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元たばこ屋夫婦のつれづれ

つれづれなるままに

65歳以上の10分の1が認知症とは

2012-09-02 | 日々雑感
     厚生労働省の推計によると、急速な高齢化とともに認知症患者が急増しているという。2002年の149万人から、わずかここ10年で300万人に増加していることが明かされた。

     脳の病変で記憶障害が起こり、日常の生活に支障が出ている状態を認知症と呼ばれる。脳血管性・アルツハイマー型・レビー小体型などさまざまなタイプがあるが
現状では根本的な治療法は見つかっていないのである。

     急増の内容では、65歳以上の人口の10人に1人に当たるという異常さである。この現状に厚労省は来年度から新たな認知症対策をはじめるというが、体制整備が注目されている。

     すでに認知症患者の介護にぶつかっている直近の親族の辛苦も、また倍増するのであろう・・・いつまで続くか先の見えない支援介護、問題はこれからも膨らむであろう。楽しい長生きの道は険しくなるばかりなのか・・・

都市に増える〝買い物難民〟の実情

2012-09-01 | 日々雑感
     衰退する商店街が崩壊すると共に、やがて直面するのが、買い物の不自由、欲しいものが手に入らないという問題である。

     車社会になって、買い物は全てまとめ買い。だから近くの商店街は見向きもしない、駐車場が完備の大型店での利用がほとんど、冷蔵庫はいつも満杯。活力のある家庭は、何の問題も起こらない。

     だが、車の利用が出来なくなる頃から、生活の行動半径が狭まる。とくに高齢者になると、実に情けないくらいの制限が生ずる。このときになって、身近にあった商店街の利便さ、人情の厚さを想い起こすが、ときすでに遅し、見渡すかぎりに商店が消えているのである。

     この状態は、すでに現実なのでる。読売新聞でこの問題を取り上げて「オフィス街化で商店激減」とのタイトルで次の記事が踊る。「東京都港区のマンションに40年以上暮らす女性(83歳)は、”こんな街中で買い物に困るとは”と嘆く。20年余り前まで周辺には戸建て住宅も多く、八百屋や魚屋のほか生鮮食品を扱うスーパーも複数あったという。現在はマンションやオフィスビルが立ち並び、商店やスーパーは激減した。」

    「女性は一人暮らしで、血圧が低く体調がすぐれない。このため、買い物は定期的に訪問する介護ヘルパーに頼むことも。200㍍ほど離れた場所に1軒スーパーはあるが、長い坂道がきつく、体力が不安で一人ではメッタに出かけないと話す。」

   「港区が昨年、区内の65歳以上の一人暮らし高齢者約4000人に行った調査では、“近くに店がない、重いものを運ぶのが大変、一人で外出するのが困難〟など、約4割が買い物に何らかの困りごとを感じていた。」  

   「農林水産政策研究所が昨年まとめた推計では、自宅から生鮮食品を扱う店舗まで500㍍以上あり、自動車を持たない高齢者は全国で350万人いる。このうち4割の140万人は東京、大阪、名古屋の三大都市圏の在住者。」

   これが現状、こんな事態に対応すべく、買い物支援事業を始め出したところも
各所で出てきている。高齢者の急速な増加は、次から次に生活状況の変化に追われることになる事を考えなければならない・・・。また高齢者自身も、介護者を頼るのではなくどう生きていくのか真剣な考察が必要であろう・・・。




     

記録更新の猛暑と農業用水のピンチ

2012-08-31 | 日々雑感
     今日で8月が終わり、明日からいよいよ9月に入る。それにしても朝から暑い一日だった。碁吉クラブの教室に顔を出す会員の額にも汗がにじんでいた。鳥井講師の開口一番も〝いや暑いですね、それにしてもこの暑さいつまで続くのでしょうね〟・・・。

     午前9時半には32度、日差しはひときは厳しい、帽子無しでは歩けない。妻は、日傘か帽子でまよっていたが、帽子に落ち着く。午前11時51分通過のバスを西高島平駅前で待ち、成増に出る。

     新聞に目をやると、東日本では8月の29日までの4週間で、日照時間は平年の1.3倍。平均気温も1.2度も高かったという。それに対して降水量は平年比61%。最高気温35度以上の猛暑日が、埼玉県熊谷では30日までの間に21日もあったのだ。(平年は7日)、都心でも4日(平年1.7日)観測されている。

     これだから、熱中症被害も深刻。総務省消防庁の発表によると、7月から8月26日時点で、67人が死亡・搬送者37.419人が確認されている。(昨年56人死亡、搬送者35.529人)

     猛暑と少ない雨となると、水瓶が心配である。東北地方を中心に農業用水を供給しているダムが深刻な事態になっている。最も水の需要が高まる稲の出穂期は乗り切ったが収穫を前に予断を許さない状況が続いて、ダム管理事務所では農家に節水を呼びかけるなど渇水対策に必死の状態だという。

     宮城県大崎市の鳴子ダムでは、貯水率わずか6%。関係者は、今後の天候に雨を期待しながら気をもんでいるという。このほか、岩手県の石淵ダム、山形県の白川ダム、秋田県の玉川ダム、福島県の千五沢ダムなどが貯水率が急激に減少、いずこも綱渡り状態なのだ。そのほか、石川県能登町では、生活用水にも影響が出て、給水車の出動騒ぎが続いているという。

     全国を見ると、暑いだけではすまされない深刻な事態もあるのだ。この異常事態が一日も早く解消されるよう、天を仰ぐばかりである。










     

人が全く歩いていないスカイツリー地元の商店街

2012-08-29 | 日々雑感
    久々に新聞記事から拾う話題。この8月29日で東京スカイツリーが開業して100日を迎え、来場者数は1600万人を突破という好調な滑り出しである。足元に併設して出来上がった商業施設〝東京ソラマチ〟との相乗効果による集客であることは間違いない。
    
    その反面、ツリー完成を大歓迎で商店街の活性化を目指してきた地元商店街が予想もしない大打撃を受けて悲鳴をあげているという。人々の流れは、スカイツリーに東京ソラマチにと向かい、お膝元の商店街には歩く人もまばら、商店街の店・店の売上は激減。またそれまで顔を出してくれていたなじみの地元客までソラマチにいってしまったとの嘆く声が届く・・・。

    だがこれは予想されたことである。商店街にあって30年余り、衰退する商店街の活性化に取り組んできた一人として、前途を危惧していたがやはりという思いである。〝向こうは観光客、こちらは地元住民〟と考えていたという、商店主の言葉に地元商店街の対応の脆弱さが顕著に見える。

    何でもソラマチには、312のテナント店が集合しており、単なる土産店ではなく、鮮魚・精肉・青果など食料品店も入っているので、〝何でも揃う〟が売りであるという。これでは観光客どころか地元消費者を取り込むことは、事前に予想されていたようなものである。

    だが地元の商店街では、開業直前まで生鮮食料品を販売する店がソラマチに入るとは知らなかったという声が多いという。とにかく売り上げの減少が並ではない。6割以上というひどさで、このままでは商店街はつぶされると悲鳴を上げているのが現状。

    地元の悲鳴と要請を受けて、墨田区は急遽、10月~11月にかけて消費者動向を調査するという。こんな調査を今頃すること事態、恥じである。すでに手遅れである。この状態になったら抜本的な対策はないというのが現実である。消費者の流れは変えようがない。これは大型店の進出のたびに全国で展開されてきた商店街の姿でもある。
   
    だが爆発的なツリーブームが収束したあとの地元の消費者の動向はどうなるのか、手が届くように便利に利用していた店・店が、姿を消してしまったらどうなるか、すでにその悲劇の事態は起きつつある。商業者だけの街づくりは、やがて消費者を泣かす事になることを強く訴えたい。

    
    近隣の商店街がつぶれて行くことは、その街がやがて大きく変貌するとまで考えるべきである。地元の消費者に最も密着して誕生してきた商店街の存在を、深く洞察すべきではないか、そこから大きなヒントが生まれるような気がするのである。





























    








ロンドン五輪・恩人夫妻に感謝の跳躍

2012-08-04 | 日々雑感
     ロンドン五輪での日本選手の活躍が連日報道されている。メダルを獲得する種目選手の活躍は、終日マスコミをにぎわすが、見逃してならないのはマイナースポーツ選手の奮闘であろう。

     同じ日本国の代表選手だが、マイナースポーツはどうしても関心が薄くなりがちで、報道陣の視点もまた差がありすぎる。日の丸を背負って精魂こめて戦っている姿をむしろバックアップしなければと思う。

     8月4日の夕刊読売新聞に、トランポリン競技で5位に入賞した上山選手の活躍を取り上げて「恩人夫妻へ感謝の跳躍」として特集が組まれていた。それによると上山選手のスポンサー企業が昨年3月に撤退。都内のアパートで倹約しながら会社勤めで五輪を目指している姿を知った埼玉県川口市の細井幸夫・美智子夫妻は、支援を申し出た。

     直接話を聞くと「トランポリンはヨーロッパで盛んなため、海外遠征費や合宿費がかさむ、日本オリンピック委員会から補助があっても年間200万はかかる。競技を続けるため定職に就けず、貯金を切り崩し自炊生活をしている」という現状を知った。
     不動産管理会社を経営している細井幸夫氏は。”世界で通用するスポーツ選手は、国民全体で支えるべきだ”を持論としており、この苦境を知り、放って置けないと、駐車代込み約16万円の家賃全額免除し、さらに社員に採用・月給25万円を支給するという支援を行った。そして幸夫氏が出した条件はただ一つ「五輪で活躍するため練習を頑張ること」だという。スポンサーの多くが自社広告への協力をもとめるのが常であるが・・・

     思いがけない支援に感謝した上山選手は、今年4月に行われた五輪代表選考会の観戦チケットを夫妻にプレゼント。その目前でロンドン行きをきめた。メダルには届かなかったが、上山選手の夢は、トランポリンをメジャースポーツにすることだという。心温まる話題である。 
 







     

















プロ野球・巨人長野の活躍に感動

2012-07-14 | 日々雑感
     久々にブログに戻る。新聞を開くたびに取り上げたいことは沢山あったが、何故か気力がなえていてブログに手がのびなかった。だがこのところ快進撃を続ける巨人の試合に魅せられて気力復活。ついにブログに手が伸びた。

     そこで今回は巨人の1番バッター長野選手の活躍と、その人柄に触れた記事に焦点を充てて見た。7月13日の読売朝刊スポーツ欄の話題である。この日の長野の働きは見事、一番打者として一回裏の攻撃、いきなり先頭打者本塁打で幕開け・・・続く第二打席で連続本塁打。さらに8回には2点差に詰め寄られた直後の満塁の好機にクリンヒットで2打点。ひとりで4打点を叩き出して勝負を決めた。

     この日の打席は、すべて解説者がうなる豪打、真っ芯で球を捕らえていた。その都度、声をあげ拍手を送り、年を忘れて歓喜に舞い上がった。相手の広島が好調で
好打をつづけていただけに、この長野の活躍が巨人勝利を決定ずけたものであることはまちがいない。

     "新聞見出しは「燃える長野・闘魂連発」でその活躍をたたえていたが、その記事の中で、心が温まったのは次の下りであった。「優しい人だと誰もが言う。難病を患った越智の元にへ、率先して見舞いに訪れたひとりが長野だ。新外国人のボウカーが一軍にいる頃、日本語を教えて和ませたのも長野だ。気遣いの男。この夜、最も喜んだのは2連発より、八回、満塁からの適時打だ。二死からの連打による味方のつなぎを生かせたからだ。」・・・。〟

     "チームはこの日、大阪、岐阜と続いた厳しい連戦を経て本拠地に帰ってきた。長野は言う。「選手もそうですが、裏方さんは遅くまで作業があった。だから打ちたかった」。原監督が「打つべくして打っている」と高い技術を褒めた昨季の首位打者。頭の中には、打ちたい理由もたくさん渦巻いている。〟と小金沢智記者の記である。

     社会人野球で活躍、巨人一筋に入団を願い、他球団の指名に首を振らず浪人生活をしてまでも貫いた巨人愛が、今見事に華を咲かせつつある。今後の大いなる活躍を願うばかりである。                                 

県立春日部高校の春高祭(第56回)を訪問

2012-06-03 | 日々雑感
     6月3日、祖父として孫が入学した県立春日部高校の文化祭を訪問することになった。

     日曜日、いつもより朝の日課を早めて、妻と連れ立って家を出たのが午前10時20分、西高島平駅から三田線で巣鴨駅に、ここでJRに乗り換えて池袋駅に、義妹の知栄子さんと落ち合い、大宮に向かう。

     大宮駅から始めて利用する東武野田線に乗る。車中は女子高生が多い、席を譲ってくれたのもこの子達。30分ぐらいで目的の八木崎駅に到着。この駅前に春日部高校があるのだ。

     驚いたことにここで下車した大半は女子高生、その流れに沿って歩き始めると5分もかからない距離にひときわ目立つ堅牢優美な校舎が見えた。まるで大学の校舎のようである。

     校門前には「第56回・春高祭」のアーチが掲げられている。そこをくぐり抜けると同時にイベント会場に吸い込まれるような賑わいがあった。校舎に囲まれた中庭風の校庭。ここはイベントから出てきた人たちの語らいの場のようで、あちこちに人の輪が出来ていた。その校庭を横目に左手の階段を20段ぐらい上ると校舎内に入る、ここからがイベント会場。

     校内のマップを手がかりに歩み始めたが、人人の波、教室ごとに立ち上げたコーナーがあり、"豪放磊落〟の文字が躍るTシャツを着た男子高校生が、声を張り上げて参加を呼びかけている。どの教室も満杯の様子。ようやく孫の教室にたどり着く、題して「モグラたたき」順番を待つ人々が係員の誘導にしたがって、玩具の小槌を手にして、アナから出す頭を叩いてのゲームで点数を如何に多く取るかの競り合いである。

     年を忘れた義妹が参加した。華やぐ若い女子高生にまじって中年女性の参加、妻がその姿にカメラを向けると、教室の中からその様子を記録している先生がやはりカメラを向けていた。確かに珍しい文化祭の1コマであろう・・・。もぐら担当の孫に声をかけてそこを離れ、ここからマップを見ながらあちこちと回り始めた。

     企画案内で、囲碁・将棋部があるのを発見、早速足を運ぶ、3階のコーナーは、下の階とは打って変わって静か、訪れる人も少ない。囲碁部は3面ばかり盤面が用意されており、その二面で対局がされていた。担当の教師の方と声を交わし、孫の名前をあげて、指導を頼んだ。この高校の囲碁部の活動をインターネットで調べると、実績があるようなので楽しみである。

    ついで、郷土研究部で蔵造りの川越の街を、歴史研究会では、今話題の大河ドラマ平清盛の実像をとらえていた。そのほかアポロの月面到着の疑念を衝く研究など興味深い事象を取り上げていた。このほか物理部に顔を出してテストを受けたり、老人になれない76歳の青春を晴らした。

    未来に羽ばたく若い人たちのエネルギーが爆発する文化祭で、未来にかける挑戦の意欲を掻き立てられた3人は、疲れを忘れて歩き回ったが、その付けはきちんっと帰宅後に現れたが、快い疲れであった。

    翌日、孫との会話を楽しんだ妻が、「来年も着てください」と頼まれたと満更でもない笑みを浮かべたのみて、何とも表現しがたい満足感に浸った。

    



       

少年野球で・完投勝利した孫の活躍に興奮

2012-05-27 | 日々雑感
     5月27日の日曜日、朝9時からの試合開始に合わせて高島平から埼玉県の荒川土手の西遊馬公園に向かった。1時間ばかり車を走らせて荒川土手を登ると野球場が眼下に見える。細い一本道を下り、球場の駐車場に入るが満杯状態。

     正規な場所から少し離れた所を探しあてて、早速試合のグランドに向かう。既に一回表の攻撃に入っていた。途中からで経過の詳細は分からないが孫のチームは3点を先取していた。

     その裏のマウンドに孫の隼人(ハヤト)が立った所に間に合ったのである。堂々と上手から投げ下ろす姿は頼もしい。セカンドやショート、キャッチャーから外野などをこなす姿は、何度も見ていたが、投手としては始めて、小学6年の孫が急に大きくなったように見えた。

     埼玉県の大宮に移り、いつの間にか地元の島小学校での野球少年になっていた孫、三人兄弟の一番下であるが、顔つきは父親の幼い時にそっくり、二人の兄に鍛えられていつの間にか、少年になっていた。いや実を言うと、父親が一番熱心に力を入れて鍛えていたのである。

     対戦相手は、大宮でも名の通っている強いチームだという。その試合に投手として臨んだのだ。監督も務めた父親は、バトンを託した新監督を助けてコーチ陣に加わりベンチに座っていた。

     一時間半の規定時間内の試合で、5回を完投、4対2で勝利した。選手の母親たちの熱心な応援は、圧巻。午前9時試合開始に合わせて早朝の6時半には家を出るという。この父母の熱意がグランドにみなぎっている。

     試合終了とともにその応援席に向かって監督・コーチ・選手全員が勢揃いしての「有難うございました」と声を揃えての挨拶は、すがすがしく爽やか。少年野球の節度はここから生まれているのだ。勝利の興奮もさることながら、限りない未来を目指して汗を流す野球少年から、大きな夢を貰うのである。
     
     孫はこれからどのように成長するか楽しみである。

     


神秘の天体ショー金環日食に興奮 

2012-05-21 | 日々雑感
     東京は曇りなので、残念ながら観測は無理との前夜の天気予報に、半分あきらめて就寝したが、カーテンからこぼれてきた太陽の輝きに歓声をあげて飛び起きた。

     上天気だ、階下で朝刊を手にすると同時にテレビを入れると、既に日食が始まっていた。太陽の中心部が月に隠れて指輪のように輝く金環日食は、これから始まる絶好の時であった。買い求めてきた観測用のガラス製ゴーグルタイプを手にして外に出た。

     国内では1987年の沖縄以来25年ぶり、東北南部から九州南部の太平洋側の広範囲で金環日食が観測できたのは平安時代以来932年ぶりのこととあって、日本列島は、早朝から観測への興奮が渦巻いていた。

     早朝から登校する小学生・中学生の首に日食観測用のゴーグルがぶら下がっていた。道行く人々の片手には日食観測メガネ、時折立ち止まって見ている人も・・・
隣の奥さんが散歩から帰ってきたが、途中で声をかけられ、観測用のメガネで見せてもらったと息を弾ませていた。

     その直後にまた隣の田中さんの奥さんが、いまテレビで見ていたの、娘にメガネを頼んだのに曇りで無理だからと買って来てくれなかったのでというので、早速観測ゴーグルを勧めて、太陽を仰いだ。"あっ見える見える、動いている・・すごい・・
この目で実際に観測できたんだ。有難う・・"と喜んでくれた。

     東京での金環日食は、午前7時31分から約五分間、一回り小さな月が太陽の真中に入った瞬間、言葉にならない感動がこみ上げる。太陽と月が織りなす神秘の天体ショー、この目で間違いなく見せていただいた・・・。

     金環日食も皆既日食も地球全体で比べると、観測出来る範囲は非常に狭いといわれている。しかも同じ場所で観察できるのは、両方の日食を合わせても340年から360年に一回しかないという、きわめて貴重な機会にめぐり合ったのである。万歳万歳・・・。

     だが、来月6日には、また金星が日面を横切るという。あいつぐ天体上の動きは、反面なにか異常を感ずることもある。鹿児島市の桜島の昭和火口で20日から21日にかけて爆発的噴火が相次ぎ、大量の火山灰が市街地にふりそそいだという記事が小さく扱われていたが、24時間降灰量は、昭和火口の噴火活動が再開した2006年6月以降、最も多かった10年6月4日の約2.6倍と言う。異変が広がらなければいいが、気がかりな事でもある。

     

人口の3分の2が観察できる金環日食

2012-05-15 | 日々雑感
     これほど広範囲の地域で観察出来るのは平安時代以来932年ぶりだといわれる金環日食が、あと5日後に近づいている。21日の早朝から始まる天体ショーは見逃せない。今からワクワクしながら待っている。

     日食は西から順に始まる。金環日食の見える範囲(九州南部から福島の南東部にかけての太平洋側地域と広い範囲・首都圏や東海圏、関西圏などの人口集中地帯を含む)では、午前6時台から太陽が右上から欠けていく。金環日食になるのは午前7時半前後からだといわれている。
  
     新聞、週刊誌などで特集記事が出ており、専門的な解説は溢れかえっているので省略。歴史上に見える観察記録を拾うことにする。天文学が未発達な昔は、いきなり太陽が欠け始める日食は、大変恐ろしい出来事の到来として恐怖におののいたことは
想像に難くない。

     日本では、天照大神(あまてらすおおみのかみ)が、岩戸の洞窟に姿を隠されて、世界が真っ暗になるという"天の岩戸伝説〟があるが、、これが皆既日食を描写したものとして広く知られている。

     読売新聞・科学部の本間雅江氏、木村達矢氏の担当記事によると「国内で最古の日食の記録は"日本書紀〟に書かれた628年の皆既日食とされる。1183年には、源氏と平家が瀬戸内海で戦った水島合戦中、金環日食が発生。慌てふためいた源氏は逃げ出し、事前に日食の発生を知っていた平家が追撃して勝利を収めた、と源平盛衰記は伝えている。

     明治時代に入ると、"天体ショー〟と受け止められる面が強くなった。1883年(明治16年)に新潟県から宮城県にかけて起きた金環日食の前には、発生を紹介する錦絵が描かれた。絵にはリング状になった太陽を庶民らが笑顔で見上げる様子が描かれている。ただ当日は曇り空で、金環日食をはっきりとは観察できなかったという。」とまとめている。

     観察注意としては、太陽を直視するのはきわめて危険。チラッと見るだけもダメと念を押されている。日食網膜症と呼ばれる病気になり、症状は、視野の中心に黒い斑点が現れたり、物がゆがんで見えたりする。多くは1週間以内に自然に回復するが一生症状が続く重症例もある。有効な治療法がないので、予防が何より大切であると警告されている。くれぐれも注意して観察に望もう。


気象庁がまとめた4月の天候

2012-05-12 | 日々雑感
     5月2日に、先月の天候をまとめた記録が気象庁から発表されたが、4月上旬の春の嵐、東日本大震災から復興途上にある被災地にはダブルパンチとなるような大被害をもたらしたことは今も鮮明に記憶に残る。

     日本海で急速に発達した爆弾低気圧の影響で全国的に大きな被害を与えた4月始めの天候は、観測点889地点のうち76地点で観測史上1位の最大風速を記録。しかも東日本大震災の被災地の岩手、宮城両県でも9地点で過去最大の強風を観測している。

     気象庁の発表によると、最大風速は山形県酒田市の39.7㍍。新潟県佐渡市の32.1㍍。秋田県由利本庄市の27.7㍍など。被災地でも仙台市25.9㍍、宮城県白石市20.4㍍、岩手県岩泉町16.8㍍などの記録を更新。

     そのほか、降水量は西日本の日本海側が平年に比べ87%減になったほかは、平年並みが平年より多かった。気温で見ると、上旬は冬型の気圧配置となった日が多く、全国的に平年より低かった。中旬で平年並みになり、下旬は全国的に平年より高かった。

     また、農林水産業の被害は、9億1千6百万。岩手県で2億9千2百万に上っている。農業用ビニールハウスや畜舎の倒壊、養殖漁業の水産物の流失などが主な被害である。5月上旬の竜巻被害、都内でもヒョウ被害がでる異常な低温の状態を見ているとこれから先も、どうなるのか不安は募る。

自然界のただならない様子は

2012-05-07 | 日々雑感
     昨年の東日本大震災以降の日本の気象は大きく変化したように見られるのが不気味である。風が吹けば並外れの強風、雨が降れば山を崩すような記録的な豪雨。特に今までは想像もしなかった並外れた突風は、大竜巻となって茨城・栃木両県にまたがって大被害をもたらした。5月6日の事である。

     被害状況が判明するにしたがって、その異常さが明らかになりつつある。竜巻・突風が同時に多発したようだというのである。7日気象庁によると、茨城県常総市大沢新田付近で発生した竜巻と推定され、被害は北東のつくば市平沢までのながさ15キロ、幅約500㍍に及んでいると発表された。

     そういえば、先月29日の朝刊に出ていた「太陽の磁場に異変が起きている」というニュースが思い出された。専門的な知識がないと難しいが、記事によると「太陽には地球と同じようにN極とS極が一つずつあるが、まもなくN極とS極が2個ずつになるる"4重極構造〟に変化しそうだという。

     この4重極構造について、東京大学宇宙線研究所の宮原ひろ子・特任助教授は"4重極構造が続いて地球を包んでいる太陽の磁場が弱くなれば、はるか遠方から飛来する宇宙放射線が入り込みやすくなり、放射線の作用で大気中の雲の量が増える可能性がある〟と指摘する。その結果、雨や雪の量が増え、気温が下がることも考えられるという。

     エルニーニョ現象、ラニーニヤ現象などの気象専門語が飛び交ったり、急激な地球温暖化が問題視されたり、太陽活動の異変が指摘されるなど、定かな説は確認できないが、今までにはない現象が出ていることは間違いない。そしてこの自然界のただならない様子を軽々しく受けてはならないと心しているのである。

      


     




孫の県立高校入学に思う

2012-04-08 | 日々雑感
     男子三人の孫がすくすくと成長しているが、今年は次男の進学が注目であった。埼玉県下でも優秀な高校に受験、その結果を案じていたが、堂々突破の報告を受けた。

     長男夫婦の教育にかける熱意を知るだけに、喜びは格別であった。滑り止めで受けた私学の大学付属校もすでにクリア、しかも合格者の中でも上位で通過とのこと、だが本人の希望はあくまで県立とのことで、それが実現したのである。

     入学式の様子も実にすがすがしい雰囲気であったとのこと、その前途が楽しみであるが、それだけではない素晴らしい喜びがあった。この高校のクラブ活動に囲碁部があり、それに仮入部したとのことであった。仮というのが少し気にかかるが、挑戦する意欲が兄弟のなかでもずば抜けているので、私は一人悦に入っている。

     早速学校案内をインターネットで調べると、何としっかりとした囲碁部の活動の足跡があった。本人は全くの初心、遊びに来るたびに囲碁を進めていたので、飛び込んでみたとの事。

     その報告を本人から受けた私の感動は頂点に・・・。夢のように思っていたことが現実になってきたからである。三人の孫は、それぞれに特徴があり、将来に大きな希望が見える・・・本人が何かのきっかけで目覚めた時、それが夢から現実の姿となると確信している。その夢は妻だけに語り続けている。どの孫も等しく可愛い・・まるで草木の蕾が開くのを待っているときのようである、順番の差こそあれ、必ず開く。早咲きか、最後までながく楽しみを与えるかの違いであろう、"脳天気なじじといわれるのを覚悟の上での大きな夢"でもある。

オリンピックは参加する事に意義があるとは

2012-04-04 | 日々雑感
    正式な言葉は、「オリンピックで大切なことは、勝つことではなく参加すること」・・・。オリンピックの精神を表したといわれる、この有名な言葉は、どんな背景から生まれたのか、そして誰の言葉なのか・・・。

    4月4日の読売新聞朝刊のスポーツ欄の囲み記事「ロンドン五輪百話」の中にこれが紹介されていた。

    「五輪の精神を表現したこの有名な言葉が生まれたのは、1908年のロンドン五輪が一つのきっかけとされる。大会では、強烈なライバル意識を持つ英国と米国が競技の判定などを巡り、感情的に対立していた。そこで競技のない日曜日、ミサに集まった選手を前に、米国人のタルボット主教が争いを戒める説教をした。その内容に感銘を受けた近代五輪の父・クーベルタン男爵が、後に晩餐会で引用し、有名になったという。反目が歴史に残る名言を生んだとしたら皮肉な話だ。"弱くても参加できるという意味じゃない。全力を尽くして戦う大切さがこめられている〟とバンクーバー五輪スピードスケート・銀メダリストの長島圭一郎。解釈は人さまざまだが、100年以上にわたり、アスリートを勇気づけてきた。」と。

    一国を代表して、この五輪を目指す各競技のアスリート達のひたむきな戦いに熱い声援を送ろうではないか・・・五輪代表選考会を兼ねて行われている目前の日本選手権の各競技は今まさにたけなわである。



かたずけ本が良く売れている

2012-04-03 | 日々雑感
     4月3日の読売新聞に「人生がときめく片づけの魔法」の本が125万部突破の大ベストセラー、驚異の45週連続・総合ベスト20入り!の広告が踊っていた。

     時は4月、新年度の大きな変わり目だけに、新し物と古いものとの入れ替えに目が走る。特に私年代は、手にしたものを大事にして、次々にためこみ捨てられないで悩む。特に多いのが衣類に書物である。

     それだけに興味がある。この広告を見た途端に一日前の「"捨てる"と"残す"を考える」と題した"スペシャル論点〟を思い出した。最近"断捨離〟という言葉が広がっているが、この"捨てる〟"残す〟を掘り下げると、新しい生き方、社会まで見えてくるという論旨であった。

     早速、前日の新聞を広げて、この断捨離の提唱者やました・ひでこ氏の言葉を拾うと「断捨離はなにもかも捨てればいいといっているわけではない。身体に新陳代謝の出口(排せつ)と入り口(食物摂取)が必要なように、家についても出口と入り口を考え、過剰にモノを詰め込んでいるなら外に出しましょう、と提案しているのだ。」

     「モノが不足しているなら、中に取り入れて構わない。モノの新陳代謝がスムーズにできているか"気づく〟ことが大事なのであって、断捨離とは、気づきの作業だといえる。実際には、多くの日本人が過剰にモノを持ち、モノに囲まれて窮屈な暮らしをしている。モノの入り口から出口までを俯瞰すると、どうもその中が詰まっている。」

     「それなら、まずは"捨てる〟というアクションが必要になるのは自然だ。呼吸法でまず"吐く〟ことが大事なのと同じこと。収納だけを追求していると、吐くことがおろそかになり、代謝を損ない、停滞を招くことになる。」

     「断捨離とは、徹底してモノと向き合い、自分とモノとの関係を問い直し、他人に頼らずに捨てるか残すか選択・決断しながら、自分を確立していく営みといえる。自分自身のカウンセリング、コーチング、コンサルティングなのだ。」という。
 
     確かに明快な筋立てである。うなずく事も多い。だが、私の場合い、捨てられないことの理由に折角手に入れたモノを消化していない、ということがある。これをどのようにさばくかが問題なのだ・・・これに気づかされた。春めいてきたここ数日モノ片づけに踏み出そうという気分が高まってきたので参考にさせてもらう。