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京の一枚

京都 祇園祭・山鉾一覧(太子山・浄妙山・橋弁慶山・占出山・霰天神山)


太子山(たいしやま)

少年時代の聖徳太子がご神体。


四天王寺建立にあたり良材を求め山中に入った所伝に由来。


真木に松ではなく杉を使っているのが特徴。


宵山では、杉・知恵のお守りが授与。



住所:下京区油小路通仏光寺下る太子山町




ご利益(お守り等):知恵、身代わり


ちまきの値段:\500






装飾・踊り


前掛は緋羅沙地(ひらしゃじ)に阿房宮(あぼうきゅう)の刺繍、胴掛は金地花鳥文のオランダ刺繍、見送は藍地(あいじ)竜文の綴錦のものが用いられている。


角金物(すみかなもの)には立派な飛龍が飾られ、水引には黒の房付き網目のものが用いられ胴掛とともにエキゾチックな気分を加えている。


宵山には聖徳太子にちなんで知恵がさずかるという「杉の守り」「知恵のお守り」が授与される。





由来・歴史


聖徳太子を祀るのでこの名がある。


聖徳太子が大阪四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝にもとづき、他の山がいずれも松を立てているのに対してこの山のみは真木(しんぎ)に杉を立て、その樹に小さな如意輪観音像(にょいりんかんのんぞう)を奉載している。


太子は少年像で右手に斧、左手に衵扇(あこめおうぎ)を持つ。

町内イチオシグッズ:知恵の御守\500 太子山御神布\500 絵馬\500 扇子\2500 ゆかた\4200 他











浄妙山(じょうみょうやま)


ご神体は、宇治川の合戦をモチーフに一来法師が三井寺の僧兵筒井浄妙の頭上を越え先陣を取った一瞬を見事に表現。


宵山では、2体のご神体と矢の刺さった黒漆塗りの橋を近くで拝観出来る。


住所:中京区六角通烏丸西入骨屋町




ご利益(お守り等):勝守


ちまきの値段:ちまき\400 ちまき(絵馬付き)\700 ちまき(御守付き)\500




装飾・踊り


水引は波涛文(はとうもん)の彫刻、胴掛には、ビロード織の琴棋書画(きんきしょが)を用いていたが、昭和60年から、新しく、長谷川等伯筆の柳橋水車図(りゅうきょうすいしゃず)綴錦にかえている。


見送はこの町に住んでいた本山善右衛門が苦心して織った雲龍文の「かがり織」である。


そのほか、浄妙坊が着用している黒韋縅肩白胴丸(くろかわおどしかたじろどうまる)は室町時代の作で重要文化財に指定されている。



由来・歴史


平家物語の宇治川の合戦から取材。


治承4年(1180)宇治川の合戦に三井寺の僧兵筒井浄妙(つついじょうみょう)が橋桁を渡り一番乗りをしようとすると、一来法師(いちきほうし)がその頭上を飛び越え「悪しゅう候、御免あれ」と前に進み出て先陣をとってしまったという。


御神体(人形)は一来法師が浄妙の頭上を飛び越える一瞬をとらえ、木片の楔で一来法師の人形を支えている。


黒漆塗の橋桁にも数本の矢がささり戦さのすごさを示している。


かつては「悪しゅう候山」とも呼ばれていた。

町内イチオシグッズ:粽+御守セット¥500 粽+絵馬セット¥700









橋弁慶山(はしべんけいやま) くじ取らず


ご神体は、大長刀を持った弁慶と五条大橋の欄干に片足で立つ牛若丸。


舁山で唯一のくじ取らず。宵山では、黒漆塗りの五条大橋は1階、弁慶と牛若丸は2階にてハッキリと見ることが出来る。



住所:中京区蛸薬師通烏丸西入橋弁慶町 




ちまきの値段: \500



装飾・踊り


弁慶は永禄6年(1563)平安大仏師康運(こううん)の銘、牛若丸は天文6年(1537)同じく仏師康運の銘を持ち足駄金具は美濃国住人右近信国の銘がある。


前掛と後掛は中国明時代の雲龍波涛(うんりゅうはとう)文綴錦、胴掛の綴錦賀茂葵祭図(つづれにしきかもあおいまつりず)は円山応挙(1733~95)の下絵である。


水引は百児喜遊図(ひゃっこきゆうず)の綴錦、後掛は龍文綴錦のものが用いられている。


また、重要文化財指定の鎧「黒韋威肩白胴丸大袖付(くろかわおどしかたじろどうまるおおそでづき)」を蔵している。


この山の人形組みの巧みさは浄妙山と共に山鉾のなかでも特別なものとして注目にあたいする。



由来・歴史


謡曲「橋弁慶」より取材、弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿をあらわしている。


弁慶は鎧姿に大長刀を斜にかまえ、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)の上に足駄(あしだ)で立ち片足を曲げ右手に太刀を持っている。


橋は黒漆塗で特に牛若丸の人形は足駄金具一本でこれを支えている。

町内イチオシグッズ:力縄\500 手拭\500 扇子\800











占出山(うらでやま)

ご神体の神功皇后は、肥前松浦で鮎を釣り戦勝の兆しとした古事に由来する。


凱旋後に筑紫で無事に応神天皇をご出産したことから、安産の神様として崇められている。


住所:中京区錦小路室町東入占出山町




ご利益(お守り等):安産


ちまきの値段:\400




装飾・踊り


水引は36歌仙図の刺繍、前掛、胴掛は日本三景の綴錦で天保2年(1831)の製作で、奥川米厳の松島図下絵は別に保存されている。


見送には花鳥竜文の綴錦が用いられ、宵山には安産の御守りと腹帯とが授与される。



由来・歴史


「鮎釣山(あゆつりやま)」ともいう。


神功皇后が肥前国(ひぜんのくに)松浦川で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話による。


御神体(人形)は金の烏帽子(えぼし)に太刀をはき、右手に釣竿、左手に釣り上げた鮎を持って立つ。


神功皇后は古くから安産の神として祀られ、山鉾巡行のくじ順が早いとその年は御産が軽いといわれる。


安産の神として公家の信仰も厚く女院や公卿の姫君などから寄進された小袖や打掛(うちかけ)、水干(すいかん)などが多数御神体衣装として保存されている。


町内イチオシグッズ:絵はがき\200 安産御守\500 絵馬\500 吉兆あゆ\950他









霰天神山(あられてんじんやま)

永正年間京都に大火が起こったが、霰が降り鎮火。


山は、その時降って来た天神様を祀ったのが起こりとされる。


宵山では火伏せ・雷除けのお守りが授与。



住所:中京区錦小路室町西入天神山町




ご利益(お守り等):雷除け、火除け
ちまきの値段:\600




装飾・踊り


前掛は16世紀にベルギーで製作され、近年の調査によると「イリアシド」物語のえがいた毛綴(タペストリー)を用いていたが、56年から中国刺繍の太湖岩鳳凰図にかえている。


胴掛は中国綴錦の牡丹胡蝶文(ぼたんこちょうもん)、後掛は雲龍文綴錦が用いられている。


山の縁起にちなんで宵山には「火伏せ、雷除け」の御守が授与される。



由来・歴史


錦小路通室町西入にあるので「錦天神山(にしきてんじんやま)」ともいわれる。


永正年間(1504~21)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまち消えたが、そのとき一寸二分(約3.6センチ)の天神像が霰とともに降って屋根に止っていたので、その奇瑞(きずい)に感じてこれを祀ったのがこの山の起りであるという。


それゆえ、この山は「火除天神山(ひよけてんじんやま)」とも呼ばれる。


山の上には欄縁にそって朱塗り極彩色の回廊(かいろう)をめぐらし、中央に唐破風春日造(からはふかすがづくり)の神殿を安置する。

町内イチオシグッズ:火よけのお札\200 手ぬぐい\800 扇子\3500






祇園祭マップ:http://www.e-kyoto.net/saiji/161


※写真は全て過去のものです。














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