵画のジャンルとして「日本画」を位置付けることはそもそも困難で、明治時代より前に絵画的な表現として日本に存在していたものを、私たちは便宜的に「日本画」と呼ぶのだ、と説明されるとしっくりとくるのです。そんな私にとっては、「現代日本画」という言葉自体が矛盾をはらんでいて、例えば「現代の古典日本絵画」と言われれば、誰もが「え?」と思うでしょう?「現代日本画」と言われると、それに近い違和感があります。

こういう話を始めてしまうといろいろと面倒なので、ここではひとまずおいておきましょう。それとは別に、この展示作品の中で造形的には内田あぐりさんの作品が、最も私にはピンとくるところがありました。しかし、すでに大作家である内田さんの作品を私ごときがあれこれ言うのは僭越ですが、彼女の作品は造形的には私の興味と共通する視点に立っているような気がするのですが、それにしては表現が粗いような気がしました。画面上の色や形、絵画用語で言うと色価(バルール)と言われるものが、やや粗く配置されていて、そのことが内田さんの作品の密度を損なっているような気がしたのです。

例えばフランスの後期印象派の画家、セザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)は、そのバルールの配置に全神経を集中し、それを漸次的に変化させることで奇跡のような絵画を描きました。またアメリカ現代絵画の画家、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)は、アクション・ペインティングという激しさを伴う表現の中でも、行為の痕跡であるドリッピングされた塗料のバルールは、相互にきわめて緻密な関係を保っていました。おそらく、内田さん作品においては、そのようにバルールを意識しようという意図がないのでしょう。

例えば、先ほど触れた飯沼さんの作品ですが、その作品の変遷は文字のサインのような筆致の重なりが織りなすバルールの関係を見ると、もっともわかりやすいと思います。彼女は年を追うごとにその位置関係を大胆に動かしたり、あるいは画面上の部分によって緩急をつけたりしているのです。具体的に言えば、明度の低い色のサインの上に高い色のサインを重ねたり、色彩相互の色相の関係を近づけてみたり、離してみたり、という操作をしているのです。その痕跡を見ると、あれこれと試行錯誤している飯沼さんの感覚と思考を感じます。この点に関してだけを言えば、内田さんの作品は無頓着に見えるのです。これは作家の力量の問題ではなくて、どこに視点をおいて絵を描いているのか、という意識の問題なのだろう、と思います。

 

たまたまここでは、内田さんと飯沼さんの作品を例示しましたが、それは『市制90周年記念展 わたしたちの絵 時代の自画像』における五島さんの作品と他の方の作品の見え方の違いとも共通しています。また『現代日本画 コレクションのあゆみ』における多くの「現代日本画」が私の視点とは次元を異にしていて、内田さんの作品はそれに比べると私の視点に近いので、飯沼さんと比較しながら語ることができたのです。どうしてこのような大きなズレが生じるのでしょうか?ふだんだと私もあまりこのようなことにこだわらないのですが、今回はそのことについて少し考えてみようと思います。

なぜかといえば、私はいまオーストリア出身のイギリスの哲学者、ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889 - 1951)の『論理哲学論考』と日本の哲学者、永井均さんの『ウィトゲンシュタイン入門』を読み始めたのですが、永井さんの本の「はじめに」という文中に次のようなことが書かれていたからです。

 

こう言うと、読者の皆さんは驚かれるかも知れないが、哲学にとって、その結論(つまり思想)に賛成できるか否かは、実はどうでもよいことなのである。重要なことはむしろ、問題をその真髄において共有できるか否か、にある。優れた哲学者とは、すでに知られている問題に、新しい答えを出した人ではない。誰もが人生において突き当たる問題に、実は問題があることを最初に発見し、最初にそれにこだわり続けた人なのである。このことはどんなに強調してもし過ぎることはない。なぜなら、すべての誤解は、哲学者の仕事を既成の問題に対する解答と見なすところから始まる。

したがって、本格的な哲学説に関して、それをその真髄において批判したり乗り越えたりすることは、実は不可能なことなのである。なぜなら、問題を共有してしまえば、もはやその問題を超えることはできず、それができると感じる人は、そもそも問題を共有していない(ウィトゲンシュタインの言葉を借りれば「別の世界に住んでいる」)人だからである。本当に理解できたならもう決して超えることができないーここに哲学というものの素晴らしさと恐ろしさがある。

ある哲学者と問題を共有したとき、それによって世界の見え方が変わり、人生の意味が変わる。だが、世界の見え方も、人生の意味も、一般的に言って変えるべき理由はないし、またとりわけ、ウィトゲンシュタイン的に変えるべき理由は全然ない。どんな哲学も、その真髄は少数の人にしか理解されない、というより、そもそも少数の人にしか関わりを持たない。だが、もしウィトゲンシュタインがあなたに関わりを持つとすれば、それを知らずに人生を終えることは、無念なことではないか。そのために、この種の「入門書」があると言えるだろう。

(『ウィトゲンシュタイン入門』「はじめに」永井均)

 

ちょっと難しいですね。難しい、というよりも、おそらくは直感的に、あるいは経験的にここで永井さんが書かれているようなことをわからないと、いくら説明しても理解できないのかもしれません。それでも、私なりの理解を書いてみます。

いつものように、哲学的に難しい問題ならば、私たちにとって身近な絵画に置き換えて考えてみましょう。そしてウィトゲンシュタインの哲学のことではなくて、先ほども例に出したセザンヌの絵画のことだと思って考えてみましょう。永井さんが「セザンヌと問題を共有できたなら、セザンヌを超えることは不可能だ」と言ったとします。そうすると、この言葉の意味はどうなるのでしょうか?

美術史の上では、後期印象派のセザンヌは、その後の立体派のピカソ(Pablo Ruiz Picasso, 1881 - 1973)やブラック(Georges Braque, 1882 - 1963)によって、芸術表現として乗り越えられたと考えられています。なぜなら、セザンヌは「自然を円筒、球、円錐によって扱いなさい」と言ったのに、自らはそれを徹底した絵画を描くことはありませんでした。彼の描く木や家、りんごや瓶はいかに単純化されていても、やはり木や家、りんごや瓶にしか見えません。ところがその後のピカソやブラックはそれを徹底して、画面上に単純な図形となった木や家、静物を描いたからです。美術史上では、これを芸術的な発展と見なし、ピカソやブラックはセザンヌを超えて現代絵画を開拓したのだとされているのです。

しかし、セザンヌの芸術の問題は、セザンヌ自身の名言にもかかわらず、そんな図形表現的なことではありませんでした。セザンヌの問題としたことは、画面上の筆致の一つ一つのバルールに関することであって、そのバルール相互の関係を微妙に変化させることで、彼自身の視覚的な世界をできるだけ生々しく表現することにありました。「自然を円筒、球、円錐によって扱いなさい」というのは、表面的な物質のありように惑わされてはいけない、という趣旨だと捉えた方が、彼の意図に近いでしょう。だからピカソやブラックはセザンヌと問題を共有しておらず、逆説的ですが、それゆえにセザンヌを超えたと見なされている、というのが実情だと思います。

そして、私の知る限りでは、セザンヌと問題を共有していて、なおかつセザンヌを超えた画家はいません。ただ、セザンヌと問題意識を共有できた画家がいただけで、例えば先に事例としてあげた一時期のポロックは、そういう画家の一人でしょう。アクション・ペインティングによって高みに達した頃のポロックは、そのドリッピングによってできた筆致の相互のバルールの関係が、セザンヌとは違ったやり方ではありますが、ポロックの視覚世界を表現し得ていたと思います。このようにセザンヌの絵画の問題は共有することは可能ですが、乗り越えることはできません。しかしポロックのように、セザンヌの問題を自分の視覚の問題に置き換えて、自分なりに新たな表現を追求することは可能です。ですから、私たちが取り組むべき問題は、今の私たちの視覚をどのような自分独自のバルールにおいて画面上に表現するのか、ということなのです。セザンヌと私たちとは生きている時代が違いますし、人それぞれで表現すべき視覚世界が違っていますから、そこには無限の可能性があるのです。

ここで飯沼さんの絵のことを、再び考えてみましょう。彼女のサインの重ね書きは、まさに絵画におけるバルール相互の関係の問題に当てはまります。彼女の試行錯誤の痕跡を見れば、彼女がセザンヌ的な絵画におけるバルールの問題を共有していることは明らかだと思います。しかし、そのことを理解できるのは、日頃からセザンヌ的な問題を絵画の中に見ている人だけでしょう。

永井さんはウィトゲンシュタイについて、こう書いていました。ウィトゲンシュタインが提起した問題は、「そもそも少数の人にしか関わりを持たない」という一文のことです。私が平塚市美術館で見た多くの作家たちは、私とは問題が共有できていないと感じました。しかし五島さんや飯沼さんとは、どこかで問題が共有できているように思えたのです。

 

さて、こんなふうに書くと、ちょっと不遜な書き方のように思われるでしょうか?確かに、ウィトゲンシュタインの問題は、共有できる人を選ぶのだろう、と思います。ウィトゲンシュタインの思想については次回以降で探究していきたいと思いますが、しかし絵画におけるセザンヌ的な問題については、私は多くの人たちと共有できると考えています。まだ私自身が読み込んでもいない時点で恐縮ですが、例えばその手がかりとして、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の中の、次の文章を読んでみてください。

 

あるものが、他のどのものにもない性質をもっている場合、そのときには記述によって直ちにそれを他のものから区別し、指示することができる。そうでないとすれば、すべての性質を共有する複数のものがあることになるが、その場合にはそれらから一つのものを取り出して指し示すことはまったく不可能である。

というのも、識別の手がかりとなる性質が何もないときには、私はそのものを識別できないから。つまり、手がかりが得られているときにはそれはすでに識別されているというわけである。

(『論理哲学論考』「2-02331」ウィトゲンシュタイン 野矢茂樹訳)

 

これを凡庸に読んでしまうと、例えば白いニワトリの中に黒いニワトリがいて、そういう他のものと違った特徴があれば白と黒で識別できるけれども、白いニワトリばかりであれば、それは識別できないのだ、という平凡な文章になってしまいます。しかし私には同じニワトリに見えていても、そのニワトリたちを飼育している農家の方から見れば、一羽一羽に特徴があってニワトリを識別することが可能なのかもしれません。そうすると「識別の手がかり」は存在するのに、それが手がかりとして見えている人と見えていない人がいることになります。

このことと関連して、永井さんが書かれていた「重要なことはむしろ、問題をその真髄において共有できるか否か、にある」という「はじめに」の中の文章を思い出してみましょう。白いニワトリの群れの中においても、それぞれの個体によって差がある、という事実を私たちが共有できるのかどうか、そこに問題の「真髄」があります。同じニワトリを見ていてもその人の意識によって識別できたり、できなかったりするように、同じ絵を見ていても見る人の意識によって重要な差異が見えてきたり、見えてこなかったりするということなのです。

もっと絵画に関することに引き寄せて、この問題を具体的に語ってみましょう。

あなたにはセザンヌが後期印象派の一人の画家として見えているのか、それとも絵画史上に例を見ない、バルールの問題を提示した画家として見えているのか、そのどちらでしょうか?前者のような認識で見えている人には、セザンヌはピカソよりも古い画家で、すでに乗り越えられてしまった画家としてしか認識されないでしょう。

しかし後者のような認識でセザンヌを見るならば、永井さんの次の言葉がもっともよく当てはまる画家の一人として、セザンヌが特別な存在として見えてくるはずです。その言葉は「ある哲学者と問題を共有したとき、それによって世界の見え方が変わり、人生の意味が変わる」という一節です。この言葉の「ある哲学者」を「セザンヌ」に置き換えて読んでみてください。セザンヌと絵画の問題を共有した時、あなたには世界がまるで違って見えるはずです。少なくとも、私にはそうでした。

おそらく、哲学者のモーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908 - 1961)も同じ経験をしたに違いありません。彼の書いた『眼と精神』を読むと、そのことがよくわかります。それは絵画という芸術の一分野に限定された話ではありません。まさにセザンヌとの出会いは、「世界の見え方が変わり、人生の意味が変わる」ほどの出会いだったのです。ちょっと大袈裟に聞こえますか?でも、全然大袈裟ではないのです。

 

そして、まだまだこれから読解していくところですが、現時点でウィトゲンシュタインと永井さんと私とでは、見解が異なるところがあります。それはセザンヌの、そのような素晴らしさについてならば、ちゃんと説明すればかなり多くの方々と問題を共有できるのではないかと私は考えています。平塚市美術館にはたくさんの絵が並んでいましたが、五島さんを除けば私と問題を共有できていると感じた画家は、不幸にしてほとんどいませんでした。内田さんとは共有できそうな予感がしましたので、あえて事例として書かせていただきました。

どうして、こうなってしまったのか、これは批評の問題なのかもしれません。思想や絵画にとって普遍的な問題、そしていまもっとも必要とされている問題について、多くの人が認識できない、あるいはする必要がないと感じていることが、大きな障害として立ちはだかっています。私にはセザンヌとウィトゲンシュタインが、ちょっと似ているような予感がします。ウィトゲンシュタインを、高踏な哲学者として私たちの認識から切り離してしまうのではなく、もっと広く彼の問題を共有することが、セザンヌの素晴らしさを共有することの手がかりになりそうな気がします。

 

そのために、このblogを一生懸命書いています。これからも慌てずにじっくりと取り組んでいきたいと思います。

まずは次回、ウィトゲンシュタインについて探究を進めましょう。

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