平らな深み、緩やかな時間

395.『糸数都 作品集』、阿部智子、平井亮一のテクスト


画家の糸数都さんが、作品集を制作しました。
素晴らしい作品集です!
しかし、販売はしていないようです。どこかで一般の方も入手できると良いのですが・・・。
私は糸数さんの作品について、以前にこのblogに書いています。よかったら参照してください。
https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/c381f8a38c7e99bea0a1aed76b1a362f

今回の作品集は、現在の糸数さんの二つの様式の作品をカラー写真で見ることができます。そして興味深いことに、作品集の最後の方で1970年代後半の若き日の糸数さんの作品をモノクロ写真で見ることができるのです。

その時間の流れは、おそらく次のとおりです。
糸数さんは、新進気鋭の作家として1970年代に颯爽とデビューしたのです。それがモノクロ写真のページの作品となります。ところが、その後20年ほどのブランクが空きました。その期間、「家庭に入り」というふうに糸数さん自身が説明をしています。そしてその長い沈黙を経て、糸数さんは制作現場へと復帰し、現在の美しい絵画作品へと至ったのです。
それは一人の作家の表現の軌跡であると同時に、1970年代までの観念的な様相の現代絵画と、その後の喧騒の日々を経た後の現在の絵画との美術界全体の変貌を象徴しているようでもあります。

この作品集には短いけれども魅力的な二つのテクストが掲載されています。
今回は、そのテクストを参照しながら、糸数さんの作品の変遷と絵画表現の課題について確認したいと思います。

最初のテクストは、美術家の阿部智子さんが書いたものです。
https://gnatsuka.com/abe-tomoko/
阿部さんは、若い頃の糸数さんの作品について次のように書いています。

糸数作品はさらに絵画としての自立を目指し、当時の風潮を纏い、純粋な絵画を追求し先鋭化していった。かねこあーとギャラリーにおける作品は、天竺木綿と石膏との簡素な組み合わせであり、本江邦夫は展評で「糸数が問題としているのは(中略)最終的には、素材側の強い規制によって表現の深化を目指すことであろう」と記している。糸数は時代を鋭敏に先取り、優れた眼力と手法によって、繊細に表現する作家として着実に深化を続けていった。当時の作品は、言葉、物語、宗教、そのほか何者の手段ともされない形に自立して発展した。絵画をより確固とするために徹底的な自己・限定を施し徹底的な純粋性を求める手順により、彼女の絵画は他の分野とは異なった固有のものとなる。
(『糸数都 ー作品集ー』「的射(まとい)する作家 糸数都」阿部智子)

当時(1978年)の糸数さんの作品は、矩形のパネルの対角線や水平線上に細長い長方形のような形が見られるもの、あるいは矩形の形を繰り返して並べたもの、など極めて無機的で禁欲的なものです。おそらく当時は、絵画といえば「ミニマル・アート」の平面性を追求した作品が隆盛だったと思います。
https://www.artpedia.asia/minimal-art/
しかし、糸数さんの作品は本江さんが書いているように「素材側の強い規制によって表現の深化を目指す」というもので、それらとは一線を画していたのでしょう。そのことを阿部さんは「彼女の絵画は他の分野とは異なった固有のもの」という言葉で評価しているのです。
この糸数さんが活躍を始めた1970年代後半というのは、日本では「もの派」と呼ばれた作品群の影響が広がって、その後の発展を若い作家たちが探っていた時期でもありました。
https://bijutsutecho.com/artwiki/101
「もの派」というのは、一義的にその内容を語ることができませんが、大雑把に言うと、木や土、鉄などのプリミティブな素材を使い、その素材の様相をあらわにするような作品を制作した作家たち、あるいはその素材が設置された空間の様相をあらわにするような表現をした作家たちを総称した呼び名でした。
おそらくは、当時の多くの若手作家たちが「もの派」の後の表現の発展を作品の設置空間の表現に、つまり「インスタレーション」形式の表現に求めたのでした。それに対し、糸数さんはその表現の場を絵画形式に求めたのです。
阿部さんはそのことを「(糸数さんは)絵画をより確固とするために徹底的な自己・限定を施し徹底的な純粋性を求める」ことをしたのだ、と解説しています。
その当時、絵画表現は旧套的な表現形式と見做されていたはずです。その中で「絵画」を制作するならば、表現者は自分自身で「絵画(という表現形式)を確固とする」ような作品を求められたのです。
糸数さんは、自分自身の表現欲求を無化してでも、絵画表現の「徹底的な純粋性」を追求したのでした。これは、絵画に何ができるのか、絵画にどのような可能性があるのか、そのことを探究することが表現の目的となっていった、と言ってもいいと思います。

この作品集に、もう一人テクスト寄せているのは、美術評論家の平井亮一さんです。
平井さんは、このあたりの糸数さんの事情について、短い文章で解説しています。

1970年代、物と観念とが並走する動向に伝して活躍した糸数さんが、けっして短くない沈黙の年月を経て、2000年代初頭、積極的な作品発表を開始。
いわば可能性としての媒体から、媒体の可能性へと満を持しつきぬけたことを示すのであろう深くて青い画面のたたずまいに、わたしは眼をみはりました。
(『糸数都 ー作品集ー』「転進の強さ」平井亮一)

この文中の「可能性としての媒体」という言葉が、私がここまでウダウダと書き連ねてきた説明を一言で言い表していてこわいくらいです。
先ほども書いたように、「1970年代、物と観念が並走する」時代に表現活動を開始した糸数さんは、絵画形式が表現の「媒体」として「可能性」に満ちたものなのだと示す必要があったのです。阿部さんが「絵画(という表現形式)を確固とする」と書いたことと共通する認識だと思います。
それが2000年代になって、「(糸数さんは)媒体の可能性へと満を持してつきぬけた」と平井さんは書いています。現在の糸数さんの絵を見れば、それはすぐに了解できますが、ここは先を急がずに、阿部さんのテクストを参照しましょう。

しかし作家はここで突然、休止に入る。「空」になったという感覚を強く持ってしまったのだと聞く。それは絵画の純粋性の追求のプロセスと引き換えに、すなわち絵画の自立性という神話との引き換えに、大切な要素の数々をあえて削ぎ落とし、絵画との対話をも削り取ってしまったことを、鋭敏で繊細な作家が感じとってしまったからではないだろうか。
休止していた20年という長いブランクの間に糸数は様々な体験を繰り返した。「空」になってしまった水鳥の背に、音、言葉、色、味、香、舌触り、指先の感覚、いとしさ、そしてわたくしというありよう、ひとつずつを確かめるようにそれらを手探りで積載していった。それがやがて満載になった時、まず青の油絵の具と刷毛を持って、白亜地の下地のキャンバスに向かい、水鳥はおずおずと羽を広げた。かと思うと、一気に大きく羽ばたいたのである。
(『糸数都 ー作品集ー』「的射(まとい)する作家 糸数都」阿部智子)

この文章の中で、特に「絵画の自立性という神話との引き換えに、大切な要素の数々をあえて削ぎ落とし、絵画との対話をも削り取ってしまった」というところが胸を打ちます。私自身、かなり長い間、絵画という表現形式で創作することに困難を感じていましたから、この分析は身に染みます。
そして糸数さんが、少しずつ自分の表現を取り戻していったであろう足取りを「水鳥」の比喩で文章化しているところが見事です。糸数さんご自身は、この画集の最後に次のような文章を書いています。

自分の内側の音に耳を澄ませ、言葉にならない「気配」を掬いとる。個人的なごく日常感覚から自分自身の表現につなげていく、それを普遍的なものへと昇華させ表現に繋げていくことができればと思います。
(『糸数都 ー作品集ー』糸数都)

この糸数さんの言葉を読むと、阿部さんが「音、言葉、色、味、香、舌触り、指先の感覚、いとしさ、そしてわたくしというありよう」というふうに日常的な感覚から人としてのありようまでを列挙していることに納得がいきます。糸数さんの絵画への復帰には、人としてのごく当たり前の感性が重要な役割を果たしたのです。その日常的な感性を、普遍的な芸術性へと「昇華させ」ることが、糸数さんの表現活動となっていったのです。

ここで私たちも、糸数さんが悩んだように「絵画」について、そして美術表現について考えてみましょう。
絵画であれ、彫刻であれ、人類が時間をかけて成熟させていった表現には、表現様式そのものに深い意味や、さまざまな表現を受け入れるための厚みのようなものが生じてきます。1970年代には、その「絵画」が旧套的な表現を意味するものとして、否定的に扱われたのです。
そこで先ほどから見てきた通り、表現者はまず「絵画」という表現形式がその頃の時流に飲み込まれることなく、しっかりと自立したものであることを示さなければならなかったのです。平井さんが書いている通り、それは「物と観念とが並走する」状況であり、糸数さんがその後に取り戻した「人としてのごく当たり前の感性」など影も形もなかったのです。
しかし、私たちが何かを表現したいと思った時には、その感情は日常的な感性から生じているのではないでしょうか?そして、そのような自然な流れから発生した表現意欲を、しっかりと受け止められないような表現形式があるとしたら、それは存在する意味があるものなのでしょうか?
本来、絵画という表現形式は、さまざまな人たちの思いを受け止められるように、その表現としての厚みを獲得してきたはずなのです。私は、そのことを再認識して、もう一度「絵画」と向き合う必要があると考えています。
平井さんはこの流れを「可能性としての媒体から、媒体の可能性へ」という言葉で表しました。「可能性」のある「媒体」として「絵画」を指し示さなければならなかった状況から脱して、私たちは「絵画」表現が持つ「可能性」の広がりに挑む時を迎えているのです。

さて、最後になりますが、このような絵画表現への認識のもとで、糸数さんはいま、どのようにして「絵画」を制作しているのかを見ていきましょう。
彼女の作品の美しいあり様については、阿部さんも平井さんも素敵な文章を連ねています。私も以前のblogでそのことについて随分と書いたので、ここではそれに触れないことにします。それよりも、糸数さんが現在到達している認識がどのようなものなのかについて、阿部さんと平井さんのテクストを手掛かりにして考察してみたいと思います。
阿部さんは、こんなふうに書いています。

この作家(糸数さんのこと)は、長年の時の集積によって対話を取り戻し、労(いたわ)り励まし合いながら、色を引き寄せたのである。そのときに絵画は素材を表現が超えて、自由で芳醇(ほうじゅん)な広がりをみせる。しかし彼女はそのまま絵画に無尽蔵の自由を委ねるのではなく、あくまでもわたくしのありようから外れぬように細心の注意を自らに課して、孤独を芯に据えて制作をすすめるのである。
(『糸数都 ー作品集ー』「的射(まとい)する作家 糸数都」阿部智子)

阿部さんは、糸数さんの「表現」が「素材」を超えて、「自由」に広がっていくようだと書いています。それは、糸数さんの色彩表現が「絵画」という表現形式の可能性を限りなく広げてみせた、ということでしょう。
しかしその「自由」の内容はどのようなものでしょうか?
糸数さんが自ら書いていたように、「自分の内側の音に耳を澄ませ、言葉にならない『気配』を掬いとる」という方法が糸数さんにとって「描く」ことです。ですから、画家がまったく気ままに絵を描くということではありません。そのことについて阿部さんは、「絵画に無尽蔵の自由を委ねるのではなく」という注釈を加えたのです。
私は、この糸数さんの絵画への対峙の仕方に、絵画表現の普遍的な構造を見るような気がします。画家は、自分の思いをなんとか表現しようと思うのですが、その姿勢が真摯であればあるほど、画家の「勝手気まま」さといったものは影をひそめていきます。しかしその結果、画面上に現れたものは、限りなく「自由」な表現なのです。

もう少し、噛み砕いて考えてみましょう。
「絵画」という表現形式の中には、それまでの画家が描いてきた蓄積が、その表現上の厚みとなって含まれています。ですから、画家がただ「こうしたい!」と思っただけではどうにもならない力学が働くのです。さらに絵画は、知覚的な表現ですから、画家の観念や想念だけではどうにもならない感覚的な力が作用します。そのことによって、画家の予想しなかった知覚的な喜びが生まれることもありますし、その逆のこともありうるのです。
だから画家は、自分なりの絵画との対峙の仕方を学ばなければなりません。自分の思いをどのように絵画表現として表すのか、それをどのように見る人に伝えるのか、画家は知性と感性をフル稼働させて、そのことに取り組まなければならないのです。
糸数さんは「自分の内側の音に耳を澄ませ、言葉にならない『気配』を掬いとる」と書いていましたが、その後で「個人的なごく日常感覚から自分自身の表現につなげていく、それを普遍的なものへと昇華させ表現に繋げていくこと」というふうにも書いていました。この言葉の通りに、糸数さんは日常的な感性を芸術表現へと昇華させてきたのです。

このような糸数さんが指し示した「絵画」の表現上の構造について、さりげなく言及したのが平井さんのテクストです。次の文章は、そのテクストの最後の部分になります。

生活現実のさまざまな局面やそれにまつわる想念となんらかのかかわりはあるにせよ、それとはべつに留保されてしまう媒体上の眼差しのできごと、これは、それゆえの知覚的なよろこび「なんの証釈もなしにひとり立ちしている」(ギイ・ロゾラート)もののあきらかな自覚にほかなりません。
(『糸数都 ー作品集ー』「転進の強さ」平井亮一)


文中に名前のあるギイ・ロゾラート(Guy Rosolato , 1924–2012))さんはフランスの精神分析医です。引用された一文は、多分、ロゾラートさんの『精神分析における象徴界』という著書から取られたものだと思います。
それらしい文章を引用してみましょう。

いかなる芸術も、直接に意味作用の水準に位置づけられない(音楽や絵画、あるいは詩も)と言ったにせよ、ともかく、つねにそこには潜在的な意味作用が含まれている。このことをもういちどくり返そう。
絵画という狭い領域で、意味作用に近づこうとする場合の最初の困難は、論弁的な連鎖を発見する点にある。われわれが毎回新たな眼で画面を眺め、そこで《知覚的な》歓びが、いかなる指示もなく与えられる、こう想像するのがあまりに無邪気だとしても、絵画がなんの注釈もなしにひとり立ちしているのもまた事実である。
(『精神分析における象徴界』「第二部 絵画分析の技法 絵画を読む、文体」ギイ・ロゾラート著 佐々木孝次訳)

ここでロゾラートさんが「潜在的な意味作用」と言っているのは、私が「絵画」の「表現上の厚み」と言っているものと共通すると思います。ロゾラートさんは、精神分析学的な観点から「潜在的な」という形容詞をつけているのでしょう。
これは一筋縄ではいかない文章ですが、なんとか読み解いてみましょう。
私たちは絵画を鑑賞するときに、つねに無垢な目で作品を見ているわけではありません。そこに何かの意味づけをしたり、過去の評価や経験から考えたり、ということが生じています。それは悪いことではありませんが、そのことを正しく認識することが大事なのです。
ロゾラートさんは絵画の専門家ではありませんが、その「意味作用」にあたるものの分析を試みていますし、私の読み違いでなければ、平井さんは『指示する表出』という著書の中でロゾラートさんの分析について触れています。(ぜひ、皆さんも読んで確認してください。)
しかし、それらの複雑な事情を勘案しても「絵画がなんの注釈もなしにひとり立ちしているのもまた事実である」とロゾラートさんは書いているのです。これは、「いろいろと理屈っぽい意味や難しい解釈が絵画にはつきものであったとしても、素晴らしい絵画と出会った時の言いようのない感動や驚きは確かに存在するよね!」と言っているのだと私は思います。
これは感動的な文章ではありませんか?
この文章を書いたロゾラートさんも、その一文を取り上げた平井さんも、本当に素晴らしい人たちだと私は思います。

そして平井さんの文章に戻ってみましょう。
平井さんは、糸数さんが「生活現実のさまざまな局面やそれにまつわる想念」を大切にしているにせよ、それを絵画として表現するときには「それとはべつに留保されてしまう媒体上の眼差しのできごと」になってしまう、と書いています。つまり糸数さんの日常的な思いは、絵画として表現されたときに(絵画的な)何かに変わってしまうのです。そして、その結果そこに生じているのは「知覚的なよろこび」であって、それゆえに糸数さんの絵画は言葉による意味付けや解釈を超えて「ひとり立ちしている」と言えるのです。
糸数さんは、このような絵画表現の構造を「あきらか」に「自覚」しています。

ではどうして、糸数さんはこのような絵画への認識を取得し、現在の表現に至ったのでしょうか?
平井さんは、最後の文章の前に、次のように書いています。

そうしたことに由来するであろう糸数さんのいう画面に「こんなにのめり込む」ことのよろこばしさも、沈黙期にじっとつちかってきたあらためて媒体の可能性につくという認識、あの1970年代に当面した臨界からの転進こそがそこにいざなったにちがいない。
(『糸数都 ー作品集ー』「転進の強さ」平井亮一)

文中から読み取れるように、あの「1970年代」が絵画にとって「臨界」だった、というのは言い得て妙です。そこからの「転進」が、糸数さんを現在の地平へと「いざなった」という平井さんの解釈には、説得力があります。
少しだけまとめてみましょう。
「臨界」とも言えるほど、「絵画」が否定的に扱われた時期に、表現の「可能性」としての絵画を探究し、さらにその後も「絵画」の「可能性」を探究し続ける糸数さんの表現は素晴らしいものです。糸数さんは、その個人的な感性から発したものを、絵画表現としての普遍性へと昇華させようとしています。
そのことを糸数さんの作品資料が示していますが、それと同時に阿部さんと平井さんのテクストが、そこであらわになった絵画表現の構造についてまで見通して、言及しているのです。

このように『糸数都 ー作品集ー』は小冊子ながら、見応え十分です。そして阿部智子さんと平井亮一さんのテクストも、短文ながら含意が深く、文章量以上の意味が込められています。
これは最初に書いた通り、多くの方に見て、読んでいただきたい画集ですが、その手立てはあるのでしょうか?
もし、それがわかったら、このblogでまたご連絡します。
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