歌姫 オペラ麗の音楽うらばなし

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私を育ててくださった 大切な恩師が月曜日 亡くなられました

2008年02月22日 00時37分46秒 | Weblog
私が37歳でもう一度オペラをしたくて 電話をかけました。 「37歳ですが 年はとっていません 元気で若いです 団員にしてください 受かったことにしてください」 と オーディション前に電話で押しかけました。
実は地元で始めて オーケストラとの共演が決まっていました が 肩書きが??????音大出身しかありません
ずっと家でピアノの先生をしていたからです。
先生いわく 「こんな子初めてだよ 押しが強くて やる気があって 気に入った」 合格でした 団員にしていただきました。

「3年しても役がつかなかったら やめて頂戴」と母に言われました。

でも役はすぐにつきました。
それから本当に沢山のオペラに出演させていただきました。

「橘~~~背中に主婦が出てるぞ~~」 そういわれながら 夢中で勉強しました
自宅から2時間半の練習場に通います。 帰りは夜中

今でもはっきり覚えている出来事は 私は声のポジションを悪くしてしまい
高い音が 恐怖で出なくなっていました
 オペラの本番はどんどん近つき 気がついたときには本番の前の日の舞台の上!
でもどうしても怖くて 歌いとおせません

おろしてくださいと お願いいたしましたが  先生は許してくれません
大勢の舞台関係者の前で「馬鹿やろーーだれが降りて言いといった」でした

後で先生は楽屋に来られ 私におっしゃいました「お前をおろしたら もう二度と歌わなくなる そうゆう人間だから 私はおろさない 責任は私が取るから歌いなさい」
私はありがたくて 感謝の思いで胸がいっぱいになり 涙が止まりませんでした。
私を見ててくださる方がいる 心に勇気がよみがえってきました
もちろん次の日の本番は 初めて素晴らしく演奏できましたし 力強い高音が立派に出ました 

本番が終わって先生は楽屋に来られて 「本番はやると思ってたが もうみんなに心配かけちゃいかん」 とおっしゃられました。

今の私があるのは このときの先生の言葉でした 

育てていただきました たぶん力不足の私はもまれながら 苦しみながら
育ちました そして今の私があります。

大切な先生が亡くなられて 私は心が遠くに行ってしまい 呼吸困難に陥りました

昨夜先生にお別れを言いに 東京のスタジオに行きました

先生は少し微笑んだようなお顔で眠っていらっしゃいました
この現実を受け止めなくてはいけなくて
体中が震えてしまい 深い悲しみを味わいました

帰りの車一人で運転していると 先生の声が 「歌いなさいよ」
聞こえた気がしました と同時に私の心に暖かいものが流れました

先生から育てていただいた私の歌 喜んでいただけるならどこにでも出かけて
枯れるまで歌いたいと思いました。

先生見ててください 楽しみにしてくださいね。
「橘はがんばるから えらい 」 そういっていただけるよう がんばります。


今夜のブログは 感情が高ぶってしまって うまくかけません ごめんなさい




 



コメント (4)
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