今日、新聞を読んでいると「ネット音楽配信」がCDシングルの生産額を抜いたようです。なんでも、CDシングル生産額が508億円で、音楽ビデオ(DVD)生産額の568億円に迫る勢いとか...。つまり、「ネット音楽配信」売上げ高は510~560億円あたりのようで、これは05年の342億円から1.5倍へと増加していることになります。
確かにインターネットで楽曲をダウンロードするのは手軽だし、いつでもダウンロードできるから伸びていくのはわかるような気がします。でもこの分で進むと「アルバム」というものがいつか消え去ってしまうのでは。。。と思ってしまいます。それと同時に1曲単位で売上げ云々となると『ウレセン』を意図した楽曲が増えて、ミュージシャン独自の色が出難くなる? それともミュージシャンの理解力・表現力が作曲以上に重要になってくる? いゃ、今はどうか知らないけれど一昔前のアメリカのように編曲者の力量が売上げに直接結びついてくる? ...などと色々と考えてしまいます。そして、粗製乱造がシンガー、プレーヤー、ライター...などミュージシャンにとって一番怖いことかもとも。。。
もちろん商業音楽ですから、それで生活していくためには売れないといくらいい音楽でも食べていくことができません。その意味では売れることは「いいコト」なのですがそれだけを狙った楽曲づくりをしていると...きっとストレスが貯まってしまうだろうなぁ。。。
「アルバム」が重視されなくなると困るなぁ。。。と思ってしまいます。人にはミュージシャンや音楽についていろんな判断方法とでもいうものがいくつもあると思うのですが、僕は困ってしまいます。。。というのは僕の場合、あるミュージシャンを初めて聴いたり''評価''するのに大抵は2枚のアルバムを買って聴きそれで判断しています。ヒットしていなくてもいい曲があったり、ヒットした曲はいいけれど2枚目のアルバムになるとサウンドも特徴なく、どこかのパクリのようなサウンドだったりフレーズだったりしてがっかりしたり。。。そういう楽しみ方ができなくなるのは困ってしまいます。
それだけではありません。それぞれの楽曲は独立しているけれど一つのコンセプトをもって構成され、どこかで繋がっていて「アルバム」1枚を聴いてなんだか輪郭が見えてきたりするそんな楽しみ方もできなくなるのです。
でも、これは僕がどんどん「時代」というヤツに取り残されていっているのかも知れません。ロックでも「フォルテッシモ」や「ピアニッシモ」があるなんて思っているほどですから。。。
音楽が感情なりを表現する手段であるとすれば、それはロックであろうとジャズであろうと人(聴衆)に聴いてももらわないと伝わりません。そのためにはライブで演る場合はこの「フォルテッシモ」や「ペアニッシモ」を巧く採り入れ伝えることが大切だと思うし、それが最大に発揮できるのがライブだといまだに信じて疑わない僕なので。。。
「アルバム」だって、「モデラート」から始まり「フォルテッシモ」の楽曲があって「ピアノッシモ」の楽曲になり再度「フォルテッシモ」で終わる...そんな構成だってあるんだし。。。
ん~~~ でも、やっぱり僕はもうOld manでOld Fashionな聴き方や演り方なのかなぁ???
音楽について今日はちょっと考えてしまいました。