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京の一枚

京都のミステリースポット 晴明神社


まだまだ残暑が続くこんな日は、京都のミステリースポットを探検してみませんか?


今話題の陰陽師・安倍晴明を祀る晴明神社。


近くにかかる一条戻橋の下には晴明が式神を封じたと言われています。


夕暮れ時の晴明神社は今にも式神が現れそうな、一種独特の雰囲気が漂っています。




晴明神社で祀られている安倍晴明公は孝元帝の皇子大彦命の御後胤で幼い頃から非常に賢明な方で多くの道に秀でておられました。


特に天文暦学の道を深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけられておられたのです。


成人になられた後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。


そして、村上帝に仕えられておられた時には進んで唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれます。


帰国して後、これを元に日本独特の陰陽道を確立。


朝廷の政治、日本人のさまざまな生活の規範を決められました。


今日、私達の日常生活の基準となる年中行事や、暦術、占法は皆この時に創られたのです。


晴明公は生きておられる間から高徳な方でいらしたので、天体を移り行く星や雲の動きを観察して、宮殿での異変の予知、遠方での吉凶を言い当てられ、朝廷を始め多くの人々の信望を寄せられたとされています。


そして、一条帝に仕えておられた寛弘2年(西暦1005年)9月26日に85歳でお亡くなりになります。
 
こうして、晴明御霊神として祀られた後も、我が国の陰陽道の祖として広く世の中の尊敬を集めます。


「晴明公にお祈りすれば、不思議な霊の利益を受ける事ができ、様々な災いから身を守り、病気や怪我が治る…」そうした評判が多くの人々に語り継がれています。






晴明神社は晴明公の屋敷跡であり、天文陰陽博士として活躍していた拠点であった場所です。


晴明公が亡くなられた後、一条天皇は晴明公の遺業は非常に尊いものであったこと、そして晴明公は稲荷大神の生まれ変わりであるということで寛弘4年(西暦1007年)、そのみたまを鎮めるために晴明神社を創建されたのです。


古い資料によれば東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売という広大な地域が神社の土地であったとされています。


ところが、応仁の乱の後豊臣秀吉の都造り、度々の戦火によってその規模は縮少。


そして、古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。


そこで、地元の氏子が中心となり各式年祭、つまり嘉永6年、明治11年、明治36年、昭和3年に整備改修が行われました。


また昭和25年には多年の宿望であった堀川通に面する境内地を拡張するなど御神徳を仰ぎ尊ぶ崇敬者の真心によって復興が進められました。


また、近年は一大ブームが巻き起こり、文芸、漫画、映画などを通じて晴明公の存在は広く知られ、全国にその崇敬者を集めるようになりました。


そして、平成15年に晴明神社御鎮座壱千年祭を斎行し社殿の修造と社務所の新築、境内整備が完成しました。






アクセス


市バス 京都駅より[9]番「一条戻り橋」下車 徒歩2分


三条京阪駅より[12][59] 番「堀川今出川」下車 徒歩2分


地下鉄 烏丸今出川駅より徒歩10分


タクシー/京都駅から約10分




参拝時間


9:00~18:00(無休)




拝観料     なし




駐車場 あり(有料・20分100円)


住所


〒602-8222


京都市上京区堀川通一条上ル806


電話 075-441-6460(社務所)












京都の古都なら :http://www.e-kyoto.net/


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