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和田寺だより 

住職のよもやま話し

足場完成!!

2005年01月21日 | 和田寺だより
DSCF0016大寒の暦通り、朝から牡丹雪が舞う寒い一日になりました。1月になり本日を含め、お壇中に二軒のお弔いがございました。ご冥福をお祈り致します。

さて、本堂大屋根工事ですが職人さんには本当に寒い中、作業をお世話になっております。本日でほぼ足場工事が完了致しました。建物内部まで足場が組まれるとは知りませんでした。(笑)足場が完成して改めて伽藍の大きいことが実感出来ます。

銅板祈願奉納について早々に大勢の方々からお申込みいただき誠にありがとうございます。

合掌


震災から10年!!

2005年01月18日 | 和田寺だより
阪神淡路大震災から10年が経ちました。もう10年と感じるかまだ10年と感じるかは人それぞれではないでしょうか。

昨日、1.17の5:46から全日本仏教青年会主催の震災慰霊法要、行脚に参加させていただきました。

前夜からいつも以上にマスコミ各社はこの1.17のニュースを大きく取り上げているように感じました。震災後の家屋等の瓦礫の山、崩れた家屋から助けだされる人々の様子、長田区の火災等当時の生々しい様子が幾度となく写し出されます。この未曾有の震災で6000人以上の尊い生命が一瞬にして奪われたこと、数ヶ月に及ぶ避難所暮らしを余儀なくされた方がいることなど当時のことを風化させず次代に伝えていくこと、又この震災を教訓にして備えていくことは必要なこととは思いますがいつもこの時期になると季節の風物誌のように、映画のワンシーンのように何度も写しだされるあの当時の映像を見ると複雑な心境になります。

非常に極端な言い方になりますがつらいことや悲しいことは「忘れましょう」とするのが仏教的な物事の捉え方だといわれています。そしてつらい時、苦しい時は何度でも立ち止まりながらも「それでも生きてこう。」とするのが仏教徒としての歩み方だと思います。もちろんあの震災で家族を亡くされた方はあの出来事を一生忘れることは出来ないと思いますし、ご遺族の気持ちを思うと(私の身近な所でも亡くなった方がおられます。)いたたまれませんが、ある一定の期間を費やしながら受け入れていくことは人間には必要な部分であるように思います。そして本当につらいことを乗り越えて生きていこうとすれば本当につらいことは一日も早く忘れていくより仕方がないように思われます。しかしそう簡単にいかないのが現実でしょうか。いずれにせよこの時期になると何度も写し出される当時の映像を見ると複雑な心境になります。

法事等の追善供養はいつまでも忘れないでおきましょうという儀式だと思いますが亡くなった家族の闘病中などのつらく悲惨なことまでをいつまでも思いつづける必要は無いように思います。そして、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんの存在、素敵ないい思い出はおのずと心の奥底にいつまでも留まるものだと思います。

合掌



工事開始間近!!

2005年01月11日 | 和田寺だより
お陰さまで本堂屋根工事が間もなく始まります。本日は工事が始まると大型車も往来する関係で住職と施工業者(出石町の徳網建設)でご近所の挨拶まわりを行いました。また各所に案内板、看板等設置致しました。尚、工事完了まで(5月末頃まで)しばらくご不便をおかけしますが寺仏堂、新庫裡より上は一般車進入禁止になりますが何卒よろしくお願いします。

楽寿観音さんは車で至近まで参拝可能。頭痛地蔵さんは歩いてなら参拝可能です。ご本尊千手観音さま(秘仏)は寺仏堂にてお祀りしております。

工事の進捗状況は出来る限りお伝えしていきたいと思います。

さて、本工事に併せてお知らせ内にて銅板祈願奉納のご案内させていただいております。又、町内・外の檀徒のみなさんにはすでにご案内させていただいておりますが本日、霊園契約者のみなさん宛ての当ご案内の発送準備がようやく完了しました。明日付けで各ご家庭に送付させていただきたいと思います。文中にも書いてございますが銅板裏に記された「願主名」と「願いごと」は将来的に残るものでございます。まさに次代へのメッセージにもなるものと思います。縁ある方々で屋根を守り、当山の法燈を護持しようとの思いをもってこの機会に是非ご祈願いただければと存じます。

合掌



<堂の講>

2005年01月09日 | 和田寺だより
寒い一日になりました。本日1月9日は毎年地元、下小野原の行事「堂の講」(ドノコ)があります。

新年を迎え、一年間の豊作、無病息災、家内安全等祈願する法要が寺院で行われるのを修正会(しゅしょうえ)といいますが、「オトウ」ともよばれる「堂の講」もその一種です。主として神社、寺、地域で祀られているお堂等で行われています。下小野原は毎年公民館でこの行事を行っています。他地域でも類似した行事があるそうです。

ヌルデ(うるし科)の木で作った「ゴズエ」は祈願のための聖樹で豊熟を祈念するための神のよりしろ(神霊が招きよせられて乗り移るもの)といわれています。ヌルデの木とシキミは稲や果樹木等を表わし、シキミの枝に結ばれたおみくじの様な紙を参詣者が思い思いにつけるのですがこれは稲穂や果実、財物が鈴なりになる様子、三つ割りの部分に挟んである半紙は「牛玉宝印」(ゴズホウイン)といって、神仏(牛王天王?)から授けられる各種の財物を潤す功徳があるというお札の一種と考えらます。

法要の途中、住職が大きな声で「南無最上佛面除災與楽」と叫びながら錫杖(しゃくじょう/上端の円環に数個の小環をつけ動くと音の出る杖で、道で毒蛇・害虫を追い、乞食(こつじき)に音を出して遊行を知らせるためのもので大乗僧の十八の一。)を振ると参詣者一同が「ゴズエ」と細い棒を双方の手で卓を強く叩くのでけたたましい音が室内に響きわたります。とてもユーモラスな感じです。卓を強く叩くのは祈願の強さ、「牛玉宝印」を授けててもらえる喜びや早く授け下さい、といった催促を表している様です。

読経の後で硯の墨をつけた棒で顔に三回ずつ墨をつけるしぐさを行いますがこれは「インノコ」(印の功、印の幸)といって一人一人に功徳が及ばされ無病息災・健康増進等を祈る為に行わます。

「ゴズエ」は持ち帰り苗代の水口に立てる慣わしがありましたが、現在は各家の垣内(かいち)の一定の場所に立てられます。

※「牛玉宝印」(ゴズホウイン)
守り札の一種で、起請文(誓紙、誓詞=誓いや約束事を書き、もし内容にたがう時は神仏の罰をこうむる旨を記して印を押す)の料紙、民族慣行(オトウ等)に授けられるもの。

因みに和田寺の「牛玉宝印」の版木は西暦1426年(応永33年室町 足利義政の頃)の銘あり。県下で最古、全国で4、5番目に古いもので篠山市文化財に指定されています。

この辺りでは珍しい行事ということで一昨年にサンテレビの取材がありました。興味のある方は毎年、1月9日、1時より下小野原の公民館で実施しておりますので百聞は一見に如かずです。一度お参りされては如何でしょうか。

合掌






定期バスのご利用も!!

2005年01月08日 | 和田寺だより
本日、総代さんの新年初集会がありました。お勤めの後、年頭にあたり住職よりあいさつ、寺族のあいさつ、溝畑総代会長よりごあいさつをいただきました。その後、報告とお願い、今後の予定等の会合を持ちました。会合後、初集会ということで中山石渠和田寺営業所、上田所長、石井社員も加わり会食の一時をもたせていただき一同気持ちを新たにさせていただきました。一田寺の護持・運営に努めてまいります。何卒本年もよろしくお願い致します。

いよいよ本格的に平成17年が始動するという感じです。

さて、昨年二月より今田町内に「ぬくもりの郷・こんだ薬師温泉」がオープンし非常に人気が高くあちらこちらから沢山の方がおみえになっているようです。又、立杭の郷に今秋(予定)に県立陶芸館もオープンする関係から昨年12月23日より神姫路線バスのJR相野駅(福知山線)から「こんだ薬師温泉経由清水(寺)行」の運行が開始されました。

もちろん中山石渠の相野と霊園間の無料送迎(霊園使用者対象)は従来通り行いますが毎水曜日の霊園管理事務所の定休日などにご利用下さい。又マイカーのご利用でない一般の参拝者の方は是非ご利用下さい。

・JR相野駅前 ③番のりば「こんだ薬師温泉経由清水(寺)行」に乗車
  和田寺口 下車・乗車 (和田寺口~和田寺霊園間徒歩ゆっくり歩いて約10分)  
 
 ・バス代(相野駅~和田寺口 片道360円)  

ダイヤは以下の通り
             
平日・土・日・祝日                                   
   (往路)                              
(停留所)(時間)
相野駅10:24→和田寺口10:42→こんだ薬師温泉10:49

相野駅12:54→和田寺口13:12→こんだ薬師温泉13:19

相野駅15:16→和田寺口15:34→こんだ薬師温泉15:41


平日・土・日・祝日                                   
   (復路) 
(停留所)(時間)
こんだ薬師温泉14:45→和田寺口14:52→相野駅15:09

こんだ薬師温泉16:15→和田寺口16:22→相野駅16:39

こんだ薬師温泉17:45→和田寺口17:52→相野駅18:09 

※尚、タクシーご利用の場合は相野駅、古市駅(詰め所より無料電話)、草野駅からご乗車ください。
草野駅、和田寺間が距離的には一番近く料金もお安くなりますが無人駅ですので前もってタクシー会社に予約を入れて
下さい。

(日本交通篠山営業所)TEL 079(552)0010

(有馬交通)フリーダイヤル 0120(41)2481


合掌


ご本尊移動!!

2005年01月06日 | 和田寺だより
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お知らせ内に詳しく説明しておりますが特に台風16号の影響で本堂銅板大屋根が甚大な被害を受けてしまいました。
これにより屋根部分の全面改修をすることとなりました。施工業者は競争入札により出石の徳網建設に決定しました。
工期は5月末までを予定。昨年12月23日に総代さん、福聚教会の支部会員さん(詠歌、舞踊の会員さん)、施工業者列席のもと安全祈願祭を行いました。

近日中に工事が開始されますがいずれ屋根部分はすべて取替えとなりますので堂内の仏さま、仏具の移動が必要になりましたがこちらも昨年12月24日に仏具屋さん6名にお手伝いいただき無事移動が完了致しました。大変お世話になりました。憧幡、前机、施餓鬼壇等の大きな仏具、びんずるさん(なでぼとけ)、二十八部衆の一部(千手観音さんの眷属で善神、龍王、神母女など、名称に異説あり)を仏具屋さんの倉庫に預っていただくことになりました。


ご本尊さまは秘仏十一面千手観世音菩薩さまですが(西暦1337年造立。カヤ木の一木造で像高108cm。全体に赤みがかっています。)昭和45年に仏師佐川定慶氏の手により修理を行っておりますが日誌上、HPの写真、寺仏堂内の写真等はその修理時に撮られたものです。残念ながらお寺の歴史上、公式にはご開帳されたことはありません。観音さまの場合三十三年に一度ご開帳されるお寺が多いようです。

このご本尊さまを安置しているお厨子ごと、寺仏堂まで無事移動させていただきました。安全祈願祭時に撥遣(はっけん)おしょうね抜きをして寺仏堂移動後仮開眼安置しておりますのでみなさま是非お参りください。

お厨子はご本尊造立時に製作されたものと推測されますがくお厨子内部右側面には「本尊移徒康応元年己巳八月七日」の墨書きがあり、西暦1389年、南北朝時代末期にご本尊が和田寺山頂から現在地に移された経緯がわかり、当山年表の根拠となっています。  

合掌


謹賀新年

2005年01月01日 | 和田寺だより
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新年明けましておめでとうございます。
大晦日より雪模様となりました。除夜法要の準備には責任役員の皆さんに、除夜法要の手伝いには総代さん全員にお世話になりました。ありがとうございました。お寺は不思議と雪景色が似合います。去り行く年を省みながらお参りのみなさんは真剣に合掌をされているようでした。昨年は暗い事件や災害がありましたが今年はいい年になればと思います。
                                                                     合掌





和田寺日誌開設します!!

2004年12月28日 | 和田寺だより
今年もいよいいよ残りわずかとなりました。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
アテネ五輪での日本人選手の大活躍といった明るいニュースもありましたが地震、台風、津波、凶悪な事件といった災いが非常に多くあった一年でした。何か地球的規模で大きな歪みが生じているようにも思います。

とりわけこれからますます寒さが厳しくなりますが新潟県中越地震で被災された方々、台風23号等の水害で被災された方々の一日も早い復興を心より祈念致します。

尚、和田寺では今回の地震等の災害に対し寺仏堂内に常時、募金箱を設置しておりますのでお参りの際にはみなさんご協力の程よろしくお願いいたします。又、和田寺まで「災害義捐金」と明記の上〈郵便振替)「宗教法人和田寺」(口座番号)00940-3-145189番までご送金いただいても結構です。寄せられました義援金は兵庫天台仏教青年会、天台仏教青年連盟救援委員会、天台宗一隅を照らす推進本部等を通じ各地の災害対策本部等に送金させていただきます。

さて、7月より和田寺のホームページを開設しておりますがおかげ様でカウンター数も2000件を超え檀信徒、霊園使用者の方々を中心に多くの方々に閲覧いただいていることと喜んでおります。内容面や更新スピードに不十分な面もありますが少しずつ充実出来ればと思っております。そして本日より和田寺日誌としてお寺の日々の様子をお知らせすべく又、こころの通ったHPにすべく私の雑感も交えながらこのサイトを立ち上げたいと思います。どうぞお気軽にお立ち寄りください。またご意見もお寄せ下さい。日誌とはいうものの不定期の記帳になるかと思いますがその点はお許し下さい。
                                                                合掌