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元たばこ屋夫婦のつれづれ

つれづれなるままに

限界がささやかれるG7で反保護主義・薄氷の協調

2009-02-16 | 煙草
 さる1月14日の午後ローマで開かれた先進七カ国の財務相・中央銀行総裁会議(G7)では、世界同時不況で台頭した保護主義にどう対応するかが、新たな問題として急浮上。各国が自国産業の保護を優先すれば、世界経済の原動力である自由貿易に打撃を与え、景気悪化がさらに深刻化するという見地から保護主義反対で一致したが、各国の事情が異なるだけに薄氷の協調との見方が多い。
 輸出大国の日本にとっても、保護主義的な動きが拡大すれば、その打撃は計り知れないが、この協調では少しも不安は解決されぬ。いやすでに国際協調より自国産業の保護を優先せざるをえない状況に追い込まれて、その動きが出始めている。
 きっかけになったのは、米国のバイ・アメリカン条項。安価な鉄鋼製品の流入にいらだつ米鉄鋼業界の強い意向が反映されていると観られている。ロシアでは自動車や鉄鋼製品、インドでも鉄鋼製品の輸入関税が引き上げられている。またEUも穀物輸入税を導入の方針を示している。市場でも"雇用悪化が進む中で、自国経済を守るため保護主義の流れは強まる"との見方が強い。G7声明でも、厳しい経済減速が2009年も続くと予想し、景気悪化の長期化は避けられないとしており、保護主義排除の協調体制から離反する国が出る可能性は否定できない状況である。
 為替や国際金融、マクロ経済などを論議するG7で、保護主義の問題が注目されたのは、極めて異例のことである。正式メンバーではない世界貿易機関のラミー事務局長が姿を見せたのも、先進各国に広がりつつある保護主義的な動きを懸念しての動きと見られている。ロシア・中国などが入らないG7の限界が鮮明になったようである。

趙治勳先生の「地と模様を超えるもの」その3

2009-02-12 | 煙草
 趙治勳先生の囲碁に対する考え方にふれ、もやもやしていたものが一つ吹っ切れた感じがする。だからといって棋力が上がったというわけではない、何か表現し難い「ある」ものが、ストンと胸に収まった感じがある。それがこれからどういう形となって出てくるか、楽しみでもあるが、その半面厳しさをも感ずるのである。
 趙治勳先生の著書に戻り「攻めとシノギ」についての教えを伺う。
 「どだい私は、人間を二つのタイプに分ける考えに与(くみ)しません。サッカーなど、競技スポーツを観ていても、ディフェンス(守り)から一気にオフェンス(攻撃)に転ずるのは毎度のことだし、囲碁・将棋でも攻めと受け(シノギ)が表裏一体なのは、アマチュアの方も良く知っています。だから攻めながらも守りを思う、守りながらも攻めを頭に入れておく。これは先に書いた、石が上に行くのと下にいくのと、その相関関係と似たものがあるでしょう。攻めなら攻め、守りなら守りで、一色に塗りつぶすのがいいケースもたくさんあるのですが、つまり徹底的に攻めきらないと勝てない、徹底的に受け(シノギ)切らないと勝てない、と言う碁形の場合です。」
 「人間どうしたって、追いかけられるのは不愉快だけど、追いかけるのは快いもの。気持のいいことをどんどん追求してみればいいのです。攻めの効用となれば、いろんな側面がありそうです。1、直接攻めて、直接相手の石を取ってしまう。碁のもっとも原始的な快感の一つ。ただしカス石を取りにいったり取らされたりしては、相手を喜ばせるばかり。2、攻めて、周辺で得をする。これは間接的な攻めで、たとえば相手を追いかける、その調子で10目、15目といった地をこしらえたりする。3、モタレ攻め、カラミ攻め。間接的な攻めのテクニックで、周辺の兼ね合いを重視。一定の収穫が上がれば成功とみなす。4、弱点補強の攻め。自分の
方に重大な欠陥がある(断点など)。相手を攻めることでそれを補い、ごまかしてしまう。5、形を決める攻め。はっきりしない、あいまいなところをどんどん決めてしまい、碁形をわかりやすくする。あるいは優勢をはっきりさせる。」
 「シノグ側と攻める側、双方よくよく注意しなければならない心構えがあります。少なくとも大事な心構えの一つを指摘しておきましょう。シノグ側・・・生きること自体、シノグこと自体、むずかしことではなりません。ぽんぽんトンで逃げ回ればいいし、二線を何本も這って生きていればいいのですから。しかしそれで負ければ最悪。シノいだ瞬間に負けと言うのでは、何の為にシノいだのか判りません。シノげば勝ち、という形にもっていかないといけない。また、そのようなシノギ方を心がけるのです。地を取るという行為でも、同じことが言えるでしょう。地を取るだけが目的なら、二線三線をどんどん這えばよい。しかしそれで負けたら何にもなりません。地を取ったら次に攻めを見ること。これは先に強調したとおりです。攻める側・・・シノギと、ちょうど裏返しのことが言えます。一直線に攻めてあっさりシノがれ、それで負けというのでは、何のために攻めたかわかりません。次にまた、第二弾、第三弾の攻めを用意しておくのです。」
 「シノがれても悪くないという、そういう攻めを心がけます。壁を作ったら、攻めの有力な武器となります。しかし、そこへ入ってこられて相手にシノがれたとしても、それでも勝てる壁にしておかないといけない。厚みを消されて終りというのでは、あまりに情けない話ではありませんか。このように、シノギも攻めも二段構え、三段構えをとってこそ、いい内容の碁が打てるようになるのです。ふところの深い打ち方、というのでしょうか。」
 ここまでくると、結論が見えてくる。シノギの中に攻めがあり、攻めの中にもシノギがひそんでいる。下を打ちながら、上をを思い、上を打ちながら、下を思う、全て表裏一体であるということを忘れてはならぬということ。これを胸に叩きんで囲碁の研鑽に励むことにする。




趙治勳先生の「地と模様を超えるもの」その2

2009-02-11 | 煙草
 趙治勳先生は、碁はどのように打てばいいのかという問いに、"石が上に行くように打てとか、下にいってはいけない。"などと答えるのは、誤りであると言われる。そして「もし上と下という言葉を用いるなら・・・上を打ちながら下を思い、下を打ちながら上を視野に入れる。それが碁だと答えるのが最も妥当なところです。このように表裏一体のもの、多面性が、このゲームの特質といえそうです。」
 と言い切りながら、こんな言葉も添えている。「一つ付け加えるなら"石の下にいってはいけません。上に向かいなさい"という物言いは、どことなく奥ゆかしいものを感じます。純粋な碁の技術論を離れて、美意識のようなものがそこはかなく漂っているようでもある。それは長い日本の碁の歴史とかかわりがあるかもしれません。隅や辺の小さなところを執拗につつくことをしないで、おおらかに中央の大場に目を向ける・・・そういう芸風が昔から一派を成していたのは事実で、その美意識がいまも尾を引いているのではないでしょうか。その点に関して私は十分に確信があるわけでないのですが、歴史の浅い韓国や中国と異なった囲碁観が日本にある。これは疑いを容れません。」
 
 「私には碁というものは、こういうものだという思いが何時もあって、それはいかなる時も、相手にひびく手を打たないといけない。相手にひびいていないといけない。思いというのは、この一点に尽きるのです。相手に圧力をかける、と言葉を
換えてもいい。この気持は子供のころから一貫して抱いていて、現在も変らず、また将来も消えることはないでしょう。」
 「言葉だけで説明すると抽象的になりますが、例えば力関係に置いて、こちらが少し劣っている場面があったとしましょう。そこではっきりしているのは、逃げてばかりいるとあっという間に敗勢に陥るということ。このことは経験上、誰しも理解できます。」
 「相手の石に多かれ少なかれ、ひびきを与えること・・・相手の石の根拠を奪うこと・・・味方の石に確固たる根拠を与える事・・・。このような視点に立つなら、石に上も下もあったものじゃない。上に行ったからどうのとか、下にいったからどうのでなく、大事なことは一つです。・・・・・どちらにしても一つのものが底に流れていて、それをしっかりと捕まえる事。そのためには、強靭な精神が必要とだけいっておきましょう。とくにプロの場合・・・先に名前をあげた小林光一さんと林海峯さん。確固たる実利(根拠)から全局に盛り上がる力強さは、強靭な精神の産物以外の何ものでもありません。」(続く)

趙治勳の囲碁世界「地と模様を超えるもの」

2009-02-10 | 煙草
  「地取りのすすめ」の中で、「世間では"趙治勳は地を取る碁"だという。マスコミの人たちも、似たようなことをしきりに書き立てる。比率的に地を取ることが多いかもしれないし、そう見えるのであれば、どう書かれようが、それはそれでいいのです。ただ、地・厚み・模様と言う碁の三つの側面について、囲碁ジャーナリズムの人たちは、かなり誤解していると思うので、それについては追ってくわしく書く事にします。」を前置きに、ここから地と模様についての持論を展開する。
 「まず最初にいっておきたいのは"地を取ること"自体は、いいことでも悪いことでもないのです。同様に"厚みを作る"事も、"模様を張る"ことも、それ自体は良くも悪くもない。盤上に繰り広げられる、一つの行為にすぎません。いずれも碁の正当な行為の一部なので、だからアマチュアのかたに"地を取ろう取ろうとしてはいけません"と教えるプロに出っくわすと、"オヤオヤそうなの"と驚くばかりです。碁は本来、いくら地を取ってもいいはず。問題はその地の取り方、技術論のはずなのに、その人は価値判断をなしくずしにし、一般化してしまっているのです。」

 「地を取るという行為について、大部分のアマチュアの人たち、そしてプロですら、ごく一部の人たちに誤解があると思われるので、一言書き添えておきます。"実利と厚みのワカレで、黒は10目の地を得た""約15目の黒地が出来て、背中の白の厚みにほぼ匹敵している"、私たちはよくこういう言い方をします。囲碁雑誌にも棋書にも、ふんだんに出てくる。それはそれで、まちがっていないのですが、地=実利を10とか15とか数字だけで評価するのは、物事の一面だけを捉えたに過ぎません。碁は最終的には地の争いなので、作り碁になれば10目は10目、15目は15目以外の何ものでもありません。しかし一局の中途の段階を考えれば、地=実利の値打ちは数字だけでは表せないのです。」
  「では、一方、地=実利と対極にみられている厚みについて考えてみましよう。厚みとは一体なんですかと質問すると、その人の感じ方によって、色々な答えが返ってくるでしょう。しかし大体、次の二点に絞られます。1、カベ(壁)がしっかりとし、強い。2、眼形がしっかりとして、強い。この二つは、実は同じことをいっているにすぎません。背中のカベが強固と言う事は、眼形がしっかりして攻められないということですから。」
 ここで定石の実例を挙げて、実利と厚みの例を示し「このように、この定石では厚いのはむしろ黒のほうでした。厚くて、地がある。と言うよりむしろ、地を持っていることが厚い。地をもっているからこそ厚い。そして白の側は、厚みではなく
、いまだはっきりとしない模様に過ぎません。とすると黒の方が有利かというと、そういうこともいえません。黒の実利は限定されて、あまり発展性がないのに、白模様は大きく、ふくらむ可能性を秘めているからです。つまり、現実性と可能性の対立、と言うわけです。こいうとき、一つのものの考え方、判断の仕方があります。碁はもちろんたえず全局のものなので、部分でだけ判断するのは無意味なことが多いものです。」
 「この白模様が大きくまとまっては、黒いけない。となると黒は、荒らすこと、消すこと、あるいは攻めることを考えるでしょう。そこで地をもっていることが厚い・・・を思い出していただきたい。厚いのだから、強いのだから、何でも思い切ったことができるはず。地(厚み)をもってしっかりと足固めしているのだから、次に大きく飛躍できるのが道理というものです。しかし、どの程度の厳しさで臨むか、そこが問題。それこそ周辺との兼ね合い、全局の判断といわざるをえなくなります。」
 「地を取ることが厚い。もっと言えば、正しいところで、きちんと地を取る、これが厚いということです。そのことをきちんと実践しているプロ棋士が、少なくとも二人います。小林光一さんと林海峯さんです。いや、私はまだそこまでいってはいない。この人たちのところまで到達しようと思ってはいるのですが。小林さんの碁を見て御覧なさい。林さんの碁を見て御覧なさい、といいたい。この人たちは無駄なところでは力まない。妥協するところは妥協して、きちんと地を取っている。取るべきところで取っている、だからいつも碁が厚いのです。」
 「妥協という言葉に、特に注目していただきます。これが私には、なかなかできない。思い切ってしまって、"ここはこの線でよい"と、引き上げることが、なかなか出来ません。でも、小林さんは、思いっきりよくそれができるのですね。先にどんどん地をとっている、稼いでいる。それがやがて地の厚みに成長していきます。小林さんの碁を並べる人は、その点に気づくはずです。いや、気づくべきでしょう。」
 
 「"石が上に行くように打ちなさい。下に言ってはいけません。"と教える人がいますが、こういう言葉は眉に唾して聞くべきです。碁は、上の方に石が行けば盛り上がりがあって、下に潜り込めばみみっちい、などということではないのです。
中央を打っても壁に欠陥があれば、厚いどころか薄いのだし、隅や辺にもぐりこんでもしっかりした実利をもてば、それは厚いということ・・・すでに説明したとおりです。」(続く)
  






第25世本因坊・趙治勳先生の著書から学ぶ

2009-02-07 | 煙草
 メタボ対策の為に遅まきながら昼の散歩を始めている。その道筋にある板橋区立成増図書館に立ち寄り、必ず目を通す棚で、趙治勳先生の著書の「地と模様を超えるもの」に出会った。囲碁の打ち方に関する技術的な書は、棚にぎっしりあったが
、前書きに「平成11年8月、名人戦挑戦手合佳境の日に」と、あるのに惹かれて
借り受けてきたのである。
 趙治勳(ちょう・ちくん)先生は、名前で判るように韓国ソウル市出身。1962年6歳で来日し、木谷実九段に入門。1968年史上最年少の11才で入段、1981年九段。
1975年プロ十傑戦優勝。1980年名人となり5連覇達成、名誉名人の資格獲得。本因坊、棋聖など公式七大タイトル制覇。棋聖、名人、本因坊の大三冠を二回達成。1998年本因坊戦十連覇により25世本因坊となる。(1999年10月現在)
リコー杯プロ棋士ペア碁選手権にも登場されてをり、確か昨年は優勝されたと記憶する、自身を飾らず野生的な風貌そのままの独特の魅力を感ずる方である。

 「碁打ちは、碁だけを語れば、政治にも経済にも文化にも及ぶことができると、少年時代から信念がありました。世界が全部、碁というゲームの中に詰まっていると考えるからですが、あるいはこれは錯覚でしょうか、思い上がりでしょうか。しかし、そのように考える傾向にあるのが、一般に碁打ちと呼ばれる種族です。」
 「メインタイトルにした"地と模様を超えるもの"は、編集部からの強い要望でした。しかし我が意を得たりの感はなくもなく、著者の基本的な囲碁観をストレートに言いあらわしています。本書を通じて、読者に最も伝えたかった考えは、この一フレーズに尽きるともいえるからです。」との前書きを頭に入れてページをめくる
ことにした。
  目次を拾うと「少年時代に背負ったもの」「地取りのすすめ」「表裏一体のシノギ」「必然のヨミ、偶然のヨミ」「形勢判断、するべからず」「国際化時代と持ち時間」「昔より現代が強い」「昭和、平成の大家たち」「人生、救うものあり」「趙
治勳・熱闘譜」とあった。
  6歳になったばかりで来日し、翌日、林海峰先生(当時6段)と5子で公開対局を打つ栄に浴し、勝利したことで話題を呼んだ趙治勳少年棋士は、この後、木谷実先生の門下生となり、11歳で入段。それからの群を抜く昇進は知る人ぞ知るである。だが、ご本人は「本音をいえば碁の才能に恵まれているとは考えていない。誤解のないように強調しておきますが、これは遠慮でも謙遜でもない。心底からの気持ちです。」「しかし40過ぎまでやってきて、現にこれだけの実績を上げている。それで才がない、碁が弱いなどといったら罰が当たります。罰が当たりますよと言われれば、その通りで、非難はまともに受け止めねばならないでしょう。」
  「それでは何故、私は自分に才がないと考えるか、なぜ碁が弱いと思うか。それは、全て幼児体験からきて、いまも続いているからです。」と言う。その幼児体験とは、日常生活のルールさえもわきまえていない六歳でいきなり外国(日本)に渡り、日本の囲碁道場にほうりこまれ、ことばも不自由な中で、兄弟子たちからも満足に弟弟子と認めてもらえない。ソウルの天才児とはいえ道場にはいればただの人、全体のなかでも、とび抜けて弱いみそかすのちいさな少年にすぎなかった。この一時期の体験が長じてもひきずっているというのである。(続く)
 
 

こんな事が許されるのかタバコ販売店の現状

2009-02-05 | 煙草
 全国タスポ導入から7ヶ月、地域の角々で顔を合わせては声をかけあったタバコ店が、自動販売機のみで、ほとんどシャッターを閉じている。店主の顔も見えず声も聞こえてこない。あんなに快活で、爽やかな笑顔をみせていたのに・・・。
 何時も車で通過するだけで、裏通りを見ていないので、久々に歩いて様子を見ることにしたのが2月3日の昼。かって12年前組合の役員として13店を担当していたので、その道筋は頭にあるので効率よく回ったが、想像していた以上に店が泣いていたのである。
 店頭に顔が見えたところは、全て兼業店ばかり、押しなべて売上げは落ち込んでいた。声をかければ嘆き節である。この組合員の実態をタバコ組合では、どう見ているのであろうか。タスポ導入の普及率が進んでいることを評価することはあっても、そのために店を閉じる経営問題は、一言も触れていないのはどういうことなのか。
 閉店に追い込まれた店主は、ほとんどが後期高齢者、老後の生活の基盤として長い間、タバコを売り続けてきた人が多い。それだけに怒りの声も上げられない。泣き寝入りである。中には、かって売上げ優良店として表彰された人たちもいる。
 努力を怠り、客離れを起こした店ならば、自業自得であるが、今回の廃業の原因は、すべてタスポ導入が原因である。しかも後発のコンビニが、ウハウハの売上げを伸ばしていれば、タバコ産業のメーカーの視点は、すべてここにあるのは否めない。サービスもかたよってきている事実を目にすることが多くなっている。
 こんな不合理なことが平然と行われているのが、許されるのか。心ある煙草店の人たちよ、黙っていていいのか・・・   

碁吉クラブ・鳥井先生の熱意

2009-02-04 | 煙草
 成増社会教育会館で毎週2回・囲碁指導に当たるのは、下赤塚に在住の鳥井先生。お歳は70代の後半と伺うが、微塵も老いを感じさせない活力がある。学習日は必ず時間前に会館に入り、早く顔を見せたクラブ会員を相手に指導碁を打つ「その手は無いな、ここは考えどころだよ、全体をよく見て、いま手を進めているところは、どんな状況にあるのか、弱い石か、強い石か・・・」諭すように声をかける。 周りを囲んでいるメンバーも、一緒に頭をひねる。こんな情景は毎度の事である。
 時間で教室が開くと、解説の大盤を運び入れる、気がついた会員が、慌てて手伝う。メンバーの揃うのを待つように詰め碁の解説に入る。黒先で白を攻め落とす、詰め碁は、局地的な問題で、簡単に解るようで,判らない。アマの大半が非常に弱いといわれている。プロ棋士の白江治彦氏は「死活問題という言葉は一般的に使われるが、一局の碁では文字通り勝敗を分ける。しかし、正直言ってアマチュアの皆さんは死活に弱い。・・・プロとアマの差が大きいのは、相撲と将棋と囲碁だとか。囲碁での顕著な違いは死活の力量差で、それがプロとアマを分けていると言っても過言ではない。と言う事は、死活に明るくなれば限りなくプロの域に近づけ
る理、詰め碁の勉強をしない手は無い。」とまで推奨する。
 黒先で白死とは、詰め碁の常、黒が攻めて無条件でしとめる。コウでは不正解。最初の攻め手は一手しかない。まず読み当てる、次に相手の最強の抵抗の手立てを読むのである。ここで力量が判るのだといわれる。
 鳥井先生は、難解な問題ではなく、比較的対局の中で、出てくる形の問題を取り上げて、正解に至る道程を優しく示す。手書きの詰め碁の資料を配りながら解説する姿を見ていると、決しておろそかにしてはならぬと思うのである。
 やがて顔が揃ったところで、前回の対局棋譜を教材にして、大盤解説に入る。序盤の問題点が指摘される。正着の一手には称える、誤りの手は、何故ここに打ったのかを問う時もある、「なるほど、そういうことを考えて・・・だが、ここに打たれたらどうします」相手に打たれた場合の手を示して、「この局面では、こちらに打たなければ」と、道理を説く。大盤に示されたわが手の誤りは恥ずかしいが、指摘された点の克服が問題なのだと知る。
 3局の棋譜指導が終ると、10分の休憩、会員が席を離れると、先生は参加者の顔を見ながら対局の組み合わせを黒板に書き上げていく。席に戻った会員は、指定された対局者と手合わせとなる。定先、二子置き、三子置き、手合いはそれぞれが承知で、勝負が始まる。先生は選んだ二人と指導碁である。この間に50手までの棋譜を記録する対局者を選び、依頼の棋譜を配る。午後8時を回ったところでほとんどの勝負が付く、全員の退席を見届けて、教室の扉を閉めて階下の事務室に鍵を届けて終るが、このあと助講師を自宅まで送り届けるのが通例である。
  三局の対局棋譜は、次の指導日までに点検する、そして日曜日は朝9時から初心者を中心に特別指導を行っている。通称「特碁」である。午前中はこれで終るが、自己研鑽がある。伺うところではプロ棋士・石田章九段の指導を受けておられるとか、私たちの棋理を外れた不可解な手でも、それを取り上げて質問して正解を出してくれる。さりげないようであるが、囲碁の心を大事にされ、クラブの会員の棋力向上を願う熱意が響いてくるのである。



 




恵比寿のリコー杯プロ棋士ペア碁選手権の対局観戦

2009-01-31 | 煙草
 1月31日(土)は朝から雨と強い風が吹く悪天候であったが、妻を伴って目黒区の恵比寿ザ・ガーデンホールに向かった。前々からこの日を楽しみに待っていたので、店を半休にしての外出であった。その楽しみとは「リコー杯プロ棋士ペア碁選手権2009」の決勝観戦である。
  私は2007年から三年連続の参加だが、今回は昨年春頃から興味を持ち始めた妻にその雰囲気を肌で感じさせようとの狙いがあったので、特別な思い入れで待っていたのである。成増から池袋に出てJRで恵比寿に、動く歩道でつながるガーデンホールに到着したのが12時40分。丁度開場早々にぶつかり、行列の後尾に並んでいると碁吉クラブの遠藤助講師と仲間のまゆさんが受付を通過しているのを発見して声をかけあった。
  会場は二手に分かれ、メイン会場は大盤解説を主体として舞台が整えられ、
階段式の観覧席が設けられていた。そして決戦の火蓋が切られる対局場は、一段高いリング場に碁盤を中央に左右にペアの棋士4人の席、その正面に対戦記録・時間
を読む審判席が設けられていた。最初にこの対局場に席を取り、開始までの待ち時間に受付で手渡されたパンフレットとアンケート用紙に目を通す、更にアンケート
用紙提出が条件の籤に挑戦して、寿恵廣(日本ペア碁協会提供・2009ペア碁選手権出場・プロ棋士のサイン入り)をゲットしている中に、1時15分開会。主催者挨拶、決戦対局棋士紹介、大盤解説者紹介後、審判長大竹英雄名誉碁聖の対局宣言で決戦の火蓋が切られた。
  トーナメントを勝ち残ったのは二組4名、羽根直樹本因坊・加藤啓子女流最強位ペアと井山裕太八段・謝依旻女流本因坊・女流名人ペアである。いずれも人気実力最高峰を歩むプロ棋士である、会場が静まりかえり固唾を呑む中に、第一手が打ち下ろされた。この緊張がたまらない。(敬称略、タイトル・段位は平成20年11月15日現在である)
  このペア碁選手権とは、日本の囲碁界を代表するプロ棋士男女16組のペアが5回戦を戦い、優勝ペアを決定するもので、その優勝賞金の一部は、碁盤・碁石などを購入し、全国の小・中・高校へ寄贈されている。一回戦・ニ回戦は16組のペアによるスイス方式で公開対局.準準決勝戦からはトーナメント方式での公開対局。決勝戦は公開対局・大盤解説がある。競技方法は、オール互先で、先番6目半
コミ出し。初手から一手30秒の秒読みとペアで1分づつ10回の考慮時間制で行なわれる。一回戦の対局は抽選。二回戦は勝ったペア同士、負けたペア同士の対局で、4組の2勝ペアと8組の1勝1敗ペア、4組の2敗ペアが出来る。そのうち4組の2勝ペアは無条件で、8組の1勝1敗ペアは9路盤で対局し4組のペアを選出し、計8組のペアが準準決勝戦に進出する。ここからはトーナメント方式で3回戦を行い優勝ペアを決定するものである。
  店があるのでこの熱戦の最後を見届けることが出来なかったが、初めて観戦した妻が最も感動したのは決戦に臨んだ10代の井山・謝・両棋士の登場であった。「囲碁をする人は中年・熟年から老人と言う感覚であったけど、若い人達が凄いのだと認識をあらたにした」と語る目は輝いていた。囲碁に対する夫婦の絆は深まったようである。

  

成増北口商店街の話題

2009-01-30 | 煙草
  夜半から降り続いた雨で明けた30日。商店街はひっそりとして雨音ばかりがにぎやか。午前10時30分開店早々に車のお客様、"今日は一日雨だって、仕事にならんよ"とこぼす。工務店で外装の仕事に入っているのだという。続いて傘を閉じて顔出された方も同じ業界の人、"今日は休みだよ、明日も降るというから連休だなぁ、降らなきゃカラカラだけど、我々は雨が駄目なんだ、弱いんだ"といいながら
タバコを抱えていかれた。
  商店も雨に弱い、強いのはスーパーでありデパートである。でもめげずに開く各商店、務めて明るく、お客様が来てくださるのを願いながら店に立つ。
  現在一番の注目は、メインストリートの通称を印書館通りと呼ばれるほど地域に密着していた出版業界でも名の通る東京印書館の問題である。昨年新春に業務
縮小して埼玉に移転の報が流れてから数ヶ月、5月には本社をはじめ工場・倉庫が売却された。同時に商店街に毎日のように顔を出してくれた従業員の姿も消えた。  もっとも打撃を受けたのは飲食店。当店もタバコの自動販売機を撤去させて月間の売上げが無くなった。これには対応策も無く、甘んじて受け容れるしかない。このあとタスポの導入である。40年の営業活動で最も厳しい年末年初であった。
  そして問題は続く、東京印書館の建物はまたたくまに撤去され、更地になった跡地は、住友不動産の手によって14階建ての高層マンションの建設が公示された。当然の如く、それによって生ずる問題点が吹き出して、施工者と隣接する地域の人々との交渉が始まっている。法律上は問題なしと言う施工者と、日照権・道路の問題で交渉に臨む人々と、どういう決着になるのか、これからである。商店街の人々の署名活動を支えに頑張る隣接の被害者の切実な声は届くのか、行政の関与はどうなのか、中心話題は難解である。 





紫煙が消え独特の魅力失せたパリ

2009-01-28 | 煙草
  何でいきなりフランスのパリに飛ぶのと言われそうだが、ニューズウィーク日本版でタバコの記事が目に留まったためである。
  パリ支局長・クリストファー・ディッキー氏の発信によると、フランスで、すべてのカフェが"店内禁煙"になってから一年になるが、妙に清潔になったパリは、その独特の魅力を失ってしまったという。記事の一部を開く。
  「この冬、パリは厳しい寒波に見舞われた。それでも、路上に突き出たカフェのテラスは着膨れた客でにぎわっている。熱い飲み物をすすりつつ、寒さに耐えるのは愛する紫煙をくゆらすためだ。カフェを含めた店内禁煙が施行されてから一年。タバコの売店を兼ねる"カフェ・タバ"でさえ、店内での一服はご法度だ。欧米の諸都市では、もはや禁煙は常識。へそ曲がりのフランス人も時代の流れには逆らえない。気がつけばパリもずいぶん清潔に、世界中のどこの都市とも変らない退屈で無機質で"こだわり"のない都市になりつつある。」
  「ヘミングウェイが"移動祝祭日"と呼んだパリ。一見すると、今もその面影は残っているようだ。だが、観光誘致のために保存された古い外壁の向こうからは生活者の匂いが漂ってこない。庶民の応接間、商談の場、無名のアーティストの仕事場でもあったカフェは、その心なごむ雰囲気を失いつつある。」
  「かってのパリには独特のにおいがあった。アメリカの作家トマス・ウルフは
1935年の小説で、タバコの煙と酒と人の体臭が入り交じったカフェの"みだらな腐臭"への愛をつづった。だが、においのきついジタンやゴロワーズを吸う人は減り、軽いアメリカタバコのにおいさえも、今や通りに吹きすさぶ寒風に飛ばされてしまう。」
  「そもそもカフェの存続が危うい。人々は時間に追われ、カフェでくつろぐ習慣も廃れた。なじみの店が次々に姿を消すなか、私が今もひいきにしているのはアバルトマンの近くのカフェ・タバ"ル・セントラル"。店主のロジェ・ペレス(71)
は、歴史や政治にも一家言をもつ骨太の男だ。03年には、ペレスは葉巻と紙巻きタバコ合わせて3万箱売ったという、07年は、1万4千箱。かって売上げの30%以上を占めていたハバナ産の葉巻が今では、1日に1本か2本しか売れないこともある。"葉巻はゆっくり楽しむもの。今の人にはゆっくり楽しむ暇なんかない"と、マダム・ペレスがぼやいた。それでもペレス夫妻は、息子と共に昔ながらの家族経営で店を切り盛りしている。」と。なんだか身に迫る情景である。

ブッシュ=小泉・竹中路線の終焉

2009-01-27 | 煙草
  隔週の火曜日に発行される「経済界」1/27号の経済万華鏡の記事の題名が
今回のタイトルで、明治大学政治経済学部教授・高木勝氏の論説である。 郵便局の民営化も、規制撤廃による競争促進も、実はアメリカの主導の路線を小泉・竹中政権が忠実に推し進めてきたことだという事が、次第に明らかになってきている。それをここで明確に指摘しているので取り上げる。
「小泉政権は2年3ヶ月前に任期を終え、米国では8年間に及ぶブッシュ政権が、いよいよ幕を閉じようとしている。ブッシュ・小泉両政権は、これまで市場
万能主義に基づく経済運営を展開し、小さな政府や、規制撤廃による競争の促進
などを強力に推進してきた。こうした市場重視の徹底は、経済の活性化や効率化
に一定のプラスをもたらしたものの、一方で弱者切り捨てや市場の暴走を許し、
3つの大きな問題を引き起こした。市場万能主義は必ずしも"万能"でない事を示
す証拠といえよう。」
 その三つの重大な誤りについて、次のように述べている。「第一は、金融面で虚飾の錬金術、マネーゲームを助長した点である。米国では、サブプライム問題を契機に、金融危機が一段と強まり、100年に一度の大津波が発生した。神谷秀樹氏は"強欲資本主義ウォール街の自爆"の中で"ウォール街では強欲資本主義がはびこり、経済の疲弊が見られる" と総括する。そしてデリバティブを駆使し、巨額の富を獲得しようという極度の拝金主義、利益至上主義が蔓延することになる。」
 「わが国でも、小泉・竹中経済運営は、米国経済・金融を手本とし、日本を金
融立国に仕立て上げようと試みた。だが、その行き着く先は、マネーゲームの横
行、かつ違法行為であり、ライブドア事件、村上ファンド問題を引き起こした。
金融機関に対する規制、監督の強化や、ヘッジファンド、格付け会社などの情報
開示、透明性の確保など、無秩序な市場万能主義から秩序ある市場形成へ転換す
ることが、今日の大きな課題である。」
 「第二は、競争の激化から優勝劣敗が進み、経済格差の拡大が生じた点である。
小泉政権以降、所得間、企業規模間、地域間の格差は広がる一方だ。米国でも、
"弱者"を食い物にし、一部の富者が潤う構造が定着し、大量の国内難民、経済難
民が発生している(ルポ貧困大国アメリカ・堤未果著)。セーフティーネットの構築を無視した市場原理主義は、そもそも憲法第25条(生存権)に違反している可能性がある。」
 「三つ目は、労働者派遣法の規制緩和により、大量の非正規労働者が生み出さ
れ、収益の調整弁に用いられている点である。最近は、景気の悪化により"雇い
止め"、"派遣切り"現象が強まり、雇用の危機が生じている。市場の暴走を防ぎ
秩序ある市場を形成するには、これまでの事後チェックではなく、事前規制が不
可欠である。日米とも発想を大きく転換し、市場万能主義の弊害を取り除き"秩
序"の復活に全力を挙げるべきだ」と結んでいる。
 小泉のパフォーマンスに踊らされた政治意識の低さを深く反省せねばと考える。それにしても、煽り立てたマスコミの責任はどうなるのであろうか。

 

中国で徳川家康が大人気

2009-01-26 | 煙草
 中国で日本の歴史小説「徳川家康」(山岡荘八著)が大人気を呼んでいる。1月26日付け読売新聞朝刊の記事によると、「山岡荘八著の徳川家康が、昨年来、中国の都市部の企業家や白領といわれるホワイトカラーなどの間で爆発的人気を呼んでいる。中国紙は、経済発展著しい沿海地方の民営企業の経営者から売れ始めたと報道。金融危機による景気後退で経営環境が悪化する中、いかに困難を克服するかを考える上で、家康の生き方や戦略に共鳴する企業家が多いという。」北京発=佐伯聡士。
 中国で大ベストセラーというと数十万部、ところが「徳川家康」は2007年11月の出版以来、全13巻で、合計200万部が売れている。中国40のメディア
の記者が選ぶ「08年の良書」の外国文学部門でも第一に輝いた。業界関係者によれば、"中国では日本の小説というと村上春樹氏や渡辺淳一氏の作品が、中産階層の間で絶大な人気を誇っているが、今回のように日本の歴史上の人物を取り上げた小説がヒットするのは、極めて異例な事である"と語る。
 この出版企画を立てた「新経典文化」の陳明俊・編集長は、読売新聞の取材に対して「家康は忍耐の精神を持つだけでなく、局面の変化に慌てず対応できたところが、中国の読者に最も尊敬されている点だ」と、人気の理由を説明している。
 最近の人は、文字を敬遠して画像にとらわれているが、物事の本質をとらえるに
は良書の読書が大事だと思う、日本には宝のような書物が埋蔵されている。

米国再生に強い決意・オバマ大統領就任演説

2009-01-21 | 煙草
 全世界が見守ったアメリカのオバマ大統領の就任演説は、1月20日午前11時半(日本時間21日午前1時半)、ワシントンの連邦議会議事堂前で大統領就任式で宣誓を行い、第44代大統領就任後、議事堂前のナショナル・モールを埋め尽くした熱狂的な聴衆を前に行なわれ、全米を興奮と感動に包んだ。
 オバマ大統領は、選挙期間中は繰り返し訴えた「変革」「希望」等の語句は影をひそめ、代わりに、米国が直面する深刻な経済危機への対応に向けた国民の覚悟を問う「新しい責任の時代」の幕開けを宣言する演説となった。
 美辞麗句を並び立て、現実の国情から目をそらせ、出来上がった原稿を読み上げる施政演説とは違い、自分の言葉で自らの信条を訴える迫力は、聞く者の心を揺さぶり感動の渦を巻き起こした。
 「宣誓は、繁栄の高まりの時や、平和で静かな時に行なわれたこともあった。しかし、しばしば宣誓は、暗雲が垂れ込める時や、荒れ狂う嵐の時に行なわれた。こうした時、米国は、指導者たちの技量や理念だけに頼ることなく、我々人民が祖先の理念に忠実で、建国の文言に正直であることによって、乗り切ってきた。ずっとそうやって来た。この世代の米国人も同様にしなければならない。」
 「我々の経済は、ひどく弱体化している。一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった
我々全員の失敗の結果である。」
 「今日、私はあなた方に告げる。我々が直面している試練は本物だ。試練は深刻で数多い。試練は容易に、または短い時間で対処できるものではない。しかし米国よ、わかってほしい。これらの試練は対処されるだろう。この日、我々は、恐怖ではなく希望を、紛争と不一致ではなく目標の共有を選んだため、ここに集った。この日、我々は、我々の政治をあまりにも長い間阻害してきた、ささいな不満や偽りの約束、非難や言い古された定説を終らせる事を宣言する。」と、危機対処への並々ならぬ決意を述べた。
 更に、国家の偉大さについて「我々の国の偉大さを再確認するとき、我々は偉大さが決して与えられたものではない事に気づく。それは勝ち取らなければならないのだ。我々の旅は、近道でも安易なものでもなかった。我々の旅には、仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びだけを望むような、臆病者のための道筋はなかった。むしろ、我々の旅は、危機に立ち向かう者、仕事をする者、創造をしようとする者のためのものだ。それらの人々は、著名な人たちというより、しばしば、無名の働く男女で、長いでこぼこした道を繁栄と自由を目指し、我々を導いてきた人々だ。我々のために、彼らは、わずかな財産をまとめ、新たな生活を求めて大洋を旅した。我々のために、彼らは劣悪な条件でせっせっと働き、西部に移住し、むち打ちに耐えながら硬い大地を耕した。我々のために、彼らはコンコード(独立戦争の戦場)やゲティスバーグ(南北戦争の)、ノルマンディー(第二次大戦)やケサン(ベトナム戦争)のような場所で戦い死んだ。しばしば、これらの男女は、我々がより良い生活を送れるように、手の皮がすりむけるまで、もがき、犠牲になり働いた。彼らは米国を、個人の野望を合わせたものより大きく、生まれや富や党派の全ての違いを超えるほど偉大であると考えていた。これが今日、我々が続けている旅なのである。」と。今日の国家は一朝一夕で生まれたのではない、先達の骨身を削る血と汗と涙の結晶である事を力説している。(明日に続く)






オバマ大統領就任演説(その2)

2009-01-21 | 煙草
  オバマ大統領就任演説その2、初めに米国の未曾有の経済危機の現状を明かし、その危機を全国民と共に乗り切る並々ならぬ決意を示したあと、建国のために身を削り血を流し、戦場で命をささげた多くの先達の歩みによって現在の国家が在ること、そしてよって成り立つ米国の偉大さを訴えた。このあと、「米国の再生」
「我々の安全とは」「世界とともに変る」「新しい責任の時代」そして「自由を未来の世代に」と力説した。そのなかの一部を抜粋して、締めくくりとする。
 「米国は依然として地球上で最も繁栄し、力強い国だ。我々の労働者は、今回危機が始まった時と同様、生産性は高い。我々は相変わらず創意に富み、我々が生み出す財やサービスは、先週や先月、昨年と同様、必要とされている。能力も衰えていない。しかし、同じ手を用いるだけで、狭い利益にこだわり、面倒な決定を先送りする、そんな時代は確実に終った。今日から我々は立ち上がり、ほこりを払って
米国再生の仕事に着手しなければならない。」
 「なすべき仕事は至るところにある。米国経済は、大胆かつ迅速な行動を求めている。そして我々は新規の雇用創出のみならず、、新たな成長の礎を整える事が出来る。道路や橋を造り、電線やデジタル通信機を敷き、商業を支え、我々を一つに
結びつける。科学を本来あるべき地位に戻し、医療の質を引上げながら、そのコストは減らす。太陽、風や土壌を利用して自動車を動かし、工場を動かす。新時代の要請に合うよう学校や単科大、大学を変えていく。」 
 「今回の経済危機は、監視がなければ、市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた。我々の経済の成功は何時も単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。慈善としてではなく、公共
の利益に通じる最も確実な道としてだ。」
 
「我々の共通の防衛については、安全と理想とを天秤にかけるという誤った選択を拒否する。我々の想像を超える危機に直面した建国の父たちは、法の支配と国民の権利を保障憲章を起案した。憲章は何世代もの犠牲によって拡充された。これらの理想は今日でも世界を照らしており、我々は都合次第で手放したりはしない。」 「前の世代は、ファシズムや共産主義と、ミサイルや戦車だけではなく、強固な
同盟と強い信念を持って対峙したことを思い出して欲しい。彼らは、我々の力だけでは我々を守れず、好きに振舞う資格を得たのではないことも理解していた。代わりに、慎重に使うことで力が増すことを理解していた。我々は、この遺産の番人だ。こうした原則にもう一度導かれることで、我々は一層の努力や、国家間の一層の協力や理解が求められる。新たな脅威に立ち向かうことが出来る。」
 「我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民にゆだね、苦労しながらもアフガ
ニスタンに平和を築き始めるだろう。古くからの友や、かっての敵とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるため、たゆまず努力するだろう。」

 「我々には、南北戦争や人類隔離の苦い経験があり、その暗い時代から出てきて、より強く、より団結するようになった。我々は信じている。古くからある憎し
みは、いつかなくなり、民族を隔てる線も消えると。世界が小さくなる中で、我々に共通の人間愛が現われることになると。米国が新しい平和の時代に先駆ける役割
を果たさなければならないと。」
 「貧しい国の人々よ、我々は誓う。農場に作物がが実り、きれいな水が流れ、飢えた体に栄養を与え、乾いた心を満たすため、ともに取り組むことを。我々と同じように比較的満たされた国々よ、我々が国境の向こう側の苦悩に、もはや無関心でなく、影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう。世界は変った。だから我々も世界と共に変らなければならない。」

 「政府は、やれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。我々の運命を最終的に決めるのは、煙に覆われた階段
を突進する消防士の勇気であり、子供を育てる親の意思である。」
 「我々の挑戦は新しいものかも知れない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心といった価値観にかかっている。これらは、昔から変らぬ真実
である。これらは歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。」
 「いま我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。米国民一人
ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを確認し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会を捉えることだ。困難な任務に我々の全てを与える
ことこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。これが市民の代償であり約束なのだ。これが我々の自信の源なのだ。これが我々の自由と信条の意味なのだ。何故、あらゆる人種や信条の男女、子供たちが、この立派なモールの至るところで祝典の
ために集えるのか。そして、なぜ60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が、いま、最も神聖な宣誓を行なうために
、あなた方の前に立つことが出来るのか。」

 「だから、我々が誰なのか、どれほど長い旅をしてきたのか、その記憶と共に、この日を祝おう。米国誕生の年、極寒の中で、愛国心の小さな一団は、氷が覆う川の岸辺で、消えそうな焚き火の傍に身を寄せ合った。首都は見捨てられた。敵は進軍してきた。雪は血で染まった。我々の革命の結末が最も疑わしくなった時、我が国の祖は、この言葉を人々に読むように命じた。”酷寒の中、希望と美徳しかな生き残ることができない時、共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た、と未来の世界で語られるようにしよう"アメリカよ。我々自身が共通
の脅威に直面している時に、我々自身の苦難の冬に、時を超えたこれらの言葉を思い出そう。希望と美徳を抱き、この凍てつく流れに再び立ち向かい、どんな嵐が訪れようとも耐えよう。そして、我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか。我々が試された時、旅を終らせることを拒み、後戻りすることも、くじけるこよもなかったと。」
  この訴えを受け止めたアメリカのこれからが歩みが注目される。長い時間が必要とするであろうが、心して見守ろう。




.オバマ大統領誕生に沸くアメリカ

2009-01-20 | 煙草
  全世界が注視する米国史上初の黒人大統領、バラク・オバマ氏の就任式が、いよいよ明日、首都ワシントンで行なわれる。この日は、リンカーン大統領の奴隷解放令から146年目に当たると言う歴史的な意義も含まれる。すでに全米各地からこの世紀の大式典を目指して参集しており、200万人の人出が予想されている。
  警備態勢も一段と強化、テロ・暗殺などあらゆる不測の事態に備えて、警察や軍など4万人による空前の厳戒態勢に入っているという。
  日本でもオバマ氏の人気は高く、演説集・伝記・写真集など30点を超える出版物が刊行されている。なかでもひときわ人気なのが、昨年11月の大統領選勝利宣言後に出された「オバマ演説集」(朝日出版社)、オバマ氏の肉声CD付きで英語と日本語の対訳で掲載されていると言う。次いで人気なのが「合衆国再生」「マイドリーム」(いずれもダイヤモンド社)。読者層の4割は30代から40代の男性読者が多いと言う。大統領就任演説も、すでに出版社は緊急出版を予定という。
  明日20日(日本時間21日未明)就任式が楽しみである。