アングラ演劇の旗手として活躍した劇作家で俳優、唐十郎(から・じゅうろう、本名・大靏義英=おおつる・よしひで)さんが、4日午後9時1分に急性硬膜下血腫のため東京・中野区の病院で死去したことが5日、分かった。84歳だった。1960~70年代に特設の「紅(あか)テント」を拠点に前衛的な作品を上演し、日本の演劇界をけん引。2012年に転倒して以降、療養生活を送っていたが、「現状に異風を起こしたい」と最期まで創作意欲を燃やしていた。
この日午前、唐さんが主宰する劇団唐組が訃報を発表。東京・新宿の花園神社に設置された紅テント前で取材に応じた座長代行の俳優、久保井研(61)によると、唐さんは1日午前中に自宅で転倒。中野区内の病院に救急搬送されたが、4日に親族が見守る中、息を引き取った。通夜、葬儀の日程は未定だが、近親者のみで執り行う。 東京都出身の唐さんは、1963年に「シチュエーションの会」を旗揚げ。翌年に「状況劇場」に改名し、67年に花園神社に仮設した紅テントで「腰巻お仙―義理人情いろはにほへと篇」を上演。この紅テントが代名詞となり、好敵手で劇作家、寺山修司さん(83年死去、享年47)とアングラ演劇界をリード。69年には新宿西口公園でゲリラ的に公演を強行し、唐さんらが現行犯逮捕される騒動となった。 唐さんは当時常識だった戯曲優先から役者の力を引き出す演出に転換。麿赤兒(81)、根津甚八さん(2016年死去、享年69)、小林薫(72)らを輩出した。 70年には「少女仮面」で岸田国士戯曲賞を受賞。小説家として83年に「佐川君からの手紙」で芥川賞に輝いた。状況劇場を88年に解散後、劇団唐組を結成。代表作「泥人魚」(2003年)は読売文学賞に選ばれた。 私生活では1967年に〝アングラの女王〟と呼ばれた李麗仙(2021年死去、享年79)と結婚し長男で俳優、大鶴義丹(56)が誕生。89年に再婚した美和子夫人との間に長女で女優、大鶴美仁音(みにおん、32)、次男で俳優、大鶴佐助(30)をもうけた。 12年に自宅前で転倒。外傷性脳内血腫と脳挫傷と診断され、療養生活に。役者として舞台に立つことはなかったが、自身が作った芝居を見に来ては涙を流していたという。20年には劇団唐ゼミ☆公演のカーテンコールに登場。舞台に上がり、「よかった!」と笑顔で評価していた
くしくも4日は寺山さんの命日で5日は唐組にとって21年ぶりの再演となる「泥人魚」の東京公演初日。故人の遺志を継いで幕を開けた久保井は「唐さんはこのテントとともにいると思う。客席の後ろから見守ってくれていると思います」
俳優佐野史郎(69)が5日、公式サイトを更新し、この日に訃報が伝えられた劇団「状況劇場」の恩師、劇作家唐十郎(から・じゅうろう、本名大鶴義英=おおつる・よしひで)さんを追悼した。
佐野は「思いめぐることが多過ぎて、言葉にならない」と心境を告白。「唐さんの舞台を観たことで、状況劇場に入団したことで、そして退団後も交流させていただけたことで、多くのことを学び、導いていただいたことは間違いない」と記した。 また「戦後の上野の焼け野原の光景から世界を読み解き始めた唐さんのまなざしから学ぶことは、まだまだ多い」と功績にも触れながら「唐さん、今は、ただ、ゆっくりお休みください。そして、これからも、よろしくお願いいたします。」と呼びかけ、自身と唐さん、同劇団の俳優、大久保鷹とのスリーショットも公開した。 唐さんは、1963年に「シチュエーションの会」(64年に劇団「状況劇場」に改名)を立ち上げ特設の「紅(あか)テント」公演を国内外で続けた。ここで佐野や根津甚八さんや小林薫ら多くの俳優を輩出した。 唐さんは4日午後9時1分、急性硬膜下血腫のため、都内病院で亡くなった。84歳。1日に自宅で転倒し、救急搬送されたという。
▽佐野のコメント全文
恩師、唐十郎の訃報が届く。 思いめぐることが多過ぎて、言葉にならない。
ただ、間違いなく、唐さんの舞台を観たことで、状況劇場に入団したことで、そして退団後も交流させていただけたことで、多くのことを学び、導いていただいたことは間違いない。
過ぎ去りし日は戻ることはない。 けれど、その過ぎ去りし日々あればこその今なのだと、何度も何度も思い知らされる。 20代の劇団時代に、ふとつぶやいた唐さんの言葉を思いだす。
「佐野が『少女と右翼』を読んでるんだよ」
戦後の上野の焼け野原の光景から世界を読み解き始めた唐さんのまなざしから学ぶことは、まだまだ多い。 唐さん、今は、ただ、ゆっくりお休みください。 そして、これからも、よろしくお願いいたします。
この日は唐さんが座長を務めた「劇団唐組」の代表作「泥人魚」の東京公演初日。青空の広がった東京都新宿区の花園神社境内には紅(あか)テントが立ち、座長代行の久保井研さん(61)が取材に応じた。
唐さんが亡くなった4日夜、久保井さんが病院に駆けつけると、唐さんは「気持ちよく寝ているようなお顔だった」という。
劇団は今後も活動を続ける。「紅テントは唐さんの分身のようなもの。ここでしかできない芝居をたくさんの人に見てほしい」と気丈に話した。
公演終了後の午後9時過ぎ、久保井さんが「座長の唐十郎が亡くなりました」と観客に報告。「きょうは見てくれていると思っています。ありがとうございました」とあいさつすると、割れんばかりの拍手と「唐さーん」との掛け声が起こった。
ヒロイン役で出演していた娘の大鶴美仁音(みにおん)さん(32)は「『父に届け』という思いで演じました」と語った。急きょ観劇に訪れた息子の大鶴佐助さん(30)と一緒に「家庭でも常に『唐十郎』だった。背中を見せて私たちに演劇のDNAを残してくれた。そんな父を誇りに思います」と語った。
一方、2人の兄で俳優の大鶴義丹さん(56)は出演舞台の終了後、都内のホールで取材に応じた。4日夜は初日の公演があった。「役者は親の死に目に会えないと言いますけど、芝居を貫徹しないといけないということを、死をもって教えてくれた。最期まで粋な演出だった」と話した。
唐さんが演じた役に義丹さんが挑んだ際には「『俺にはなかなかかなわないぞ』ってうれしそうに言ってくる。厳しい父でした」としのんだ。
「状況劇場」で活躍した舞踏家の麿赤児さん(81)のコメント「1960年代に駆け抜けた時間がドドドッと脳裏に蘇(よみがえ)った。唐との出会いは私の人生の最大にして最深の劇的出来事。ゆっくり眠ってくれ、何また会えるさ!」
任侠外伝 玄海灘2024.4.
唐十郎の劇世界2024.4.
唐十郎と扇田昭彦
泥人魚
幻のセールスマン
佐川一政の弟・佐川純 カニバの弟
李麗仙 肺炎で亡くなる2021年6月
唐VS李 2028年 2月
根津甚八とゆー役者が居た 根津甚八さん死去 69歳2016年12月
思い出のNHKドラマ2017年
合田 佐和子さん2016年2月19日死去 75歳
アングラの入り口「少女仮面」2014年4月
根津甚八とゆー役者が居た 「根津甚八」根津仁香
もっと唐さんを出したらんかい!!「駅路」2009年4月
「銭ゲバ」から始まったジョージ秋山先生の暗黒2009年
1940年生
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます