暑い夏の日だったと思います。昔からの町なみがちょっと寂しくなった街をさんざん一人歩き疲れてどこかの喫茶店にでも入って一息つこうと駅の方ならあるのではと鉄道駅の方へやってきました。その駅は周りから浮き離れた立派な高架駅で、その高架の向うに大きく「Parlor」とされた看板が見えます。『なんか似合わへん大きさやなぁ..』とそのパーラーを目指して歩き着きました。店構えが異様とも言えるほどでドアも大きく、そのドアの前へ行くと開きました。
わちゃっ!
。。。。。?
一瞬わかりませんでした。パーラー、それはきっと喫茶店だろうと勝手に解釈しその「パーラー」へ入ろうとしたのですが、そこは僕が思い決めつけている「パーラー」ではなくパチンコ店だったのです。。。
いつから「パーラー」と言い呼ばれるようになったのでしょう。昔は「遊技場」そして「パチンコ屋」...知っているのはそこまででした。とは言え、僕はカタブツ人間なんてじゃありません。むしろその逆です。学生の頃たまに時間があれば学校へ行くものの毎日はバンド、そのステージの空き時間に仲間とパチンコへ行き時間が来ると戻り、また空き時間になるとパチンコへ...そんなこともあったし、仕事帰りにパチンコへということもありました。
が、いつの間にかそのパチンコが「手動」から「電動」そして「フィーバー」とかというものに変わった頃から行かなくなってしまったのです。
ギャンブル...結構好きです。仕事をしていて昼休みには仕事仲間と昼食はそっちのけでブリッジに興じていたこともありますが、どうも「他力本願」的なギャンブルは好きになれないというかでパチンコも「手動」から「電動」に移り変わった頃から足が遠のいていったのです。
ま、そんなことはどうでもいいのですが....。新聞に折り込まれているチラシの種類がずいぶんと変わってきたように思っています。それ以前からもそうでしたがこれまで車のチラシと言えば中古車だったように思うのですがいつの間にか外車のチラシが...僕は車どころか運転免許すら持たず車のことはよくわからないのですが「ジャガー」とかのチラシがスーパーなんかのチラシに混じり、ちょっといい紙を使って入っていたりもし出しました。そしてここ2-3年でしょうか目につくのはパチンコいや、パーラーのチラシです。それも決まって片面だけプリントされて...もったいないなぁとか思ったりもしながら....。
それが最近ではパチンコ店ではなく、パチンコの機械=台メーカーのTV-CMがやたらと多くなっているように思います。1社1社でなくパチンコ機器メーカーのTV-CM量はかなりになるような気がしないでもありません。もちろんそれ以上に多いのは「サラ金=消費者金融」で、これなんかは一般銀行のTV-CM量より確実に多いのではないでしょうか。この「サラ金」がこれまでの独立系(?)「サラ金」から、銀行系でも隠していたような感じだったのに今ではそれを「売り」にするような...。銀行を始めとする金融機関はお金を貸した方が儲かります、そしてそれを銀行として貸すよりも資本だけや「あからさま」に銀行系を謳い「安心」させようとでもしているのかこの「サラ金」のTV-CMがパチンコ機器メーカー以上に多いことは何か考えさせられてしまうのです。しかもこれは広告の内規や業界自主規制でもあるのでしょうか...「お金は計画的に使い、無理のない返済計画をたてましょう」というようなコトをちらっと入れて...笑ってしまいます。
パチンコの話に戻します。今のパチンコはギャンブル性が高い(ハイリスク・ハイリターン?)ようなのですが、これを僕は決して否定しません。今では屋台でさえも見られなくなってきた感がある「スマート・ボール」という遊びを子供から奪い(?)パチンコへと変遷してきたのですが、街の風情を構成したりする要素でもあると思うのです。
それに様々なストレスを蓄積する「仕事」から開放されてひとときをパチンコに興じることはある種の「精神薬」とも言えるんじゃと...。もうこれも随分と古い話なのですが、都心部に近いある新興住宅地(?)はあまりにも味気ない風景だと思っていたのですがある時、そこに暮らす住民への調査で「パチンコ」店の設置を求める声が一番多かったと聞いたことがあります。整然とした駅前やそこからの区画は素晴らしいのですがどこかよそよそしいし味気なく人の「温かみ」「悲哀」「喜び」といったものが感じられないのです。それは「お固い」「お役所」主導の開発で「良好な住環境」を...という趣旨から用途規制等で許されていないのです。用途地域の指定は確か3年だったか5年に一度見直し変更することができるのですが、このよそよそしい街の顔をもっとくだけて駅に降り立った時にどんな街だろうとワクワクさせたり『チェッ...だめだったぁぁ』や『ラッキー、やったねっ』と歩く人の表情を豊かにさせる「街の装置」づくりをどんどんすべきだと僕は思い言ったりするのですが、これにはなかなか受入れてもらえません。
が、今一度いろいろな人がいろいろな表情で暮らす楽しさづくりを考えてもいいんじゃないかと思うのです。許容地区だからと巨大化する一方だと思ってしまっている「パーラー」の制限を課し、その代わりに規制・制限区域であってもある一定の要件・条件、その中には容積や建物高さ、看板なんかを含めてですが設置を認める、そんな「当たり前」のようで実は「やわらかな」発想があってもいいと思うのです。
ギャンブル=悪ではないし、「お役所」がギャンブルを仕切りそのテラ銭を「くすね」ているのですから、それは百も承知でしょう。そもそも今に生きること自体が大きなギャンブルなのですから...ちがうでしょうかぁ?