和田寺だより 

住職のよもやま話し

天台山 巡拝だより(4)~最終章~

2010年11月04日 | 和田寺だより

多紀叡山講 発足60周年記念~天台山参拝団~平成21年11月16日~20日

多紀叡山講(篠山市、加東市、三田市内天台宗寺院、寺檀組織)の発足60周年を記念し、天台宗の祖山である中国の天台山を叡山講役員・寺院住職・檀信徒、総勢34名で参拝致しました。(叡山講だより34号寄稿記事を転載します。一部加筆)

◆4日目(11月19日) 天台山からバスで紹興市へ。紹興酒工場を見学、本場の紹興酒を味わいました。午後、杭州市に移動し、龍井茶の産地にある中国茶場博物館を見学後、西湖の遊覧を楽しみ、夕食後には楽器演奏、武術、舞踏、雑技などのショーを鑑賞し華やいだ気分で参拝旅行を終えることが出来ました。

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◆5日目(11月20日) 最終日、杭州市内で買物をし、バス移動中、解団式を行い杭州空港から関西空港への帰途につき、5日間共にした九州や他地域から参加の方々との別れを惜しみつつ、無事、篠山に戻りました。(おわり)以下「~参拝を終えて~」につづく↓

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   (伝教大師)      (天台大師)

~参拝を終えて~

折からの寒波で、聖地天台山は霧氷と霜柱も見られ寒さの中での参拝でしたが、華頂山は次の日には閉鎖されたと聞きそんな中、参拝出来たことに大いなる仏縁を感じます。伝教大師(最澄) は肥前田浦港から出港後、実に55日目に寧波に到着されました。遣唐使船、四隻のうち一番船に空海が、二番船に最澄が乗船。三番船、四番船は漂流、難破したといわれています。まさに奇縁と謂わざるを得ません。そして、当時の船旅がいかに困難だったかがわかります。私達は飛行機で1時間余りで到着出来ました。大師は寧波から滞在許可を得る為、台州(臨海)を経由して天台山には45日後に入山。そんな大師の身命をかけた志しとご苦労を改めて感じることが出来、法華経を弘通された天台大師の遺徳を偲びながらその聖跡に無事参拝出来た仏恩に、また参加の皆様に感謝申し上げます。    合掌                                         多紀叡山講 天台山参拝団 事務局長 武内泰照


天台山 巡拝だより(3)

2010年11月03日 | 和田寺だより

とうとう晩秋になってストーブの準備も必要な季節になってしまいました。永らくご無礼しておりました。いろいろの事情で更新がとどこおってしまい申し訳ありません。中国天台山に参拝してからもうすぐ一年が経過しようとしております。一年が経たないうちにこちらの紀行文は何とかUPしたいと思います。参拝3日目からの報告です。

多紀叡山講 発足60周年記念~天台山参拝団~平成21年11月16日~20日

多紀叡山講(篠山市、加東市、三田市内天台宗寺院、寺檀組織)の発足60周年を記念し、天台宗の祖山である中国の天台山を叡山講役員・寺院住職・檀信徒、総勢34名で参拝致しました。(叡山講だより34号寄稿記事を転載します。一部加筆)

◆3日目(11月18日) 早朝4時に起床し国清寺の朝事に参列。多数の修行僧と共に行道に参列し「南無消災延寿薬師佛」(旋律のある念仏)と唱えながら堂内を何度も廻り、独特の雰囲気の中、参詣の有難さを感じました。 Imgp51152_2 朝食後、監院(執事長)允觀師に迎えられ参拝のお礼と日中仏教友好の重要性が述べられ、清水谷団長からは参拝の趣旨と歓迎のお礼の挨拶がありました。席上、可明住持(住職)書の「心得自在」(法華経の一句)の掛軸と経本を頂戴しました。

また、本年、半田天台座主序幕の「天台宗 永永流傳(天台宗は永く永く伝わってゆく)仏法 永永不絶(仏法は永く永く途絶えることはない)」の記念碑にも立寄りました。Imgp5217_3 次に天台大師が悟りを開いた華頂山 華頂講寺、景勝地 石梁飛瀑(直下30mの滝)傍の方廣寺、 天台大師の遺骸(即身仏)を安置する(六角二層、高さ6mの石塔)智者塔院(眞覚寺)を参拝。智者塔院では天台大師和讃を一同で読み上げ、大師の遺徳を偲びました。(つづく)