高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。
開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。
現在は鴨川において京都側と伏見側で分断されており、上流側を高瀬川、下流側を東高瀬川、新高瀬川と呼ぶ。
京都中心部の三条から四条あたりにかけては京都の歓楽街の一つとなっており、また桜の名所ともなっている。
高瀬川は、二条大橋の南で鴨川西岸を併走する「みそそぎ川」(鴨川の分流)から取水する。
二条から木屋町通沿いの西側を南下し、十条通の上流で鴨川に合流する。
かつて、京都と伏見を結ぶ運河であった頃は、現在の鴨川合流点のやや上流側で鴨川を東へ横断したのち、一部区間で竹田街道と並行、濠川と合流し伏見港を経て宇治川に合流していた。
現在、鴨川以南は東高瀬川と呼ばれ、上記高瀬川や鴨川とはつながっておらず、雨水等を水源とする河川となっている。
また、疏水放水路と合流して直接宇治川に流れ出ており、濠川とは合流していない(東高瀬川において、宇治川に直接つなげるために整備された部分を新高瀬川と呼ぶこともある)。
■場 所: 高瀬川四条(木屋町四条~松原)
■期 間: 3月下旬~4月上旬(予定・桜の開花にあわせて)
■アクセス: 阪急「河原町」駅、市バス17・205「四条河原町」
■お問合せ: 木屋町会
■詳細ページ:http://www.simokiyamati.com/
京都の古都なら http://www.e-kyoto.net/
開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。
現在は鴨川において京都側と伏見側で分断されており、上流側を高瀬川、下流側を東高瀬川、新高瀬川と呼ぶ。
京都中心部の三条から四条あたりにかけては京都の歓楽街の一つとなっており、また桜の名所ともなっている。
高瀬川は、二条大橋の南で鴨川西岸を併走する「みそそぎ川」(鴨川の分流)から取水する。
二条から木屋町通沿いの西側を南下し、十条通の上流で鴨川に合流する。
かつて、京都と伏見を結ぶ運河であった頃は、現在の鴨川合流点のやや上流側で鴨川を東へ横断したのち、一部区間で竹田街道と並行、濠川と合流し伏見港を経て宇治川に合流していた。
現在、鴨川以南は東高瀬川と呼ばれ、上記高瀬川や鴨川とはつながっておらず、雨水等を水源とする河川となっている。
また、疏水放水路と合流して直接宇治川に流れ出ており、濠川とは合流していない(東高瀬川において、宇治川に直接つなげるために整備された部分を新高瀬川と呼ぶこともある)。
■場 所: 高瀬川四条(木屋町四条~松原)
■期 間: 3月下旬~4月上旬(予定・桜の開花にあわせて)
■アクセス: 阪急「河原町」駅、市バス17・205「四条河原町」
■お問合せ: 木屋町会
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