K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

ノスタルジア

2020年05月21日 | 映画

長いアラン・ロブ=グリエ紹介を終え、ようやく次の作品紹介に移れます。

今回は五月末までGYAOで無料配信中のアンドレイ・タルコフスキー監督『ノスタルジア』です。第36回カンヌ国際映画祭で創造大賞を受賞しています。

《Story》ロシアの詩人アンドレイは、通訳のエウジェニアを連れてモスクワからイタリア・トスカーナ地方の田園にやって来る。2人は18世紀のロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を追って旅を続けてきた。だが、アンドレイが不治の病に冒されたことで、その旅も終わりを告げようとしている。ある朝、アンドレイは周囲から狂人扱いされているドメニコという男と出会った。やがてドメニコはアンドレイに“ロウソクの火を消さずに広場を渡る”という、自分が成し得なかった願いを託す。それが“世界の救済”に結びつくと言うのだが…。(「Yahoo!映画」より)

タルコフスキーの映像はやはり美しいですね。どこを切り取っても絵になります。

そして、映画史に残る長尺、『サクリファイス』の「放火のシーン」に並ぶ「ろうそく渡しのシーン」もようやく鑑賞することができました。やはり長いショットは緊張感が高まりますね。

 

タルコフスキーにとっての郷愁

18世紀にイタリアに亡命し、その後ロシアに戻り農奴となったロシアの音楽家サスノフスキーの旅路を辿る、というのが物語の骨子になります。

トスカーナの教会を彷徨うアンドレイ

主人公のアンドレイ・ゴルチャコフは、母国へと想いを馳せる監督の分身とも言われているそうで、この作品の完成後にタルコフスキーは亡命を宣言します。まさに自らがサスノフスキーの中に自らの郷愁を見出そうとしているのではないかと考えさせられます。

自己と向き合うかのようなアンドレイ

事実、実父アルセニー・タルコフスキーの詩を引用したり、故郷のシーンを挿入したりと、作中には母国への未練にも近い慕情が溢れています。まさに「郷愁」です。

故郷と家族の姿

逐一強調されるのは「ロシア(ソ連)」と「それ以外の国(イタリア)」の違いで、異国への憧れ(というか検閲含むソ連への嫌気か)と母国への未練の間で揺れる監督自身の葛藤の塊のような映画でもあるわけです。

最終シーン、アンドレイはソ連の実家の前で、トスカーナの景色に囲まれながら這いつくばります。共産主義に置かれつつ、限界まで自由を求めたタルコフスキーの魂の叫びのよう。稀代の名シーンです。

故郷とトスカーナの間でジッと固まるアンドレイ

 

1+1=1:合一への希求

本作には「合一」という観念(垣根を取り払いたいという欲求)が非常に強く表れているように感じました。

これは前半で発せられたアンドレイの台詞「(芸術の翻訳のためには)国境をなくせばよい」という台詞に端を発し、後半は宗教的主張(ロシア正教とカトリックの合一のようにも)へと発展していくものです。

そして途中で不意に登場する「1+1=1」という物議を醸すであろう数式もまた、こうした合一を示唆したものでしょう。大事なのは「合一」つまりはどちらも捨てられない監督自身の葛藤の表れなのです。

時と精神の部屋(嘘)で突如現れる数式

こうした対立軸の合一、ひいては止揚(アウフヘーベン)を示す要素は、作中にいくつかの形で登場します。プロット上は「ろうそくの水場渡り」に、サウンドには「ベートーヴェンの第九」に、そして色彩設計では「モノクロとカラー」という形で表れてくるわけです。

「ろうそくの水場渡り」は、かの有名なろうそく(当然これは神の臨在の象徴だろう)を運ぶクライマックスのシーンです。「水」の上を歩いて「火」を消さないように運ぶという合一。火を絶やすまいとするアンドレイの静かな気迫に溢れた息を呑むシーンです。

風からろうそくの火を守るアンドレイ

一方同じ時間に広場で演説(というよりも一方的な主張)していたドメニコは焼死。合一思想を欠いたが故の結末だと捉えるのは少々曲解過ぎるでしょうか。

そして印象的に使用される「ベートーヴェンの第九」こそ、声楽(人)と器楽(自然)の合一を提示する音楽です。声楽と器楽が合一した先に「歓喜の歌」が訪れるのです。

そして、この映画で特徴的なのは「モノクロとカラー」、カラー映像の中にモノクロの映像が度々挿入される点です。カラー映像が現在進行形の映像として使用される一方、モノクロ映像は主として過去(記憶)の映像を描写する際に使用されているように感じました。

そして作中、モノクロとカラーのシーンが併存するシーンが訪れます。「アンジェラ」という少女の天使が訪れる瞬間です。これはやはり過去の発言も考慮すると、母国と異国の合一を示しているのでしょう。

天使アンジェラ(Angela)の来訪

ここで一見唐突に思える天使の登場ですが、実は物語前半の故郷の記憶の中で大人の天使が実家を訪れているシーン(まるで受胎告知のよう)があります。このシーンもめちゃめちゃ美しかったなあ……

アンドレイの故郷を訪れる天使

フラ・アンジェリコ《受胎告知》

因みに、タルコフスキーの遺作となった『サクリファイス』を、レオナルド・ダ・ヴィンチの《東方三博士の礼拝》と併せて過去に紹介した記事もあるので宜しければご覧ください。

OGPイメージ

アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』 - K馬日記

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