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「たびっと」のたび・まち・ひと ... やぶにらみと言われても

旅行が好きで、その旅行「前」「中」「後」や「旅行」「街」「人」を思うまま、感じるままになぐり書きしてみることにしました。

もっとやわらかく...

2007-04-26 | 



暑い夏の日だったと思います。昔からの町なみがちょっと寂しくなった街をさんざん一人歩き疲れてどこかの喫茶店にでも入って一息つこうと駅の方ならあるのではと鉄道駅の方へやってきました。その駅は周りから浮き離れた立派な高架駅で、その高架の向うに大きく「Parlor」とされた看板が見えます。『なんか似合わへん大きさやなぁ..』とそのパーラーを目指して歩き着きました。店構えが異様とも言えるほどでドアも大きく、そのドアの前へ行くと開きました。

 わちゃっ!
  。。。。。?

一瞬わかりませんでした。パーラー、それはきっと喫茶店だろうと勝手に解釈しその「パーラー」へ入ろうとしたのですが、そこは僕が思い決めつけている「パーラー」ではなくパチンコ店だったのです。。。
いつから「パーラー」と言い呼ばれるようになったのでしょう。昔は「遊技場」そして「パチンコ屋」...知っているのはそこまででした。とは言え、僕はカタブツ人間なんてじゃありません。むしろその逆です。学生の頃たまに時間があれば学校へ行くものの毎日はバンド、そのステージの空き時間に仲間とパチンコへ行き時間が来ると戻り、また空き時間になるとパチンコへ...そんなこともあったし、仕事帰りにパチンコへということもありました。
が、いつの間にかそのパチンコが「手動」から「電動」そして「フィーバー」とかというものに変わった頃から行かなくなってしまったのです。
ギャンブル...結構好きです。仕事をしていて昼休みには仕事仲間と昼食はそっちのけでブリッジに興じていたこともありますが、どうも「他力本願」的なギャンブルは好きになれないというかでパチンコも「手動」から「電動」に移り変わった頃から足が遠のいていったのです。

ま、そんなことはどうでもいいのですが....。新聞に折り込まれているチラシの種類がずいぶんと変わってきたように思っています。それ以前からもそうでしたがこれまで車のチラシと言えば中古車だったように思うのですがいつの間にか外車のチラシが...僕は車どころか運転免許すら持たず車のことはよくわからないのですが「ジャガー」とかのチラシがスーパーなんかのチラシに混じり、ちょっといい紙を使って入っていたりもし出しました。そしてここ2-3年でしょうか目につくのはパチンコいや、パーラーのチラシです。それも決まって片面だけプリントされて...もったいないなぁとか思ったりもしながら....。
それが最近ではパチンコ店ではなく、パチンコの機械=台メーカーのTV-CMがやたらと多くなっているように思います。1社1社でなくパチンコ機器メーカーのTV-CM量はかなりになるような気がしないでもありません。もちろんそれ以上に多いのは「サラ金=消費者金融」で、これなんかは一般銀行のTV-CM量より確実に多いのではないでしょうか。この「サラ金」がこれまでの独立系(?)「サラ金」から、銀行系でも隠していたような感じだったのに今ではそれを「売り」にするような...。銀行を始めとする金融機関はお金を貸した方が儲かります、そしてそれを銀行として貸すよりも資本だけや「あからさま」に銀行系を謳い「安心」させようとでもしているのかこの「サラ金」のTV-CMがパチンコ機器メーカー以上に多いことは何か考えさせられてしまうのです。しかもこれは広告の内規や業界自主規制でもあるのでしょうか...「お金は計画的に使い、無理のない返済計画をたてましょう」というようなコトをちらっと入れて...笑ってしまいます。

パチンコの話に戻します。今のパチンコはギャンブル性が高い(ハイリスク・ハイリターン?)ようなのですが、これを僕は決して否定しません。今では屋台でさえも見られなくなってきた感がある「スマート・ボール」という遊びを子供から奪い(?)パチンコへと変遷してきたのですが、街の風情を構成したりする要素でもあると思うのです。
それに様々なストレスを蓄積する「仕事」から開放されてひとときをパチンコに興じることはある種の「精神薬」とも言えるんじゃと...。もうこれも随分と古い話なのですが、都心部に近いある新興住宅地(?)はあまりにも味気ない風景だと思っていたのですがある時、そこに暮らす住民への調査で「パチンコ」店の設置を求める声が一番多かったと聞いたことがあります。整然とした駅前やそこからの区画は素晴らしいのですがどこかよそよそしいし味気なく人の「温かみ」「悲哀」「喜び」といったものが感じられないのです。それは「お固い」「お役所」主導の開発で「良好な住環境」を...という趣旨から用途規制等で許されていないのです。用途地域の指定は確か3年だったか5年に一度見直し変更することができるのですが、このよそよそしい街の顔をもっとくだけて駅に降り立った時にどんな街だろうとワクワクさせたり『チェッ...だめだったぁぁ』や『ラッキー、やったねっ』と歩く人の表情を豊かにさせる「街の装置」づくりをどんどんすべきだと僕は思い言ったりするのですが、これにはなかなか受入れてもらえません。

が、今一度いろいろな人がいろいろな表情で暮らす楽しさづくりを考えてもいいんじゃないかと思うのです。許容地区だからと巨大化する一方だと思ってしまっている「パーラー」の制限を課し、その代わりに規制・制限区域であってもある一定の要件・条件、その中には容積や建物高さ、看板なんかを含めてですが設置を認める、そんな「当たり前」のようで実は「やわらかな」発想があってもいいと思うのです。
ギャンブル=悪ではないし、「お役所」がギャンブルを仕切りそのテラ銭を「くすね」ているのですから、それは百も承知でしょう。そもそも今に生きること自体が大きなギャンブルなのですから...ちがうでしょうかぁ?

ゴールデンウィークは再発見に

2007-04-25 | 



今日、久しぶりに「西天満」から「老松町」辺りを歩きました。この辺りは僕の好きな界隈です。そう、「界隈」という呼び方がとっても似合っているそんな感じがするところです。

「天満橋(上図:右下)」を北(上)へ渡ってすぐ左(西)へ曲がると大川畔に公園があります。ちょうど雨も上がり太陽が眩しく感じる時間ですから歩くにはぴったりの頃です。公園の樹には若い緑が出てきてそれがちょっと透明な感じで輝いたり、まだ雨露に輝いたりしています。いつもはこの公園に沿って歩くことが多いのですが今日は町の中を通りました。この公園に沿った道は時には歩いたり時には車の中から見ているのですが、町の中を歩くのは本当に久しぶりです。もう30年以上も前、初めて僕が仕事をし出したのはこの大川の対岸に位置する「天満橋」界隈の一角だったのですが、その頃に何度か行った記憶のある「イトウ」という喫茶店なのに『インディアン・オムライス』の店はまだ営業しているようで、昼食を食べていなかったので入ってみました。
入ると
 「ぁっ、ご飯? 今なぁビールを買いにいってしもてん...すぐ帰ってくると思うけど待ってくれるかぁ?」
と奥さんらしい女性がそう言います。
 「うん、かまへんでぇ」
と答えると奥さんらしき女性は
 「もうお客さんきゃぁらへんやろ...と出るとこないなるねん、かんにんなぁ」
なんかほのぼのした空気が店に漂っていい気持ちです。

お腹いっぱいになり再び町を歩きます。ここ数年大阪(市)の北区・中央区で相当数のマンションが建築されて話題になったこともありますがこの界隈はそういう話題で聞いたようなマンションではなく、あってもせいぜい50戸程度のマンションが結構建っています。が、マンション然(?)としているのではなく、周りにとけ込んでいるような感じがします。歩いている先にも建築中のものが見えましたがマンションなのか業務ビルなのか手前で曲がったのでわかりません。
西(左)の方へ歩いていくと日本で一番長いとかと言われる「天神橋筋商店街(上図:中央やや右の縦に伸びる赤い線)」のほぼ南端を横ぎると、今の''都心エリア超高層マンション時代''の先駆けともなった超高層マンションがにょっきと表れてきます。このマンションの敷地は確か小学校だったと...学校が都心部人口の減少に伴って統廃合され、その跡地がマンションとなった例は大阪市内でいくつかあったと思います。
そのマンションの下を通り抜けていきます。この辺りはなぜか海産物問屋がちょっと集まっていてそれもいい雰囲気を醸し出しています。きっと大川を経て船で運搬したのでしょう。

堺筋を渡るとまたもや超高層マンションです。何年か前(もう5-6年は経つ?)に堺筋と国道1号とをショートカットして新御堂筋入口た「梅が枝町」あたりを結ぶ短絡路がある日突然供用開始されていてびっくりしたこともあるその道を歩き、「老松町」の通り(上図:左の黄色い線)に出ました。
ここは新しいようで古い、古いようで新しいそんな界隈ですが、骨董品の店が昔から多く町を歩く楽しさを教えてくれるような通りです。
ここを抜けて「新御堂筋」に突き当たり少し南(下)へ行けばアメリカ領事館です。昔はそんなことがなかったように思うのですが、領事館の前には警備の警官が常時数名はいて警察車両もあり「けいかんがけいかん」をちょっと阻害しています。。。
最近でこそこのアメリカ領事館には行かないのですが、以前は領事館の中にある「アメリカン・センター(だった?)」でいろんな資料を見せてもらったり教えてもらいました。

今日歩いたこの界隈は距離にして1,500mほどでしょう(上図左下の赤い線が300mです)が、やっぱりこの辺りを歩くのは楽しいです。
ゴールデンウィークには都心部の車の総量はかなり減るでしょう。お盆やお正月の時期に家から外をみるとびっくりするほど空気が澄んで遠くまでくっきりと見えることがあります。もうすぐのゴールデンウィークはもう一度大阪の街を歩いて楽しさを再発見するいい機会かも知れません。晴れていれば清水谷や夕陽ケ丘辺りを歩いてみようかな.....そんなことを考えながら歩きました。
でも、足がちょっと張っているような感じも。。。運動不足ですかねぇ。。。

ぁ、そう言えばこの辺りの「町名」が「西天満」になってしまって随分時間が経ちますが、こうするメリットは何なんでしょうね。それより「真砂町」「老松町」「絹笠町」「与力町」「同心町」なんかの方がずっといいのに。。。と思うのはおじさんだからでしょうか?

お昼どき...

2007-04-23 | 


Tabit=僕は決してグルメではありません。どんなものを食べても美味しく思え、不味いと思うことはまずない...まぁ、たまには「うっ。。。これ要らんわぁぁぁ」と思うこともありますが。。。
でも「こりゃ美味しいぞっ!!!」と思う店は不思議と消えていくのです。。。

そんなことを考えながら今日はお昼どきによく行った店をちょっと懐かしみながら書いてみることにしました。もう既に姿を消した店、もしかすれば姿を消しているかも知れない店も一緒に...。

先ず最初は(1)の「ニューハマヤ」です。ここは美味しいと言えばいいのか何と言えばいいのかわからないのですが妙にクセになってしまったりするのです。夜も営業しているらしいのですが夜に行ったことがありません。
何の店? と尋ねられれば「焼肉のような店」とでも言うしかないでしょう。全部で3店あるようなのですが僕が知って行ったことがあるのは「三休橋筋」をちょっと西に入った「資生堂ビル」の裏側と「御堂筋」を淀屋橋から南下し「平野町」を超えてすぐの車1台がやっと通れる細い路地を西に入ったところにあります。昔はここで食べているのは男ばかりだったような気がするのですが、近頃は若い女性客も時々みかけます。
入ってびっくりするのは鉄板に山と積まれたフィニッシュ前の肉です。注文するとその肉をとりソースを少しかけながら鉄板でササッと炒めてお皿に載せて出来りです...が、その前に卵を一度に6-7個、多い時では10個ほどもバターをひいた鉄板の上でコツンコツンと割り、塩とよくわからない調味料をふりかけてスクランブル・エッグのようにして焼き、それを焼き炒めた肉にかぶせて出来上がりになります。付け合わせはキャベツの千切りだけ。でも、このキャベツにかけられるドレッシングの味、僕は大好きです。酸っぱくて少しピリッとして...。
この「ニューハマヤ」のメニューは、これと「日替わりランチ」それに卵とイカとを混ぜ合わせて焼いた「ミックス」だけですが、この「炒め焼肉」にはスクランブル・エッグが一つの「シングル」、二つでやや肉が多い「ダブダブ」、ダブダブより卵が多い「トリプル」とダブダブより肉と卵が多い「トリトリ」だけですが、「日替わりランチ」を注文する人は10人に1人もいないでしょう。
そして、この「ダブダブ」なんかが出てくる前に「おひつ」に入ったご飯とお茶碗、そして福神漬と細かい肉(豚)脂とネギが入った「赤出汁」が大抵は先に出てきて『はい、お待たせしましたぁ』となるのです。肉の味はかなり濃く2日も続けて食べようとは思わないのですが10日ほどするとなぜか食べたくなってくる妙な味なのです。
お昼どきには店の外に列をつくって並んでいる光景がみられます。きっとその人たちは妙な「魔物」につかれてしまって僕と同じように並んでいるのでしょう。

次は(2)の「そばや」というか「せいろご飯屋」さん。店の名前は覚えようとしていないのでわからないのですが、そばは「ごまきりそば」です。お昼には「そば」が入った器の上に「幕の内」のようなものが載っているものがあるのですが、すぐに売り切れてしまいます。
そして「せいろご飯」、これは一見するとそうでもなさそうなのですが食べてみるとお腹が破れそうなほど満腹になってしまいます。でも、これも美味しいので出されたフォークできっと完食するでしょう。

(3)はも店の名前を知りません。ちょっといい感じの洋風建築の「ステーキ」屋さんとでも言えるでしょうが、確か1年に一度だったか昔の価格で提供する日だったかあったように思います。

(4)は確か「もず」という名のトンカツ屋で、さっくりと揚げられなかなか美味しいのです。この横(伏見町沿い)にはこれも古い西洋建築で「もず」と同様にいい味をだしています。

(5)はアイスクリーム屋さんで「ぜいろく」。ここのアイスクリームはあっさりとしているジャーベットのようなアイスクリームを最中の皮のようなものに入れて出され、昼食のデザートや3時のお茶の時間にいいかも知れません(3時近くになればオフィスで、おぉ~い出すから誰かぜいろくに行ってきてぇ~なぁ~...という声がこの辺りのオフィスでは聞こえるかも知れません)。
アイスクリームは、バニラ、抹茶、それにあずきの3種類だったと....。

(6)この店の名前を知りません。オフィスビルの地下にある店で僕は「魚屋」と呼んでいますが、ある人は「米屋」と呼んだりもしています。夜は小料理屋になるのですが昼は魚だけ。でもその魚が美味しいのです、そして魚だけではなくご飯も美味しいので「魚屋」や「米屋」となってしまうのです。日によって魚の種類は調理法は変わり、それが店の前にチョークで書かれています。僕はここでずいぶんと魚の名前を覚えたような気がします。

(7)この店は「スエヒロ」だったと...。石板で焼く肉がメインでグラム単位で注文をします。僕はまだ食べたことがないのですが、女の子の話によるとここのカレーは絶妙な味で美味しいとか。

(8)ここの名も覚えていませんが「すき焼き」屋です。昼は「すき鍋」がメインで注文すると毛沢東に似たおやじさんが半ばできている「すき鍋」に肉を入れ卵を割り蓋をして2-3分で出来あがりで冬は季節柄賑わいます。
そう言えば、(4)「もず」の北側、伏見町の通りを挟んで「天金」があります。ここも年中「肉鍋(通称ナベ)」や「牛しゃぶ(通称シャブ)」がありランチメニューには「七色てんぷら」や「天丼」「姫丼(天丼に卵とじをおとしたもの)」があるのですが、店のおばさんが『シャブいちょぉ~~」と大声で叫んでいるとちょっとびっくりするかも知れませんが、この「シャブ」のたれが美味しいのです。

(9)ここはもしかすれば閉店してしまっているかも知れません。しばらく行っていないのですが数年前にご主人が高血圧で倒れられ奥さんがされていたのですが休みがちになっていたので。。。
ここは「88ステーキ」と「バターライス(洋風チャーハン)」のコンビや、「バターライス」と「シチュー」か「ボルシチ」のコンビが定番(?)で、極めて家庭的な「シチュー」や「ボルシチ」です。

最後に残念、もうすごく残念なのですが(10)の確か「やぐら」という名の「ちゃんこ」屋さんで、店の名前が変わって営業しているようですが全く違うようです。
この「やぐら」の「ちゃんこスープ」は絶品です(でした)。おそらく鶏ガラと昆布がベースになっているスープだと思うのですが、きれいに澄んでいてもうそれだけで美味しいのです。そのちゃんこ...は白菜・もやし・豆腐・油揚・鶏肉で、できあがる寸前に卵を落とし、これまた美味しい特性(自家製)のポン酢で食べるのです。この店をきりもりしているのは歳を重ねた「お母さん」と呼ばれて商売気はあまりというか殆どないような....。
秋に行くと「にぃ」と笑ってぽいっと松茸を入れてくれたりもしますし、その日にあるようなものをひょいと入れてくれたり....。このちゃんこと大きな丼鉢に入れたご飯の上に梅干しを載せてくれるのですが、そのご飯も梅干しも美味しいこと! 一通りちゃんこを食べ終えれば、その鍋で雑炊をすることもできます。残ったご飯を入れてもいいし、新たにご飯を貰って入れ、それに溶き卵とネギを入れて食べるのですが...雑炊をしたからと言って追加料金なんかはとらないし...。でも店には10人も入れないのでお昼どきには雑炊を頼む人もみかけますが、待っている人もいるので頼むには相当な勇気が必要でしょう。雑炊を食べたい時には1時半を過ぎてから行ったりもしていましたが。。。今はもう消えた大阪の名店と僕は思っています。

ショウ・ウインドゥ

2006-08-10 | 


最近、住んでいるというのに大阪の街をあまり歩かない。僕は自然の中を歩くという余裕がないためか、どうも街歩きが好きだというのに。。。 一つよくなれば一つよくなくなる、どうもそんな感じがここ数年の大阪 ... というのが僕の見方。
よくなったこと、それは御堂筋。これまで御堂筋と言えばビルが建ち並び、その1階から最上階まで全てオフィスというものだったが、いつ頃からか1階に物販系や飲食系の用途での利用が多くなったように思っている。そのため、夜になっても街灯だけでなく明るくなり歩く楽しさが増えたようだし。

その大阪の中で僕が住んでいるのは梅田に近い地域。自転車で梅田にある中古CD屋へよく行ったものだけれど、それも最近は全く行っていないし行ったとしてもどこかに行ってちょっと寄道する程度。
どうも梅田=キタはおもしろさが消えていっている。かろうじて梅田界隈では梅田西再開発による「ハービス大阪」で垂直型の店舗群ではなく水平(面)型の店舗群ができあの辺りは街の風景や表情を持っているようだけれど、後はさっぱり。。。
そして今また阪急百貨店が改築しこれまでの地上12階建から41階へと高層化され、百貨店(B1~9FからB2~13F)も拡大され、その営業面積は8.4万平方メートルと甲子園球場グランド面積の5.7倍となり日本でも最大級のメガ・デパートとなる。
もちろん限られた資源(土地)を有効に活用することには異論はないが、どうもいたずらに高層化を断続的に拡大していくことで梅田から街・都市の楽しみが消えていく、いったように思えてならない。
阪急はその昔から合理的でビジネスライクな面を持っていると僕はみているが、もっと長期的に梅田=阪急村のビジョンを持ち、それを実際に行っていたならもっと素敵で楽しい梅田になったと思えてならない。物販・飲食系を自らの建物内に取り込むことはビジネスだからいいけれど、その取り込み方が地上を歩く人からの目線でないために古書を買うなら「かっぱ横丁」へ、スポーツ用品を買うなら「阪急イングス」へと目的動線化させてしまい、街を歩くおもしろさをまったく感じさせてくれない。
そのためとまでは言わないが、昔はいい飲食店や関西だけでなく日本でもよく知られたレコード店が「阪急東通商店街」にあり、いろんな人が行き交ったけれど、今では「風俗街然」となり通り歩くにも恥ずかしいような看板が掲げられ街のおもしろさがなくなってしまっている。
もちろん「風俗街」がいけないというつもりは毛頭ない。でも、それは昼間はどこかひっそりとし夜になるとそれなりの賑わいを見せながらも何か探検したりこっそりとドキドキする、そんな空気が漂っていた方が風情の面でもあるだろうし、街のメリハリとしてもいいと思っている。女性から叱られるかも知れないが、ここは「男だけの街」というような ...。

それに比べると同じ大阪でも心斎橋-難波=ミナミは街の楽しさを残している。
このキタとミナミの決定的な違いは、キタが阪急を筆頭として阪神・JR等の巨大資本の下に構成されているのに対してミナミは「そごう」「大丸」そして「高島屋」最近では「なんばパークス」があるものの、小資本の物販・飲食店が面・線状に繋がっているため街を歩くおもしろさが維持されている。
しかもうまい具合に「そごう」「大丸」と「高島屋」「なんばパークス」は離れその間を「心斎橋商店街」で結ばれ、ここから東西へ「アメリカ村」「ヨーロッパ村(もう古い?)」「鰻谷」近年では「ホリエ」等へと拡りをもってミナミを構成している。

キタとミナミで比較するとこのように大きな違いがあり、キタはビルの何階かへ買物に行くかいたずらに拡大された地下街しかなく、ミナミは集客装置である三つの百貨店と一つのショッピング・モールをつなぐ歩ける線がある(地下街もあるが)。
そしてもう一つの違いは、ショウ・ウインドゥにあるような気もする。キタでは「阪急」も「阪神」もあるにはあるがショウ・ウィンドゥにあまり注力されていないし、他の物販店などはそれさえも殆どないから歩くとしてもおもしろくないのかも知れない。
これに比べるとミナミでは少なくなったもののショウ・ウインドゥがまだある方で、ウィンドゥ・ショッピングを楽しめる余地が残っている。もちろん「そごう」「大丸」といった百貨店もそうでショゥ・ウインドゥがあり、天気・時間・季節による表情の違いが歩く人たちを意識させるかどうかを別にして楽しませてくれる。

それだけではない。今後残念ながら都市犯罪が増えていくことは避けられないだろう。けれど、店が閉じられても少しだけ灯りを落としてショウ・ウインドゥが明るいと街がその灯りで明るくなり路上犯罪を抑止することに働く可能性だって期待できる。歩いていて楽しいから歩く、歩く人がいるからショウ・ウインドゥの灯りは消さない、ショウ・ウインドゥの灯りがいい街の空気をつくるから人が来る、人が来るから犯罪も起こりにくい ...といったプラスの循環をつくりだせないのだろうか。

いつものように思うままに書きなぐっているから、何が言いたいのか伝わらないかも知れないけれど。。。