平らな深み、緩やかな時間

270.『100分DE名著「大衆の反逆/オルテガ」』中島岳志

今回もNHKの番組『100分DE名著』からの話題です。

2019年に放送されたものですが、題材は『大衆の反逆/オルテガ著』、指南役が政治学者・歴史学者の中島岳志さんです。私は番組の方は未見ですので、テキストから学習します。NHKの番組ホームページをご覧になる方は、次のリンクを開いてください。

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/84_ortega/index.html

これを見ると、朗読が舞踏家の田中泯さんだったのですね、見逃してしまってとても残念です。

さて、ホセ・オルテガ・イ・ガセット( José Ortega y Gasset、1883 - 1955)ですが、スペインの哲学者です。主著に『ドン・キホーテをめぐる思索』(Meditaciones del Quijote、1914)がありますが、『大衆の反逆』(La rebelión de las masas、1929)は、オルテガの40代半ばの著作ということになります。

個人的なことになりますが、私がオルテガのことを知ったのは、大学院生だった頃か、学校を出たばかりの頃だったと思います。私が展覧会をやっていた神田の画廊のオーナーだった山岸信郎さんから、『大衆への反逆』(西部邁著)という本を借りたのです。そのなかにオルテガのことが書かれていました。

西部邁(にしべ すすむ、1939 - 2018)さんは、その当時、この著作で話題になり、その後はテレビにもよく出ていて、保守派の論客として活躍されました。私は政治や社会的なことに疎い若者でしたし、山岸さんから「これを読んでみなさい」と言われてお借りしたものの、お返しするときに感想を求められて困りました。今ならば、もう少しまともなことが言えたのでしょうが、「この本に書かれているのは、著者の思想というよりはオルテガの思想なのではないでしょうか・・・」などと自信なく答えたような気がします。それでも山岸さんは、「そうなんだ、日本の批評家や思想家は海外の学者の影響を受けすぎている。もっとオリジナルな思想を語らなくてはダメだ。」というようなことを言われて、納得してくださったようでした。

しかしこれは西部さんへの批判というよりは、山岸さんの日本の思想家や、美術界全般に対する批判といった方が良いでしょう。私がもっと、オルテガや西部さんの思想の中身について感想を語っていれば、山岸さんがどうして私にこの本を貸してくださったのか、その深い話が聞けたのかもしれません。山岸さんは、決して大衆に迎合するような人ではなかったので、おそらく自分の立ち位置とオルテガの哲学について、何か思うところがあったに違いありません。私はこういうふうに、貴重なチャンスをいくつも逸してきた人間です。情けないです。

その後の私は、美術関係の本を読むだけでも手いっぱいで、オルテガも西部邁さんも、とうとうその著作を読まないままにこの年齢になってしまいました。ここで『100分DE名著』という絶好の解説書を手にして、長年の宿題を解消しようというわけです。それにオルテガのことも興味深いのですが、中島岳志さんという学者も、ユニークな存在として注目している人です。中島さんは、ご自分のことを「保守」の立場だと言うのですが、これが私のイメージしている「保守」とは何か違っています。そう言えば、西部さんにもそういうところがありました。また、ちょっと横道にそれますが、新聞のコラムで面白いことを書かれている佐伯啓思さんという経済学者にも、似たようなことを感じます。この中島さんの書かれたテキストを読むと、「保守」という言葉の意味についても、少しはわかるかもしれません。

それでは、内容に入っていきましょう。

 

まず、『大衆の反逆』の本の紹介です。なんと言っても名著ですから、文庫版でも何種類か翻訳が出ています。その紹介文でわかりやすいのが「ちくま学芸文庫」のものでしたので、ここに引用してみます。

 

1930年刊行の大衆社会論の嚆矢。20世紀は、「何世紀にもわたる不断の発展の末に現われたものでありながら、一つの出発点、一つの夜明け、一つの発端、一つの揺籃期であるかのように見える時代」、過去の模範や規範から断絶した時代。こうして、「生の増大」と「時代の高さ」のなかから『大衆』が誕生する。諸権利を主張するばかりで、自らにたのむところ少なく、しかも凡庸たることの権利までも要求する大衆。オルテガはこの『大衆』に『真の貴族』を対置する。「生・理性」の哲学によってみちびかれた、予言と警世の書。

(『大衆の反逆』ちくま学芸文庫の紹介文より)

 

いくつもの大切なことが書かれていますが、この本が書かれた時期について、はじめにおさえておきましょう。この当時のスペインは、まだ王政国家で軍事独裁政権が続いていました。その中でオルテガは「リベラルな共和政」を唱えて、異なる意見の者同士が協議して秩序ある世界を構築することを主張していたそうです。この本が出版されてまもなく、スペインは第二共和政に入りますが、それが政治的な混乱を招いてファシズムを呼び込んでしまいます。オルテガは代議士として政治に関わろうとしますが、1932年にリベラルな政治は不可能だと考えて辞職してしまいます。その後、スペインは内戦の時代を迎え、フランコ将軍の反乱軍をナチスが後押しし、ゲルニカという地方都市が爆撃にさらされます。そしてピカソが『ゲルニカ』を描くことになるのです。オルテガは内戦のあいだ、どの陣営にも加わることをせず、それが反感をよんで大学教授のポストを剥奪され、とうとう生命の危険を感じて国外へと亡命します。第二次大戦後に帰国しますが、その十年後になくなったそうです。

オルテガはきわめて困難な時期にこの『大衆の反逆』を書きました。そして政治に直接関わるなど、つねに現場に身を置こうとしましたが、同時に右とか左とかというような派閥に所属せず、最後まで意見の異なる者が話し合うことにこだわったそうです。

中島さんはオルテガの人生をまとめて、「大衆に迎合しない人」であると同時に、「大衆とともにありつつも、自分自身はあくまで孤独であろうとし続けた」人であると書いています。思想家の中には、浮世離れした象牙の塔にこもって思索した人がたくさんいますが、オルテガはそういう人ではなかったようです。そういえば、冒頭に書いた山岸さんも、自分の画廊からたくさんの著名な現代美術家を輩出しながらも、自分自身はつねに若い人や無名の人に声をかける一人の画廊の親父であることをつらぬきました。だから私も山岸さんの画廊で展覧会を開くことができたのですが、私は山岸さんやオルテガのような人たちに憧れます。私の場合は偉くなる要素がなく、必然的に無名で貧乏なだけですけど、お金持ちや地位の高い立場の人たちと、芸術の上では平等だと思っています。もちろん、尊敬する人たちへのリスペクトを忘れないつもりではいますが、それでも、もしも偉い人たちに対して何か失礼なことを書いてしまっていたら、そういう趣旨ですのでご了解ください。

 

さて、そのオルテガは「大衆」という言葉をどのような意味で使っていたのでしょうか?その意味を取りそこねると、ただの上から目線の思想家になってしまいます。中島さんはこの講座のはじめに、その点を確認しています。

 

オルテガの言う「大衆」とはどのような人間なのか。これは「はじめに」でも触れたように、「エリート対大衆」というような階級的な概念ではありません。では何かと言えば、近代特有の「mass man」、大量にいる人たちのことだ、というのがオルテガの考えです。

ここでのポイントは、「大衆」とは「根無し草」になってしまった人たちを指す、ということです。つまり「大衆」とは、自分が意味ある存在として位置づけられる拠り所のような場所、「トポス」(ギリシャ語で「場所」の意)なき人間のことです。自分が依って立つ場所がなく、誰が誰なのかの区別もないような、個性を失って群衆化した大量の人たち。それをオルテガは「大衆」と呼びました。

<中略>

自分の居場所をもち、社会での役割を認識していて、その役割を果たすために何をすべきかを考える人。それが彼にとっての本来的な人間だった。しかし近代人はそうではなくなり、「大衆」化してしまっている。そして、その「大衆」は、たやすく熱狂に流される危険がある。これが「大衆の反逆」という問題設定なのです。

(『100分DE名著 大衆の反逆/オルテガ』「第1章」中島岳志)

 

「大衆」は居場所がない人ですから、例えば農村に暮らして自分の土地を耕して、人々の食を支える役目を担っている人たちは「大衆」ではありません。オルテガの時代に、医療の発達や人口の増大によって、都市部に流れ込んできた膨大な人たちがいました。その人たちが「大衆」のイメージなのです。ですから、いまの私たちのほとんどが「大衆」に該当する可能性があるのです。そういう思いで、考察を続けていきましょう。

中島さんは、オルテガの「大衆」のイメージと、フランスの現代思想家、ミシェル・フーコー(Michel Foucault 、1926 - 1984)が唱えた人間の「身体の規律化と個性の剥奪」とを重ねて、興味深いことを説明します。都市部を活性化させるには、農村から出てきた大量の人たちを都市部で利用しなくてはなりません。「大衆」を都市の工業化された職場で使えるようにするためには、規律正しく動ける身体性を身につけさせることと、命令の主旨をすばやく読み取って従順に従う人間に仕立て上げることが必要です。そういう育成が、近代社会の中で行われてきました。

そんな非人間的なことが、いったいどこで行われてきたと思いますか?言うまでもなく、学校教育において行われてきたのです。学校教育においては、本来ならば他人の話をよく聞いて、その上で自分で判断できる人間を育てるべきなのだと思いますが、実際にはろくに他人の話を聞かず、自分で判断することもせず、ただ他の人と同じことを迅速にやっていれば安心だと思ってしまう、そんな人間を育成しています。これはフーコーが唱えていることですから、おそらく全世界的に学校という場所で行われてきたことなのでしょう。しかし私には、日本の教育において特に極端に推し進められてきたことのように思われます。日本の教育が、教育に関わる費用をかけずに、効率的な指導ばかりを求めてきたことは自明のことですが、結局その結果がオルテガの定義する「大衆」を大量に作り続けてきたのです。日本の政府は、まったくその教育の現状に対して問題意識を抱かず、改善しようともしませんでした。為政者にとっては、国民が「大衆」でいてくれた方が都合が良いのでしょう。

このことについて書き出すときりがないので、このへんでやめておきます。

さらにオルテガは、現代社会にとって深刻な問題を提起します。それは知識人の専門化という問題です。次の文章を読んでください。

 

つまり知識をもたない、いわゆる庶民階級ではなく、むしろ「専門のことしか知らない」ために複雑な思考ができなくなった専門家が社会をコントロールしようとすることによって、世の中に混乱が起きているのだと言うのです。これこそが、オルテガの考える「大衆化」のプロセスでした。

オルテガは『大衆の反逆』の中でも次のように述べています。

 

科学者が、しだいに科学の他の部門との接触を失い、ヨーロッパの科学、文化、文明という名に値するただ一つのものである宇宙の総合的解釈から離れてきた点が、重大なのである。

(『100分DE名著 大衆の反逆/オルテガ』「第1章」中島岳志)

 

引用部分の後半が『大衆の反逆』からの引用です。いまから100年くらい前に書かれた本ですが、すでに現代社会の問題の核心を見通しています。ここで問題となっているような、専門的な知見と一般的な、あるいは社会全体的な知見とのバランスをどのように取ればよいのか、これは難しい問題です。一人の人間の中のバランスのこともそうですが、この数年の新型コロナウイルス感染の対策を見ると、社会全体でもこのバランスを取るのが困難なのだと思い知らされました。どこの国でも医療の専門家と経済の専門家の意見が食い違い、どのような対応が良いのか模索が続きましたが、とりわけ日本では政治家がうまく専門家の意見を聞くことができず、大きな混乱と損失を招いたと思います。

オルテガは、専門的な知見しか持たない人間を「大衆的人間」であると言ったそうです。それに対して、幅広い知見を持った人間を「教養人」だと言ったということです。オルテガの活躍した時代でも、すでに専門家が幅を利かせて、教養人が少なくなっていく傾向にあったようです。このために社会的な混乱が生じはじめていて、彼はそれを「大衆の時代」と呼んだのです。「ヨーロッパの退廃はその(大衆の時代)結果である」と言って、教養人の減少を嘆きました。

しかし、これはちょっと私たちの感覚とはズレがあるのではないでしょうか?私たちは専門的な知見を尊ぶ傾向にあり、だからこそ大学の先生は小・中・高校の先生よりも偉いと思われています。それにさまざまな領域に首を突っ込む教養人は、一昔前の存在、せいぜい昭和の時代の遺物だと思われているフシがあります。だから専門家を「大衆」と呼ぶオルテガの言語感覚は、私たちには共有し難いものだと思います。しかしそれでも、これを理解しないと「大衆の反逆」という著書のタイトルの意味さえつかめなくなります。

無理矢理にでもこのオルテガの言葉の使い方を踏まえて、次の中島さんの文章を読んでみてください。

 

専門化が進み、幅広い教養が失われた時代。専門家ばかりで、教養人が少なくなっている時代。それが「大衆の反逆」の時代だというわけです。専門家への皮肉を込めた表現だと思います。

ここがこの本の面白いところです。「大衆の反逆」というタイトルに、「大衆を見くだした本か」とエリートの専門家が興味をもって読み勧めていくと、「大衆とはおまえのことだ」と切り返される構造になっている。そこにはオルテガなりの皮肉とユーモアがこめられているとも言えるでしょう。

(『100分DE名著 大衆の反逆/オルテガ』「第1章」中島岳志)

 

なるほど、ふだん私たちのことを「一般大衆」などと言って見下している政治家や学者や大学の先生たちがオルテガの本を読むと、「あれ、オレのこと?」と切り返されるというのです。しかし、それすらも気が付かない人も多いのではないでしょうか?

 

このようなオルテガの言葉の本質を捉えた使い方は、とりわけ「保守」と「リベラリズム」という、対称的だと思われている言葉の中に生かされているようです。この言葉の意味について、オルテガの言っていることを確認しましょう。オルテガは、過去の経験知を大切にするという意味で、自ら「保守」だと自認していたようです。そして他人の意見をできるだけ広く、自由に、わだかまりのないように聞くという意味で、「リベラリズム」の価値観を大切にしていました。

私たちの感覚では、「保守」というと過去の慣習に囚われた狭い考え方だというイメージがあり、一方の「リベラリズム」には過去を捨てて新しい考え方をどんどん取り込んでいくというイメージがあります。しかし考えてみると、これは「保守」と「リベラリズム」という言葉の中に、「旧套的」と「進歩的」という違った価値観を無理やり押し込んでしまっているのかもしれません。次の中島さんの文章を読んでみてください。

 

オルテガが言っているのは、現代においてリベラリズム(自由主義)と言うと、裸の自由を容認する、何から何まで自由を認めるようなイメージがあるけれど、そうではないのだということでもあります。そうした、誤った自由主義の観念を乗り越えるためには、自由主義の本質を維持しなければならないと言っているのです。  

たとえばオルテガは、次のように言っています。  

過去はそれなりの正当な理由をもっている。過去は、みずからがもっている理由が認められなければ、認めるよう何度でも要求するだろうし、ついでに、もってもいない正当性まで押しつけようとするだろう。自由主義もある正当性をもっていたし、その正当性は、いつの時代でも認めなければならない。しかし、それはなにからなにまで正当だったのではないから、正当でない点は拒否しなくてはならない。ヨーロッパは、その自由主義の本質を維持しなければならない。これこそ、自由主義を乗りこえる条件である。  

オルテガは、自由主義の本質は、常に過去の経験知の中にあると言っています。それが他者に対する寛容であり、またそれを可能にするための儀礼や手続きである。現代のリベラリズムがもっている弊害を乗り越えるためには、そうした普遍的な構造をきちんとつかみ取らなければならない。それが歴史主義的な自由主義だと言うのです。

(『100分DE名著 大衆の反逆/オルテガ』「第2章」中島岳志)

 

この考え方には、説得力があります。

私自身、「リベラリズム」という価値観を大切して生きてきたつもりですが、若い頃はそれが「新しさ」と結びついていないといけないと思っていました。中島さんが書いている「裸の自由」にあたる考え方です。そしてこれは、私個人が、というよりも、「モダニズム」思想が持つ偏った価値観であると思います。この「モダニズム」的な考え方では、どうにも息苦しくて表現活動が続けられない、と思った時に、私は「モダニズム」が強制する価値観を捨ててみました。

実際には40代の頃に一年間以上、作品を発表することを考えずに、黙々と「静物画」を描いていました。そのときに参照したのが、フランスの古典的な画家、シャルダン(Jean-Baptiste Siméon Chardin, 1699 - 1779)の「静物画」でした。特にこだわりのないままに、たまたまシャルダンを選んだのですが、これがとても運の良いことでした。シャルダンの絵画の中には普遍的な絵画の価値観が潜んでいて、そこにはモダニズムの絵画が参照すべき絵画の平面性の問題も、ちゃんと含まれていたのです。同じようなことが、フェルメールやベラスケス、ゴヤの中にもありそうですが、その中でもシャルダンの、一見すると朴訥とした表現が私には好ましかったのだと思います。

このように「古典」芸術を参照することは、思想的に言えば「保守」にあたるのかもしれません。しかし「古典」の絵画にまで視野を広げることは、「リベラリズム」の価値観とはまったく衝突しません。むしろ「裸の自由」にこだわることの方が、「リベラリズム」に反しているのではないでしょうか?そう考えたときに、私は逆に「古典」にこだわる必要もないのだと思いました。絵画の歴史は自由に参照して良いのですから、どこか一箇所に専門的にこだわる必要はありません。私は自由に時間を行き来できるのですし、私のような才能のない画家がシャルダンに対抗できるとしたら、その一点にしかアドヴァンテージはありません。

そういう広い視野に立ったときに、中島さんのような「保守」を自認する学者や、あるいは彼の先達の西部さんは佐伯さんの声に耳を傾ける必要が生じてくるのだろうと思います。実際に佐伯さんの新聞紙上のコラムを読むと、はっとすることが多いのです。もちろん、反発も感じますし、彼らの言葉を頭の中で転がしながら、自問自答することも多いのです。しかし、そういうふうに常に疑問を感じながら他者の意見を傾聴する、ということが必要なのかもしれません。インターネットの社会では、自分と同じ傾向の意見ばかりを拾うことになる、と言われていますから、新聞や雑誌などのメディアに一通り目を通して、他者の意見を聞くことが、これからいっそう重要になるのではないでしょうか?

 

オルテガの『大衆の反逆』から、ちょっと外れてしまったかもしれません。

この『100分DE名著』には、このほかにも、今の政府がやたらと私たちに押し付けてくる「自己責任」という言葉について、あるいは「保守」として過去に目を向けるということは「死者の言葉」を聞くことだという話の中で柳田國男の「ご先祖になる」という言葉に関することなど、興味深い話がたくさん書かれています。もう少し時間をおいてじっくりと読むと、これらの言葉と私たちの表現活動との関わりも見えてくるのかもしれません。そうなったら、またこの本を取り上げてblogに書くことにしましょう。

 

最後になりますが、中島さんがこの『100分で名著』の「はじめに」で書かれた文章の結びの部分を引用しておきます。この「はじめに」という短文は、どこを切り取っても『大衆の反逆』のエッセンスを凝縮した見事な文章なのですが、最後の一文が現在の私たちに向けて書かれたメッセージとして、最も重たく胸を打ちます。

その文章を読んでみてください。

 

この二十世紀前半の著作が、二十一世紀の私たちにとって非常にビビッドなものとして響いてくる。それは、私たちが民主主義の危機を感じ、オルテガが守ろうとした「リベラル」という概念が崩壊しつつあることを感じているからではないか。オルテガの言う「大衆」はいわば、そのときを生きている人間のことしか考えない傲慢な精神の象徴だったわけですが、私たちはその「大衆」になろうとしているのではないか。そのことを意識しながら読み進めていきたいと思います。

(『100分DE名著 大衆の反逆/オルテガ』「はじめに」中島岳志)

 

「リベラル( liberal)」、つまり自由であることを求める価値観は、人間にとって普遍的なものです。しかし、それはときに「裸の自由」に囚われ、「大衆」化してしまう危険性を孕んでいます。オルテガは「大衆」の対として「貴族」という言葉を用いたようですが、それはもちろん封建的な貴族ではなくて、精神的な「貴族」という意味です。

そして、専門的な勉強ばかりしていても、「貴族」には程遠い存在にしかなれません。一人ぼっちで象牙の塔にこもっていてはいけません。

そういえば、これはどこかで、前回のblogで取り上げたハイデガーの「本来性」、「非本来性」とも繋がる問題なのかもしれません。そしてハイデガー自身は、自分の生き方において大失敗をしました。大思想家でさえ、失敗するのです。ですから私たちは正解のない世界で、でも勇気を持って、ときに孤独に、でも多くの人たちにもまれながら、これからも生きていくことにしましょう。ちなみに中島さんは、オルテガは最後まで「人間」という存在を肯定的に信じていたのではないか、と書いています。そこがハイデガーと違うところかもしれません。どちらが良い、などと言うつもりはありません。正解がないからこそ、興味が尽きないのです。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事