goo blog サービス終了のお知らせ 

Refine-Debate.blog

自分のディベート歴や今を定期的に綴っております。

卒業まで突っ走れ/新潟の震災から

2004-10-29 00:01:14 | 日常生活から
卒業へ向けての諸活動が、水面下で始まっている。
卒業アルバム委員会・卒業文集委員会の2つがそれだ。
このように、写真を撮る日時や、原稿提出の期限などを言われると、いやでも何ヶ月か後には卒業を迎えるのだと実感させられる。

今日はじめて卒業文集委員会が召集され、恐れ多くも委員長の任に就くことになった。

とはいえ、決して表に出る存在ではなく、いつものように「陰の人」に徹することが多そうだ。
皆が心の底から納得し「いいものができた」と呼んでくれるような最高のものを作るべく、
これからも日々全力を尽くしてまいりたい。

新潟で震災が続いている中、奇跡とも呼ぶべきか、2歳の男児が土砂から救出されたというニュースを聞いた。
お母さんと長女の2名は残念ながら命を落としてしまった。心から、ご冥福をお祈りしたい。

しかしながら、人間の生命はかくも強いものかということを知った。きっと土砂に埋もれても、お母さんはわが子を守り、助け出すことに必死だったに違いない。母の分まで生きてくれと言わんばかりに、命が命へと移ったのであろうか、そんなことを考えさせられる出来事だった。当然ながら、科学的にそのような話は論証できないのだが、90時間という長く、そして暗闇の中で生き続けたということが、どれだけの苦難であったことか。

 震災に遭われたことをこのように表現するのはいささか軽率だったかもしれない。しかし、そのようなできごとがあって生き延び、そして生きていくという使命は果てしなく重いと思う。僕たちは、新潟の大地震に関して、無知であったり、自分とは全く関係ないようなよそ事のように考えては絶対にならない。これからの世界を展望し、世界平和を実現したいと願うときに、僕たちは外国のことですら無知であってはならないはずなのに、まさに自分の国・日本で起こっている災害に対して何も関心を示さないというのは、やはりあってはならないことではなかろうか。
「世界がもし100人の村だったら」という本がある。もし、地球が100人の村で、海など地理的な制約がなく陸続きであったとしたら、村人の誰かが事故や被害にあったことに対して、ほかの村人は無関心ではいられないだろう。またもし、あなたが被害の起こった地域に済んでいたら、逆に無関心の人々には怒りを覚えると思う。

話がそれたが、地震について。災害の起こった新潟県の方々に対して、僕は今、直接現地の方々に具体的な行動を行うことはできない。しかし、被害地域の人々の安全無事・無事故を願い、その上で募金など些細な活動はすることができる。
 当該地域から離れて住んでいることを理由に、遠くで起こっていることだからといって何も考えないのは、結局のところ、他の人が抱えている悩みや問題を、心の底から同苦し励ますことができないことと同じだと僕は思う。

だからこそ、全てにおいて、僕はその人たちの苦労の何百分の1でもいい、自分が苦労して、勉強し抜いて、他の人にも幸せを感じてもらえるような人間に成長していきたい。

弱音は吐いてなんかいられない。ここで僕が立ち止まってしまったら、身を挺してわが子を守ったあのお母さんに申し訳ないから。

戦士達に敬礼を

2004-10-26 19:36:54 | 日常生活から
わが校の軟式野球部が、このたび国体に出場することが決定し、埼玉県で行われている国体に参加した。
残念ながら、昨日の試合を3-4で逆転負けという形で敗退してしまった。
しかし、今日学校に勇んで登校してきた彼らの目には、後悔などないような輝きがあった。
しかもクラスにお土産を買ってきてくれた。
わがクラスからは試合に出場し、得点を決めた選手がいる。
1人は今年初めて同じクラスになった。もう1人は2年連続で同じクラスである。
彼らと同じクラスで本当によかったと思う。

国体という大きな大会に出場したこともそうだが、
学校の名前を背負って誇りあるプレーを行ってきたその潔さに、敬意を表したい。

大会だから、対戦相手がいて、当然勝者と敗者がいる。
トーナメント表だけを見れば彼らは「ベスト8」かもしれないが、
間違いなく彼らは「勝った」のだ。無論対戦相手より優れている、とかの意味ではなく、
この大会を通してさらに頼もしく成長したのが目に見えるのである。

3年生は(季節上)これで運動部全員が引退となり、一部の文化部を除いて、これからそれぞれの進路・目標に向かって邁進してゆくことになる。
すべての部活の戦士達に、敬礼。ありがとう、そして、共によく戦った!!

学校見学会

2004-10-23 20:36:52 | 日常生活から
今日は学校見学会で、雄弁会のディベート甲子園3連覇の活動報告をさせていただいた。
講堂は満員で、ナンブヤジマのあとだったので、位置的にちょっと辛かった。
しかし、この活動報告を聞いて、受験生からの来年の1年生が多く部活に入ってくれたら幸いだ。

※ナンブヤジマ…2年生の漫才ユニット。対外的な大会にも出場し、なかなかの成績を収めている。

中間の手ごたえ【3日目】

2004-10-19 21:32:30 | 日常生活から
現代文はそんなに難しくなかったです。
地学は予想に反して難しかった。
穴埋めの場所がマイナーなものが多かった。
「マリナー10号」を出してくるとは…
(※マリナー10号とは水星に飛ばされた探査機の名前)

論述が出るよと言われていたが、所詮100文字くらい書けばいいのだろう、
と思っていたところ、解答用紙に800マスあって愕然とした。

中間考査が終わった。これからは大いに読書に励もう。
今までディベート関連の資料を読む時間に押されて、古今東西の名著を読めなかったからなぁ。

中間の手ごたえ【1日目】

2004-10-16 18:47:03 | 日常生活から
試験1日目は「英語Writing」(英文法)と「古文」。
どちらも簡単だった。

制服のネクタイがなくなった。これは大変。誰か間違ってもって帰っていったのかもしれない。

次回、「数学B」「英語Reading」「地理」はaverage 85%over狙います。

※社長@NADE 様のご指摘により英単語のミスを修正いたしました。英語頑張らねば…。

積極的に生きる

2004-10-12 20:59:23 | 日常生活から
ある一人の人の幸福を願うということは、実は簡単なようで非常に難しいと思った。

「その人にとって、自分の行動一体何が幸せなのか。」を考えて行動することが大事だ。
だが、決して見返りを期待してはならないのだ。

もし、自分のいかなる行動によってもその人が迷惑を感じるというのならば、残念ながら今のところ、僕は黙ってその場を去るほか方法がないと思う。
当然ながら、そのような場合、僕がどんなことを言おうと納得してくれない。
こんな状況では対話は成立しない。
だが、同じことを別の人が言うとコロッと頷いてしまうようなことがある。
明らかに先見的にその人間を拒絶している証拠だ。
そして、僕には今、そのような状況の友達が一人いる。

もう1年以上、ろくに口も聞いてくれはしない。
向こうがどう思っているか、その真意はわからないが、
僕はその人にどうしても幸せになってもらいたいのだ。
何もできない自分が悔しい。しかし、諦めるわけにはいかない。
だが、現実には自分の力が何一つ通用しないような仲にある。

時間が必要なのだ。
その人の限界に目を向けるのではなく「可能性」に着眼し、その人を信頼していく…
という考え方が大事ではなかろうか。
いわゆる「自他共の幸福」というやつだ。

決して自分が悲観的になることはない。
いつかその人とも仲直りできるように、自分の実力をとことん磨くまで。
その人が目の前の課題で良き結果を出すことを、僕は祈りきる。

そして、頼むみんな、こんな俺だが、ちゃんとフォローしてくれよ。

大激怒・・・所詮人間はエゴなのか

2004-10-02 23:08:15 | 日常生活から
今日は不機嫌だ。
学園祭初日、とあることがきっかけで、人間の大きなエゴと衝突した。
誰かが一生懸命考えたことに見向きもせず、自分の好きなことだけをして過ごす。
挙句の果てには、自分の近くに人が寄ることを嫌い、自らの満足のために他者を排斥する。
これは、自分が一見何も迷惑な行動をしていないようで、実は誰かの気持ちを踏みにじっている。
それが自分の近くにいる己が友の心だったと気づいていても、まったく気にしていないとするならば、
それは幻の友情であり、全てはまやかしの感情での付き合いにしかすぎない。
もっとも人間の信頼を失うことだろう。
これは「他人の不幸の上に自らの幸福を築く」ことではないか。
それで満足し、この行動を改善しようとも思わない人間がいる。

だが、ここで諦めて、自分もその人たちを排斥しようと行動しては本末転倒であろう。
ここは誰かがそのエゴを吐き出させ、粘り強い対話で人間を変えてゆくしかない。
そんなことを理屈でわかっていても、やはり実感として許すことはできない。

自分に対する批判や誹謗であれば、甘んじて受けることもできるだろう。
しかし、自分の友達や仲間に対して浴びせられた、自分勝手な罵倒や嘲笑であれば、僕はこれを何があろうと許すことはできない。

少なくとも今日の出来事はこの学園生活の中でもっとも憤怒したに違いない。
久々に怒り心頭に発した。脳の血管が切れそうなほどに悲憤慷慨した。
この人間への怒りを断じて忘れまい…!!

MD

2004-09-28 22:39:46 | 日常生活から
今日は鬱な気分で学校に行ったが、帰ってきて衝撃の事実が、僕を絶望の淵へと追いやった。
日ごろ使っていたMDが大破してしまったのだ。
しかも事故の要因は運のなさとしか言いようのない、どうしようもないことだった。

洗濯機の中からMDが発見された。ものすごく悲しすぎる理由だ。
僕のMDはソニー製の録音・再生型のMDのため、市場で言うなればなかなか高い代物だ。
しかも高校1年の冬に父より戴いた、いわくつきの品なのである。

学園祭で使うことを見越して最近学校でも使用していたのだが、
今日は電車の中で確認しても見つからない。
大方机の上にでも忘れたかと思われたが、洗濯機の中からサルベージされたのだ。

とはいえ、僕はMDを洗濯機に投げ入れてしまうようなおばかさんではない。
ポケットの中身も常時確認するくらいである。
では何があったのか。
昨日、雨が降り、制服のズボンが濡れてしまったために、代わりに黒のジャージで帰った。
当然ポケットからMDなどは出してかばんに入れた。使用後その黒のジャージを丸めて再びかばんのなかに入れた。
そして家に帰ってきて、それをそのまま洗濯機に入れたわけである。
 運が悪いとはまさにこのことで、どうやらその丸まった黒ジャーの中にMDが入っていたらしいのだ。

今のところ、当然ながらMDは動きもしない。さらにガム電池の蓋までもが大破し、まさに使い物にならない。
今年1月に修理から戻ってきたばかりだというのに、この仕打ちはひどすぎる。
僕はジャージを洗濯機に投げ込むことすらも救われないのだろうか。

果たして宮さんから借りていたMDは動くのだろうか。動かなかったら申し訳ない。
MDの修理代というのはばかにならない高さで、下手をしたら新しいのを買ったほうが楽な場合がある。
それだけに今日は悔し涙が出るというものだ。

それにしても最近不運なことが多すぎる…