K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

アディルハン・イェルジャノフ『世界の優しき無関心』

2018年12月20日 | 映画
少し時間が空いてしまいましたが、TIFF作品紹介第2弾です。今回はカザフスタン出身のアディルハン・イェルジャノフ監督の『世界の優しき無関心』です。


《Story》
美しい自然に囲まれた屋敷に暮らすサルタナットの父親が亡くなる。多額の借金が残され、このままでは家が没落してしまう。
都会に住む叔父に肩代わりを頼むべく、サルタナットは自分の身が引き換えとなる覚悟を抱いて家を出る。強靭で心優しい使用人のクアンドゥクはサルタナットに付き添い、旅路をともにする…。 (「第31回東京国際映画祭公式サイト」より)


父親を失い、街に出稼ぎに来る美女サルタナットとそれを追う幼馴染のクアンドゥクの悲恋話。赤いドレスを纏ったサルタナットの美しさとカザフスタンの雄大な夕景が観るものを圧倒する作品でした。



The Gentle Indifference of the World
本作は、アルベール・カミュの「異邦人」に出てくるフレーズ「世界の優しき無関心」が軸になっており、作中もサルタナットがカミュに言及するシーンがあります。
この「無関心」というキーワードが物語全編にわたり散りばめられています。それは冒頭も例外なく、決闘をする男たちとそれを眺める男たちという構造が、映画全体のテーマを語っているのです。
弱者に世間は無関心という残酷なテーマのように感じました。作中も関心を持たれるのはいつでも利害関係が絡む瞬間のみで、それは例えば道中で寄ったコンビニであったり、寄付を求める男であったり、野菜ビジネスを展開する男であったり、美女と寝たい男であったり、さまざまな形で現れます。



一方、利害関係を含まない問題には一切無関心で、それはクアンドゥクに手を差し伸べるアモンの無償の優しさであったり、サルタナットに対するクアンドゥクの愛情という形で顕現します。
「何が本当に価値があるか」を語るクアンドゥクの純粋な愛が尊い。権力や利益など好きな女の髪の毛一本分にも満たないとクアンドゥクは熱弁する一方で、サルタナットを取り返すために悪事に手を染めてしまう純粋さゆえの危うさも抱えています。
言い換えるのであれば、その愛情は強い関心、つまり執着とも捉えられるでしょう。無関心を暗に責めるようでいて、執念もまた危うい結末を迎えてしまうのです。

最終的に、逃亡を図ったクアンドゥクとサルタナットの二人は銃撃され、手をつないだ状態で木陰で絶命を迎えるというバッドエンド。午睡するような二人の姿は、酷く悲しくも美しいラストシーンです。
しかし、そんな二人の死に対しても誰も関心を持たないという衝撃的な結末。世界の優しき無関心とはなんと皮肉なタイトルでしょう!
テロやさまざまな社会問題に対し、コミットしていかない私たち大衆の意識を批判しているようでもあります。

カメラワークの妙
本作はカメラワークも非常に卓越しています。とにかく秀逸な構図が多く、目を見張る美しいシーンが何度もありました。
「無関心」を象徴するかのようなサルタナットの孤独な像が特に印象的です。借金の肩代わりに母親から売られてしまったうら寂しさが表現されています。


地下へと降りるシーンはまるで片道切符の地獄への向かうよう


圧倒的な孤独を感じさせる絶妙なノワール

また、劇中に頻繁に出てくるのが「照らす」というアクション。舞台となった部屋に光が頻繁に差し込んだり、サルタナットの顔に光を当てたりと、効果的に光を使う演出が深く印象に残りました。


絵画と呼応するサルタナット


青白い空間に映える赤のドレス。鏡は純潔の象徴でもある。

無関心の対象にスポットライトを当てるという比喩的な意味もありつつ、赤いドレスが映える素晴らしい演出です。

執念と無関心の対比をうまく描いた美しい作品でした。


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