



今日の新日曜美術館は橋口五葉ですよ~
必見!要録画!
朝9時の回は録画し逃したので夜8時に忘れずに
作品集を探していたんですが高過ぎて手がでませんがな・・・
1881年(明治14年)12月21日~1921年(大正10年)2月24日
鹿児島市樋之口町に生まれる。本名は清、1900年東京美術学校西洋画科本科に入学。在学中に夏目漱石の知遇を得て、雑誌『ホトトギス』に挿絵を描くようになったと共に漱石の単行本の装幀を担当した。1907年、東京勧業博覧会に出品した油彩衝立「孔雀と印度女」が2等賞牌受賞。同年第1回文展に油彩画「羽衣」が入選。1911年三越呉服店の懸賞広告画に応募した「此美人」が1等賞・賞金壱千円を獲得し、三間印刷所製石版ポスターとなって話題になる。大正に入り浮世絵研究家としても知られるようになった。浮世絵研究を重ねると共に、版元渡辺庄三郎の勧誘を受けて、自ら版下絵を描き、彫師・摺師と共に木版画制作を行うといった「新版画」運動を展開。その最初の作品が1915年の「浴場の女(浴後裸体女)」となった。 その後「耶馬渓」、「化粧の女」、などの多色摺木版画を制作する一方で、浮世絵普及のための浮世絵名品復刻事業も行った。1920年に「髪梳ける女」をはじめ10点の版画を完成したが、翌1921年2月逝去。享年41歳であった。存命中に完成した大判の木版画は13点と少ないが、気品・優美・繊細な大正版画の代表的版画家として国際的評価が高い