goo blog サービス終了のお知らせ 

元たばこ屋夫婦のつれづれ

つれづれなるままに

お江戸は世界に誇るガーデニング都市だった

2011-11-10 | 日々雑感
     しんきんカードはれ予報という小冊子に「庭に夢中!」というガーデニング特集記事が掲載されていた。パ-マをかけに入った美容室で何気なく手にしたものだが、ヒマにあかせて頁をめくると「江戸は世界最大のガーデニング都市だった!?」との見出しが飛び込み、パラパラとめくりはじめた。
  
     江戸時代となると、素通り出来ない。一気に読み下し。その小冊子を頂いてきた。時代考証家の山田順子さんに聞く歴史の真実のタイトルで、まとめたのは辻啓子さんである。

     書き出は、「歴史は繰り返すというが、ガーデニングブームもまた然り。江戸時代、特に後半にかけて、日本で一大園芸ブームが起こったことをご存知だろうか。その盛り上がりぶりはすざましく、英国の植物学者で、珍しい植物を求めて世界中を旅したロバート・フォーチュン氏が1860年に江戸を訪れた際、"世界一の園芸都市〟と息をのんだほど。今でこそ、イングリッシュ・ガーデンが世界の注目を集めているが、さかのぼれば、日本は英国人もびっくりの園芸大国だったのだ。」
     
「では何故、江戸時代に園芸ブームが起こったのだろうか。江戸の園芸ブームは身分を超えて,庭をもたない庶民にも"植木いじり〟という形で広がった。時代考証家の山田順子さんは、治世の安定こそが江戸の園芸ブームの根底にあると話す。"江戸時代も後半になると、庶民は初めて余暇を手にしました。時間とお金に余裕が出来たからこそ、庶民も園芸という趣味がもてたのです〟」

     「手に入れた貴重な余暇を園芸に費やしたのには、"江戸の町の都市化〟に原因があった。"文化文政期の江戸の町は、面積の60%が武家屋敷と寺社、25%が農地で、残りの15%が町家でした。そのわずか15%に長屋が連なり、60万人の庶民がすし詰め状態で住んでいたのです。しかも埋め立て地が多く、周辺には緑がない。江戸の庶民といっても、ほとんどが地方出身者ですから、緑が恋しくてなりません。植木は手軽に緑を増やす手段だったのです」

     「当時の庶民の月収は、現在の価値にして20万円前後はあったという。長屋の家賃を2万~3万円と想定すると、たとえ子供が数人いても、一鉢1千円前後の植木鉢を1~2鉢は買える余裕があった。庶民は、天秤棒に植木鉢をぶら下げて売り歩く行商人や、露店から植木鉢を購入し、季節ごとに新しい草花を軒先に並べて楽しんだ。今でも東京の下町、佃島や深川辺りを歩くと、路地にはみ出すように並べられた軒先の花々を見かけるが、これは江戸時代の名残なのだ。」

     「路地が各家の植木で彩られていくと、〝次は隣家が持っていない珍しいものを並べたい〟と考えるのは人情というもの。鉢も素焼きのものでは物足りなくなり、染め付けものが流行した。"染付けの植木鉢は、当時、世界でも珍しいものだったはずです〟」

     「珍しい植物への欲求から、品種改良も盛んに行われるようになる。驚くのがその生産者。植木の栽培技術の発展には農家だけでなく、武士も一役買っていたと山田さんは言う。」

「幕末になると、下級武士は困窮していましたから、小遣い稼ぎに庭で植木を育て、それを市場に卸すわけです。実は室町時代には、武士の間で盆栽いじりが流行し、それはハサミ一つで形を整えていく芸術でもあった。ですから植木いじりは武士の恥にはならず、体裁のいい副業だったのです」

「品質改良が進むと、門外不出の珍しい品種も出始めた。なかには現在の価値に換算して何百万円にも及ぶ,高価な植物も登場するようになる。もっとも、根が張る植物は庶民には手が届かない。買い手は、旗本や裕福な町人が中心。彼らは自分が手に入れた珍しい品種を自慢するために、品評会まで行ったという。」

     「万年青(おもと)、石菖(せきしょう)、葉蘭(はらん)など、現代人には理解し難いような、葉だけの植物にも人気が集まったようです」(山田さん)。葉に現れる"斑〟(ふ)の入り方、葉の色艶、全体の姿形などを楽しみ、優劣を競った。」

     「一方、花で人気を集めたのは、朝顔、菊、桜草、福寿草など。競い方はさまざまで、例えば品種改良したいくつもの桜草をひな壇に飾り、その"構成力〟を競うケースもありました」(山田さん)町中にあふれる植物、整った生産基盤、豊富に揃う品種コレクション。植物学者のロバート・フォーチュンは、この3大要素を見届けた後に"江戸は世界一の園芸大国〟と明言したのである。」

     これを読みながら、江戸の大名屋敷の豪華な庭園が、都内のいたるところで競い合うように公開され、その見事さに感動した在り日を思い浮かべていた。またぶらタモリで取り上げられていた豊島区駒込の染井村、櫻のソメイヨシノを生み出したところ,また植木職人の集落が近郷に出来るなどの情景が甦った。江戸時代の活況がこんな所にも見られるのである。

      
 


最新の画像もっと見る